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川沿いの道に入ったかと思うと、バスは少し速度を落とした。上り坂となったのだ。
窓越しに見える川は、所々に岩床が顔を覗かせ、清流が勢いよく流れている。
川を隔てて向こう岸は、鬱蒼とした森林が広がり、随分と奥に入って来たものだと雄一郎は思った。
この道を後少し上ると、やがて、終点に着く筈だ。
雄一郎は、この時、ザッグの中をもう一度、確かめてみた。
もっとも、今更、このようなことをやってみても、意味がない。たとえ、忘れ物をしたとしても、それを買うことの出来る店は、この先には無いのだから。
それ故、そうしたのは、雄一郎の慎重な性格の所為だろうか? あるいは、緊張を解きほぐす為だろうか?
それはともかく、ザッグの中身を点検し終わった雄一郎は、ほっと一息ついた。忘れ物はなかったからだ。
もっとも、ザッグの中身は、所詮、大した物は入っていなかった。弁当、水筒、タオル、着替え下着、雨具、地図、コンパス、それに、僅かばかりのビスケット位なものだったのだから。
しかし、それで十分と思われた。というのは、雄一郎がこれから上ろうとしてるS岳は、標高千メートルにも満たない山で、高等学校の山岳部でも訪れる登山者たちから見れば、初級コースの山なのだから。
そして、登山口からは、せいぜい一時間半もあれば、頂上に着くと記されていたのだ。
それ故、山登りなど、今まで殆ど縁の無かった雄一郎でさえも、単独で登頂しようとしたことに、何ら躊躇いはなかったというわけだ。
雄一郎は実のところ、高校時代に少しの間であるが、山岳部に属していたことがある。
その時に、S岳の隣のK岳に登ったことがあった。
五人程のメンバーと登ったのだが、このS岳とK岳は、辺りの山と総称して、×××五山と呼ばれていた。そして、この五山を全て登頂すれば、辺りでは少しばかりの自慢話になるとのことだ。
もっとも、雄一郎はこの五山を登頂し、自慢したいからS岳に登ろうとしたわけではなかった。
登山者たちに、「あなたは、何故山に登るのですか?」と訊けば、「山がそこにあるからだ」とか、「山を征服したという満足感が堪らないんだ」とか、「頂上で飲むビールが美味いからだ」といった答が帰って来るかもしれない。
しかし、雄一郎の場合は、そのどれもが当て嵌まらなかった。
では、何故雄一郎はS岳に登ろうとしたのであろうか?
「それは、難しい質問だ」
雄一郎にその質問を投げれば、雄一郎はそう答えたであろう。
学生時代以来の山登りを決意した雄一郎の心中には、実のところ、複雑な思いが蠢いていた。
雄一郎は自らの将来を占いたかった。だから、山に登ろうと決意したのだ。
雄一郎はどうすればよいのか? 右に進めばよいのか? 左に進めばよいのか?
それを見極める為に山に登ってみよう。
そう雄一郎は、考えたのである。
会社勤めをやり始めて八年が経過した。
多くの者は、仕事に慣れ、未来に希望を膨らませているかもしれない。
しかし、雄一郎の場合は、違っていた。
雄一郎はとにかく疲れていた。
会社という組織は、雄一郎たちに組織の歯車になることを強要し、自分勝手なことを許さない。そんなことは当り前かもしれない。
しかし、根からの性質の為か、雄一郎にはそういった生活サイクルが合わなかったようだ。
そんな雄一郎に、社内の評価は良くなかった。その為か、同期入社の中では、雄一郎が最も昇進してなかった。
だが、雄一郎がそのようなことよりも、もっと気にしていたのは、雄一郎は本質的に仕事を好きになれなかったのだ。
そりゃ、仕事を好きでやってるわけはないさと、この世のサラリーマンたちは笑って言うかもしれない。雄一郎の同僚の中には、
「仕事が好きなわけがないだろ。俺だって毎日、遊んで暮らしたいさ。金の為に働いてるのさ。そんなこと、当り前だろ」
と言った者がいた。
しかし、雄一郎が見れば、その同僚は仕事を好きでやってるように見えたのだった。上司への対応とか、お客さんへの対応を見てると、そのように思えてしまうのだ。それ故、言ってることと、行動が全然違うじゃないかと、思ってしまうのだ。
そのよう思ってしまうというのも、思慮深い雄一郎の性質によるものかもしれないが、とにかく、雄一郎は疲れてしまったのだ。会社という組織や上司、同僚、そして、仕事に対しても。雄一郎はもっと別の仕事をした方がよいのではないのか?
そう雄一郎は悩んでいた。それ故、その答を見出す為に山に登ろうとしたのだ。
もっとも、山に登ったからといって、山が答を出してくれるわけはない。山は、人間ではないのだから。
だが、雄一郎は山に登れば、山はきっと雄一郎の疑問に答えてくれると思っていた。
それは、山に登って、雄一郎がどういった気持になるかだ。その気持ちが、雄一郎の疑問に対する答というわけだ。それ故、雄一郎はその気持ちに賭けたのである!