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 日下部の三男の虎吉は大のギャンブル好きであった。それ故、大学の講義もそっち退けで、朝からパチンコに精を出してるという有様であった。
 虎吉は現役で大学こそ入ったものの、その大学はA大で、正に三流大であった。
 そして、虎吉は元々勉強は好きではなかった。それで、本来なら大学進学しなくてもよかったのだが、大学に行けば遊べると虎吉は思っていた。それで、家でぶらぶらしてるのよりはましだと虎之助を説き伏せて虎吉はA大に進学したのである。
 しかし、いくら三流大学といっても、やはり大学は大学である。ある程度の学力がないと単位は取れないというものだ。
 だが、虎吉は正に朝からパチンコに熱中し、また、競馬のある日は競馬場通い、オートレースのある時はオートレース場通いという具合に、大学の講義には殆ど顔を出さないという暮らし振りだ。
 これでは元々出来は良くないのに、いくら三流大といえども、単位が取れるわけはない。
 虎吉は八年間A大に籍を置いたものの、結局単位不足の為にA大を卒業出来なかったのだ。
 それはともかく、虎吉がギャンブルに使う金とか遊興費を虎吉がどのように手にしていたかというと、それに関しては実のところ、後ろめたいものがあった。
 もっとも、毎月の生活費として五万虎吉は虎之助から受け取ってはいた。しかし、その五万では虎吉の遊興費はとても賄えるものではなかった。
その遊興費をどのように工面していたかというと、実は株式投資だった。虎吉はA大に入った頃から株式投資に手を出し、二千万もの利益を手にしたのであった。そして、その原資はお年玉なんかを貯めた三百万であった。その三百万を元手に虎吉は信用取引を始め、正に大儲けしたのである。しかし、虎吉が株をやり始めた頃は正に株式投資を始めるのには絶好の状況であった。何故なら、その当時の日経平均は八千円台であったからだ。正に、PER、PBRといった株式の指標から見ても、割安銘柄が続出していた。正に、その当時は滅多にない株式投資の好機だったというわけである。
 もっとも、昔から株式投資を行なっていた投資家の多くはその当時、多額の含み損を抱えていた。それ故、多額の含み損を抱えていた投資家は、新たな株式投資を行なう余力もなく、また、その気にもなれなかった。
 だが、新規で株式投資を行なう者にとってみれば、その時は正に絶好の買い場であったというわけだ。
 虎吉は特に株式投資の知識があったわけではなかったが、何しろ割安銘柄が多かった為に、余程の銘柄を買わなければ、損をすることはなかった。それどころか、五倍、十倍となった銘柄が続出したのだ。そして、その時流に虎吉はうまく乗り、多額の利益を得ることが出来たのだ。正に、ギャンブル感覚で株式投資に勝つことが出来たのである。そして、虎吉のような株式投資に素人の若者が、株式投資で多額の利益を出した成功談が雑誌や新聞で度々報道されたのである。
 株式投資で得た二千万があった為に、虎吉は大学時代に社会人顔負けの金をギャンブルに使うことが出来たのである。
 とはいうものの、大学生活が終わりになる頃にはその二千万は殆ど残ってなかったのである。
 それはともかく、大学を卒業出来ずに除籍となった虎吉は、その後、就職するつもりはまるでなかった。
 そんな虎吉に虎之助は、
「働かずにどうやって食ってくつもりだ?」
 と、窘められた。
 すると、虎吉は、
「ギャンブルだよ。ギャンブルで食ってくつもりさ」
「ギャンブル? そんなもので食っていけると思ってるのか。そんな現実離れしたことを考えるんじゃない!」
 と、虎之助は再び虎吉を窘めた。
 すると、虎吉は、
「大学時代に俺は株式投資で三百万で二千万を儲けた実績があるじゃないか。その俺の実績からすると、株式投資というギャンブルで十分食っていけると思うよ」
 と、胸を張って見せた。
「虎吉が株をやり始めた頃は滅多にない株式投資の好機だったんだよ。しかし、そのような好機がそういつまでも続くわけがない。今は多くの銘柄が高値をつけている。今から株をやっても天井摑みとなってしまい、損をするだけだ」
 と、虎之助は声を荒げて言った。
 だが、虎吉はそんな虎之助の言葉に耳を貸そうとはしなかった。虎吉は三百万で二千万儲けたのは、相場の運が良かったということもあるが、それ以上に自らの銘柄選びの目があったからだと、信じ切っていたのである。
 そんな虎吉に虎之助は、
「で、お前は今、どれ位の金を持ってるんだ?」
 と、さりげなく訊いた。
 すると、虎吉は、
「百万位かな」
 と、眉を顰めては言った。
「百万か……。百万で株をやっても、生活費を稼げないよ」
 と、虎之助は話にならないと言わんばかりに言った。
「信用取引があるよ」
 虎吉はそう反発した。
「碌に担保もないのに信用取引なんてやるんじゃない! そんなことをすれば、大火傷を負うぞ! 父さんはお前を助けないからな。だから、もう信用取引なんてやるんじゃない! お前が株をやり始めた時と今は、正に状況が違うんだ! だから、株なんかで金を儲けるというより、汗水流して働くんだ!」
 と、虎之助は虎吉を諌めた。
 そうかといって、八年間大学に在学したにもかかわらず、卒業出来なかった虎吉を受け入れてくれる会社は簡単には見付かりそうにもなかったし、また、当の本人が働く気がなかった。
 それで、虎吉はしばらくの間、家でぶらぶらすることとなった。
 だが、大学を除籍になった以降、虎之助は虎吉に小遣いを与えようとはしなかった。
