7 ある女性の意外な証言

 矢野と田代の身柄を拘束すると、村木刑事は、
「矢野と田代が証言したことが、事件の真相なんですかね?」
 と、眉を顰めては言った。
「それは、何とも言えないな。矢野たちは、矢野たちの罪を軽くする為に、作り話を話したのかもしれないからな。殺人と死体遺棄では、罪の重さが全然違うからな。だから、矢野たちの証言をあっさりと信じるのは危険だよ」
 と小早川は言っては、眼を鋭く光らせた。
「では、どうやって、矢野たちの証言の真偽を確かめるのですかね?」
「そりゃ、まず持田さんの家族や友人たちから、持田さんが自殺するような人間なのかどうか、確認してみよう。その捜査を早速行なってみよう」
 ということになり、小早川はまず持田明美に電話して、矢野と田代の証言を話してみた。
 小早川の話にじっと耳を傾けていた明美は、小早川の話が一通り終わると、
―私は主人は絶対に自殺しないとは断言は出来ませんね。以前も話したように、主人は気が弱くて大人しい人間でしたからね。
 で、岡本さんにも言ったように、そんな主人を私は常日頃から詰っていました。
 そんな私に主人は反発することなく、じっと絶えていました。今、思えば、主人に随分と申し訳ないことを私はやったと思ってるのですよ。
 ですから、主人は自殺した可能性はあると思います。
 もっとも、小早川さんが言ったように、その矢野と田代という男が、主人を殺したにもかかわらず、それを隠す為に、主人の自殺という作り話を話したのかもしれませんね。それ故、どちらか分からないのですよ。
 と、渋面顔で言った。
 明美の証言はそのような具合であったが、小早川は今度は持田の友人であった者に聞き込みを行ない、持田が自殺しそうな人間であったかどうか、確認してみた。
 すると、少なからず、持田は自殺してもおかしくないような人間であったという証言を受けた。
 それを受けて、村木刑事は、
「やはり、持田さんの死は、自殺ですかね」
 と、渋面顔で言った。村木としては、あの人相があまり良くなく、平気で他人を騙しそうな感じの矢野と田代の証言が当っていることを信じることには、やはり、少なからずの抵抗を感じたのである。
 村木刑事にそう言われ、小早川は,
「その可能性がどうやら高くなって来たな。持田さんの奥さんと友人たちが、持田さんは自殺してもおかしくない人間だったと証言すれば、その証言は無視出来ないよ」
 と、渋面顔で言った。
「でも、自殺したとしても、何故今まで何の面識もなかったすきののソープのボーイに手助けを頼んだのでしょうかね? その辺がやはり、引っ掛かりますね。それに、金を払って殺してくれと、頼むでしょうかね?」
 と、村木刑事は怪訝そうな表情を浮かべては言った。
 村木刑事にそう言われ、小早川は渋面顔を浮かべたまま、言葉を詰まらせた。
 だが、やがて、
「状況証拠からすると、矢野たちの証言は正しいという見方も出来ないわけではないが、確証がないからな。そんな状況なのに、自殺と決めつけるのは、危険だよ」
 といった遣り取りを交わしてる時に、一人の中年の女性が、持田の事件の捜査本部が置かれてる札幌中央署を訪れていた。
 その女性は、受付の婦人警官に、
「豊平川の河原で絞殺体で発見された持田春雄さんの事件を捜査してる方に会いたいのですが」
 と、神妙な表情で言った。
 そう言われ、婦人警官はその女性のことを直ちに小早川に伝えた。
 それを受けて、小早川は直ちに受け付けに向かった。何しろ、今、捜査は壁にぶつかったような状況であった。それ故、女性の来訪は、正に渡り船のように感じたのである。
 その女性は四十の半ば位の年齢で、黒のブレザーと茶色っぽいスカートをはき、何となく地味な感じであった。
 それはともかく、小早川は小早川が持田の事件を担当してるという旨を話し、早速、女性を奥の室に連れて行った。そして、
「持田春雄さんの事件で、何か情報をお持ちのようで」
 と、眼を大きく見開いては言った。
 すると、その女性、即ち、黒沢咲子は頬をさっと赤くさせ、
「情報という程ではないかもしれません。警察の捜査に役に立たないかもしれません」
 と、殊勝な表情を浮かべては言った。
「構わないですから、遠慮なく話してくださいな」
 と、穏やかな表情と口調で言った。
「私は黒沢咲子という者ですが、持田さんとは、学生時代に面識があったのです」
「学生時代ですか」
 小早川は呟くように言った。
「そうです。学生時代です。持田さんが札幌の大学を卒業したことをご存知ですかね?」
「ええ。知ってますよ。F学園大ですよね」
「そうです。持田さんは東京出身なんですが、大学は札幌のF学園大なんです。で、私もF学園大出身なんですよ」
