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 赤嶺定吉は今、羽田空港に向かう飛行機の中にいた。
 定吉は昨日、義妹の赤嶺末子を殺してしまった。そして、その夜、末子の遺体をヤンバルの山に埋めたのだ。那覇周辺には末子の遺体を埋めるのに手頃な場所がなかった為に、正に定吉は遥か遠方にまで車を走らせなければならなかったのだ。とはいうものの、末子の遺体を埋めた場所は正に林道から少し山の中に入った場所であった為に、末子の遺体が発見されるということは不可能と定吉は看做した。何しろ、当の定吉でさえ、再びその場所に行ってみろと言われても、それは不可能と思われたのだから。
 そんな定吉は、末子を殺しても、全く後悔してなかった。それどころか、末子が死んだのは末子の所為だと思っていた。即ち、末子が定吉に小遣いを与えないから、天罰が当たったのだと定吉は看做したのである。
 大体、親族というものは、助け合わなければならないのだ。それが、ウチナーンチュの精神なのだ。にもかかわらず、末子はその精神を無視し、末子だけが美味い汁を吸おうとしてたのだ。これでは、天罰が当たっても仕方ない。
 そう! 定吉は末子に天罰を与えてやったのだ! 定吉は当然のことをしたまでなのだ!
 そう自らに言い聞かせても、その言い分が今の日本社会に通用しないことが分からない程、定吉は頭がいかれていたわけでもなかった。
 それ故、定吉は沖縄からの逃亡を決意したのだ!
 もっとも、定吉が姿を晦ませれば、末子の失踪に定吉が関係してると警察に疑われる可能性は十分にある。それ故、定吉が沖縄から離れることは定吉にとって好ましくないのかもしれない。
 しかし、沖縄にこのままいて、定吉にいいことが起こるとは思えなかった。数千円しか稼げない日もあり、また、狭いおんぼろアパートでの一人暮らし。そんな定吉のこの先、いいことが待ってるなんてことは、有り得ないというものだ。それに加えて、末子の失踪に定吉が関係してると警察から疑われ訊問を受けたり、また、身内の者からも疑われるかもしれない。
 そんなことになる位なら、いっそのこと沖縄から逃げてやれ! 
 定吉はそのように看做し、沖縄から脱出することにしたのだ。
 そんな定吉の眼にはやがて東京の街並みが見えるようになった。すると、定吉は改めて「でかい街だな」と、心の中で呟いた。
 定吉は東京に来るのは十三年振りであった。十三年前に妻と二人の娘と共に二泊三日の家族旅行を愉しんだのであった。そして、その時は浅草のホテルに泊まり、浅草寺とか、東京タワー、新宿、上野、そして、東京ディズニーランドなんかの観光を愉しんだものであった。
 その時はまだ定吉が働いていた建設会社の業績は悪化してなかった為に、ボーナスも貰い、そのボーナスを使って、東京旅行にも来れたのであった。
 しかし、今やその妻と二人の娘は定吉の許から去り、その近況も定吉はてんで知らなかった。
 しかし、知りたいとも思わなかった。何故なら、妻と二人の娘は定吉を捨てたのだから。
それ故、定吉はそんな妻と二人の娘のことなど、もはや興味はなかったのだが、こうやって東京にやって来ると、自ずから嘗ての定吉の家族だった者のことが、定吉の脳裏に蘇って来たのであった。
 それはともかく、定吉は東京に来てから、何処で何をするのか、まるで考えてなかった。末子の死体をヤンバルの山に埋めてから逃げるように沖縄を後にした為に、その後の計画を立てる余裕がなかったのである。
 そんな定吉が、その逃亡先に何故東京を選んだかというと、ただ単に人が多いから、逃げ易いと思ったからだ。それ以外にも、東京なら働き口があるのではないかとも思ったのだ。それ故、定吉のような犯罪者が身を潜めるのは東京がぴったりだと思ったのだ。
