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 岡倉正明は、さして旅行が好きではなかった。
 しかし、最近、失恋を経験し、気分転換の為に旅行でもしてみようかという気になった。
 そんな岡倉が選んだ場所は、別府、湯布院であった。岡倉は以前、今回、振られた彼女と別府に来たことがあった。いわば、岡倉にとって、別府は思い出のスポットであったのだ。
 それ故、別府を訪れることにし、また、そのついでに湯布院も訪れてみることにしたのだった。
 そんな岡倉は、東京在住者で、そんな岡倉の仕事は、居酒屋の店員であった。
 そんな岡倉は、その日、別府市内のホテルを朝の七時三十分に出発した。というのは、岡倉の今夜の宿泊先のホテルは湯布院といえども、やまなみハイウェイをドライブし、大観峰まで行ってやろうと計画していたからだ。その為には、朝、早くホテルを後にする必要があったのである。
 といっても、その道すがら、見所があれば、無論、寄り道するつもりであった。大観峰まで、何処にも寄り道せずに、行くつもりは岡倉にはなかったのである。
 そして、その寄り道の最初のスポットとなったのは、志高湖であった。岡倉は、観光ガイドで見た志高湖の写真をなかなか気に入り、今日の最初の見物スポットにすることに決めていたのだ。
 とはいうものの、誤算が発生してしまった。
 というのは、今日は天気があまりよくなかったのだ。別府市内のホテルを後にした時は、雨は降ってはいなかったが、いつ雨が降ってもおかしくない位の曇天であったのだ。そんな状況であったから、鶴見岳ロープウェイ乗場に近付くに連れ、ガスが濃くなり、鶴見岳ロープウェイ乗場の傍を通り過ぎた時には、ロープウェイの半分位から上は眼にすることが出来なかったのだ。
 そんな状況だったから、岡倉が志高湖に着いたといえども、志高湖の全容を眼にすることは出来なかった。志高湖の向こう半分位をガスが蔽い、志高湖の半分位しか、眼にすることが出来なかったのである。
 そんな状況ではあったが、折角、国道210線を左折して、志高湖にまでやって来たのだから、志高湖見物をしないで、この場からあっさりとUターンするわけにもいかないであろう。
 そう理解した岡倉は、とにかく車を手頃な場所に停め、志高湖畔にまで行くことにした。
 といっても、岡倉が車を停めた場所から志高湖畔はすぐ近くであり、少し傾斜が掛かった芝の下りを少し下るだけであった。
 岡倉はガスに蔽われ、半分位しか見えない志高湖を少し見やってから、ゆっくりとした足取りで歩き始めた。因みに、まだ朝、早いということから、辺りに人気はまるで見られなかった。ただ、桟橋の杭にしっかりと繋留されたボートが寂しげに眼につくだけであった。
 それはともかく、岡倉はゆっくりとした足取りで、桟橋に近付いて行った。そして、桟橋に後少しという所にまで来たその時である。
 その時、岡倉は突如、頭部に鈍い痛みを感じた。
 それと共に、岡倉の意識は呆気なく無くなってしまったのである。
 そして、岡倉の意識が戻ったのは、その三十分後のことであった。そして、岡倉の意識が戻った経緯は、岡倉と同じような災難に見舞われた赤松の場合と殆んど同じであった。違う点といえば、意識を失って倒れていた岡倉に声を掛けたのは、大阪から来た女性の二人連れの観光客であったという位のものであった。

 志高湖で、観光客が相次いで曲者に襲われるという事件を受けて、別府署は捜査に乗り出したかというと、実のところ、そうではなかった。
 というのは、その曲者がどういった輩であったのかというと、それは突き止めようがなかったからだ。被害に遭った赤松と岡倉は、まるでその曲者のことを、覚えていなかったからだ。また、曲者が遺した遺留物なるものも、まるで見られなかったからだ。
 また、被害に遭った二人は、今のところ、命に別状はなく、また、これといった怪我も見られなかった。ただ、軽い脳震盪を起こし、意識を失っただけだと診断されたのだ。
 これらのことから、警察が捜査に乗り出そうとしないのは、当然のことかもしれない。
 だが、その二週間後、事態は一気に変容したのであった。

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