 それで、虎吉は小遣いを自らの手で手にするしかなかった。何しろ、大学時代は月に三、四十万はギャンブルに使っていた虎吉だ。だが、今は月に一万も使う余力がないのだ。
 正にそのギャップは大きかった。
 それで、アルバイトでもやってみようかということになった。正に、それしか手はなかったのである。
 だが、コンビニとかいった接客業にはつけそうもなかった。何しろ、虎吉は長髪でしかも髪を少し茶色に染めていたし、また、愛想も良くなかった。そんな虎吉に接客業が務まるわけがなかったのだ。
 そうかといって、力仕事も向かない。何しろ、虎吉は体力には自信がなかったからだ。
 そこで虎吉が行き着いたのは、やはり株式投資であった。虎吉は学校の成績は良くなかったが、株式投資はやはり才能があると思わざるを得なかったのだ。何と考えても、三百万で二千万を儲けた腕前は、捨てたものじゃないと虎吉は思ったのだ。
 それで、やはり自分の生きて行く途は株式投資しかないと思い、今、流行のディトレーダーとなってみようと思った。そして、その日、早速、ディトレーダーに関する本を買って来た。大学時代に儲けた時はディトレーダーではなかったのだ。
 そして、その資金が百万ではやはり物足りない。それで友人から借りることにした。その友人も株式投資をやっていて、既に一千万程儲けていた。だが、その友人は虎吉とは違って、株式投資以外のギャンブルは行なわず、その一千万をちゃっかりと貯金していた。それで、虎吉はその友人に拝み倒して借金の依頼をした。そんな虎吉の熱意が通じたのか、その友人は二百万を虎吉に貸してくれた。
 その二百万は正に虎吉にとって恵みの雨となった。虎吉はその翌日から早速、株式投資を再開した。勿論、その時には既にどの銘柄を買うかは、きちんと狙いを定めていた。
 そして、その日から虎吉は相場が動いてる時はパソコンの前で居座る生活となった。
 そして、その虎吉の執念が実を結んだのか、その二百万は三ヶ月で倍となった。その頃は日経平均が一万四千円から一万六千円の間を行ったり来たりするボックス相場であったが、虎吉は巧みに下値で買い上がり、また、巧みに上値で売り逃げしたのだ。そして、その虎吉の売買に対する決断は、理屈によるものというより、正に動物的であった。
 それはともかく、虎吉は虎之助に株式投資をすることを反対されてたのではないのか?
それなのに、その反対を押し切って、虎吉は自宅で堂々と株式投資を行なっていたのだろうか?
 否。そうではない。虎吉とて、虎之助は恐い存在だ。それ故、虎之助が反対したことを行なうのは、虎吉としても正に気が退けるというものだ。
 だから、虎之助に隠れてこそこそやっていたというわけだ。何しろ、虎之助はまだ働いていた。だから、昼間は家にいないのだ。
 それ故、虎吉が昼間に自宅で株式投資をしてることを虎之助に誤魔化すことは可能であったというわけだ。虎之助には資格を取る為に自宅で法律の勉強をしていると嘘をついていたのだ。無論、二人の兄の国男と熊男は虎之助に黙っていてくれることは勿論のことであった。
 そういう風にして虎吉は再び株式投資を始めたのだが、その一年後、虎吉は二千万を手にしていた。一年で二百万を二千万にしたのだ。日経平均が一万四千円から一年間で一万七千円を超えたのだから、虎吉のような株式投資の成功者が現れても別に不思議ではなかった。実際にも、フリーターのような若者が何千万、あるいは億という大金を手にしたことが度々雑誌に紹介されたりしていたのだ。
 またしても株式投資で大儲けした虎吉は有頂天であった。
 だが、虎吉はこの辺で株式投資から退くべきであった。だが、虎吉はそうしなかった。自らの成功に有頂天になってしまってたからだ。
 それで、今度は持ち金の殆どを新興市場のあまり名前を知られてない会社に投資した。その投資に虎吉は自信があった。何故なら、その会社はPER、PBRといった指標に問題がなく、また、財務内容にも問題がなかったからだ。虎吉は虎吉よりも少し年上のフリーターがこのような会社に投資をして大儲けした雑誌の記事を鮮明に覚えていた。それ故、虎吉も今度はそのような会社に投資してやろうと目論み、そして、その目論見通りの会社が見付かったのである。それ故、その会社に虎吉の持ち金の殆どを投資することに何ら躊躇しなかったのだ。
 そして、その会社に投資して一週間はその会社の株価はさ程変化が見られなかった。
 だが、その翌日に株価は大きく変動した。アメリカの大手鉄鋼会社が倒産して、ニューヨークダウが大暴落したのに釣られ、日経平均も三日間で千円も下げたのだ。更に虎吉が投資したその会社、即ちK通信が粉飾決算をしていた記事が新聞に出た。それをきっかけにK通信は四日続けてストップ安。だが、虎吉はK通信株を手放すわけにはいかなかった。何故なら、既にその時には四百万以上の含み損を抱えてしまってたからだ。
 それ故、虎吉は今は我慢の時だと見た。
 だが、K通信株の反騰の気配はまるでなかった。粉飾決算という違法行為を行なった会社に対する市場の評価は厳しかった。日経平均はやがて上昇に転じたものの、K通信株は下落の一途で、虎吉がK通信株を購入して二か月もしない内にその株価は五分の一になってしまったのである。信用買いでK通信株を購入していた虎吉は追加担保を差し出すように証券会社から迫られた。だが、虎吉にはそれが不足していた。
 それで、虎吉はこの時点でK通信株と、保有しているその他の銘柄全てを手放すことになった。そして、虎吉の損失はこの時点で三千万だということが確定した。そして、その金額は職も貯金もない虎吉が払える金額ではなかったのだ。

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