4 思わぬ情報

 ということになり、小早川は持田春雄のことを警視庁に調べてもらうことにした。
 それを受けて警視庁の岡本警部補(41)が、その捜査を行なうことになった。岡本は中肉中背で黒縁の眼鏡を掛け、神経質そうな感じであった。
 そんな岡本は、世田谷区内の亡き持田春雄宅のマンションに行った。
 そして、妻の明美に、
「北海道警の話だと、ご主人の事件は、まだ闇の中だそうですよ」
 と、冴えない表情で言った。 
 すると、明美も、
「そうですか」
 と、冴えない表情で呟くように言った。
「で、北海道警の話だと、今まで持田さんは偶然に事件に巻き込まれて殺されたのではないかという推理に基づいて捜査をしてたらしいのですが、今度は持田さん自身を恨んでるような人物がいて、持田さんを殺したのではないかという捜査をやろうとしてるそうなんですよ」
 と岡本は言っては、小さく肯いた。
 すると、明美は、
「私は北海道警の小早川さんにも言ったのですが、私はそのような人物にはまるで心当りがないのですよ」
 と、渋面顔で言った。
「しかし、奥さんはご主人の何もかもを知っていたわけではないですよね」
 と、岡本は眉を顰めた。
「そりゃ、そうですが……」
 明美は岡本から眼を逸らせては、呟くように言った。
 そんな明美に、岡本は、
「で、ご主人は失業中だったとか」
「そうです」
「ご主人はまだまだ働き盛りだと思われるのですが、どうして失業されたのですかね?」
「リストラされたのですよ」
 明美は呟くように言った。
「そうでしたか。で、ご主人はどれ位の期間、失業されてたのですかね?」
「半年位ですね」
「そうですか。で、どういったお仕事をされてたのですかね?」
「コンピューターのシステムエンジニアをやっていました」
「コンピューターのシステムエンジニアですか……」
 岡本は呟くように言った。即ち、コンピューターのシステムエンジニアでは、仕事絡みでの事件ではないと、岡本は直感したのである。
 とはいうものの、
「ご主人は仕事絡みで何かトラブルは抱えていなかったのですかね?」
「そりゃ、リストラされた位ですから、何かはあったでしょう。でも、そうだからといって、それが元で殺されたというようなケースはないと思います」
 と明美は言っては、小さく肯いた。
 岡本もその明美の言葉に同感であった。というのは、岡本の身内が、持田と同じような仕事をやっていたので、その仕事内容は岡本はある程度分かっていたからだ。
 とはいうものの、持田が働いていた会社のことを訊き、後で聞き込み行なってみることにした。
「で、ご主人は札幌の大学だったそうで」
「そうです。F学園大です」
「成程。で、ご主人は学生時代のことが懐かしくなり、札幌に行ったのではないのかとのことで」
「私はそう思っています。もっとも、主人がそう言ったわけではありませんが」
「では、奥さんはご主人が札幌のことが懐かしくなった為に札幌に行ったという以外に、札幌で誰かに会うとかいうような目的があったと思ってはいませんかね?」
「そのような話は主人から聞いてはいませんでした」
 と、明美は蚊の鳴くような声で言った。
 そして、岡本は後少し、明美から話を聞いた後、やがて明美に対する聞き込みを終えることにした。これ以上、明美から話を聞いても成果を得ることは出来ないと思ったからだ。
 持田宅を後にすると、岡本は新宿にある持田が働いていたというコンピューターのソフト会社に行き、持田に関して話を訊いてみた。
 すると、持田という男は、何らトラブルを抱えていず、また、温厚な性格で他人とのトラブルは事前に避けたがるようなタイプだったという証言も入手した。
 そして、それ以上、耳寄りな話は入手することは出来なかった。
 また、明美から入手したアドレス帳を元に、持田と交友関係にあった人物に電話をし、聞き込みを行なってみたが、特に成果を得ることは出来なかった。
 そして、この時点で岡本が捜査した内容を小早川に話した。
 すると、小早川は、
「うーん」
 と、唸り声を上げた。岡本の捜査はどうやら成果を得られなかったようだからだ。
 持田が偶然に事件に巻き込まれたのではないとすると、持田自身を狙った犯行と推測し、岡本に捜査をしてもらったのだが、成果がなかったとすると、今後、どのように捜査していけばよいのだろうか?