「ということは、持田さんと黒沢さんは、同級生だったのですかね?」
「そうです。で、持田さんとは、大学三年の時に知り合いました。同じ講義を受けるようになり、知り合ったのですよ」
「成程」
 と、小早川は言っては、小さく肯いた。そして、小早川は正に興味有りげな表情を浮かべていた。咲子がこれからどのような話をするか、すこぶる興味があったからである。
「で、学生時代の話は後でするとして、実は持田さんが今回、札幌に来る前に、私は持田さんから電話を受けたのですよ。
 で、電話の内容は、宝田みちるさんのご両親の連絡先を知らないかというものでした」
 と言っては、咲子は大きく息をついた。
 すると、小早川は、
「宝田みちるさんですか……」
 と、呟くように言った。
「ええ。そうです。宝田みちるさんというのは、私の友人で、持田さんや私と同じく、F学園大生であった女性です。持田さんはその宝田みちるさんのご両親の連絡先を私に問い合わせて来たのですよ」
 と言っては、咲子は小さく肯いた。
「そうですか。で、黒沢さんはそれからどうしたのですかね?」
 小早川は興味有りげに言った。
「私は、『知りません』と言いました。すると、持田さんは、『そうか……』と、意気消沈したような声で言いました」
「ちょっと待ってください。宝田さんは黒沢さんたちの友人だったのですよね。だったら、黒沢さんたちはどうして宝田さんのご両親の連絡先を知らないのですかね?」
 小早川は怪訝そうな表情で言った。
「それは、宝田みちるさんは既に故人となっています。だから、私は今は宝田家とは付き合いはありません。また、宝田家は以前住んでいた家を引っ越したのですよ。だから、知らなかったのですよ」
「成程。で、持田さんはそれからどうしたのですかね?」
「私がそう言ったら、持田さんは、『じゃ、宝田さんのご両親の引っ越し先を知ってる人のことを知らないか』と言って来たので、私は『知らないわ』と、答えました。すると、持田さんは『そう……』と言っては、電話を切ったのですよ。私が刑事さんに話そうと思ったのは、このことなんですよ」
 と咲子は言っては、小早川の顔を窺うかのように見入った。そんな咲子は、咲子が話したことが警察の役に立つかどうか、気にしてるようであった。
 咲子にそう言われ、小早川は困惑したような表情を浮かべた。今の咲子の話が捜査に役立つかどうか、分からなかったからだ。
 それで、小早川は取り敢えず、今の咲子の話の中で、小早川の疑問点を話してみることにした。
「で、持田さんは何故、黒沢さんに宝田さんのご両親の連絡先を問い合わせて来たのでしょうかね?」
 と、些か納得が出来ないように言った。
「それは、私もよく分からないのですよ」
 咲子は申し訳なさそうに言った。
 そう咲子に言われ、小早川は落胆したような表情を浮かべたが、すぐに表情を元に戻し、
「宝田みちるという女性は、持田さんにとってただの同級生というだけの間柄だったのですかね?」
 と言うと、咲子は小早川から眼を逸らせ、決まり悪そうな表情を浮かべた。
 だが、程なく険しい表情を浮かべては、
「いいえ。二人は付き合っていました。まあ、恋人関係にあったとでもいいましょうか」
「そうですか。では、宝田さんはいつ、亡くなったのですかね?」
「F学園大を卒業して二ヶ月位経った頃ですね」
「どうして、宝田さんは亡くなったのですかね?」
 と、小早川が言うと、咲子は渋面顔を浮かべては、少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
「自殺したのですよ」
「自殺ですか……。どうして、宝田さんは自殺したのですかね?」
 小早川は興味有りげに言った。
「失恋です。宝田さんは持田さんに振られたのですよ。だから、自殺したというのが、私たちの見方なんです」
 と、咲子は険しい表情で言った。
「成程。ということは、宝田さんは将来、持田さんと結婚するつもりだったのでしょうかね?」
「そのつもりだったのではないですかね。宝田さんはとても純情な女性でしてね。それ故、持田さんに裏切られ、余程ショックだったのでしょうね」
 と、咲子は渋面顔で言った。
「持田さんは結婚を前提に、宝田さんと付き合っていたのでしょうかね?」
「さあ……。その辺のことは分からないですね。その点に関して持田さんが言及したということは、聞いたことはないですからね。
 でも、持田さんは結構社交的で人あしらいがうまかったですからね。ですから、遊びのつもりで付き合っていたのではないですかね。私はそう思いますよ。
 それに対して、宝田さんは純情過ぎたのですよ。持田さんと宝田さんは、性格が対称的だったのですよ」
 と、咲子は言っては、小さく肯いた。
