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福岡は九州最大の都市で、日本の主だった企業は福岡に支店を持っていることであろう。正に、札幌と同様リトル東京であり、何度訪れても、新たな魅力を見せてくれると観光ガイドに記してあった。
そんな福岡は正に日本の歴史を揺るがした事件の舞台にもなった。その事件とは、元寇だ。1274年と1281年の二度に及び、その当時、世界最大の大国であった元が今の福岡を襲撃し、日本を征服しようとした。そして、時の幕府は辺りの御家人たちを集めては激しく抵抗するが、苦戦を余儀なくされた。しかし、思わぬ嵐が遅い、元軍は思わぬ打撃を被り、敗退を余儀なくさせられた。もし、その時、嵐が襲わなければ、日本は元に征服させられていたという。それ故、その嵐は正に神風と呼ばれた。
それはともかく、県庁近くにある東公園は今は内陸部となっているが、嘗ては海岸の一部で、文永の役では蒙古軍と日本軍が激しい激戦が繰り広げられた。また、1784年に「漢委奴国王」と刻まれた金印が発見された志賀島には蒙古塚があり、その辺りも元寇の激戦地であった。そして、その蒙古塚近くの叶の浜からは能古島、福岡市街の眺めがよく、また、海水浴場にもなっている。
その叶の浜でその男の死体は発見された。発見したのは大阪から来た観光客の大山明人(50)であった。明人は金印が発見された所にある金印公園をしばらく見物した後、蒙古塚に向かって歩みを進めていたのだが、その時に男の死体を発見したのだ。
男は灰色のポロシャツとジーパン姿であったが、男は何者かに殺されたことは、明らかであった。何故なら、男のポロシャツは赤黒い血で染まっていたし、また、男の顔面にも切り傷があり、また、男は苦悶の表情を浮かべていたからだ。それで、明人は直ちに携帯電話で110番通報したのだ。
男は直ちに福岡市内のS病院に運ばれ、司法解剖が行なわれた。その結果、死因は鋭利な刃物によって刺されたことによる出血死で、また、死亡推定時刻は昨日、即ち、五月二十五日の午後十時から十一時の間であった。また、男は身元を証明する物は何ら所持はしてなかった。それで、男の指紋が警察に保管されてないか、捜査された。すると、男の指紋は警察に保管されていた。男は福岡在住の八木守男(29)であったのだ。守男は東京在住の時に覚せい剤を所持、使用した為に逮捕され、警察に指紋が保管されていたのだ。
守男の死を受けて、東署に捜査本部が置かれ、福岡県警捜査一課の江崎警部(50)が捜査を担当することになった。何しろ、守男は過去に覚せい剤を使用し逮捕されたことのある前科者であり、また、ホストをやっていたことや、その殺され方からして、凶悪事件の捜査のベテランである江崎が捜査を担当することになったのだ。
早速、守男に関する捜査が行なわれたのだが、出だしで捜査は躓いてしまった。というのは、守男は住民票では福岡在住になっていたものの、守男はその住民票に記載された場所には住んでなかったからだ。また、守男には家族はいなかったのだ。それで、近所の住人などに聞き込みを行なったところ、守男はどうやらホストクラブを経営していたが、失敗して、夜逃げ同然に姿を晦ませたのではないかという証言を入手出来た。
その情報を得て、江崎は些か満足そうに肯いた。何故なら、守男を殺したのは守男に金を貸した性質の良くない金貸しである可能性が高まったからだ。姿を晦ました守男を見付け出しては殺したというわけだ。それ故、守男に金を貸していた金貸しを見付け出すのが、捜査の手順だと、江崎は認識したのだ。
だが、そんな江崎の思いに水を差す情報が江崎にもたらされた。というのは、守男の指紋が何と伊豆高原で起こった不可解な事件の舞台となった朽ちた別荘内で見付かったというのだ。そして、その情報は正に江崎にとって、寝耳に水だったのだ。
それで、とにかく江崎はその情報をもたらした静岡県警の蛭田から話を聞くことになったのだ。
一方、蛭田たち虎之助たちの事件を捜査してる静岡県警の刑事たちは今、戸惑いの表情を浮かべていた。何故なら、事件解決の鍵を握ってる虎之助の預金を引き出した男が志賀島で無残な死に様で発見されたからだ。その人相風体からして守男はM銀行上野支店の防犯カメラに映っていた男に間違いなかったのだ。それ故、守男の死によって、一層虎之助たちの事件の真相解明に遠ざかったと蛭田たちは看做したのだ。また、江崎も守男の死にそのような事情があることを知って、守男の事件解決の困難さを認識したのである。
