第三章 三人の息子



 ここは世田谷区内にある閑静な住宅街。豪勢な邸宅が建ち並んでいる。その豪勢な邸宅の主は社長、医者とかいった高額所得者が多いと思われる。そうでなければ、これ程までの豪勢な邸宅には住めないであろう。
 しかし、その説明は必ずしも正しいものではないと言えるだろう。というのは、親の遺産を受け継いだり、また、投機によって財をなした者もいるからだ。
 しかし、そのいずれにしても、この住宅街に住んでる者は、金持ちであることには間違いないだろう。
 そして、その住宅街の中では中クラスの邸宅に住んでいる日下部虎之助(75)は、会社の社長であったことはないし、また、医者でもなかった。また、高額所得者と言われる程の収入を得ていたわけでもなかった。
 だが、大手の部類に入る東日本銀行の某支店長まで出世した位だから、その収入はかなりのものであったことは間違いない。
 しかし、この高級住宅街に住んでいる居住者たちの収入と比較するなら、虎之助の収入はかなり落ちると言わざるを得ないであろう。それ故、本来なら、虎之助はこの住宅街の居住者となれない筈であった。
 しかし、実際には十五年前からこの高級住宅街に住んでいた。では、何故、虎之助がこの高級住宅街に住めるようになったのであろうか?
 それは、正に親の遺産だ。虎之助の父親の佐助は東京郊外とか伊豆方面にかなりの土地を有していた。そして、その土地を長男であった虎之助が相続した。
 虎之助は東日本銀行で働く傍ら、その相続した土地にアパートを建てては、賃貸収入も得ていたのだが、平成の初めに起こったバブルにより、その土地の値段は驚く程高騰した。虎之助はその機を逃さずに、その土地とアパートを売却しては多額の現金を手にしたのだ。それによって、この豪邸を手に出来たのであった。そして、今の虎之助の資産は、土地、現金、有価証券などを併せて十二億は下らなかった。
 そんな虎之助の妻の高子は、十三年前に乳癌で死亡した。高子がこの豪邸で暮らせたのは僅か一年余りで、それが虎之助には心残りであった。
 また、虎之助と高子との間には、三人の息子があった。その三人の息子は、国男、熊男、虎吉といった。
 では、ここでまず長男の国男のことから説明しよう。
 国男は成績優秀ではなかった。国立大学を優秀な成績で卒業し、東日本銀行に入行した虎之助の長男であるから、成績は優秀であっていい筈なのに、そうではなかった。世の中、そう都合良く事は運んではくれないのだ。
 とはいうものの、何とか三流大学であるY大には進学することが出来た。Y大は偏差値では正に最下位に位置していて、誰でも入れそうな大学であったのだ。
 だが、そのY大でも、国男の成績は良くなかった。成績は全てといっていい位「可」であり、また、単位不足で二年も留年してしまったのである。別にクラブ活動を行なっていたわけでもないし、また、特にアルバイトに精を出していたわけでもなかったにもかかわらずだ。
 国男の中学時代の同級生であったK君は、高校時代にテニス部に所属し、毎日クラブ活動を熱心に行なっていたにもかかわらず、一流大学に進学し、その一流大学でもテニス部に所属し、毎日クラブ活動に精を出していたにもかかわらず、一流会社に就職出来たとのことだ。努力の如何にかかわらず、人間には持って生まれた先天的な力量の違いがあるということを認めたくはないが、国男を見ていると、やはりそのことを認めざるを得ないというものだ。
 それはともかく、国男は三流大学出身で、成績も悪かった。更に、大学時代はクラブ活動も行なっていず、また、アルバイトに精を出していたわけでもなかった。国男の六年に及ぶ大学時代には一体何をしていたのかという塩梅であった。
 そんな国男であったから、当然就職は苦労するものと予想されていたが、人間には持って生まれた力量の違いがあるように、持って生まれた運、不運というものもあるようだ。
 というのは、国男の父親の虎之助は東日本銀行の某支店の支店長をしていたが、国男がY大を卒業した時は、東日本銀行の子会社の取締役職についていたのである。
 そういった事情により、虎之助は人事部に頼み込んだ。子会社の役員の頼みともなれば、断わるわけにはいかない。
 そういう風にして、三流大学卒の国男は東日本銀行に就職出来たのである。
 だが、会社というものは、入ればよいというものではない。入ってからが肝心なのだ。そして、力の無い者は切り捨てられてしまう。