 そう咲子に言われ、小早川は意外に思った。持田という男は大人しくて真面目で誠実で、妻に詰られても何ら反発しないような小心な男性であったというようなことを聞いていたからだ。
 それで、小早川はそれに関して言及してみた。 
 すると、咲子は、
「その持田さんは、私が知ってる持田さんとは、別人のようですね。大学時代の持田さんは、今、刑事さんが話した持田さんとは、かなり違ってますね。私が知ってる持田さんは、女性を平気で弄ぶような男性というイメージでしたからね」
 と、眉を顰めては言った。
「となると、持田さんは大人になってから、性格が変わってしまったのでしょうかね?」
「そうかもしれないですね」
 と、咲子は渋面顔で呟くように言った。
「そうだと僕も思いますね。で、それはそれとして、今、黒沢さんが話されたことと、持田さんの死に、何か関係があると、黒沢さんは思われてるのですかね?」
 と、小早川は興味有りげに言った。
 すると、咲子は、
「よく分からないですね」
 と、決まり悪そうに言った。
 そう咲子に言われ、小早川は眉を顰めた。今の咲子に話が、果して持田の死に関係あるかどうかは、よく分からなかったからだ。即ち、小早川は咲子から持田の事件を解決出来るような証言を入手出来るのではないかと期待していたのだが、その期待はどうやら空振りに終わってしまったようだ。
「では、持田さんは宝田さんのご両親のことを、以前も問い合わせて来たのですかね?」
「いいえ。そのようなことはありません。今回が初めてです。また、私はF学園大を卒業してから、持田さんの声を聞くのも初めてだったのですよ。私は持田と電話で名乗られても、誰のことなのか、よく分からなかったのですよ」
 と、咲子は淡々とした口調で言った。
「でも、何故今になって、持田さんは宝田さんのご両親のことを問い合わせて来たのでしょうかね?」
 小早川は改めて納得が出来ないような表情を浮かべては言った。
 すると、咲子は、
「私もよく分からないのですよ」
 と、渋面顔で言った。
「推測もまるでつかないですかね?」
 すると、咲子は、
「そうですねぇ」
 と、何やら考え込むような仕草を見せたが、やがて、
「持田さんは宝田さんの両親に謝りたかったのかもしれませんね」
 と、殊勝な表情で言った。
「謝りたかった? どうして謝りたかったのですかね?」
 小早川は怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「ですから、それは先程も説明したように、宝田さんは将来、持田さんと結婚しようと決めていたのですよ。そんな宝田さんを持田さんはあっさりと振ったので、宝田さんは自殺したのですよ。持田さんが宝田さんに対してどんなことを言ったのかは知りませんが、余程宝田さんにショックをもたらすようなことを言ったのではないですかね。そうでないと、自殺はしないでしょうからね。 
 で、何故、今になって持田さんが宝田さんの両親に話があったのかは分からないですが、考えられることとしては、宝田さんを自殺させてしまったことに対する謝罪ではないですかね。それ位しか、考えられないですね」
 と、咲子は再び殊勝な表情で言った。
 それで、小早川は、
「成程」
 と言っては、小さく肯いた。咲子の言ったことは、もっともらしいと思ったからだ。
 だが、小早川は、
「しかし、何故、今になって謝ろうとしたのでしょうかね? もう、かなり前のことなのに……」
 と、些か納得が出来ないように言った。
「そのことは、私もよく分からないですね」
「では、宝田さんの両親は、宝田さんが自殺して、どれ位で転居されたのですかね?」
「確か、一年位経った頃だと思います」
「そうですか……」
 と、小早川が呟くように言った後、少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、村木刑事が、
「持田さんは死を決意して札幌に来たのかもしれませんから、死ぬ前に、宝田さんを自殺させてしまったことに対して、宝田さんの両親に一言、謝っておきたかったのではないですかね」
 と言っては、小さく肯いた。
 すると、小早川は、
「そうかもしれないな。で、黒沢さんは今の説明にどう思いますかね?」
「そうですねぇ。その可能性はあると思いますね」
 と、咲子は小さな声で言った。
「で、持田さんは札幌に一千万持って来たそうですが、その千万は宝田さんの両親に渡すつもりだったのかもしれないですね」
 と、村木刑事はその可能性は充分にあると言わんばかりに言った。
 すると、小早川は、
「確かにその可能性はありそうだな」
 と、些か満足そうに言った。捜査が一歩一歩、前進してると実感したからだ。
