第十三章 新たな死

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「では、日下部さんは銀行預金は持ってなかったのですかね?」 
 蛭田は引き続き、質問を浴びせた。
「持っておられたと思います。一億五千万位の銀行預金を持っておられたみたいですね。更に、自宅にも少なくても数千万は保管しておられたみたいですね」
 と言っては、権藤は小さく肯いた。
「成程。で、日下部さんはその銀行預金とか自宅に保管してあるお金に関してどのように述べておられましたかね?」
「ですから、それらは三人の息子さんに遺す分であったかと思います。もっとも、相続財産は全て併せて計算されますから、日下部さんは銀行預金を誰に相続させるとかまでは述べなかったのだと思います」
「成程。でも、昨日、その相続分が変更されたのですよね?」
「そうなのですよ。急にそのようなことを言ってこられたので、僕は何か日下部さんに異変が起こったのではないかと思っていたのですがね。でも、僕のその胸騒ぎは正しかったのですね」
 と言っては、権藤は眼頭に白いハンカチをあてた。
 すると、蛭田は神妙な表情を浮かべ、少しの間言葉を詰まらせたが、やがて、
「で、昨日は日下部さんは自らの家屋敷や株式、投資信託を誰に相続させるかを明らかにしたのですが、銀行預金とか、自宅に保管してる現金に関しては何も言わなかったのですね?」
「そうです」
 と、権藤は小さく肯いた。
「何故ですかね? 忘れたのでしょうかね?」
 そう蛭田に言われ、権藤は表情を曇らせ、少しの間言葉を詰まらせたのだが、やがて、
「日下部さんは慎重な性格の方でしたからね。忘れたとは思えませんね」
「日下部さんが権藤さんに電話して来た時には、三人の息子さんたちは既に死んでいたことは死亡推定時間から明らかとなっています」
「でも、日下部さんはそのことを知らなかったのではないですかね。それ故、銀行預金なんかは、息子さんたちに遺そうとしてたのではないですかね?」
 権藤は渋面顔で言った。
 そんな権藤の言葉を耳にし、蛭田も渋面顔を浮かべた。というのは、蛭田は三兄弟を殺したは虎之助である可能性は十分にあると依然として思っていたのだ。そして、その推理が正しければ虎之助が三人の息子たちに銀行預金と自宅に保管してある金を遺す筈がないのだ。しかし、虎之助が殺したという確証はまだない為にその蛭田の思いを権藤に述べるわけにはいかなかったのだ。
 そして、この辺で蛭田は権藤に対する聞き込みを終え、今度は虎之助の銀行預金が今、どのようになっているか、調べてみることにした。
 すると、忽ち興味ある情報を入手するに至った。というのは、今日の午前十一時頃、上野駅近くにあるM銀行上野支店で、虎之助の預金が現金自動預払い機からキャッシュカードを使って五十万が引き出されていたからだ。虎之助は今やこの世にいない。にもかかわらず、虎之助の銀行預金から何者かが虎之助のキャッシュカードを使って、虎之助の銀行預金を引き出したのだ。この事実を重視しないわけにはいかないだろう。即ち、虎之助の銀行預金を引き出したこの人物こそ、日下部家の者をこの世から消失させてしまった事件の解決の鍵を握る最重要人物なのだ!
 それで、直ちに防犯カメラでこの人物の確認が行なわれた。すると、三十前後の男であることが分かったが、黒いサングラスをかけている為にその素顔は明らかには出来なかった。それ故、この防犯カメラに映った映像を公開しても成果を得られないことは請け合いであろう。
 だが、事件が新たな展開を見せたことは間違いなかった。即ち、虎之助が三兄弟を殺し、最後に自殺したという推理は誤りで、虎之助の銀行預金を下ろした男こそ、一連の事件の新犯人であった可能性が新たに浮上したというわけだ。
 更に、新たな事実も浮かび上がった。それは、虎之助が自宅に保管していたと思われる金庫がいくら探しても見付からないのだ。権藤によると、虎之助はその金庫を虎之助の寝室の床下に作られている物入れに保管していたとのことなので、西口刑事たちは早速それを探してみたが、見付からなかったというわけだ。もっとも、虎之助がその金庫をその後、別の場所に移した可能性がないとはいえないのだが……。
 それはともかく、そのM銀行上野支店の防犯カメラに映った男の写真は、結局、新聞紙上で公開されることになった。また、三兄弟と知人関係にあった者にも聞き込みが行なわれた。また、赤嶺定吉の知人にも聞き込みが行なわれた。
 だが、男の顔を黒いサングラスが隠しているので、有力な情報は得られなかった。
 だが、虎之助の銀行預金が引き出されてから一週間の間は、再び虎之助の銀行預金が引き出されようとはしなかった。新聞に掲載された自らの顔写真を見て、男は警戒心を働かせたのかもしれない。
 それはともかく、虎之助の遺体が修善寺温泉で発見されてやがて二週間が過ぎようとしていた。季節は五月の終わりに入っていたが、鬱陶しい日々が続いていた。そして、その鬱陶しい日々はまるで蛭田たちの思いを具現化してるかのようだった。即ち、未だ日下部家と赤嶺定吉を襲った事件は解決に至ってないのだ。正に事件は振り出しに戻ってしまったような状況に陥っていたのだ。
 というのは、蛭田は一連の事件は虎之助によって引き起こされたと推理していた。即ち、ぐうたら息子に見切りをつけた虎之助が、定吉の協力を得て、三兄弟を殺した。だが、何かトラブルが発生し、定吉は殺されてしまい、また、虎之助は最後に自殺し、その前に権藤弁護士に自らの遺産の相続人の特定を行なったというわけだ。しかし、それはまさしく推理に過ぎず、その推理を証明する証拠は何ら見付かってはいないのだ。それ故、その推理は誤った推理である可能性も十分にあるわけだ。
 そして、その蛭田の思いを裏付けるかのように、新たな男が浮上した。その男は虎之助が死んだ翌日、何故か虎之助のキャッシュカードを使い、虎之助の銀行預金を下ろしたのだ。
 そして、その男の行為に関しても、蛭田たちの間で、様々な論議が交わされた。何故、男は虎之助のキャッシュカードで預金を引き出せ、また、虎之助のキャッシュカードを持っていたのかということだ。
 この点に関して、論議が二つに割れたのだ。
 即ち、男は虎之助を脅したりして、キャッシュカードを奪い、暗証番号を聞き出したという推理と、男は虎之助の知人で虎之助から善意にキャッシュカードを譲り受け、預金を引き出したという推理である。そして、後者なら堂々とその旨を公にすればよいのだが、何か後ろ暗い事情があり、それが出来ないのだという具合だ。
 しかし、いずれにしても、それらの推理は正に推理に過ぎず、それを裏付ける証拠はまだ何ら得られてなかったのだ。

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