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龍雄の眼が覚めた時に真っ先に感じたのは、その埃臭さだ。何しろ、龍雄の寝場所となっているこの部屋はもう十年位掃除が行なわれてないような部屋だったのだ。そして、何故このような部屋で眠らなければならないのかという思いが改めて込み上げて来たのだ。道代とのいざこざや、公務員という地位を失ったそのやるせなさなどから、今までの人生を捨て、新たな冒険に乗り出したといえども、その先に待っていたものがこれだったのかと思うと、龍雄は一層やるせなさを感じずにはいられなかった。それ故、この妙な仕事からは早々に切り上げ、別の仕事をやろうと決意したのだ。正に、今の仕事は何かの犯罪の片棒を担がされてると思わざるを得ないのだ。それ故、昨日も思ったのだが、巧みにこの仕事から抜け出さなければならないというわけだ。そうしないと、龍雄の身が危ないというわけだ。
 そう龍雄は思ったが、とにかくカーテンのない窓から部屋の中に注ぎ込んで来る陽光から朝の到来を知った。それで、上半身を起こした。しかし、顔を洗うわけにはいかなった。何しろ、この別荘は水が使えないのだ。また、電気も使えないし、寝具もないという。それ故、ここが別荘であるわけはないのだ。だが、その理由を高橋たちに問うてみる勇気は龍雄にはなかった。要するに、臆病な龍雄は妙なことを問い、高橋から龍雄が危険な人物だと思われたくなかったのだ。
 それはともかく、龍雄はしばらくの間、この部屋でじっとしていたが、午前十一時を過ぎた頃、用を足したくなった。といってもトイレは使えないから、用を足したくなれば、外でやってくれと高橋に言われていた。それで、とにかく用を足す為に外に出ようとし、廊下を歩きかけたのだが、その部屋の扉が開けっ放しになっていた。それで、龍雄は興味半分にその部屋の中を覗いてみたのだが、すると、その龍雄の表情は突如、険しくなった。何故なら、その部屋で高橋が大の字になって倒れていたからだ。そして、その恰好が何となく不自然であり、また、その胸の辺りには赤黒い血溜まりのようなものが見られた。
 それで、龍雄は恐る恐る大の字になった高橋に近付いて行った。そして、うつ伏せになっている高橋の顔を覗き込んだ。すると、龍雄の表情は忽ち蒼白になり、そして「ギャ!」と甲高い声を上げては後退りした。何故なら、高橋は苦悶の表情を浮かべ、白眼を剥いていたからだ。その表情から、正に高橋は息絶えてるに違いなかった。即ち、高橋は何者かに惨殺されたのだ!
 そう龍雄は理解したものの、果してこれからいかにすべきか、迷った。この事実を警察に知らせるかどうかということを。そして、その迷いはすぐに迷いでなくなった。何故なら、龍雄はこの事実を警察に話さないことにすぐに決めたからだ。警察に話せば、龍雄の身元を警察に話さなければならない。しかし、それは龍雄の意図にそぐわないというものなのだ。何故なら、龍雄は妻と仕事を捨て、熊本から東京へと新天地を求めたのだから。だが、警察に身元を話せば、そんな龍雄のことを道代に話すに決まってるからだ。そうなってしまえば、元も子も無いというわけだ。そう思うと、高橋の死はやはり警察に話すべきではないと思い直したのである。それと共に改めて、この仕事を引き受けるものではなかったという思いが込み上げて来た。惚け親父の見張りの仕事という説明を聞いて、何だか胡散臭い仕事だと感じたが、やはりその時点でこの仕事を引き受けなければよかったのだ。そうすれば、こんな面倒な事態の渦中に置かれることはなかったのだ。そう後悔しても、後の祭りというものだ。
 龍雄以外には今は誰もいないリビングの中でそのように思った龍雄は、やがて決意を新たにしたような表情を浮かべては、その足はやがて玄関へと向かった。龍雄はこの時点で、この別荘を後にし、また、高橋のことは警察に通報しまいと決意したのだ。そんな龍雄の脳裏には僅かだが、あの惚けたという老人とか、高橋の兄弟のような男二人は何処に行ってしまったのだろうかという思いが過ぎった。先程の龍雄の悲鳴はこの別荘内に響き渡った筈だ。それ故、高橋の兄弟のような男たちは龍雄の許に駆け付ける筈なのだ。だが、実際にはそうではなかったのだ。一体何故……。龍雄にはその理由は分からなかった。
 だが、そのようなことは、特に気にしないでおこう。何しろ、龍雄はもうこの仕事から解放されたのだから。
 そう思った龍雄はまるで何かに憑かれたかのように別荘を後にした。そんな龍雄を他人が見れば幽霊のように見えたかもしれなかった。


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