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 というのは、その日、即ち、六月十日に、志高湖で、女性の死体が発見されたからだ。
 その女性の死体を発見したのは、名古屋から別府、阿蘇方面に観光旅行にやって来た山崎治(65)、孝子(60)夫妻であった。そして、発見した経緯は、赤松の場合と岡倉の場合と殆ど同じようなものであった。また、発見した時間も、ガスが掛かってどんよりとした日の午前九時過ぎ頃で、殆ど状況は同じであったのだ。違う点といえば、赤松と岡倉の場合は、ただ単に意識を失っていただけに対して、今回は死体を発見したのと、発見した人物が異なっていたということである。
 因みに、山崎夫妻は、ここしばらくの間で志高湖で妙な事件が発生していたということを皆目知らなかった。しかし、それは、当然であろう。赤松と岡倉が被った事件は、新聞で報道されたものの、それは地方紙であり、山崎夫妻は名古屋の人間であった為に、その地方紙を読んでなかったからだ。
 それはともかく、山崎夫妻からの110通報を受け、大分県警の警官が直ちに現場に急行した。そして、その女性の死を早々と確認した。そして、実況見分に当たった大分県警の倉持正利警部補(47)は、その女性の頭部に裂傷が見られたことから、何者かに頭部を鈍器で殴られたことによる死だと察知した。
 即ち、殺しによる死だ。
 そう推理すると、倉持の脳裡には、自ずから件の事件、即ち、赤松豊と岡倉正明の事件を思い出した。赤松と岡倉も、この志高湖で何者かに頭部を殴打され、意識を失った。そして、この女性も赤松や岡倉の場合と同じく、その曲者の餌食となってしまったのであろう。
 だが、この女性は赤松や岡倉の場合とは違い、殺された。この女性の衣服に乱れがあることから、曲者は女性に乱暴しようとしたのかもしれない。それで、女性は抵抗した。その結果、もたらされたのが、女性の死だというわけだ。
 それはともかく、女性の死体は直ちに別府市内の病院に運ばれ、司法解剖が行なわれることになった。 
 やがて、女性の死因が明らかになった。
 それは、やはり、頭部を鈍器で殴打されたことによる脳挫傷であった。そして、その殴打された位置からして、女性の死は殺しであると断定された。
 また、死亡推定時刻も明らかになった。
 それは、六月十日、即ち、今朝の午前七時から八時頃であった。
 この結果を受けて、別府署に捜査本部が設置され、大分県警捜査一課の門田貫太郎警部(54)が捜査を担当することになった。門田は身長180センチ、体重70キロの巨漢で、また、柔道三段の猛者であったが、今まで何度も殺人事件の捜査を担当し、解決に導いた実績があった。それ故、今回もこの解決するのに困難そうな事件の捜査を門田が担当することになったのだ。
 それはともかく、まず女性の身元確認の捜査から行なわれることになった。だが、女性の身元はさ程時間を経ずに明らかになりそうであった。
 というのは、志高湖畔の駐車場にシルバーのフィットが停められていて、そのフィットがその女性のものである可能性が高かったからだ。
 それで、そのフィットの中を調べてみたところ、免許証があった。そして、その免許証は、その顔写真から、女性のものであることが確認された。
 それによると、その女性は、別府市内に住んでいた米倉理子という女性であった。 
それで、理子の夫の米倉邦生に、その女性を見てもらったところ、志高湖で発見された女性が、自らの妻である米倉理子であったことを確認したのだ。
 そんな米倉の表情は、正に蒼褪めていた。そんな米倉は、正に予期していなかった妻の死を目の当りにして、ショックで声も出せないと言わんばかりであった。
 いかにも落胆した様を見せている米倉に対して、門田は、
「お気の毒です」
 と、悔やみの言葉を投げてから、改めて、理子の遺体が発見された経緯を説明した。
 そんな門田の説明に、米倉は何ら言葉を発そうとはせずに、黙って耳を傾けていたが、門田の説明が一通り終わっても、米倉は特に言葉を発そうとはしなかった。そんな米倉は、何故理子が死んだのか、てんで心当りないかのようであった。
 それで、門田は、赤松と岡倉の事件のことを説明した。その事件のことは、前述したように、新聞等では公にされていなかったのだ。それ故、その事件のことは、犯人と警察、それと、赤松と岡倉を発見した観光客以外は知らなかったというわけだ。
 米倉は、その門田の説明を耳にすると、
「となると、理子はその賊に殺されたのでしょうかね?」
 と、いかにも神妙な表情を浮かべては言った。
「その可能性はありますね」
 と、門田も神妙な表情を浮かべては言った。 
 すると、米倉はいかにも神妙な表情を浮かべては、言葉を発そうとはしなかった。
 そんな米倉に門田は、
「つまり、昨日の午前八時頃、奥さんは志高湖に行ったのですよ。すると、賊がそんな奥さんのことを待ち受けていて、奥さんに乱暴しようとしたのではないですかね。
 しかし、奥さんは抵抗した。
 それで、賊は奥さんを殺したのかもしれないということですよ」 
 と、いかにも険しい表情を浮かべては言った。
 すると、米倉もいかにも険しい表情を浮かべた。そんな米倉は、妻がそのような目に遭って殺されたということが、甚だショックであるかのようであった。
 そんな米倉に門田は改めて、その日の理子のことを訊いた。
 すると、米倉は、
「その日、理子は阿蘇周辺をドライブして来ることになっていました。理子の趣味はドライブなんですが、その日、本来は僕と二人で行く予定になっていたのです。でも、僕の体調が急に悪くなりましてね。それで、理子は一人で行くことになってしまったのですよ。でも、僕も行っていれば、こんなことにならずに済んだのに……」 
