3

 赤嶺定吉は、今、相当不機嫌であった。というのは、昨夜、上野周辺をぶらぶらした後、銀座線に乗って浅草に行き、隅田川沿いの公園で夜を明かしたことは明かした。しかし、やはり、そのような場所で落ち着いて眠れるものではなかったのである。何しろ、五月に入ったといえども、東京は沖縄とは違って夜はかなり冷え込んだ。南国育ちの定吉には、この冷え込みはかなり身体に応えた。更に、辺りの街灯の明かりが夜の闇を奪い、それも定吉に眠りを妨げた要因となった。また、深夜といえども、しばしば人の話し声とか、車の騒音が耳に入った。更に、しばしば定吉が寝ていたベンチの前を深夜にもかかわらず、人が通って行った。こんな状況ではいくら定吉といえども、熟睡しろというのは、土台無理というものであろう。
 それ故、定吉は今、とても眠たいのだ。何しろ、満足に寝てないのは昨夜だけではなく、一昨日の夜もそうだったからだ。正に、朦朧とした気分で定吉は朝を迎えてしまったのである。こんな状態では、面接に行っても面接官にいい印象を与えないというものだ。
 それで、定吉はとにかく何処かで十分に眠ろうと思った。その為には多少の出費もやむを得ないと思った。
 そんな定吉が思い付いたのは、サウナであった。サウナなら、数千円程出せば、十分に眠れるというものだ。更に、ロッカーに財布を入れておけば、財布を盗まれるという心配もしなくてよい。
 そう思った定吉はとにかくサウナがないか探し始めた。といっても、定吉は浅草には詳しくはない。それで、何処にサウナがあるのか分からなかった。定吉がもし潔癖な身の上なら、交番でその場所を訊けるのだが、そうはいかなかった。
 それで、公衆電話の電話帳で探してみた。
 すると、それは見付かった。また、そのサウナの地図も書いてあったので、その地図を頼りに早速定吉は向かった。そして、それは、浅草寺の近くであった。
 とにかく、定吉は眠いだけでなく疲れていたので、まるで意識朦朧とした様で何とかそのサウナに着くことが出来た。
 そして、入場料を払うと、まず風呂に入り、その後、サウナに入ることもなく、休憩室の椅子に横たわった。その椅子は背凭れを倒すことが出来て、ほぼベットのように寛ぐことが出来た。休憩室はとても暗く、また、快適な温度に保たれていた。それ故、十分に眠れるだろうと、定吉は思った。そう思った後、さ程時間が経たない内に定吉は眠りに落ちたのであった。
 定吉が目覚めたのは午後三時であった。六時間程熟睡出来たのだ。正に、久し振りに味わった心地よい眠りであった。
 やがて、定吉は身体を起こすと、サウナに向かった。
 そして、しばらくの間汗を流し、そして、風呂に入った。すると、かなり、身体は癒された。
 だが、空腹を感じた。定吉は朝から何も食べてないのだ。
 それで、喫茶室に行ってはカレーライスを食べた。しかし、七百円もした。まるでレトルトカレーのようなカレーライスなのに七百円もするとは何事だと、定吉は内心では怒っていたのだが、そのような不満を口にするわけにはいかない。
 カレーライスを食べ終えても、空腹感を満たされたわけではなかったのだが、それでも無論何も食べないよりはましであった。
 そんな定吉は改めて早く金を手にしなければならないと思った。サウナに入場するのにも、カレーライスを食べるのにも、当り前のことだが、金がかかるのだ。しかし、定吉の有り金は僅か十五万なのだ。
 そんな定吉はやっとこの時点で昨夜上野駅のキオスクで買ったスポーツ紙に眼を通し始めた。そして、定吉に相応しい仕事はないものかと探し始めた。
 すると、ある求人が眼に留った。その求人案内は<内勤スタッフ 日払い可 経験不問 委細面 高橋>と書かれていた。他の求人案内は仕事内容が書かれてるものが多かったのだが、その求人案内はそれだけしか書かれてなかったのだ。それ故、胡散臭い仕事なのかもしれない。
 しかし、そのような仕事しか、今の定吉には出来ないというものだ。何しろ、定吉は殺人犯なのだから。もはや、定吉は真っ当な仕事に就くことは出来ない身の上なのだ!
