5 有力な情報
すると、小早川たちを喜ばせるような情報が寄せられた。その情報は田中治郎という旭川に住んでいる二十九歳の会社員であった。
田中は小早川に簡単な自己紹介をやった後、
―実は僕は十月十二日の夜、すすきのの『パラパラ』というソープで遊んだのですが、そのソープの待合室で、豊平川で絞殺体で発見されたという持田春雄さんを眼にしたような記憶があるのですよ。
と、田中は何となく言いにくそうに言った。
その田中の言葉を聞いて、小早川は眼を大きく見開き、輝かせては、
「それ、本当ですかね?」
―絶対、正しいとは断言はしませんよ。何しろ、僕は持田さんとは何ら面識のない人物ですからね。とはいうものの、新聞に掲載された顔とか身体付き、更に、遺体で発見された時の服装などから、僕はそう判断したのですよ。
と、田中は幾分か声を上擦らせては言った。
その田中の言葉を耳にし、小早川は今の田中の言葉は信頼出来ると看做した。
そんな小早川に田中は更に有力な証言をした。
―で、その人物は黒い大きな鞄を持っていたのですよ。その鞄を眼にして、その男性は遠方からの旅行者かと思ったことを覚えていますね。何しろ、地元の者なら、あんな大きな鞄を持って、ソープなんかに来ませんからね。
そう田中に言われ、小早川は田中が「パラパラ」で眼にしたその男性は一層持田だと思った。何故なら、持田が所持していたと思われる黒い大きな鞄に関しては、新聞等で何ら報道されていなかったのだ。当事者と警察以外は、その事実を知らないのだ! にもかかわらず、田中が黒い鞄のことに言及したということは、正に田中が眼にした男性は一層、持田春雄であった可能性が高いというわけだ。
「で、田中さんがその人物を眼にしたのは、何時頃でしたかね?」
―そうですね。午後七時半頃でしたかね。
そう田中に言われ、小早川は大きく肯いた。何故なら、持田の死亡推定時刻は午後八時から十時頃であったからだ。即ち、持田は田中が「パラパラ」の待合室で目撃された後、すぐに殺されたというわけだ。
「で、その男性はその後、どうなりましたかね?」
と、小早川が訊くと、田中は、
―さあ、どうなったのでしょうかね。何しろ、僕の方が先に個室に入りましたからね。ですから、その後のその男性のことは、分からないのですよ。
「そうですか。分かりました。貴重な証言、ありがとうございました」
と小早川は言っては、田中との電話を終えた。
正に、田中治郎という男性から貴重な証言を得たというものだ。田中の話からして、田中が眼にした男性は、持田春雄であったということは、まず間違いないであろう。
となると、直ちに「パラパラ」の従業員からは話を聴かなければならないだろう。
とはいうものの、「パラパラ」の従業員からは既に話を聴いていた。しかし、何ら成果は得られなかったのだ。
だが、田中の証言から、今までの「パラパラ」の従業員たちの証言には嘘が含まれているということだ。
それはともかく、この時点で「パラパラ」の従業員名を改めて記しておこう。
店長 近藤正一(43)
副店長 清野誠(40)
ボーイ 河合常信(25)
〃 矢野順一(26)
〃 田代正(24)
〃 前田益男(24)
この六人が「パラパラ」の従業員だが、更に正木実(26)というアルバイトの客引きがいることも分かっていた。
そして、持田が客引きによって「パラパラ」に行ったのなら、正木によってに連れて行かれたということになるのだろうが、正木は、持田を「パラパラ」に連れて行かなかったと証言したし、また、近藤たち「パラパラ」の従業員たちは皆、十月十二日に持田と思われる客は決して来店しなかったと証言していた。
しかし、今、田中治郎の証言を入手し、その結果、近藤たちの証言は嘘であった可能性が高まった。
しかし、近藤たちが持田を殺したのなら、持田が来店しなかったと証言して、それは当然のことであろう。
そして、この時点で小早川たちはまず、近藤たちの中で、最近、急に羽振りが良くなった人物はいないか、捜査してみることにした。持田の遺体の傍らに一千万の入った黒い大きな鞄がなかったことから、犯人がその金を強奪したことは当たり前と思われたからだ。
その推理に基づいて捜査してみたところ、早くも有力な情報を入手することが出来た。「パラパラ」のボーイである田代正が三日前に、三百万もする国産車をキャッシュで購入したことが明らかとなったからだ。
