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 伊豆高原周辺の観光地といえば、大室山だろうが、伊豆高原を訪れる少なからずの観光客は城ガ埼海岸を訪れるのではないだろうか。大室山の噴火による溶岩が海に流れ込み、その溶岩が海の浸食によって断崖絶壁の海岸が形成され、城ガ埼海岸と呼ばれているのだが、城ガ埼海岸は約10キロの美しい海岸線が続いている。そして、その観光のメインスポットが絶壁に架かる全長48メートルの吊橋だ。吊橋は海面から23メートルあり、吊橋の中程まで来ると、まるで眼が竦むようだ。
 それはともかく、城ガ埼海岸に沿って遊歩道が設けられているが、田中は吊橋から程近い所の遊歩道に横たわっているのが、松山賢治という七十歳の男性によって発見されたのだ。賢治は近くのペンションで宿泊していたのだが、早朝、海岸からの光景を眼にしたくなり、午前六時半頃、宿泊先のペンションを後にし、一人遊歩道を歩き始めたのだが、吊橋からさ程離れてない遊歩道で、五十位の男が不自然な恰好で横たわっているのを発見したのだ。
 それで、賢治は眉を顰めては屈み込み、
「もしもし」
 と、声を掛けた。賢治は酒に酔っ払って、寝込んでしまったのではないかと思ったのだ。それで、どんな男かとその詳細を確認しようとしたのだ。そんな賢治はまずその男の胸の辺りに眼をやったのだが、忽ち「ギョッ!」という悲鳴を発しては後退りした。何故なら、その男の胸は血で赤黒く染まっていたからだ。だが、血だとまだ確認出来たわけではない。それで、賢治は更に男の様子を詳細に見ようとした。すると、賢治は再び「ギョッ!」という悲鳴を発した。何故なら、男は白眼を剝き、それは正に死人の顔であったからだ。それで、賢治は正に逃げるようにしてその場を後にし、宿泊先のペンションに戻り、110番通報したのであった。
 賢治からの通報を受け、直ちに静岡県警の警官が現場に駆けつけ、男の死を確認した。
 程無く男は伊東市内のK病院に運ばれ、司法解剖された。その結果、死因は鋭利な刃物で心臓を刺されたことによるショック死で、死亡推定時間は昨夜の午後十一時から十二時であることが判明した。だが、男は身元を証明する物は何ら所持してなかった。
 男の死を受けて、伊東署内に捜査本部が設けられ、静岡県警捜査一課の蛭田警部(50)が捜査を担当することになった。蛭田は身長180センチ、体重八十キロの巨漢で、柔道も有段者で、また、その容貌も甚だ強面であった。そんな蛭田が事件を担当することから、静岡県警のこの事件に対する並々ならぬ決意が察せられるかのようであった。
 それはともかく、男の指紋が警察に保管されてないか、その捜査がまず行なわれた。すると、その指紋が保管されてることが、早々と明らかになった。
 その男は沖縄在住の赤嶺定吉で、定吉は六年前に自動車事故を起こし、その時に指紋を採取されてたのだ。
 城ガ埼海岸の遊歩道で沖縄在住の男の刺殺体が見付かったという事実は、捜査陣を惑わせた。何故、沖縄の男が城ガ埼海岸でというわけだ。何となく、違和感を捜査陣は感じたのだ。
 それはともかく、定吉が沖縄の人間であったことから、蛭田はまず沖縄県警に捜査協力の依頼をした。
 それを受けて、沖縄県警捜査一課の金城警部(49)は定吉の家族に定吉の死を伝えようとしたのだが、定吉は今、独り身であることが分かった。それで、定吉の弟である正吉に定吉の死を伝えた。すると、正吉は信じられないと言ったが、定吉が四、五日程前に沖縄から転居した事実も分かった。そして、金城はその長年の刑事人生で培われた勘から、定吉の転居と定吉の死は関係があると看做したのである。
 そんな金城は更に正吉に聞き込みを行なった。すると、定吉が沖縄から転居した頃から、義妹である末子の行方が分からなくなっていて、末子は依然として行方不明となってることが早々と明らかとなったのである。
 その事実から、自ずから末子の失踪と定吉の転居に関係があると疑いを抱くのは当然と言えよう。
 それで、金城は更に正吉に聞き込みを続けた。その結果、定吉が末子のことを羨ましく思っていたことが明らかになり、また、その理由も明らかになった。
 だが、金城の推理はそれ以上進まなかった。即ち、定吉と末子との間にトラブルが発生し、定吉が末子を殺し、沖縄から逃げたということまでは推測出来たのだが、では何故定吉は伊豆の城ガ埼海岸で殺されたのか? 末子の関係者が末子の復讐の為に殺したとでもいうのか? それらは正に根拠のない推理であり、この時点で金城は今まで捜査したことを、静岡県警の蛭田に伝えたのであった。
