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 話は少し前に戻るが、今、日下部家の二十畳はあると思える位の広いリビングの中には、日下部家の者が全員姿を見せていた。全員とは、虎之助、国男、熊男、虎吉である。
 そのリビングには、高価なペルシア絨毯が敷き詰められ、42型の液晶TVが置かれていた。また、壁際に置かれた家具、調度も高価なものばかりで、このような屋敷に住んでいる国男たちが、借金に苦しんでいるとは微塵にも思われなかった。
 それはともかく、今、このリビングに集まっている誰もかれもの表情はとても真剣なものであった。というのは、虎之助が国男たちに大切な話があると言って、国男たちを集めたからだ。何しろ、国男たちは皆、今、金に困っている。それ故、金に関する話を虎之助がしてくれるのではないかと、国男たちは思ったのである。
 即ち、国男たちは皆、今回で最後だぞと虎之助は言っては、国男たちが作った借金の穴埋めをしてくれるものだと、看做していたのだ。それ故、国男たちの表情が真剣なものになるというのは、自ずから察せられるというものだ。
 時刻は、丁度午後八時となった。午後八時に集まるように虎之助は国男たちに言った。そして、その時間がやっと到来したのだ。
 テーブルを挟んで、国男、熊男、虎吉は、虎之助と向かい合うようにして牛皮のソファに腰を下ろした。
 すると、虎之助は、
「実はな。わしは三か月後に再婚するつもりなんだよ」
 その虎之助の言葉を聞いて、三人は呆気に取られたような表情を浮かべた。その虎之助の言葉は正に三人が思ってもみない言葉であったからだ。
 それで、三人は思わず言葉を発することが出来なかった。そんな三人を眼にしても、虎之助の表情には何ら変化は見られなかった。依然として、その表情の険しさには、変化が見られなかったのだ。
 そして、四人の間で重苦しい沈黙の時間が流れたが、やがて国男が言葉を発した。国男はいかにも信じられないと言わんばかりの表情を浮かべては、
「父さん。それ、どういうことなんですか?」
 と、甲高い声で言った。
 すると、虎之助は険しい表情を浮かべたまま、
「だから、今、言った通りだよ。わしは三か月後に再婚しようと思ってるんだよ」
 と、厳かな口調で言った。そんな虎之助の意志はまるで強く、その意思は今や決して揺るぎないもののように思われた。
 その虎之助の言葉を聞いて、三人は改めて呆気に取られたような表情を浮かべた。正に、その虎之助の言葉は、三人が想像だにしたことのないものであったからだ。
 そして、四人の間で再び重苦しい沈黙の時間が流れたが、その時間は先程のように長くは続かなかった。その沈黙を破ったのは、今度は熊男だった。
「一体、誰と再婚するつもりなんですかね?」
 その熊男の表情は甚だ殺気立ったものであった。
「大林さんだよ」
 虎之助は、些か表情を和らげては言った。そんな虎之助は些か照れ臭そうであった。
 だが、熊男たちは大林という名前に心当たりなかった。それで、熊男は、
「それ、誰ですかね?」
 と、かなり顔を紅潮させては、甲高い声で言った。その熊男の様から、熊男が興奮してるのが、手に取るように分かった。
「だから、家政婦さんだよ。最近、ちょくちょくとうちに来てるじゃないか。お前たちも知ってるだろ」
 そう言われ、国男たちは大林の様を自ずから脳裏に描くことが出来た。確かに、大林という六十位の家政婦が二か月位前から毎日のようにやって来ては、虎之助の身の周りの世話をやってゆくのだ。
 もっとも、虎之助の身体が何処か悪いというのならそのような家政婦は必要だろうが、しかし、そうではないのだ。虎之助はまだ七十の半ばであり、身体の何処の具合も悪くないのだ。介護など受ける必要はないのだ。にもかかわらず、人材派遣会社から大林安子を派遣してもらってるのだ。
 そういった状況の為に、国男たちは時々、虎之助に何故そのようなことをするのかと訊いた。
 すると、虎之助は、
「女房に早く死なれ、今まで何かと不自由して来たんだ。だから、身の周りの世話をしてもらったり、女が作った美味しい料理を毎日食べたいといつも思ってたんだ」
 そう虎之助に言われ、国男たちは虎之助の気持ちが分からないわけでもなかった。何しろ、そのように思っていたのは、虎之助だけではない。国男たちもそのように思っていたのだ。それ故、安子が作る夕食は、実のところ国男たちも愉しみでもあったのだ。
