6 意外な告白

 矢野は確かに約束の時間に、札幌中央署にやって来た。そして、小早川の顔を眼にすると、矢野は軽く頭を下げた。
 そんな矢野を眼にして、小早川は今日は大いに事件解決に近付けると思った。
 それはともかく、小早川は村木刑事と共に、取調室でテーブルを挟んで矢野、田代と向かい合った。
 そして、小早川は矢野と田代の顔を改めて見入ったのだが、すると、二人の表情は妙に晴々しいと感じた。ということは、二人はやはり、事件の真相を何もかも、話す気になっているのか?
 それはともかく、小早川は、
「で、考えは、もうまとまったのかい?」
 と、穏やかな表情と口調で言った。
 すると、矢野は無言で小さく肯いた。
 そんな矢野を見て、小早川も小さく肯き、そして、
「じゃ、矢野さんの話を聞かせてもらおうか」
 そう小早川が言うと、矢野は真剣な表情を浮かべては、
「刑事さんの話は、半分は当ってるが、半分はは間違ってるのですよ」
 と、妙に落ち着いた口調で言った。
 そう矢野に言われ、小早川も村木刑事も怪訝そうな表情を浮かべた。矢野の言ったことが、よく分からなかったからだ。
 それで、小早川は怪訝そうな表情を浮かべては、
「それ、どういう意味なんだ?」
 と、矢野と田代の顔を交互に見やっては言った。
 すると、矢野と田代は顔を見合わせ、そして、矢野が意を決したかのような表情を浮かべては、
「俺たちが持田さんのお金を手にしたというのは正しいのですが、持田さんを殺してはいませんよ。それに、俺たちは持田さんのお金を強奪はしてませんよ。貰ったのですよ」
 と、妙に落ち着いた口調で言った。
「よく分からないな。詳しく説明してくれないかな」
 と、小早川は怪訝そうな表情のまま言った。
「つまり、持田さんは自殺したのですよ。俺たちは、そんな持田さんの手助けをしたのですよ。その謝礼として、俺と田代は、五百万ずつ受け取ったんですよ。そうだよな」
 と、矢野は田代を見やっては言った。
 すると、田代は、
「ああ。そうさ。これが事件の真相なんですよ!」
 と、まるで小早川に訴えるかのように言った。
 それを聞いて、小早川は、
「フッフッフッ……」
 と、さもおかしそうに笑い始めた。そんな小早川は、いかにもおかしくて堪らないかのようであった。
 そんな小早川を眼にして、矢野は、
「何がおかしいんですか」
 と、渋面顔で言った。
「何がおかしいかって、矢野さんたちがあまりにも面白いこと言うから、ついおかしくなってしまったのさ。笑いを堪え切れなくなってしまったのさ」
 と、小早川は再びさもおかしそうに笑った。
 すると、矢野は、
「俺たちは刑事さんに俺たちの話をあっさりと信じてもらえるとは思ってないですよ。でも、これが真相なんですよ!」
 と、力強い口調で言った。
 そんな矢野の表情と口調が、甚だ真剣味のあるものだったので、小早川は、
「じゃ、矢野さんの話を詳しく聞かせて貰おうか」
 そう小早川が言うと、矢野は待ってましたと言わんばかりに、
「つまり、あの日、十月十二日の夜、持田さんは確かにうちの客引きによって、うちの店にやって来たのですよ。
 で、客引きによって連れて来られた客は、入店料とサービス料併せて十万というのが、うちの店の料金なんですよ。もっとも、入店料は一万円で、サービス料は二万ということになっています。入店料とサービス料があまり高いと、その時点で客に逃げられてしまいますからね。
 で、持田さんは個室でのお遊びが終わった後、俺が残金、つまり、更に七万払わせようとしたのですよ。殆どの客は、その時点で約束が違うとか言って、不満を述べるのですよ。その七万のことは、元々客には説明してなかったですからね。まあ、この辺のことを詳しく話すのは勘弁してもらいたいのですが、で、持田さんはそんな俺に対して文句を言うどころか、『実は話があるんですよ』と、いかにも真剣な表情と口調で言ったのですよ。
 俺は金がないから、勘弁してくださいと、泣き言を言われると思っていました。大抵の客はそのように言いますからね。でも、そんな客の言い分を聞いていれば、俺は店長にどやされてしまうので、俺はそんな持田さんに応じるつもりはありませんでした。
 それで、
『一円も負けないよ』
 と、ドスの利いた声で言いました。すると、持田さんは、
『分かってますよ』
 と言ったので、俺はとにかく次の持田さんの言葉を待ちました。
 で、その遣り取りは、廊下で行なっていたので、それが嫌だったのか、持田さんは個室で話をしようと言ったので、俺はとにかく田代と共に、持田さんを女の子がサービスする個室へと連れて行ったんです。そして、俺は、
『話って、どんな話かな』