それ以外としても、定吉は東京は若い頃、度々来たことがあった。高校時代の友人が東京で働いていたことがあったので、その友人を訪ねて定吉は若い頃、度々東京を訪れていたのだ。
 もっとも、その友人は今は大阪に住んでいるのだが、要するに定吉は東京には土地勘があったのだ。そのことも、定吉がその逃亡先に東京を選んだ理由だったのだ。
 それはともかく、飛行機はやがて羽田空港の滑走路に着陸した。
 定吉はその羽田空港の滑走路の広大さに眼を丸くしていたのだが、やがて飛行機はボーディングブリッジに横付された。
 それを受けて、乗客は席を立った。それで、定吉もそれに合わせて席を立った。
 定吉はやがて到着口を後にし、モノレール乗り場に向かった。その時の定吉には、既に行き先は決まっていた。
 それは、浅草だ。まず、浅草に行こうと定吉は思ったのだ。
 というのは、十三年前に家族で浅草に行ったことが妙に懐かしく思い出され、もう一度浅草に行ってみたくなったのだ。それ以外としても、定吉はその容貌を変えなければならないと思った。というのは、定吉は最悪の場合、末子の事件の重要参考人として、その顔写真が全国の交番に貼り出されるかもしれないのだ。それ故、定吉は容貌を変える必要があると看做したのだ。それ故、まず床屋で髪を短く切り、色のついたサングラスを買おうと思ったのだ。そして、そのような店は浅草にあるだろうと思ったのだ。
 モノレールはやがて浜松町に着いた。
 浜松町からは山手線で上野まで行くことにした。浅草へは、上野で地下鉄に乗り換えなければならないからだ。
そして、やがて上野に着いたのだが、この時点で定吉の予定が変更となった。定吉は、上野周辺を少し散策してみようとしたのだ。
 定吉は上野にも思い出があった。定吉が若かった頃、高校時代の友人とガード下にあった屋台で酒を飲んだことがあったのだ。定吉はその時のことが無性に懐かしくなり、上野見物をしたくなったのだ。
 定吉がアメ横に姿を見せたのは、午後三時を少し過ぎた頃であった。
 だが、アメ横はかなりの賑わいを見せていた。このような場所で商売をすれば儲かるだろうなと思いながら、若かった頃、友人と酒を飲んだ屋台に行こうとしたのだが、残念ながらその屋台が何処にあったのかは思い出せなかった。それに何しろ、その屋台で飲んだのは、もう三十年近く前のことなのだ。それだけ前のことなら、もうその場所では、その屋台は営業してないだろう。
 定吉は、そのようなことを思いながら、アメ横を散策していたのだが、サングラスを売ってる店があったので、早速色の薄いサングラスを買った。あまり色の濃いサングラスをかけると、却って怪しまれると思い、色の薄いのにしたのだ。また、床屋も見付かったので、早速、髪を短くしてもらった。
 そして、ガード下にある大衆食堂で腹拵えをし、そして、今度は上野公園に向かって歩き始めた。定吉は上野公園にも一度だけ行った記憶があった。
 しかし、それももう三十年程前のことであったので、その時の記憶は曖昧なものであった。
 だが、上野公園にはベンチがあるだろうから、そのベンチにでも座りながら、定吉はこれからのことを考えようと思ったのだ。
 上野駅公園口から上野公園の中に入ってしばらく公園内を歩き、やがて広い広場にやって来た。その広場の中央にある大きな池には噴水があり、また、その池を囲むようにしてベンチがあったので、定吉は早速そのベンチに腰を下ろした。
 そんな定吉は些か疲労を感じていた。何しろ、今日は沖縄からやって来たのだ。そして、先程はかなりアメ横周辺を散策した。更に、昨夜から今朝にかけては那覇からヤンバルまで車を走らせ、そして、末子の死体を埋める為に、スコップでかなりの穴を掘り、それはかなりの重労働であったのだ。
 定吉は、こんなに身体を動かしたのは正に久し振りで、また、土木作業員を止めてからはこのような経験はなかったと記憶していたのだ。