 安子は毎日午後三時頃にやって来ては四人分の食事を作り午後七時か、八時位に帰って行った。虎之助の帰宅時間は大体午後五時から六時頃が多かったので、虎之助の帰宅時間によって、安子の帰宅時間も変動があった。そして、安子が日下部家に派遣されて来るようになってから、虎之助は夕食は安子と二人で取るようにし、その席に国男たちを決して同席させようとはしなかったのである。
 しかし、国男たちはまさかその大林安子と虎之助が結婚するなんてことは、夢にも思ったことはなかったのだ。何しろ、虎之助は既に七十を過ぎてるのだし、また、大林安子も何処にでもいるような平凡なおばちゃんで、その安子が虎之助の妻になるなんてことを想像することは、国男たち以外の誰でも無理という位のものであったのだ。これが、もう少し若くて美人なら、虎之助の妻となってもおかしくはない。何しろ、虎之助は資産十二億という位の金持ちの老人なのだから。だが、安子は正に虎之助の妻には似合わないような女であったのだ。
「親父、親父は今、幾つだと思ってるんだい?」
 虎吉は、眼を大きく見開き、そして戯けたような表情を浮かべて言った。そんな虎吉は冗談は言わないでくれと言わんばかりであった。
 すると、虎之助は虎吉の顔をまじまじと見やっては、
「冗談を言ってるんじゃないよ。わしはこの通りまだぴんぴんしてるよ。この先、まだまだ長く生きられるよ。それに近々もう仕事は辞めるつもりだ。この第二の職場は後少しだというわけさ。だから、仕事を辞めてからは、わしは毎日家にいることになる。だったら、話相手が欲しいというものだ。そして、大林さんなら、その役割を十分に果たすことが出来るというわけさ。わしにはそれが分かったんだよ」
 と、いかにも悟り切ったような表情を浮かべては言った。
 すると、国男が、
「冗談じゃないよ! 僕はあんなおばちゃんが母さんになるなんて嫌だよ!」
 と、顔を真っ赤にしては反対した。
「僕もそうだよ! あんなおばちゃんが母さんになるなんて、真っ平だよ!」
 と、熊男も顔を真っ赤にさせては、露骨に反対した。
「あんなおばちゃんとは、何だ! そんな言い方は、大林さんに失礼だよ。それに、お前たちはお前たちの借金を返せるのか? 自分の能力を省みることもなく無謀なことをやらかし、大火傷を負ってしまったんだ。正に自業自得というものだ」
 そう虎之助に言われると、国男たちの言葉は詰まった。そんな国男たちに虎之助は更に話を続けた。
「わしが大林さんと結婚すると、どうなるか知ってるかな。つまり、わしの資産の半分の半分は大林さんが相続するというわけさ。もし、わしが大林さんと結婚しなければ、わしの遺産の半分はお前たちの分となる。わしの資産の半分はわしの一存でどうにでもなるからな。
 つまり、お前たちの相続分はわしが大林さんと結婚することによって、わしの資産の半分の半分の三分の一ずつとなるわけだ。つまり、わしの資産が十二億だとすると、お前たちの相続分は一億ずつとなるわけだ。しかし……」
 と言っては、虎之助はこの時点で一呼吸した。そして、更に話を続けた。
「わしはこれからわしの金を使いまくろうと思ってるんだ。今までは働くだけでわしは金を使わずにい過ぎたと思ってるんだ。そのことをわしは大いに反省してるんだよ。だから、今後、大林さんと結婚し、海外旅行なんかをしまくり、思う存分、わしの金を使おうと思ってるんだ。その結果、お前たちにはそれぞれ数千万位しか残らなくなるだろう」
 そう言っては、虎之助は力強く肯いた。そんな虎之助は、もはやその虎之助の決意は決して変えることは不可能だと言わんばかりであった。
 そう虎之助に言われ、国男は、
「そんな!」
 と、まるで悲鳴のような声を発した。何しろ、国男の借金は一億もあり、その金利分も加え、その金額は今後も増加することは確実であった。そんな国男の頼りになるのは、虎之助の金だけであったのだ。そういった状況なのに、今の虎之助の言葉が現実のものと化してしまえば、堪ったものではない。それで、国男は正に悲鳴を発したのである。
 そして、その国男の思いは、熊男、虎吉とて同じであった。何しろ、熊男は前科がついた身の上となり、まともな仕事に就くことは出来そうもなかった。また、元々まともな仕事に就く気はなかった。楽をして暮らすことしか、頭になかった。そんな熊男が頼りになるのは、正に虎之助の金だけであった。そして、その思いは正に虎吉も無論、同じであった。
 それで、三人は無論、虎之助が大林安子と結婚することは反対であったし、また、虎之助がその金を浪費することにも反対であり、その旨を強く虎之助に訴えた。
 だが、虎之助の決意は固かった。虎之助は決して国男たちの言葉には耳を傾けようとはしなかったのであった。

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