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 その夜は何とか上野公園のベンチで夜を明かしたものの、思わず乞食につけ狙われてしまい、やはり、東京は物騒な所だと認識した守男は、一刻も早く職を手にしなければならないと痛感した。何しろ、守男の有り金は僅か十万であり、それが守男の全財産なのだ。それ故、生きていく為には金を手にしなければならないというわけだ。
 それ故、守男の昨日上野駅のキオスクで勝ったスポーツ紙を見る眼は自ずから真剣なものへと変貌していた。
 そして、正に眼を皿にして求人案内に眼を通してみたのだが、すると、自ずからある求人案内が眼に留まった。
 その求人案内は、<内勤スタッフ 日払い可 経験不問 委細面 高橋>と、記してあった。連絡先は、携帯電話であった。
 他の求人案内は、風俗関係とか新聞の拡張員とかいうように仕事内容が明確に書いてあったり、それらは守男がやりたくないようなものが多く、守男が意図してるものではなかった。それ故、その求人案内は自ずから守男の眼に留まったのだ。
 何しろ、守男は不特定多数の者の眼に触れるような仕事は避けなければならなかった。守男は一億の借金を踏み倒しては、東京に逃げて来た男だ。そんな守男を追って、債権者が東京にまで守男を探しに来るかもしれないのだ。もっとも、前述したように、福岡の債権者が東京にまでやって来るとは限らない。守男が東京に逃げたということは、誰も知らない筈なのだから。
 しかし、油断は禁物だというわけだ。要するに、守男はウェイターやバーテンダーとかレジ係りといった人目につくような仕事は禁物だというわけだ。
 そういったことを踏まえて、探した結果、その求人案内が守男の眼に留まったのである。
 それ故、その連絡先に電話して、話を聞いてみることにした。もし、その仕事内容が守男の気に入らないものであれば、やらなければいいだけのことだ。
 そう理解すると、守男はベンチから立ち上がり近くの公衆電話に向かった。
 その連絡先は携帯電話であり、また、高橋という名前が記してあったことから、会社といった組織の仕事というより、個人的な仕事なのだろう。そして、そのようなことは、電話で話を聞けば分かることであろう。
 そう思った守男は早速近くの公衆電話でその番号をプッシュした。
 すると、呼出音が五回鳴った後、電話は繋がった。
「もしもし」
―はい。
「高橋さんですか?」
―そうですが。
「僕は、森内と申しますが、Kスポーツを見て電話したんですが」
 と、守男は森内という偽名を言った。
―ありがとうございます。
「早速ですが、仕事内容について、訊きたいのですが」
 守男はいかにも真剣な表情を浮かべては言った。
―その前に訊きたいのですが、何歳の方ですかね?
「二十九歳です」
―二十九歳ですか。で、身体は頑健ですかね?
「勿論頑健です!」
―ということは、力仕事でも出来ますかね?
 そう言われ、守男の表情は些か曇った。何故なら、内勤スタッフと記してあったのに、力仕事と言って来たからだ。即ち、求人案内とは話が違うのだ。それ故、守男の表情は曇ったのだ。
 とはいうものの、早合点は禁物だ。事の詳細を確認してみる必要はあるだろう。そう思った守男は、
「で、僕は具体的にどういった仕事をするのですかね?」
 と、いかにも興味有り気な表情を浮かべては言った。
 すると、男は、
―実は、家庭内の揉め事を解決するのに力を貸してもらいたいのです。
 と、神妙な表情を浮かべては言った。
「家庭内の揉め事ですか……」 
 守男は呟くように言っては眉を顰めた。男の言ってることの意味がよく分からなかったからだ。それで、
「それ、どういう意味ですかね?」
 と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
―うちの親父が惚けてしまいましてね。それで、うちの親父を何とかするのに力を貸してもらいたいのですよ。僕の言ってることが分かりますかね?
 男は守男に言い聞かせるかのように言った。
「何となく分かります」
 守男はとにかくそう言った。だが、やはり、仕事の詳細は分からない。それで、
「で、僕は一体どのような仕事をすればよいのですかね?」
 と、甚だ真剣な表情を浮かべて言った。
 すると、男は、
―それは電話では話せません。
 そう言われ、守男の言葉は詰まった。というのは、何となく危ない仕事のような気がしたからだ。即ち、法に触れるような仕事の気がしたのだ。
 そのような仕事なら、まずいというものだ。そのような仕事をすれば、警察のお尋ね者となってしまい、警察の眼も気にしなければならなくなるからだ。福岡の債権者だけでなく、警察も敵に回すのは守男にとって辛いことだ。更に、逮捕され、守男のことが福岡の債権者に知られてしまったら、それこそ守男にとって身の破滅というものだ。何しろ、その債権者の中にはまともでない者もいるのだ。その者に見付かってしまえば、守男はコンクリート詰めにされては、海に沈められてしまうかもしれない。
 守男にとって、警察よりも、そっちの方が恐かったのである。
 それ故、警察に捕まるようなことはやってはならない。そう理解した守男は、
「それ、法に触れるものではないでしょうね?」
 と、いかにも真剣な表情を浮かべては言った。
 すると、男は、
―そりゃ、勿論そうですよ。そのような仕事を依頼出来るわけがありませんよ。
 と、いかにも愛想よく言った。
「そうですか。で、時給はいくらですかね?」
―千五百円です。
 そう言われ、守男の心は動いた。即ち、この男の話を聞いてみようと思ったのだ。そして、話を聞いてみて、守男の意にそぐわないものであれば、断わればいいだけのことだ。
 それで、守男はとにかくこの高橋と会って話を聞いてみることにしたのだ。

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