 小早川はその小早川の苦渋の胸の内を岡本に話した。
 すると、岡本は、
「僕の印象としては、持田さん個人を狙った犯行というよりも、偶然に事件に巻き込まれた可能性が高いと思いますね。持田さんの友人、知人たちから話を聞いた印象としては、持田さんは他人に恨みを持たれるような人物には思えませんでしたから」
 そして、小早川はこの辺で岡本との電話を終えた。そして、その内容を岡崎刑事と村木刑事に話した。
 すると、村木刑事は、
「やはりすすきののソープ絡みか、暴走族絡みですかね」
 と、渋面顔で言った。
「そうかもしれないな。だが、どちらも決めてがないんだよ」
 と、小早川も渋面顔で言った。
「もっと有力な情報が入手出来ればよいのですがね」
 と、岡崎刑事。
「ああ、そうだ。情報不足なんだよ。事件を解決に導くような情報が不足してるんだよ」
 と、小早川はいかにも悔しそうに言った。
 すると、その時、東京の持田明美から電話が入った。
―私は持田春雄の妻だった持田明美ですが、警視庁の岡本さんから、何か気付いたことがあれば小早川さんに連絡してくださいと言われたので、電話したのですがね。
 と、明美は殊勝な表情で言った。
「そうですか。どんな些細なことでも構わないですから、遠慮なく話してくださいな」
 と、小早川は眼を大きく見開いては言った。
―実はですね。主人が札幌に行く一週間前に、主人は銀行の定期預金を一千万下ろしていたことが分かったのですよ。今日、その事実を知ったのです。
 と、明美は些か声を上擦らせては言った。
 そう明美に言われ、小早川は、
「ほう……」
 と、いかにも好奇心を露にしたような表情を浮かべて言った。今の情報は、持田の事件の解決に役立つのではないかと思ったのである。
―私はその事実を知って驚いてるのですよ。何故なら、一千万ともなれば、それは主人の銀行預金の全てといっていい位のお金だったからです。
 と、明美は声を上擦らせたまま言った。
「成程。で、その一千万は今、何処にあるのですかね?」
―それが、家の中を捜してみましたが、見付からないのですよ。また、他の金融機関に預けたとも思われないのですよ。
 と、明美は渋面顔で言った。
「ご主人は一千万下ろしたことを、奥さんに話さなかったのですかね?」
―そうなんですよ。
「となると、その一千万は札幌に持って来たのでしょうかね?」
―その可能性は充分にあると思います。何しろ、主人は札幌に黒い大きな鞄を持って行きましたからね。今、思えば、その鞄に何が入ってるのかと思っていましたが、一千万の現金が入っていたのかもしれませんね。
 そう明美に言われ、小早川は言葉を詰まらせた。何故なら、その黒い大きな鞄は、持田の死体の傍らにはなかったからだ。 
 となると、持田の事件の動機は、その黒い鞄の中に入っていた一千万だった可能性はある。
 それで、その思いを明美に話した。 
 すると、明美は、
―そうかもしれませんね。
 そう明美に言われると、小早川は小さく肯き、そして、
「でも、ご主人はどうして一千万を下ろしたことを、奥さんに言わなかったのでしょうかね?」
 と、小早川は首を傾げた。
―どうしてでしょうかね? 私には全く見当もつかないのですよ。それ故、私はその件に不審感を抱き、小早川さんに電話したのですよ。
「奥さんがそう思われるのは、充分に理解出来ますよ。更に、ご主人がその一千万を持って札幌にやって来たのなら、その一千万がご主人が殺された原因でしょうね」
 と改めて言っては、小早川は大きく肯いた。
―私も刑事さんに同感ですよ。
 と、明美は小早川に相槌を打った。
 そんな明美に、小早川は、
「でも、ご主人はその一千万をどういう風に使おうとされてたのでしょうかね?」
―さあ、その点に関しては、私はまるで分からないのですよ。
 と、明美は決まり悪そうに言った。
 そんな明美に、小早川は、
「ご主人はその一千万を持って風俗店に行かれたのかもしれませんね。でも、一千万も使うつもりは毛頭ありませんでした。しかし、店側がご主人が大金を持ってることを知り、それを奪ってやろうとしたのかもしれませんね。その結果、トラブルとなり、ご主人は殺されてしまったのかもしれませんね」
 と、小早川は言っては小さく肯いた。小早川はその可能性が最も高いと思ったのである。
 すると、明美は、そうでしょうか。
 と、呟くように言った。そう小早川に言われてれれば、確かにそのような気がしたのだ。
 そんな明美に、小早川は、
「でもご主人はどうして札幌に一千万も持って行ったのでしょうかね?」
 と、些か納得が出来ないように言った。
 すると、明美は、
―どうしてでしょうかね?
