3
その頃、日下部宅では虎之助がリビングの中で落ち着かない様を見せていた。というのは、安子がまだ姿を見せてなかったからだ。
虎之助は今日、安子と今後のことの打ち合わせをしようと思っていた。というのは、安子との結婚日を早めようと虎之助は思っていたのだ。
国男たちがいつまで経っても自らの手で窮地を脱しようとせずに虎之助の金ばかり当てにしている状況を目の当たりにして、そんな国男たちの思いを断ち切ってやろうと思い、安子との結婚を早めようとしたのである。その方が国男たちの為になると虎之助は思ったのだ。
それ故、今日は仕事を早めに切り上げ、牛後五時に戻って来たのだが、安子の姿が見えないのだ。いつもなら、キッチンで夜の食事の準備をしてる時間なのだが……。
それで、虎之助はとにかく安子の携帯電話に電話してみた。すると、留守録になっていた。
安子が日下部宅でお手伝いの仕事をするようになって二か月が経過したが、今までにこのようなことは一度もなかった。それ故、今度は携帯電話ではなく、自宅に電話してみたのだが、呼出音が鳴るばかりであった。
やがて、午後六時になった。だが、安子は依然として姿を見せず、また、いつもなら家でぶらぶらしている国男たちの姿も見られなかった。
<どうなってるんだ……>
虎之助はいかにも怪訝そうな表情を浮かべては首を傾げたが、どうにもならなかった。
それで、虎之助はとにかく虎之助が食べる一人分の惣菜を冷蔵庫から取り出し、何とか夕食を済ませた。そして、その後片付けが終わったのは、午後七時頃のことであった。
だが、家の中にはまだ誰一人として、姿を見せてなかった。こんなことは、正に珍しかった。
だが、午後八時になった頃、国男と熊男が姿を見せた。それで、虎之助は、
「何処に行ってたんだ?」
と、眉を顰めて言った。
すると、国男は、
「そろそろ僕の車を処分しなければならないと思ってね。車の経費も馬鹿にならない。だから、僕の車が幾ら位なら売れるか、自動車のディーラーで車を見に行ってたんだよ」
と、嘘をついた。もっとも、その話は全くの嘘でもなかった。というのは、確かに国男は車を手放そうと思ってたのだ。何しろ、車を持っていれば、ガソリン代は無論、税金を払わなければならない。少しでも出費を減らさなければならない国男にとって、車を持ち続けることは、不可能な状況となっていたのだ。それ故、その維持費は熊男に払ってもらっていたのだ。三人の中では、熊男だけが返済しなければならない借金がなかったので、若干の貯えがあった。その若干の貯えから、国男の車の維持費が支払われていたのだ。
しかし、その貯えもそろそろ底が見えて来た。それで、その車、即ち、アコードは手放すことに決まっていた。だが、まだ手放さなくてよかった。安子殺しに使用出来たからだ。
それはともかく、虎之助は、
「今日は大林さんが来てないんだが、何故か分からないか?」
と、いかにも神妙な表情を浮かべては言った。そんな虎之助の様からは、今の虎之助の愉しみは安子に会うことであることが察せられるかのようであった。
そう虎之助に訊かれ、国男は、
「分かりませんね」
と、素っ気無く言った。そして、
「熊男は知ってるか?」
「俺も知らないよ」
と、熊男も素っ気無く言った。
「そうか……。しかし、どうしたのかな……」
虎之助は眉を顰めては言った。
「何の連絡もないのですかね?」
国男も眉を顰めては言った。
「ああ。そうなんだよ」
虎之助は、決まり悪そうに言った。そんな虎之助に、国男は、
「そろそろこの仕事が嫌になって来たのではないですかね。でも、そういったことを親父に言うのは気が引けるから、こういった形でこの仕事から身を引こうとしてるんじゃないですかね」
と、その可能性は十分にあると言わんばかりに言った。
そう国男に言われ、虎之助は渋面顔を浮かべては言葉を発そうとはしなかった。そんな虎之助に、熊男は、
「親父と結婚することに嫌気が差したんじゃないですかね。何しろ、親父はもう七十を超えてますからね。七十を超えた爺さんと結婚したい女性がいますかね? 俺はいないと思うな。それなのに、親父が無理強いするから、大林さんは親父から逃げてったんじゃないですかね」
と、その可能性は十分にあると言わんばかりに言った。
そんな熊男の言葉に虎之助は何も言おうとせず、
「虎吉は何処に行ったのかな?」
と、首を傾げた。虎吉の姿がまだ見られないのだ。
しかし、それは国男たちの作戦であった。三人が同時に姿を見せると、三人が共に行動をしていたと虎之助に勘繰られてしまうかもしれない。それで、故意に虎吉だけ遅れて帰宅することにしたのだ。もし、安子のことで万一警察に問われたりすれば、そうしておく方が何かと都合がよいと国男は看做し、虎吉だけが遅れて帰宅するという作戦に出たのだ。
それはともかく、午後九時を少し過ぎた頃、虎吉が姿を見せた。それで、虎之助は、
「今日は大林さんが来なかったのだが、何故か知らないか?」
と、眉を顰めては、虎吉に訊いた。
「知らないな」
虎吉は素っ気無く言った。
「そうか。で、何処に行ってたんだ?」
「少し街をぶらついて来たんだよ」
虎吉は再び素っ気無く言った。
そんな虎吉に、虎之助は、
「で、借金はどうするんだ」
と、いかにも不快そうに言った。
「だから、とても返せないと思ってるんだ。何しろ、三千万だからね。元金だけじゃなく、金利も支払わなければならない。もう、絶望的な金額だよ。フリーターの俺がどうやって返せばいいんだよ」
虎吉はいかにも困ったと言わんばかりの表情で、また、虎之助に助けてくれと訴えるかのように言った。
虎之助はそんな三人をリビングに残し、いかにも気難しげな表情を浮かべながら、その場を後にしたのであった。