それで、今度は田代の銀行口座を調べてみた。
すると、田代は二つの銀行に口座を持っていたが、十月十一日時点で、その二つの銀行に併せて二十万しか入金されていなかったことが分かった。
その結果を受け、小早川は直ちに田代のマンションに向かった。
小早川の顔を覚えていた田代は、小早川の顔を眼にすると、渋面顔を浮かべた。そんな田代の表情は、正に嫌な男がやって来たと言わんばかりであった。
そんな田代に、小早川は、
「僕は以前、十月十三日に豊平川河原で絞殺体で見付かった持田春雄さんが十月十二日の夜、『パラパラ』に来なかったか、訊きました。で、今日はその質問を改めて行ないますが、結果はやはり同じですかね?」
と、田代の顔をまじまじと見やっては言った。
すると、田代は、
「同じですよ。僕はそのような男性には、まるで心当りありませんね」
と、何ら表情を乱さずに、平然とした表情で言った。
「そうですか。では、それはそれとして、田代さんは先日、トヨタの高級車を買いましたね」
そう小早川が言うと、田代の表情は乱れた。
そんな田代を眼にして、小早川は心の中で北そ笑んだ。田代は心の乱れをすぐに顔に出すような男であり、これなら落とし易いと思ったからだ。
そんな田代は少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
「ええ」
と、小さな声で言った。
「その車は三百万もしたと思うのですが、田代さんはキャッシュで買ったそうですね」
「……」
「で、田代さんはその三百万をどうやって工面したのですかね?」
すると、田代は、
「僕は何かの事件の容疑者なのですかね?」
と、不貞腐れた表情を浮かべては言った。
「そうなんですよ。以前も言いましたが、我々は今、先日、豊平川の河原で絞殺体で発見された持田春雄さんの事件を捜査してるのですが、持田さんは殺された日の夜、すすきのの風俗店の客引きによって風俗店に入ったという情報を入手してるのですよ。それで、田代さんの店だけでなく、他の店も捜査してるのですよ」
と、小早川は言っては小さく肯いた。
「じゃ、僕以外の者も疑ってるのですね?」
田代は不貞腐れたまま言った。
「そりゃ、勿論そうですよ」
と、小早川は取り敢えず、そう言った。
すると、田代は小さく肯き、そして、
「僕が何故三百万ものお金をキャッシュで払えたかというと、実のところ、僕はお金を貯めていたのですよ。家に貯金箱がありましてね。そこに、こつこつとお金を貯めていたのですよ」
そう言っては、田代はにやっとした。
そう田代に言われ、小早川は思わず言葉を詰まらせてしまった。そう言われてしまえば、どうしようもないからだ。
とはいうものの、
「田代さんの給料は幾ら位ですかね?」
「そりゃ、月によって違いますが、大体四、五十万位は貰ってますよ」
と言っては、田代はにやにやした。そんな田代は、まるで田代がそう言えば、小早川はどうすることも出来ないと、察知してるかのようであった。
「じゃ、給料の明細書を見せてもらえますかね」
そう小早川が言ったので、田代は渋面顔を浮かべたが、田代の給料の明細書を持って来ては、小早川に見せた。
小早川は、それをしげしげと見やったが、確かに田代が言ったことは間違いではなかった。
それで、小早川はこの辺で一旦、田代への訊問を中断するしかなかった。
小早川は、田代は簡単に落とせそうだと読んでいたのだが、実際はそうではなかった。田代はなかなかの強か者だったようだ。
とはいうものの、持田が「パラパラ」で目撃されたという証言とか、田代が持田が死んですぐに、三百万もの高級車を購入したことから、田代の金の出所は持田の金であることは間違いないと思われた。
それで、小早川は、
「持田さんを殺したのは、田代一人ではないだろう。何しろ、『パラパラ』には、田代以外に従業員がいたわけだから」
と言っては、小さく肯いた。
「僕もそう思います」
と、村木刑事は大きく肯いた。
「だが、今の時点では『パラパラ』の従業員で田代以外で羽振りが急によくなったような者は見当たらないんだな」
と、小早川は渋面顔で言った。
すると、岡崎刑事が、
「田代以外で、サラ金に金を借りていた者はいなかったのですかね?」