 沖縄県警の金城からの報告を受けて、蛭田はいかにも険しい表情を浮かべた。やはり、定吉の事件はその惨たらしい死体の外見のように、その動機には強い怨恨といった怨念が潜んでいそうだからだ。とはいうものの、末子の関係者がその復讐の為に定吉を殺したのかというと、その説明は金城も指摘していたように、無理があるように思われた。
 では、定吉が殺された動機は、一体どのようなものなのか? それに関して思いを巡らせてみたが、蛭田の部下の若村警部補(38)が、
「末子さんの娘が東京にいるらしいですね」
 そう若村に言われると、蛭田は俄然表情を輝かせた。即ち、その娘が犯人なら、定吉が伊豆で殺されたということも理解出来ないわけではないからだ。何しろ、定吉は末子の娘の奈美から定吉自身も金を貰いたがっていたようだ。それ故、定吉は直に奈美にそのことを交渉したかもしれない。その結果トラブルが発生し、定吉は殺された。その可能性は十分にある。
 それで、この時点で、奈美、更に、その夫である深沢則之のアリバイが直ちに捜査された。すると、アリバイはあった。そして、そのアリバイは確実なものであった。それによって、捜査は振り出しに戻ってしまったのである。
 今までの捜査から、定吉が末子と金銭絡みでトラブルが発生し、その結果、定吉が末子を殺し、伊豆方面に来たという推測はかなり現実味がありそうだ。だが、それ以降の推測が出来ないのだ。即ち、定吉が殺された動機と犯人をまるで推測出来ないのだ。定吉の死体の状況から、定吉は犯人とさ程争うことなく殺されたと思われた。即ち、犯人は確実に定吉を殺そうとして殺し、定吉は正に不意打ちを喰らい殺されたかのようなのだ。しかし、定吉を殺して何のメリットがあるのだろうか? 何しろ、定吉は金が無く、また、これといったトラブルは抱えてなかったとのことだ。それ故、この事件は解決が長引くと蛭田は思った。それ故、とにかく、城ガ埼海岸周辺に立て看板を立て、市民からの情報提供を呼び掛けてみることになった。だが、これといった情報はもたらされなかった。その代わり、とんでもない知らせがもたらされた。その知らせは、何と大室山の近くの道路沿いで若い男の死体が見付かったというものであった。
 大室山は伊豆高原観光のメインスポットともいえる場所で、そのお椀を伏せたような山にはリフトが掛けられ、山頂からの眺めは辺りに拡がっている別荘とか、遠くに駿河湾をも眼に出来る。それ故、多くの観光客が訪れる。その大室山から少し離れた道路沿いの草むらで、辺りに住んでいる高村幸助(50)が偶然にその男の死体を見付けたのだ。幸助が言うには、眼を偶然少し横に逸らしたところ、その男が不自然な恰好で横たわっているのを眼に留めたとのことだ。
 幸助からの通報を受け、直ちに所轄署の警官が二名現場に急行した。そして、その男の死を早々と確認した。
 その男は、三十歳前後思われ、黒っぽいズボンと白っぽいカジュアルシャツ姿であったが、身元を証明するものは何ら所持してなかった。
 男は直ちに伊東市内のK病院に運ばれ、司法解剖されるに至った。というのは、男の死は明らかに殺しによるものだったからだ。何しろ、男の胸の辺りは赤黒い血で染まってるにもかかわらず、凶器となった刃物は現場では見付からなかった。それ故、男は別の場所で犯人に刺殺されて、現場に運ばれたことが自ずから察せられたのである。
 司法解剖の結果、男の死因と死亡推定時刻が明らかになった。死因は予想通り鋭利な刃物に刺されたことによるショック死であり、また、死亡推定時刻は昨日の午前二時から三時であった。
 男は身元を証明する物を何ら所持してなかったといえども、男の死には当然、男の死体が見付かった前日に城ガ埼海岸で見付かった赤嶺定吉の死が関係してるのではないかという疑いを静岡県警は抱いた。それで、蛭田は沖縄県警の金城に問い合わせをし、赤嶺定吉の関係者に大室山近くで見付かった男が存在してないか捜査してもらうことにした。そして、その一方、男の指紋が警察に保管されてないか、捜査してみた。
 しかし、そのどちらも成果を得ることが出来なかった。
 だが、二日続けて伊豆高原周辺で男の惨殺死体が見付かったとなれば、当然この二人の男の死は関係してると看做すのが、事の道理というものであろう。
 それ故、大室山の事件も蛭田が担当することになった。
 だが、今のところ、二人の事件解決に至るような情報は寄せられてなかった。二人の男の死は大々的に新聞やTVで報道されはしたが、有力な情報はまだ寄せられなかったのだ。

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