 国男を入行させた虎之助はそのことをもう少し念頭に置くべきであったのだ。何しろ、国男は東日本銀行に入行して二年持たなかったのだから。
 何しろ、朝は八時半には出勤してなければならず、また、帰宅時間は午後八時、九時は当たり前。時には十一時ということもあったのだ。怠け癖のついている国男がその長時間勤務について行けるわけがなかった。
 それに、国男はコンピューターが大の苦手。
 だが、データ入力はコンピューターで行なう為に、その扱いに手古摺ってしまう。それで、アルバイトの女の子に何度となく訊きまくるが、それでもうまく操作出来ない。挙句の果てには「あのような行員もいるんだね」と、アルバイトの女の子たちに陰口を叩かれてしまう。
 見るに見兼ねた国男の上司が、部署を変えてみるが、そこでもミスの連続。また、遅刻を日常茶飯に行なうし、勤務時間内に無断で近くの喫茶店に行っては時間潰しを行なう。
更に、女子行員にセクハラ行為を繰り返す。
 そんな国男は遂に仕事を与えられず、人事部所属となった。狭い会議室で一人レポート書きの作業を命じられ、そのレポートは国男自身のことであり、銀行の業務とは全く無関係なものであった。
 その作業を命じられて三週間後に国男は東日本銀行から去ったのである。
 東日本銀行を退職してしばらくの間、国男は家でぶらぶらとしていたのだが、その後、アメリカ、ヨーロッパ、中国などを巡った。その目的は観光ではなく、本当に国男がやりたい仕事を見出すというものであった。
 そして、その結果、国男がやれそうな仕事は居酒屋経営だということを見出した。
 それで、国男は取り敢えず、その国男の思いを虎之助に話してみた。
 すると、国男は虎之助にどやされてしまった。会社勤めを碌に出来なかった者がどうして居酒屋の経営者を務められるかというわけだ。社会を甘くみては駄目だと、国男は虎之助に窘められたのだ。
 その居酒屋経営の資金を虎之助に出してもらおうと思っていただけに、その虎之助の言葉は正に国男にとって致命的なものとなってしまった。
 それで、国男はやむを得ず事業主になることを諦め、使用人として何処かの会社で働こうとした。
 そして、見付け出した仕事が学習教材のセールスであった。百貨辞典や参考書を子供を持ってる親たちに売り込むのである。
 しかし、営業経験がなく、また、プライドの強い国男にセールスが務まるわけがなかった。国男はそのセールスを二ヶ月として持たなかったのである。
 そんな国男が次に選んだ仕事は、居酒屋の調理見習いであった。国男は実のところ、学生時代に少しだけ居酒屋で調理補助人としてアルバイトをした経験があった。その時に覚えた料理は今でも作れる自信が国男にはあった。頭を使うのは苦手であったが、国男は手先は器用な方だった。それ故、将来調理師になり、その先は居酒屋の経営という夢を再び描き始めたのだ。国男はデスクワークよりも居酒屋のように賑やかな雰囲気の中で客相手をする仕事の方が向いているのではないかと、思い直したのである。
 そう思った国男の行動は早かった。直ちに求人誌を買っては、国男が意図してる仕事を探してみた。
 すると、その種の求人はかなりあった。それで、国男は早速応募してみた。
 すると、最初に応募した「鬼太郎」という居酒屋のチェーン店での採用が決まった。
 それで、翌日から早速「鬼太郎」での仕事が始まった。
 国男の仕事は、正に調理補助だったが、そんな国男に指示を出すのは国男より若い二十四歳の若者であった。
 だが、その若者の人柄が良かった為か、国男には珍しく特に愚痴も言わずに「鬼太郎」での仕事は続いた。それは、週に四日しか出勤しなくてもよかったことも影響してたのかもしれない。
 だが、国男は徐々に不満を抱くようになって来た。というのは、いつまで経っても国男の時給は八百円だったからだ。国男よりも五歳年下の正社員は時給で換算すると、国男の倍近く貰ってるにもかかわらずだ。
 更に人事異動によって国男に親切だった二十四歳の上司が他店に移動し、それに代わって国男より三歳年下の鳥山という人相のよくない男が配置された。その鳥山はその容貌と同じく、性格も嫌らしく、何かにつけて国男を怒鳴ったり、嫌がらせをした。
 その結果、国男には珍しく長く続いた「鬼太郎」を辞めざるを得なくなってしまった。