 と、いかにも腑に落ちないと言わんばかりに言った。
 それで、小早川は、
「また、何か気付いたことがあれば、連絡してください」
 と言っては、この辺で明美との電話を終えることにした。
 そして、明美から入手した情報と小早川の推理を、岡崎刑事と村木刑事に話した。
 すると、村木刑事は、
「やはり、僕が主張したように、犯人はソープの関係者ですよ」
 と、いかにも勝ち誇ったような表情と口調で言った。
 すると、岡崎刑事が、
「いや。まだ、そうだと決まったわけじゃないさ」
 と、村木刑事に抗うように言った。
 それで、村木刑事は、
「何故、そう思うのかい?」
 と、岡崎刑事の顔をまじまじと見やっては言った。
「件の暴走族の連中が犯人かもしれないじゃないか。奴等は持田さんの鞄にお金が入ってることを知り、強奪しようとしたのさ。だが、持田さんに抵抗されてしまい、その結果が死というわけさ。よくあるケースだよ」
 と、岡崎刑事は言っては肯いた。確かにその可能性は充分にあると言わんばかりであった。
 すると、小早川は、
「僕もそのどちらかだと思うよ。それ故、持田さんが午後七時頃、宿泊先のホテルを後にした時に、その黒い鞄を手にしてなかったかの確認を取ってみよう」
 ということになり、小早川は早速、それを確認をしてみた。
 すると、フロントマンは、
「よく覚えてません」
であった。 
 それで、今度は持田さんと思われる男性が、客引きにソープに連れて行かれたと証言した滝川に確認してみると、滝川は、「そこまでは覚えていない」であった。また、中島公園で似顔絵を描いている宝田も、「よく覚えていない」であった。
 とはいうものの、持田が似顔絵を描いてもらっていた時や、ソープに行った時に、一千万が入った黒い鞄を持っていなかったと断言は出来ないであろう。
 そして、三人の間でしばらくの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、小早川が、
「ひょっとして、宝田さんが怪しいかもしれないな」
 と言っては、唇を噛み締めた。
「宝田さんが怪しい? それ、どうしてですかね?」
 と、岡崎刑事は納得が出来ないように言った。何故なら、今までそのようなケースは想定してなかったからだ。
「宝田さんは持田さんの似顔絵を描いていたのだが、その時、何故か持田さんが一千万持っていたことを知ってしまう。それで、その金を奪う為に持田さんを殺したというわけさ。持田さんが黒い大きな鞄を持っていたかどうか分からないと証言したのは、勿論嘘さ」
 と言っては、小早川は小さく肯いた。
 そんな小早川に、岡崎刑事も村木刑事も異論を述べなかった。正に、事件というものは、思ってもみなかった者が犯人であったというケースはこれまで枚挙にいとまないからだ。そして、この時点で、宝田の銀行口座とか、宝田が最近、急に羽振りがよくならなかったかというような捜査が行なわれた。
 だが、その捜査は成果を得られなかった。だが、そうだからといって、宝田が完全に捜査圏外に去ったというわけではなかったが、今の時点ではこれ以上、捜査はやらないことにした。
 とはいうものの、なかなか捜査が思うように進展しそうもないので、三人の間でしばらく重苦しい沈黙の時間が流れたが、やがて、岡崎刑事が、
「こういう風には考えられないであろうか」
 と言っては、眼をキラリと光らせた。
「どんな風にだ?」
 と、村木刑事は興味有りげに言った。
「持田さんは実は札幌に愛人がいたのですよ。何しろ、持田さんは大学時代を札幌で過ごした人物ですよ。それ故、札幌に愛人がいても不思議ではありません。その一千万はひょっとして、その愛人との生活資金だったのかもしれませんよ。 
 で、そのことを知った奥さん、即ち、明美さんは、そんな持田さんのことを許すことは出来ず、札幌で明美さんが持田さんを殺したというわけですよ。夫婦喧嘩が高じて殺人に至った事件は、今までに何度も発生してますからね」
 と、言っては、岡崎刑事は些か自信有りげに肯いた。岡崎刑事はその可能性は充分にあると認識したからだ。
 その岡崎刑事の意見が取り入れられ、早速、その捜査が行なわれることになった。そして、その捜査も警視庁の岡本警部補に行なってもらうことにした。