 それ故、そのような仕事の方が定吉には合っているといえるかもしれない。胡散臭い仕事を募集する者は、定吉の同類であるかもしれない。そういった者の方が定吉は付き合い易いのだ。定吉は、そう看做したのだ。
 それで、定吉はサウナから出ると、近くの公衆電話でその求人先に電話して話を聞いてみることにした。その仕事内容が定吉の意にそぐわないものであれば、止めればいいだけのことだ。
 呼出音が七回鳴った後、電話は繋がった。
「もしもし」
 定吉は落ち着いた口調で言った。その定吉の表情はとても真剣なものであった。
 定吉がそう言うと、
―はい。
 という男の声が聞こえた。その声を聞くと、定吉よりもかなり年下の男のように定吉は感じた。
「高橋さんですか」
―そうですが。
「Kスポーツを見て電話したのですがね」
―ありがとうございます。
「で、僕は田中と申しまして仕事を探してるのですが、高橋さんが募集してる仕事とは、どういったものですかね?」
 定吉は田中という偽名を言っては、いかにも興味有り気な表情を浮かべては言った。
―失礼ですが、御幾つですかね?
 そう訊かれて、定吉は嫌な思いが過ぎった。というのは、年齢制限で撥ねられるのではないかと思ったからだ。
 しかし、嘘をつくわけにはいかない。年齢は会えば分かるからだ。それで、正直に答えなければならないであろう。
「五十歳です」
―五十歳ですか……。
 男は、呟くように言った。
 その男の言葉を聞いて、定吉の表情は曇った。やはり、年齢制限で撥ねられると思ったからだ。それで、定吉は言葉を詰まらせてしまったのだが、高橋は、
―身体は頑健ですかね?
 そう訊かれ、定吉の表情は些か和らいだ。何故なら、今の高橋の言葉から推して、身体が頑健なら、年齢は問わないように聞こえたからだ。
 それで、定吉は表情を綻ばせたまま、
「ええ。身体には自信があります。というのは、僕は以前、土木作業員をやってましたから」 
 と、思わず声を弾ませては、訊かれもしないことを言った。
 すると、高橋は、
―そうですか。
 その高橋の言葉を聞いて、定吉の表情は乱れはしなかった。何故なら、その高橋の言葉は定吉の説明を好意的に受け取ったように思われたからだ。
 それで、定吉は真剣な表情を浮かべたまま、次の高橋の言葉を待った。
 すると、高橋は、
―で、どういった仕事なのか説明しますよ。
 そう言われ、定吉は、
「お願いします」
 と、声を弾ませては言った。
―実はですね。僕の親父が惚けてしまいましてね。それで、その親父の見張りをやってもらいたいのですよ。
「惚けた親父の見張りですか……」
 定吉は眉を顰めては、呟くように言った。その内容が定吉の思ってもみないものであったからだ。
―ええ。そうです。惚けた年寄りは何をするか分からないですからね。
 高橋は、いかにも困ったと言わんばかりに言った。
「成程」
 その高橋の話を聞いて、定吉はそう言ったものの、やはり定吉の表情は怪訝そうなものであった。やはり、見張りだけでは十分に仕事内容は分からなかったからだ。それで、定吉は、
「で、見張りって、具体的にどのようにして見張るのですかね?」
 と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
 すると、高橋は、
―これ以上は電話では話しにくいのですよ。
「では、高橋さんと会ってからでないと、説明してもらえないのですかね?」
 定吉は眉を顰めては言った。
―そういうわけです。で、どうしますかね? つまり、この仕事をやってみますかね? それとも止めますかね?
 高橋は、まるで定吉に詰め寄るかのように言った。そんな高橋は嫌なら代わりは幾らでもいるんだよと言わんばかりであった。
 そう高橋に言われると、定吉は即座に、
「やります」
 と、答えた。詳しい仕事内容はまだ分からないが、どうせ定吉はまともな仕事は出来ないのだ。まるで、社会に背を向けなければならないような仕事しか出来ないのだ。それ故、今、高橋が話した訳が分からないような仕事の方が定吉に向いていると定吉は即座に思ったのである。それで、即座にそう答えたのである。
 すると、高橋は、
―僕はまだ具体的な仕事内容を説明してないのですがね。
「あっ! そうでしたね」
 定吉は、つい顔を赤らめてしまった。
 すると、高橋は、
―アッハッハッ! でも、あなたなら、きっと出来ますよ。
 と、いかにも愉快そうに言ったのであった。

目次     次に進む