 だが、その時、国男は次の働き口を考えてあった。というのは、「鬼太郎」で知り合った城島猛という同年齢の男と共に、「鬼太郎」のような居酒屋を興すという話がまとまっていたからだ。城島は元々将来「鬼太郎」のような居酒屋のチェーン店を興すことが夢であった。そんな城島は資金はある程度持っていた。後は、居酒屋経営のノウハウを身に付けるだけであった。そのノウハウを身に付ける為に城島は「鬼太郎」にアルバイトに来てたというわけだ。
 そんな城島の資産は、一千万だった。その一千万は城島が学生時代にアルバイトをして貯めた金を許に株式投資をやり、手にした金だという。
 だが、一千万では居酒屋チェーン店は興せないであろう。それ故、城島は共同経営者を探していた。そして、都合よくその相手が見付かった。それが、国男であったというわけだ。何しろ、国男はその当時、一千万の貯金があった。その一千万が城島には必要だったのだ。
 だが、城島と国男の金を併せての二千万では居酒屋を興す資金には届かないであろう。
 それで、城島はノンバンクから一億円を融資してもらうことにした。そして、国男はその城島の連帯保証人となることを承諾したのだ。
 そして、その一億円と、城島と国男の二千万を元に、城島と国男の共同経営の居酒屋「風太郎」がその三ヶ月後にオープンされるに至った。二店舗からの出だしであったが、開店資金として一億二千万が掛かった。それは、正に城島の計算通りであった。
 その二店は、北区内と板橋区内に決まった。北区と板橋区内に閉店したレストランがあり、そのレストランをリフォームすることによって「風太郎」は新装開店することになったのである。
 そのようにして、「風太郎」の営業は始められたのだが、当初の予想に反して、客足は鈍かった。何しろ、「風太郎」を開店するにあたって、腕のよい調理人を確保することが出来ず、殆どは即席のアルバイトだった。これでは他店との差別化が出来ず、客は集まらないというものだ。
 更に、国男が任された板橋店の近くには、大手の同業者が店を構えていた。また、国男は調理の腕が良いわけでもなく、また、レジ係りも行なおうともしなかった。国男はオーナーであるから、そのようなことまでする必要がないと見栄を張ったのだ。そして、国男は一日に四、五時間程だけ店の見回りに来るだけのライフスタイルとなったのである。
 その結果、板橋店はみるみる内に赤字が膨らんだ。だが、居酒屋店経営のみならず、経営というものに携わった経験のない国男が慌てふためいても、どうにもならなかった。
 その一方、城島が仕切ってる北店はどういった状況なのかというと、多少は板橋店よりはましという状況ではあったが、やはり赤字続きであった。
 しかし、それは城島にとって計算通りであった。ということは、城島としては最初は赤字を覚悟していたということであろうか?
 城島に言わせればそうではなかった。
 では、城島はどう思っていたのだろうか?
 実のところ、城島は遅かれ早かれ、「風太郎」を潰す積りであったのだ! 最初から「風太郎」を潰す積りであったのだ!
 城島はノンバンクから一億円融資を受け国男にその連帯保証人になってもらった。その一億円と城島と国男の金を併せての一億二千万を「風太郎」の開業資金に使った。しかし、実際に必要だったのは六千万程度であった。城島はリフォーム業者と結託しては不相応のリフォーム費用を計上したり、閉店したレストランの購入資金を過剰に計上するという手口を用い、本来なら六千万程の開業資金を一億二千万と国男に説明し、国男はあっさりと信じたのだ。あるいは、城島とその結託者の業者の巧みな話術に引っかかったと換言すべきかもしれない。
 いずれにしても、国男は騙されたのだ。
 だが、そのことに国男はなかなか気付けなかった。板橋店が閉店に追い込まれるまでに国男は城島に騙されたことに気付かなかったのだ。北区店は板橋店が閉店に追い込まれる二週間前に既に閉店し、城島とは連絡は取れないままであった。それによって、国男は城島に騙されたと気付いたのだ。そして、その後、城島は何処で何をしてるのかまるで分からない有様だ。また、国男を騙したのは城島一人であり、その結託者であるリフォーム業者のことを怪しんでみることすら、国男にはなかった。
 そんな国男一人に、城島がノンバンクから借りた一億円とその金利返済が重く伸し掛かって来たのであった。

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