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 赤嶺定吉が失踪したといえども、特にそのことを取り沙汰しようとする者はいなかった。というのは、前述したように、定吉は職を失ったことを機に女房と娘二人に逃げられ、定吉は今は一人者であった。それ故、定吉がいなくなっても、特に誰も影響を受けはしなかったのだ。
 もっとも、定吉はMタクシーという会社で働いてはいた。だが、定吉は東京に来た翌日、電話で辞職の意を話したのだ。それによって、Mタクシーと定吉との縁はあっさりと切れたのである。
 とはいうものの、定吉の弟の正吉は若干定吉のことは気にしていた。というのは、ここ三日間立て続けに定吉のアパートに電話したにもかかわらず、呼出音が鳴るばかりであったからだ。それで、定吉はどうしたのかと思ってたのだが、その日の内に定吉から電話が入った。
「俺だよ」
 定吉の声を聞いて、正吉は些か表情を綻ばせた。
 そんな正吉は、
―何処かに行ってたのか? ここ三日間続けて電話したんだが、連絡が取れなかったんで、どうしたのかと思ってたんだよ。
 と、薄らと笑みを浮かべながら言った。
「遠方の方で仕事が入ったんだ。しかも、急にな」
―そうだったのか。で、どんな仕事かい?
「まあ、力仕事さ」
―そうか……。で、給料は多いのか?
「まあ、タクシーよりはましだと思うよ」
―そうか。それはよかったな。
 と言っては、正吉は薄らと笑った。
 そんな正吉に、
「で、少し頼みがあるんだよ」
―何だい、頼みって?
「しばらく沖縄には戻れないんだよ。それで、俺が住んでたアパートの荷物を適当に処分してもらいたいんだよ。どうせ碌なものはないが、正吉が欲しいものがあれば持って行っていいからさ。大家の方には俺が言っておくから」
―そりゃ、構わないが、えらく急に決まったんだな。
「ああ。そうさ。急に決まってしまったんだよ。で、そっちの方で何か変わったことはあったかい?」
 と、定吉はいかにも真剣な表情を浮かべては訊いた。というのは、定吉は末子のことが気になっていたのだ。定吉は自らが殺し、ヤンバルの山に埋めた末子のことがどう扱われているかとても気になったのだ。だが、そうかといって、定吉の方から末子の名前を出すわけにはいかない。それで、そのように訊いてみたのだ。
 すると、正吉は、
―そうだな。特に何か変化という程のことはないんだが……。
 そう正吉に言われ、定吉は些か落胆したような表情を浮かべたが、そんな定吉に正吉は、
―そう言えば、末ちゃんが行方不明になってるとか言ってたな。
 そう正吉に言われると、定吉は眼を大きく見開き、そして、ギラギラと輝かせては、
「末ちゃんて、義妹の末子のことかい?」
―ああ。そうだ。その末ちゃんのことだよ。
 正吉は淡々とした口調で言った。
「で、末ちゃんが行方不明って、それ、どういうことだい?」
 定吉は、さりげなく訊いた。
―行方不明というのは大袈裟だと思うんだけど、俺はその話を玉子から聞いたんだ。何でも、末ちゃんの友人がここしばらくの間末ちゃんと連絡が取れないから末ちゃんのことを知らないかと玉子に問い合わせて来たそうだ。何でもここ三日間程、末ちゃんと連絡が取れなくなってるそうなんだよ。でも、たった三日だからな。
「そうかい。で、玉子は末ちゃんの居場所を知ってるのかい?」
―それが、知らないみたいだよ。
「そうか。恐らく、旅行でも行ってるんじゃないのかな。奈美ちゃんからの仕送りできっと旅行なんかに行ってるんだろうよ。うまいものだな」 
 そう言っては、定吉はにやっとした。その定吉の笑みは薄気味悪い笑みであった。だが、そんな定吉の笑みを正吉が眼にすることはなかった。
 それはともかく、定吉はその後、正吉と他愛ない話をした。
 だが、その時、正吉は定吉が今、何処にいるのか訊いて来た。それで、定吉はそんな正吉に、今は中部部地方の飯場のような所にいるから、そちらからは連絡が取れないと言った。すると、正吉はそれに関して、それ以上詮索しようとはしなかった。そして、やがて、定吉は正吉との電話を終えたのであった。
 正吉との電話を終え、定吉は安堵したような表情を浮かべた。というのは、どうやら末子の失踪と定吉の転居を関係付けていないみたいだからだ。定吉は末子の失踪と定吉の転居とを関係付けられてるのではないかと恐れていたのだが、正吉と話をしてみた限り、その心配は杞憂であったみたいだ。
 そう察知すると、定吉は改めて安堵したような表情を浮かべた。
 そして、今後も末子の失踪と定吉の転居を関係付けられることはないだろうという楽観的な思いを抱いた。こんな状況であれば、わざわざ、東京に出て来なくてもよかったのではないかと思った位であった。沖縄を離れた方が、却って怪しまれるのではないかと思った位であった。
 それ故、沖縄に戻ろうかという思いが定吉の脳裏を過ぎったが、やはりそれはまずいと思った。というのは、正吉にアパートの荷物を持って行ってくれと頼んでしまったからだ。それなのに、今更、それを止めてくれというのも妙であろう。その定吉の言動に、正吉は不審感を抱くかもしれない。また、定吉とて、いくら弟といえども、まさか末子を殺してしまったとまでは言えないというものであろう。それに、定吉が働いていたタクシー会社には既に辞める旨を伝えた。それを今更取り消すというのも妙というものだ。そのようなことをやってしまえば、定吉はタクシー会社から、不審感を抱かれてしまうかもしれない。
 それに、もし定吉が沖縄に戻っても、タクシーの運転手以外の職に有り付けるかどうかは分からない。また、以前に比べて体力は衰えているから、もし以前のような土木作業員の仕事が見付かったとしても、その仕事をこなせないかもしれない。
 そういった事情から、この際、しばらく東京で頑張ってみようと思った。正吉には中部地方で仕事があると言ったが、それは騙しだったとか言って誤魔化せば済むことであろう。
 そう思った定吉は、いかにも納得したように肯き、そして、決意を新たにしたような表情を浮かべたのであった。

 

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