と、眼をキラリと光らせては言った。
「サラ金か……」
小早川は眉を顰めては呟くように言った。
「そうです。サラ金です。サラ金に金を借り、返済の当てのない者は、何をするか分からないですからね。いわば、麻薬中毒患者の如しですよ。で、その者が持田さんが大金を持って入店して来てるのを知れば、持田さんの金に眼を付けない筈はないですよ」
「成程。じゃ、その捜査を早速やってみることにしよう」
ということになり、直ちにその捜査が行なわれることになった。
すると、早くも成果を得ることが出来た。何故なら「パラパラ」のボーイである矢野順一が、持田の遺体が発見された翌日、「アサヒ金融」という札幌にあるサラ金に、一気に四百万を返済したことが明らかとなったからだ。
この結果を受けて、岡崎刑事は、
「やりましたね」
と、嬉しそうな表情を浮かべては言った。正に岡崎刑事たちが必要としていたような情報をあっさりと入手することが出来たからだ。
「ああ。正にその通りだ。矢野順一の場合は、田代の場合とは違って、サラ金の返済だ。サラ金の返済金を貯金箱に貯めていたと言うことは出来ないさ。それ故、矢野を追い詰めることは、充分に可能さ」
と、小早川は力強い口調で言った。そして、小早川は岡崎刑事と共に、矢野のマンションに向かった。矢野のマンションは、白石区内にあった。
矢野は小早川たちの姿を眼にすると、渋面顔を浮かべた。そんな矢野は、正に嫌な奴がやって来たと言わんばかりであった。
そんな矢野に、岡崎刑事は、
「矢野さんは以前、豊平川の河原で絞殺体で見付かった持田春雄さんのことを何ら面識のない人物だと追われましたが、その思いは今も変わりませんかね?」
と、矢野の顔をまじまじと見やっては言った。
すると、矢野は、
「ええ」
と、何ら表情を変えずに言った。
「そうですが。で、矢野さんは、パチンコとか競馬なんかは、好きですかね?」
「そりゃ、嫌いじゃないですが」
矢野は苦笑しながら言った。
「じゃ、矢野さんが借金を作ってしまったのはギャンブルの所為ですかね?」
と、小早川が言うと、矢野の顔色は一気に蒼褪めた。そして、言葉を詰まらせてしまった。
そんな矢野に小早川は、
「矢野さんはサラ金にかなりの借金をしていたのですよね」
と、冷ややかな眼差しを投げた。
すると、矢野は少しの間、小早川から眼を逸らせ、言葉を詰まらせたが、やがて、
「僕は何かの事件の容疑者なのですかね?」
と、田代と同じような言葉を発した。
「ええ。そうです。持田春雄さんが『パラパラ』に客として入店したというような情報を入手しましてね。それ故、持田さんの死には『パラパラ』の従業員が関係してるかもしれないというわけですよ。
で、話は変わりますが、矢野さんは先日、『アサヒ金融』から借りていた四百万を一気に返済しましたね」
と、小早川が言うと、矢野の表情は、一気に蒼褪めた。そして、再び言葉を詰まらせてしまった。
そんな矢野に、小早川は更に話を続けた。
「矢野さんは、その四百万をどのように工面したのですかね?」
と、矢野に冷ややかな眼差しを投げた。
すると、矢野は穏やかな表情を浮かべては、
「友達から借りたんですよ」
と、淡々とした口調で言った。
「友達から借りた? 何という友達ですかね?」
と、小早川。
すると、矢野はまたしても言葉を詰まらせてしまった。そんな矢野は、小早川の予想だにしてなかった質問を受け、適切な返答を見出せないかのようであった。そして、その矢野の様を見ると、やはり、矢野には後ろ暗い所があるかのようであった。
そんな矢野に、小早川は、
「その四百万は、『パラパラ』に客として入店して来た持田さんのお金を強奪したものだな」
と言っては、矢野を睨み付けた。そんな小早川は、矢野に下手な誤魔化しは通用しないぞと言わんばかりであった。
すると、矢野はちらちらと小早川から眼を逸らせては、無言で頭を振った。
「じゃ、その四百万は、どうやって入手したんだ?」
「だから、先程も言ったように、友達から借りたんだよ」
と、不貞腐れたように言った。
「だから、その友達は誰なんだ?」
そう小早川が言うと、矢野は小早川から眼を逸らせては、何も言おうとはしなかった。
それで、小早川は、
「嘘をつくな!」
と、矢野を怒鳴りつけた。それは、小早川が矢野に対して初めて発した怒声であった。