 と、再びドスの利いた声で言いました。ここで、穏やかな様をみせると、俺は嘗められると思ったんです。
 すると、持田さんはこの時、何と、
『僕を殺して欲しいんだ』
 と言っては、頭を下げたんですよ。
 これには、俺も田代もびっくりしてしまいました。このようなことを言った客は初めてだったし、また、聞いたこともなかったからです。
 それで、俺と田代は啞然とした表情を浮かべては、言葉を詰まらせてしまったのですが、そんな俺と田代に、持田さんは再び、
『僕を殺して欲しいのですよ。お願いですから』
 と言っては、頭を下げたのですよ。
 だが、俺と田代は言葉を発することは出来なかった。というのは、何という言葉を返していいのか、分からなかったからですよ。
 すると、持田さんは、
『勿論、只とは言いません。謝礼はします。ここにお金があります。千万ですが、これが僕の全財産なので、千万で勘弁してください』
 と言っては、持田さんの傍らにあった黒い大きな鞄を開け、札束を俺たちに見せたのですよ。
 その札束を眼にして、確かに千万はありそうだと思いました。
 とはいうものの、俺はどうすればよいか、分からなかったのですよ。確かに、ぼったくりはやってることはやってるのですが、人殺しなんで、やりたいとは思ったことはなかったからですよ。 
 それで、言葉を発することが出来なかったんだが、すると、持田さんは更に話を始めたんだ。
『僕は駄目な人間なんですよ。陰気で人付き合いが悪い為か、リストラに遭ってしまい、失業してしまいました。妻からは毎日のように詰られ、再就職先も決まらず、もう生きる希望を喪失してしまったんですよ。それで、自殺しようとしたんですが、自殺する勇気がないのですよ。自動車や電車に飛び込んだり、断崖から身を投げることなんて、到底出来ません。また、首を吊る勇気もないのですよ。でも、僕は何としてでも、死にたいのですよ。
 そこで思いついたのが、あなたたちの存在なんですよ。
 あなたたちのように、風俗店で働いてるボーイさんたちは、やくざもいるということを聞いたことがあります。それ故、やくざなら、平気で人を殺せるのではないかと、僕は思ったのですよ。それで、僕はこうして、すすきののソープにやって来たというわけですよ。
 で、すすきののソープを選んだのは、実は僕は大学が札幌なんですよ。札幌は僕の思い出の地なんですよ。それで、札幌で死にたいというわけなんですよ』
 と、持田さんはいかにも真剣な表情と口調で言ったのですよ。
 そう言われ、俺と田代は依然として言葉を発することは出来なかった。今の持田さんの話が、あまりにも衝撃的で、予想だにしないものだったからですよ。
 それで、まだしばらくの間、言葉を発っすることが出来なかったのですが、すると、その時、俺の脳裏にはとんでもない思いが込み上げて来ました。
 それは、俺はその時、サラ金に四百万もの借金があり、その返済に四苦八苦していたのですよ。このまま行けば、夜逃げしなければならないんじゃないかと思っていた位なんですよ。
 それ故、俺は何とかならないかと、いつも思っていたんだが、そんな折に持田さんの話が、舞い込んだんですよ。つまり、眼前にある持田さんの金が入れば、俺は生き返るというわけですよ。
 だが、人殺しは嫌だ。しかし、こんなうまい話が入るのは、もう二度とないとも思ったんですよ。
 それ故、俺はまるで柄にもなく、頭を働かせてどうしようかと迷ったんですが、すると、田代が、
『こんなチャンスは滅多にないですよ』
 と、俺に耳打ちしたんですよ。
 無論、俺もそう思っていたんですが、言葉を発さないでいると、田代が、
『兄貴、迷うことはないですよ。このお客さんの望み通り、お客さんに死んでもらい、一千万いただきましょうよ。ただし、俺たちが殺すのではなく、お客さん自らの手で死んでもらえばいいじゃないですか』
『しかし、お客さんが自らの手で死ねないから、俺たちに頼んでるんだぜ』
 と、俺は田代に反論しました。
『ですから、睡眠薬ですよ。お客さんに睡眠薬を飲んでもらい、眠ってる内に、お客さん自らで死んでもらうようにするのですよ。で、その方法は俺が考えましたよ』
 と田代は言っては、そのやり方を僕に説明したのですよ。
そのやり方というのは、つまり、睡眠薬を飲んだ持田さんの首にロープをぐるぐる巻きにし、そのロープを巧みに天井に引っ掛けるのです。更に、持田さんの足の下には、ぶ厚い氷を置いておきます。そして、氷はいずれ溶けますから、持田さんは程なく宙ぶらりんとなるわけです。そうなると、持田さんは自らの体重で首を絞めることになってしまい、死んでしまうというわけですよ。
 このやり方を持田さんに説明すると、持田さんは感心したように、
『こんな死に方もあったのか』