 だが、小早川は、
「しかし、その一千万は、宝田さんの両親に渡せなかったというわけか」
 と、渋面顔で言った。
 すると、咲子が、
「どうして、そんなことが分かるのですかね?」
 と、些か納得が出来ないように言った。
 それで、小早川は「パラパラ」での出来事を話した。
 すると、咲子は渋面顔を浮かべては、何も言おうとはしなかった。
 すると、村木刑事は、
「でも、今までの話を聞いてると、色んな矛盾を感じないわけではないですね」
 と、渋面顔で言った。
 すると、小早川は、
「何だい、その矛盾とは?」
 と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「持田さんが宝田さんの両親に一千万渡すつもりで札幌にやって来たのなら、『パラパラ』のボーイに一千万渡して、自殺の依頼は出来なくなってしまいますよ。何しろ、『パラパラ』のボーイの証言では、持田さんは彼らに一千万渡しては、殺してくださいと、殺しを依頼したわけですから」
 と、村木刑事は納得が出来ないような表情を浮かべては言った。
 そう村木刑事に言われ、小早川は眉を顰めた。確かに村木刑事の言ったことは、もっともなことだったからだ。
 それで、小早川は、
「確かにその通りだ」
 と言っては、小さく肯いた。
「そうですよね。それ故、『パラパラ』のボーイの証言が正しければ、持田さんは宝田さんの両親に一千万渡すつもりはなく、死ぬ前に一言謝っておこうとしただけなのかもしれませんね」
 と、村木刑事は渋面顔で言った。
 村木刑事にそう言われ、小早川は確かにその可能性はあると思った。それで、咲子に、
「黒沢さんは、どう思いますかね?」
 すると、咲子は、
「何とも言えませんね」
 と、渋面顔で言った。
だが、すぐに、
「宝田さんの両親に訊いてみてはどうですかね? 私は宝田さんの両親の連絡先は分からなかったのですが、持田さんは連絡を取れたかもしれませんからね」
「成程。で、黒沢さんは、宝田さんの両親が、どの辺りに住んでるのか、まるで見当がつかないのですかね?」
 と、小早川。
「見当はつかないのですが、警察なら探し出せると思いますよ。何故なら、宝田さんの父親は、中学校の先生をしてましたから。中学校で、美術の先生をしてたのですよ。それ故、その線から捜査すれば、探し出せると思いますね」
 と、咲子は言っては、小さく肯いた。
 その咲子の言葉を耳にし、小早川と村木刑事の表情はさっと蒼褪めた。
 というのは、宝田という姓を耳にし、中島公園で似顔絵を描いていた宝田という老人のことを思い浮かばなかったわけではないのだが、しかし、まさか、その宝田が、今、話題になっている宝田みちるの父親だとまでは思いはしなかったのだ。だが、しかし、その宝田が中学校で美術の先生をやっていたとなれば、その宝田が中島公園で似顔絵を描いていた宝田だと思うのは、至極当然のことであろう。
 それで、小早川は咲子に、
「では、みちるさんのお父さんは、中島公園で似顔絵を描いてはいませんかね?」
 と、眼を大きく見開き、輝かせては言った。
 すると、咲子は、
「そう言えば、そんなこともあったかもしれませんね。というのは、私の友人が、中島公園で、みちるのお父さんらしき人が、似顔絵描きをやってるみたいだよと、言ってましたからね」
 そう咲子に言われ、小早川は満足そうに肯き、そして、
「では、宝田さんのお父さんは、持田さんのことを恨んだりはしてませんでしたか?」
 と、興味有りげに言った。
 すると、咲子は、
「そりゃ、恨んでいたでしょう。私たちにも、『みちるは持田に殺されたんだ』と言ったことがありますからね」
 と、神妙な表情を浮かべては言った。
 そう咲子に言われ、小早川は眉を顰めた。俄かに宝田犯人説が、再浮上して来たからだ。
 宝田は一人娘のみちるを弄び、死に至らしめた持田のことをずっと恨み続けていたに違いない。そして、そんな持田と二十何年振りかに再会したとしたら……。
 その時、宝田の胸中に、持田憎しの思いが怒涛のように押しかけて来たとしたら……。
 その可能性は充分にあるだろう。
 だが、しかし、小早川はその先のことが読めなかった。いくら、持田憎しの思いが込み上げて来たとしても、持田はあっさりと宝田に絞殺されはしないだろう。それに、宝田は警察に持田の似顔絵を見せては、警察の捜査に協力した人間なのだ。
 それ故、宝田が果して、持田の死に関係してるかどうかは、今の時点では結論付けることは出来なかった。それ故、もう一度、宝田に会って、宝田から話を聞いてみることにした。

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