 それはともかく、やっとベンチに座ったからには、その本来の目的を考えなければならない。即ち、定吉はこれからどうやってこの東京で暮らしていくのか? その本来の目的を考えなければならないのだ。
 定吉はいかにも真剣な表情を浮べながら、早速それに関して思いを巡らせ始めた。
 すると、深く考えるまでもなく、今夜、夜をどう過ごすか、また、これから何処で暮らすのか、お金はどう手にするのか、自ずからこの三点に的が絞られた。
 この三点に的を絞り、定吉は頭を働かせたのだが、今夜は野宿することが早々に決まった。というのは、今、定吉の有り金は十五万だったのだ。その十五万が定吉の全財産であったのだ。
 それ故、無駄な出費は極力抑えなければならない。そして、ホテルなんかに泊まることが正にその無駄な出費だと定吉は看做したのだ。そして、その野宿する場所も凡そ目処をつけた。
 それは、浅草だ。浅草の隅田川沿いなら野宿する場所は幾らでもあると思ったのだ。確か隅田川沿いには公園があった筈だ。それ故、その公園なら、野宿出来るだろうと、定吉は思ったのである。
 次はこれから何処で暮らすかということであった。今夜は浅草の公園で夜を過ごすといえども、いつまでも公園暮らしというわけにはいかないであろう。それに定吉はいずれ警察のお尋ね者になるかもしれないのだ。それなのに公園で野宿なんかしていれば、警察の職務質問を受けてしまい、その結果、素性が分かってしまい、その時点で那覇署に連行されてしまう。そうなり兼ねないのだ。
 それ故、当面宿を確保せざるを得ないだろう。カプセルホテルやサウナなら低料金で泊まれるのではないのか?
 そう思うと、定吉は険しい表情を浮べながらも小さく肯いた。即ち、明日からはカプセルホテルかサウナに泊まるのだ。東京ならカプセルホテルやサウナはいくらでもあるだろう。
 これによって、明日からの夜の過ごし方は決まった。
 後はお金をどうやって稼ぐかだ。これが一番肝心なのだ。何しろ、お金が尽きれば、定吉は食うことも出来ずに、また、寝ることも出来ない。その先に待ってるのは、正に刑務所暮らしだというわけだ。
 しかし、定吉はそれが嫌だから東京に逃げたのだ。金を得ることが出来ないといって、ここでギブ・アップしてしまえば、東京に出て来た意味がない。
 それ故、定吉は何としてでも金を手にしなければならないのだ。
 そうかといって、泥棒をするわけにはいかない。自慢じゃないが、定吉は生まれて以来、泥棒は一度も行なったことはなかった。いくら、金に困っても泥棒は一度も行なったことはなかったのだ。そんな定吉であったから、末子を殺した後、末子の部屋の中を物色しなかったのかもしれない。もし、あの時、末子の部屋の中を物色していれば、三十万か四十万程の金を手に出来ていたかもしれないのだ。
 だが、泥棒嫌いな定吉はそのようなことはしなかったし、また、そうしようと思いもしなかったのだ。
 それはともかく、泥棒が無理となると、何処かで働かなければならない。だが、沖縄から東京に出て来た理由を採用担当者に話すことは出来ない。
 それ故、定吉が働けるとすれば、それは履歴書不要の所だ。そういった所でしか働けないであろう。
 だが、そのような求人があることを定吉は知っていた。
 それは、スポーツ紙なんかに掲載されてる求人だ。そのような所なら、定吉でも働けるかもしれない。
 もっとも、碌な仕事ではないだろう。しかし、今まで土木作業員をやって来た定吉は、体力的には自信があった。そして、それを強調すれば、雇ってくれるかもしれない。
 そう思った定吉は、スポーツ紙を買う為に、この時点でベンチから立ち上がった。
 そして、上野駅構内のキオスクでスポーツ紙を買い、地下鉄銀座線で浅草に向かったのであった。

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