それはともかく、一見日下部家とは何ら関わりがないと思われる八木守男の指紋が何故伊豆高原の別荘で見付かったのかは、蛭田たちの間で当然議論の的となった。そして、守男の指紋が見付かったのは、定吉の指紋が見付かったのと同一性があると看做すに至った。即ち、定吉も守男も日下部家とは無関係にもかかわらず、何故か日下部家の者と知人関係を持つに至ったのだ。では、その接点は何処で生じたのか? その謎はまだ推測すら出来てない状況であった。
そして、事件を一層複雑にさせる事実が新たに発生してしまった。というのは、件の別荘でこれまで明らかになってない人物の指紋が遺されてることが明らかとなってしまったのだ。そして、その者の指紋は警察には保管されてないのだ。
その事実を得て、蛭田は頭を抱えこんでしまった。事件は一層複雑さを増してしまい、果してこの事件は解決に至るのかと思ったのだ。
ところが、そんな蛭田たちに救いの手が差し伸べられたのか、正に事件の真相を知ってるかのような人物から電話が掛って来たのだ。
―僕は鈴木といいます。
鈴木と名乗った男は、伊豆高原で起こった事件を新聞で見て思うことがあり、事件を捜査してる刑事と話がしたいと言うので、蛭田が電話に出たところ、その男はそう言った。それで、蛭田は自らが伊豆高原の事件を担当してると言った。すると、鈴木は、
―実は、僕はその事件に関係してるのですよ。
と言っては、鈴木は自らがその伊豆高原の別荘にいて、また、何故その別荘にいることになったのかを話した。蛭田はその鈴木の話を正に真剣な表情を浮かべては耳にしていたが、鈴木の話が一通り終わると、
「じゃ、鈴木さんの他にも、鈴木さんのように新聞の求人を見てその別荘に来た人が後二人いたというわけですね?」
―そうです。間違いありません。僕はその二人を眼にしてますから。
そう鈴木に言われ、蛭田は些か満足そうな表情を浮かべては小さく肯いた。何故なら、その二人は赤嶺定吉と八木守男に違いなかったからだ。また、鈴木たち三人と日下部家の者たちの接点もこれで明らかとなった。即ち、国男たちは虎之助を監禁する為に鈴木たちを新聞の求人で集め、そして、あの別荘で虎之助を監禁したのだ。だが、監禁してどうするつもりだったのだろうか? その点は鈴木はまだ言及してなかった。それで、蛭田はそのことを訊いてみた。すると、鈴木は、
―その点に関しては、高橋は何も言わなかったです。でも、その仕事は一週間位だと言われてました。
そう言われ、蛭田は「ふむ」と、険しい表情で言っては、小さく肯いた。恐らく、一週間後には国男たちは虎之助を殺そうとしたのだ。しかし、殺すのなら、何も鈴木たちを雇うことはなかったのではないのか? 国男たちで十分殺せたであろう。それなのに、何故、こんな面倒なことをしたのだろうか? それは、蛭田でも分からなかった。それで、その疑問を話してみた。だが、鈴木はそれに答えることは出来なかった。それで、蛭田は、
「では、鈴木さんが伊豆高原に来てから、予定通り午後十一時までの見張りを終え、その翌々日の朝リビングに行った時には、虎之助さんの姿は見られなかったのですね?」
―そうです。といっても、午前十一時頃のことでしたが、誰もいませんでした。そして、その時に別の部屋で死体を見付けてしまったのです。
即ち、それが熊男の死体であったということだ。
「で、その時には別荘内には誰も見られなかったのですかね?」
―そうです。
その時点では、既に国男、定吉、虎吉が息絶えていたことは明らかとなっていた。それ故、その三人と熊男を殺したのは虎之助か守男、あるいは、今、蛭田と話をしてる鈴木である可能性が高まった。だが、その思いを蛭田は無論、鈴木に話すことはなかった。
「で、その後、鈴木さんは別荘を後にしたのですね?」
―そうです。
と、鈴木は小さな声で言った。
この鈴木という男からの予期せぬ電話により、捜査は前進したことには間違いなかった。とはいうものの、鈴木の話をあっさりと信じるのは危険というものであろう。それ故、鈴子の証言は慎重に裏付けを取らなければならないであろう。そう思った蛭田は鈴木と直に会って話を聞きたいと言った。すると、鈴木は蛭田がそう言った後、すぐに電話を切ってしまったのだ。蛭田は正に茫然とした表情を浮かべては、しばらく送受器を握り締めたまま、その場を動くことが出来なかったのだ……。