 と、いかにも悔しそうに言った。
 そんな米倉を見て、門田は米倉は理子を殺した犯人にてんで心当りないと看做した。何しろ、理子を殺したのは、理子とは何ら面識のなかった行きずり犯の可能性が高い。そのような賊のことに、米倉が心当りある筈がないからだ。 
 しかし、門田は念の為に、理子を殺した犯人に心当りないか、訊いてみた。
 すると、米倉は、
「まるでありませんね」
 と、いかにも悔しそうに言った。
 それで、この辺で、門田は一旦、米倉との話を終えることにした。

 さて、困った。
 米倉理子を殺したのは、理子と何の面識のない行きずり犯である可能性が高いのだ。理子と面識のある者が犯人なら、捜査のしようがあるというものだ。しかし、行きずり犯なら、捜査のしようがないというものだ。正に、こういった事件こそ、門田たち警察の手を手古摺らせるのだ。
 しかし、匙を投げるわけにはいかないのだ。
 そこで、理子と同様の被害に遭ったと思われる赤松と岡倉から、改めて話を聞いてみることにした。理子を殺した行きずり犯に関する情報を持ってそうな人物は、この赤松と岡倉しかいないのだ。
 だが、門田はこの二人から特に捜査の役に立ちそうな情報を入手することは出来なかった。赤松も岡倉も、以前警察に説明したように、突如、犯人に襲われ、意識を失ってしまった為に、犯人に関する手掛かりをまるで持っていなかったのである。
 そこで、改めて、捜査会議が開かれた。 
すると、その中で、興味ある推理を行なった刑事がいた。その刑事は、若手の田野倉誠刑事(28)であった。
 田野倉は捜査会議の席で、
「理子さんを殺した犯人は、赤松さんや岡倉さんの事件を利用しただけなのではないですかね」
 と言っては、眼をキラリと光らせた。
 そんな田野倉に、門田は、
「それ、どういうことかな」
 と、興味有りげに言った。
「ですから、理子さんを殺した犯人は、赤松さんや岡倉さんを志高湖で襲った犯人ではなかったというわけですよ。ただ、赤松さんや岡倉さんの事件を利用してやろうとしただけなんですよ。即ち、理子さんを殺した犯人は、赤松さんや岡倉さんを襲った犯人だと、世間に思わせてやろうとしたわけですよ」
 そう言った田野倉の表情と口調は、かなり自信有りげであった。そんな田野倉は、正にその可能性は十分にあると言わんばかりであった。
 そう田野倉に言われると、一同は言葉を詰まらせた。そんな門田たちは、そのようなケースは想定してなかったが、しかし、その可能性は決して無視出来ないと言わんばかりであった。
 そんな門田たちに、
「つまり、理子さんを殺した人物は、行きずり犯ではなく、理子さんの知人ではなかったのかということですよ」
 と田野倉は言っては、力強く肯いた。そんな田野倉は、正にその可能性は十分にあると言わんばかりであった。
 そして、その田野倉の推理が受け入れられ、早速、理子の友人、知人だった者から、早速、話を聞いてみることにした。
 すると、最初の内は、特に成果を得られなかった。理子を殺したいと思ってるような人物には、誰もかれもが心当たりないと証言したのだ。 
しかし、理子と小学校から友人であったという相川ひとみという女性から、正に興味ある情報を入手することが出来たのである。ひとみは、門田に対して、このように言ったのである。
「理子の旦那さんの米倉邦生さんの前の奥さんも、亡くなってるのですよ」
 と、いかにも神妙な表情で言った。
 そのひとみの話に俄然、興味を抱いた門田は、
「それ、どういうことですかね?」
 と、好奇心を露にしては言った。
「五年位前のことらしいですが、米倉さんの前の奥さんが変死したらしいのですよ」
 と、ひとみは再び神妙な表情で言った。
「変死、ですか……」
 門田は呟くように言った。
「そうです。変死です。何でも、山登りをしてる時に、足を滑らせて頭を岩にぶつけてしまい、呆気なく脳挫傷で亡くなってしまったそうですよ。私は、そのように理子から聞いています」
 と、ひとみは言っては、眉を顰めた。
 そうひとみに言われ、門田は言葉を詰まらせた。正に、それは妙な死であったからだ。
 そして、妙な死となったのは、門田の前妻だけではない。今の妻である理子も妙な死に方をしたのだ。
 前妻は、山登りの途中、足を滑らせて、頭を岩にぶつけてしまい、脳挫傷の死。後妻は、志高湖で何者かに乱暴されそうになり、その結果の死。こういった妙な死に方が、一度だけなら、その夫に対して、疑惑の眼を向けるということは有り得ないだろう。しかし、妻が二度も妙な死に方をしたとなると、その夫に疑いの眼を向けるのは、当然だというものであろう。何しろ、この種の事件は嘗て度々発生してるからだ。そして、この種の事件は、大抵、保険金が関係してるというものだ。つまり、保険金目当てに、夫が妻を殺したというわけである。
そして、このケースに基づいて、早速、理子に米倉が受取人となっている保険金が掛けられていないかの捜査が行なわれた。
 すると、早々と成果を得ることが出来た。理子には、S生命で米倉が受取人となっている生命保険が掛けられていたのだ。そして、死亡保険金は、何と五千万である!
 もっとも、保険金はまだ支払われていないとのことだが、この事実を目の当りにして、俄然、米倉に対する疑惑が高まったのである。 
 更に米倉に対して疑惑が深まったのは、米倉の前妻にも保険が掛けられていて、その前妻が死亡したことにより、米倉は何と五千万もの保険金を受取ったというのだ。
 これらのことから、門田は早速、米倉から話を聴かなければならなくなったのである。

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