だが、矢野は小早川から眼を逸らせては、何も言おうとはしなかった。それで、小早川は、
「持田さんが持っていた黒い鞄に一千万が入っていることを知った矢野さんは、田代さんと共に、持田さんの金を奪い、殺したんだな? 持田さんの金に眼が眩み、殺したんだな」
と言っては、矢野を睨み付けた。そして、にやっと笑った。その笑みは正に嫌味のある笑みであった。
すると、矢野は、
「俺たちは、そんなことはやってない!」
と、声を荒げて言った。
「犯人は誰だって最初はそう言うものさ。しかし、いずれ本当のことを話すのさ。
で、持田さんの事件は既に状況証拠が田代さんと矢野さんが犯人であるということを示してるのさ。状況証拠とは、『パラパラ』の店内で黒い大きな鞄を持った持田さんらしき人物が目撃されてることや、また、『パラパラ』の従業員である田代さんと矢野さんが、持田さんが亡くなった後、金銭的に潤ったからね。これらのことから、田代さんと矢野さんを持田さん殺しの疑いで逮捕しようと思えば、出来ないことはないんだがね」
と、小早川はにやっとした。
すると、矢野は、
「じゃ、俺たちを逮捕するつもりなのかい?」
と、挑むような眼差しを小早川に投げた。
「ああ。いずれ、矢野さんたちを持田さん殺しの疑いで逮捕してやるさ」
そう言った小早川の表情には、笑みは見られなかった。そんな小早川の表情には、持田の事件を一刻でも早く解決してやろうという小早川の強い決意の色が滲み出てるかのようであった。
すると、矢野は、
「だから、俺たちは殺してないんだ!」
と、再び声を荒げて言った。
「だから、誰だって最初はそう言うのさ」
すると、矢野は小早川から眼を逸らせては、何やら考え込むような仕草を見せたが、程なく、
「警察は俺と田代以外に容疑者はいないのかい?」
「そうじゃない。まだ、共犯がいるかもしれない。しかし、矢野さんたちが犯人である可能性は極めて高いと看做してるんだよ」
と、小早川は力強い口調で言っては、大きく肯いた。
「じゃ、俺たちをいつ逮捕するつもりですか?」
「そりゃ、近い内にやろうと思ってるさ」
と、小早川は些か表情を険しくさせては言った。
すると、矢野は何やら懸命に考えを巡らすような様を見せては、少しの間、言葉を詰まらせていたが、やがて、
「持田さんの死は絞殺によると決まったのですかね?」
「ああ。そうだ。司法解剖の結果、そう決まったんだよ」
と、小早川は言っては、小さく肯いた。
すると、矢野は、
「そう結論付けた医者は、藪医者ではないですかね?」
と、不貞腐れたような笑みを浮かべた。すると、小早川は眉を顰め、
「それ、どういうことだ?」
と、いかにも納得が出来ないように言った。
すると、矢野は、
「少し、考えさせてください」
「考える? どれ位の時間だ?」
「そうですねぇ。二、三日で構わないですよ」
と言っては、矢野は殊勝な表情で言っては、小さく肯いた。
「二、三日か……。いやに長いじゃないか。その間に逃げるつもりなんじゃないのかい?」
と、小早川はその手に乗って堪るものかと言わんばかりに言った。
「逃げやしませんよ。誓ってもいいですよ」
と、矢野は毅然とした表情で言った。
その矢野の口調と様を眼にして、小早川は矢野の言い分を聞いてやってもいいと思った。
とはいうものの、
「しかし、一体何を考えるというんだい?」
と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「それは、今は言えません。でも、二、三日、考える時間が欲しいのですよ」
そう矢野に言われ、小早川は迷った。小早川は嘗て今の矢野のように言った容疑者の言い分を信じたばかりに、証拠隠滅をされてしまい、捜査解決を長引かせてしまった苦い経験があったのである。
とはいうものの、今の時点では、まだ矢野を逮捕し、身柄を拘束することは無理というものだ。状況証拠では確かに矢野は田代と共に怪しいのだが、裁判では矢野を持田殺しで有罪には持ち込めないであろう。
それ故、今回は矢野の言葉を信じてみようと思った。
それで、
「分かったよ。矢野さんの言葉を信じてみるよ。でも、二、三日したら、我々と会って話をしてくれるんだね」
「約束しますよ」
ということになり、三日後の午後三時に、矢野が札幌中央署に来ることが決まった。