 岡本は明美に、持田の死亡推定時刻に何をしていたか訊いてみたところ、明美は家にいたであった。そして、明美と持田との間には、子供はいなかったので、そのことを証明出来る者は誰もいなかった。
 また、持田に愛人はいなかったかという問いに対して、明美は、
「いなかったと思います。主人は真面目で小心な人でありましたから、愛人を持つなんてことは出来なかったと思います」
 と、気丈な表情を浮かべては言った。
 そんな明美に、岡本は、
「奥さんが気付いていなかっただけで、実際にはいたのではないですかね?」
 と、些か嫌味を込めた眼差しを明美に向けた。
 すると、明美は、
「いや。そういうことは絶対にありません! 私はそういうことには、敏感ですから!」 
 と、声高に言った。そんな明美が嘘をついてるとは、とても思えなかった。
「では、奥さんはご主人がここしばらくの間、失業していたことに関して、詰ったりしてましたかね?」
 と、岡本が言うと、明美は岡本から眼を逸らせ、言葉を詰まらせた。その明美の様からすると、明美は訊かれたくないことを訊かれたかのようであった。
 そんな明美は程なく、
「確かに刑事さんのおっしゃる通りです。私は主人が失業していたことに対して、常日頃から詰ったりしてました」
 と、決まり悪そうに言った。
「奥さんに詰られると、ご主人はどうしましたかね?」
「『すまん、すまん』の繰り返しでしたね。何しろ、主人は温厚な人でしたから、私が主人を非難しても、反発しようとしなかったのですよ。普通の男の人なら、妻に何度も詰られれば、反発するでしょうが、主人にはそういったことはなかったのですよ。主人が死んだ今となれば、私は主人に申し訳ないことをしてしまったと思ってるのですよ」
 と、明美はいかにも神妙な表情を浮かべては言った。
「成程。奥さんにそう言われ、僕は何故ご主人が札幌に一千万を持って行ったのか、凡そ察することが出来ますよ。ご主人は失業した身の上で、しかも、奥さんに常日頃から詰られたりしてましたので、かなりストレスが溜まっていたのではないですかね? それで、堪忍袋の緒が切れて、札幌でパーっと遊び、ストレスを発散してやろうとしたのではないですかね」
 と言っては、岡本は小さく肯いた。
 そう岡本に言われると、明美は唇を噛み締め、何も言おうとはしなかった。そんな明美は、まるで持田を死に至らしめたのは、明美にも責任があると言わんばかりであった。
 そんな明美に、岡本は中島公園で持田が似顔絵描きとトラブルになったという小早川から入手した話を話した。
 すると、明美は、
「主人がそのようなことをやったとは、信じられませんね」
 と、眉を顰めた。
「それだけ、ご主人はストレス溜まっていたということでしょう。で、奥さんは今、仕事をしておられるのですかね?」
「ええ。アルバイトですが」
「では、そのアルバイト先のことを教えてもらえますかね」
 明美は何故そのようなことを話さなければならないのかと、怪訝そうな表情を浮かべたが、明美のアルバイト先のスーパーのことを岡本に話した。因みに、明美は今、スーパーのレジ打ちをやってるそうだ。
 そして、岡本はこの辺で明美に対する聞き込みを終え、岡本は明美のアルバイト先で、明美のことを訊いてみることにした。即ち、明美が日頃、持田のことで何か愚痴を零してなかったか、また、明美がどういった人間なのかというようなことを訊き、明美が持田を殺した可能性があるかどうか、捜査してみることにしたのだ。 
 だが、成果は得られなかった。明美は真面目な人柄で、また、信用のおける人物で、また、持田に対する愚痴は特に零してなかったとのことだからだ。
それらのことから、岡本の感触としては、明美は持田殺しの犯人ではないと思った。
 そして、岡本はこの時点で、岡本の捜査結果を小早川に話した。
 すると、小早川は、
「そうでしたか」 
 と、いかにも冴えない表情で言った。小早川は明美が犯人である可能性は少なからずあると思っていたのである。それ故、小早川の落胆振りも大きかったのである。
1. そして、改めて捜査会議が開かれたのだが、この時点でもう一度、市民に情報提供を呼び掛けてみようということになったのである。

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