 と、さも感心したように言いました。
 そして、持田さんは田代が考え出した死に方で死ぬことを同意しました。そして、その通りに死んだというわけですよ。
 で、持田さんの遺体を豊平川の河原に遺棄したのは、持田さんが持田さんの遺体を発見されるような場所に遺棄してくれと言ったので、そうしたまでなんですよ」
 と、力強い口調で言った。そして、晴々とした表情を浮かべた。そんな矢野は、まるで今まで胸の中に痞えていた悩みを一気に吐き出したかのようであった。
 その思い掛けない矢野の告白に、小早川も村木刑事も呆気に取られたような表情を浮かべては、言葉を詰まらせていたが、やがて、小早川は、
「今の話に嘘はないのかい?」
 と、半信半疑の表情で言った。
 すると、矢野は、
「ええ。何ら嘘はありません!」
 と、いかにも真剣な表情を浮かべては、甲高い声で言った。
 すると、小早川は少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
「今、思い出したんだが、持田さんの遺体は司法解剖されたんだが、持田さんは睡眠薬を飲んでいたという報告は受けていないんだけどな」
 と、些か皮肉な眼差しを矢野に投げた。そんな小早川は、今の矢野の告白を疑ってるかのようであった。
 小早川にそう言われても、矢野は何ら狼狽した様は見せなかった。そんな矢野は、
「実はですね。持田さんが息絶えた時は、持田さんは眠ってなかったんですよ。目覚めてたんですよ」
 と、小早川を見やっては言った。
「眠ってなかった?」
「そうです。眠ってなかったのですよ。睡眠薬を飲む量が少なかったのと、氷がなかなか解けなかったことなどから、計算が狂ってしまったのですよ。
 つまり、睡眠薬の利き目が切れた頃、持田さんは目覚めてしまい、そして、その頃、持田さんは宙ぶらりんになってしまったのですよ。
 しかし、そんな持田さんは、俺と田代にどうにかしてくれとは言いませんでした。何しろ、持田さんは死を覚悟していた人ですからね。
 で、持田さんは『助けてくれ!』なんて、まるで言いませんでした。それどころか、持田さんの死に手助けをした俺たちに、礼を言いたげだったのですよ。そうだな、田代!」
 と、矢野は田代を見やった。
 すると、田代は、
「ああ」
 と言っては、大きく肯いた。
 そう矢野と田代に言われ、小早川はその矢野と田代の話を信じていいのかどうか、迷った。今の話で矢野と田代を死体遺棄の疑いで逮捕出来るが、殺人の疑いでは逮捕出来ないであろう。それ故、矢野と田代の殺人罪から逃れる為の言い訳と思えないこともないからだ。何しろ、殺人と死体遺棄では、まるで罪の重さは違うからだ。
 それで、小早川が迷ってると、村木刑事が、
「警部。首にロープをぐるぐる巻きにして首を吊った場合と、絞殺の場合とでは、区別がつかないのですかね?」
 と、眉を顰めて言った。
「そりゃ、ぐるぐる巻きになっていれば、つかないこともあるだろう」
と、小早川はいかにも決まり悪そうに言った。検死官の話によると、持田の死は絞殺によるものという結果だった。それ故、もし、今の矢野の話が事実なら、持田の首にはよほどロープでぐるぐる巻きにされたのであろう。
 それ故、その点を矢野に確認してみたところ、矢野は、
「確かにそうです」
 と、渋面顔で言った。
 そう矢野に言われても、やはり、矢野の言葉をあっさりと信じるわけにはいかなかった。
 それで、小早川はかなり険しい表情を浮かべてると、そんな小早川に矢野は、
「刑事さん。俺たちは嘘は言ってませんよ。これが、事件の真相なんですよ。
 そりゃ、俺と田代は金に眼が眩み、持田さんの死の真相を闇に葬ろうとしたことには反省してますが、しかし、持田さんに関しては悪いことをしたとは思ってはいませんよ。何しろ、俺たちは持田さんに頼まれたことを成し遂げただけなのですから」 
 と、矢野は開き直ったような表情を浮かべては言った。
 矢野の説明に、小早川も村木刑事もすぐには言葉を発そうとはしなかったが、やがて小早川は、
「君たちの話を信じるかどうかは、もう少し検討してから結論を出すよ。
 で、それはそれとして、持田さんの遺体を豊平川の河原に遺棄したことは認めるんだな」
 と言うと、矢野と田代は小早川から眼を逸らせては、何も言おうとはしなかった。それを矢野と田代は既に認めてはいるが、逮捕が目の当たりになると、やはり、抵抗を感じてるかのようであった。
 とはいうものの、やがて、二人は小さく肯いた。 
 それによって、矢野と田代は、持田の死体遺棄の疑いで逮捕されたのである。

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