2 身元判明

 明美はその日の午後四時頃、男性の遺体が安置されているS病院に姿を見せた。そして、男性の遺体を眼にすると、それは確かに明美の夫であった春雄であることを認めた。
 それを受けて、小早川は、
「実はですね。ご主人は、何者かに殺された可能性があるのですよ」
 と、正に言いにくそうに言った。
「殺された……」
 明美は呟くように言った。
「ええ。そうです。何者かに、首をロープのようなもので絞められて、その結果、ご主人は窒息死された可能性があるのですよ」
 と言っては、小早川は小さく肯いた。
「……」
「それに関して、奥さんは何か思うことはありませんかね?」
 すると、明美は十秒程言葉を詰まらせたが、やがて、小さく頭を振った。
 そんな明美に、
「ご主人は東京の方でしたね」
「ええ」
「札幌に旅行に来られたということですが、札幌には知人なんかはおられたのですかね?」
「いたと思います。何しろ、主人は札幌の大学に通っていましたからね」
 と、明美は淡々とした口調で言った。
「成程。で、ご主人は仕事を休まれて、今回、札幌に来られたのですかね?」
「いいえ。主人は今、失業中だったのですよ」
「そうでしたか。で、改めて訊きますが、奥さんはご主人を殺したような犯人にまるで心当りないのですね?」
「ええ。そうです。全くありません」
 と、明美はきっぱりと言った。
 それで、小早川はこの辺で明美に対する聞き込みを一旦終えることにし、中央署に戻った。そして、早速捜査会議が行なわれることになった。その席上、小早川は、
「可能性は二つある。つまり、偶然に事件に巻き込まれたか、持田さん自身が狙われたかだ」
 と言っては、肯いた。
「僕もそう思いますが、偶然に事件に巻き込まれたとしたら、どういったケースが考えられるのですかね?」
 と、若手の岡崎刑事が言うと、岡崎刑事と同じく、若手の村木刑事が、
「少し前に興味ある情報が寄せられたんだよ」
 と、眼を輝かせては言った。
「興味ある情報? それ、どういった情報だい?」
 岡崎刑事は、いかにも興味有りげに言った。
「すすきので、持田さんとよく似た男性が客引きに呼び止められ、ソープに向かったという情報が寄せられたんだよ」
 と、村木刑事は声を弾ませては言った。
 その情報を既に耳にしていた小早川は、改めて眼を鋭く光らせては小さく肯いた。それは、正に有力な情報と思われたからだ。
 即ち、持田は客引きによってソープに連れて行かれたのだが、ぼったくりに遭ってしまい、抵抗した。その結果トラブルとなってしまい、殺されてしまったということだ。
 とはいうものの、ここしばらくの間で、ぼったくりの被害に遭ったといえども、殺人事件にまで発展したというケースは、すすきのでは発生してなかった。
 それ故、そのケースが持田の事件の真相だと即断するのは、危険だというものであろう。
 だが、その可能性が全くないと、断言することも出来ないであろう。
「で、その市民からの情報は確かなものなのかい?」
 と、小早川。
「持田さんの顔写真とか身体付き、服装なんかが新聞に掲載されたのですが、それを眼にして、電話して来たのですよ。だから、ある程度は信頼出来るとは思うのですがね。それに、客引きと持田さんと思われる男性がソープに向かったのは、午後八時頃だったと証言しています。持田さんの死亡推定時刻は、午後八時から十時頃でしたから、時間的にも合致してますから」
 と、村木刑事は言っては、小さく肯いた。
 また、持田が宿泊先のホテルを後にしたのは、午後七時頃だという証言も、ホテルのフロントマンから既に入手している。
 それ故、客引きと共にソープに向かった男性というのは、やはり、持田であったという可能性は、充分に有り得るだろう。
 そして、これによって、捜査の的は、すすきののソープということに絞られたかに見えたが、すると、その時、岡崎刑事が、
「僕も耳寄りの情報を入手してるのですがね」
 と、眼を大きく見開いては言った。
「ほう……、それは、どういった情報かな」
 小早川は興味有りげに言った。
「中島公園で、宝田研三という七十二歳のお年寄りが似顔絵描きをやってるのですがね。
 で、一昨日の午後七時半頃、お客さんがやって来たので、似顔絵を描いたところ、『似てないからお金を払わない』と言われたので、喧嘩になったそうです。そして、そのお客さんは結局、お金を払わなかったそうです。
 それで、宝田さんは被害届を警察に出したのですが、そのお客さんが持田さんに似ているのですよ!」
 と言っては、岡崎刑事は宝田が描いたという似顔絵を小早川たちに見せた。
 それで、小早川たちはその似顔絵を眼にしたのだが、確かにその似顔絵の男性は、持田春雄に似ていたことには似ていた。
 それで、小早川は、
「確かに宝田さんに似顔絵を描いてもらった男性は持田さんだったのかもしれないな」
 と、渋面顔を浮かべては言った。
 小早川としては、岡崎刑事からこの件の話を聞くまでは、持田の事件はすすきののソープ絡みだと思ったのだが、今の岡崎刑事の話はその小早川の思いを覆すかのようなものであったのだ。
 しかし、
「その件がどう持田さんの死に関係してるのかな」
 と、渋面顔のまま言った。
 すると、岡崎刑事は、
「その持田さんと思われる男性と宝田さんとの争いを傍らで眼にしていた若者たちがいたそうなのですよ。で、その若者たちは中島公園によく遊びに来る性質の悪い若者たちだそうです。何でも、暴走族らしいですよ。
 で、その若者たちが持田さんの無謀振りを眼にし、その後、持田さんに因縁をつけては殺したのかもしれないということですよ」
 と、些か自信有りげな表情と口調で言った。そんな岡崎刑事は、その可能性は充分に有り得ると言わんばかりであった。
 そう岡崎刑事に言われ、小早川は、
「成程。その可能性もありそうだな。しかし、もしその若者たちが犯人なら、持田さんとよく似た男性がソープに行ったというのは、どうなるのかな」
 と、渋面顔で言った。
「ですから、その男性が確実に持田さんだということは有り得ないというわけですよ。何しろ、そう証言した人は、持田さんとは何ら関係のない人物ですからね。ですから、持田さんによく似た別人だったということも有り得るわけですよ。
 それに対して、宝田さんの場合は、似顔絵という確たる物証があります。この似顔絵は、どう考えても、持田さんですよ」
 と、岡崎刑事は自信有りげな表情と口調で言った。
 そう岡崎刑事に言われると、小早川は腕組みをしては、しばらく何やら考え込むような仕草を見せたが、やがて、
「よし。じゃ、まず、岡崎君が入手した情報から捜査してみよう。で、岡崎君はまだ宝田さんから詳しい話を聴いてないんだな?」
「そうです」
「じゃ、早速、宝田さんから話を聴いてみることにするか」

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