1 貧乏学生
「何をしてるんだ? まだ、出来ないのか?」
と、古びたTVを見ながら、声高に言ったのは、田中征二(20)であった。そして、征二にそう言われたのは、中田勇二(20)であった。
征二と勇二は、東京都内にあるS大の二年生で、征二は四国の高松出身。勇二は、四国の高知出身であった。
二人はS大で同級生となり、また、それぞれ四国出身ということで、忽ち仲良くなった。
そして、二年生となり、五月のゴールデンウィークを過ぎた頃、二人はS大の最寄りの駅から二駅目の徒歩十分位の所にある「宝来荘」というアパートで同居を始めるようになった。
征二と勇二が同居を始めたのは、家賃の節約の為であった。何しろ、二人は仕送りが殆どない貧乏学生であった。それ故、アルバイトで生活費を稼がなければならなかったのだ。
そんな二人であったから、節約出来るものは節約しなければならない。そして、そのターゲットとして真っ先になったのが、下宿先のアパートの家賃であったのだ。
即ち、どんな襤褸アパートでもいいから、家賃の安いアパートに住む。二人は最初はそれを実践していたのだ。征二は「朝日荘」、勇二は「外山荘」という襤褸アパートに住んでいたのだ。
とはいうものの、やはり、家賃の安いアパートというものには、碌なものがなかった。二人は当初、家賃二万五千円の四畳半一間のアパートで暮らしていたのだが、四畳半一間で暮らすことは、やはり、きつい。エアコンは無論なく、夏と冬の居心地の悪さは、住んだ者でなければ、分からない。
更に、そのアパートはとても古かった為に、台風の時には、雨漏りも経験した。
いくら貧乏学生といえども、新宿や渋谷の繁華街を闊歩した後、彼らの塒である四畳半一間の襤褸アパートに戻って来た時に感じるやるせなさは、甚だ甚大なものであった。
そんな征二と勇二の夢は、もっと良いアパートに住みたいであった。
そして、二人は仲良くなるにつれて、二人は同じような襤褸アパートに住んでいることが分かったのである。
それはともかく、征二と勇二が同居して住むようになった「宝来荘」というアパートは、家賃は五万円で、四畳半が二部屋と、三畳程の板間のキッチンがある2DKで、筑後三十五年の木造モルタルのアパートであった。
これでも、以前住んでいた「朝日荘」や「外山荘」と比べれば、相当によいアパートであった。二人は夢を叶えたとはいえないが、二人で家賃を出し合った結果、以前よりはかなりましなアパートに入居出来たのである。そして、その四畳半の二つの部屋が、征二と勇二それぞれの部屋となったのである。
そして、月日は経過し、九月も後少しで終わろうとしていた。
因みに、一年生の時は、二人は夏休みは帰省していた。本来ならアルバイトの為に、夏休も東京にいたかったのだが、アルバイトを終えてから、四畳半一間で夏の夜を過ごすというのは、いくら現代っ子である征二と勇二といえども、我慢出来なかった。それ故、一年生の時は、やむを得ず、故郷で過ごすしかなかったのだ。
しかし、二年生の時は、そうではなかった。
二人は五月から「宝来荘」に転居したのだが、「宝来荘」は2DKだったので、今までの四畳半一間のアパートと比べて格段に過ごし易くなったのだ。
それ故、二年生の夏休みは帰省せずに、アルバイトをしながら過ごしたのだ。
因みに、二人のアルバイトは、運送屋の手伝いであった。
それはともかく、征二に「まだ出来ないのか?」と声高に言われた勇二は、今、何をしてるのかというと、それは晩飯作りであった。
勇二は三畳の薄汚れたキッチンで、野菜と肉をフライパンで炒めていたのだが、二人の晩飯はいつも自炊であった。何しろ外食をすると、金が掛かるからだ。それ故、晩飯が自炊というのは、貧乏学生の征二と勇二にとってみれば、至極当然のことであったのだ。
そして、晩飯作りは、征二と勇二が一週間ごとに交代で行なっていたのである。
そして、今夜は勇二の番であったのだ。
そして、腹をすかせていた征二は、勇二に晩飯はまだかと、催促したのである。
そんな征二は、テーブルの上に置いてあったチューインガムを口の中に入れては、少しむしゃむしゃと噛んでは、やがて、「プーッ」と、風船を膨らませた。すると、程なく風船は「パーン!」という音を立てて割れた。
征二は腹が減って仕方なかったので、ついチューインガムを口の中に入れてしまったのである。
それはともかく、二人が同居している「宝来荘」には、征二と勇二と同じS大生も、五、六人程住んでいた。
その後、六人の中に、小楽崎熊男という男がいて、小楽崎も征二や勇二と同じく二年生であった。
だが、小楽崎は征二や勇二とは違って、一人で「宝来荘」に住んでいて、また、小楽崎の出身は、鳥取砂丘で有名な鳥取県であった。
また、征二と勇二の部屋が一階の105号室であるのに対して、小楽崎の部屋は、二階の205号室であった。
更に、征二と勇二は、経済学部であったのに対して、小楽崎は理工学部であった。
そういった違いはあったものの、同じS大の二年生同士ともなれば、征二と勇二はいつの間にか、小楽崎と親しい間柄となった。
そして、九月も終わりになった頃、征二と勇二は小楽崎の部屋を訪れる機会を持つことになった。
小楽崎の部屋の中に入っても、征二と勇二は、特に新鮮なものは感じなかった。
しかし、それは当然だろう。征二と勇二の部屋の間取りと小楽崎の部屋の間取りは同じなのだから。
とはいうものの、小楽崎は2DKの部屋に一人で住んでいるのだから、征二と勇二の部屋よりも幾分か広く感じられた。
だが、小楽崎の部屋の家具なんかは、征二と勇二のものと同様に、古びた質素なものであった。それで、征二と勇二は、小楽崎に一層親近感を抱いた。
三人は、最初の内は、他愛ない会話を交わしていたのだが、やがて、小楽崎が、
「面白いものを見せてやろうか」
と言っては、にやっとした。その年齢にしては、皺の多い老け顔の小楽崎の顔が一層老けて見えたので、征二と勇二は、その小楽崎の言葉に一層興味をそそられた。
それで、征二は、
「それ、どんなものだい?」
と、いかにも興味有りげな表情を浮かべては言った。
そう征二に言われると、小楽崎はにやにやしながら、
「こっちに来てくれないか」
と言っては、今、三人がいる四畳半の畳の部屋とは違うもう一つの四畳半の部屋に征二と勇二を連れて行っては、押入れを開け、そして、小楽崎はその押入れの中に入って行った。
そんな小楽崎は、
「ちょっと来てくれよ」
と、征二と勇二を押入れの中に招じ入れた。
それで、征二と勇二は、とにかく小楽崎のように身体を押入れの中に持って行った。しかし、全身は入らなかったので、上半身だけであったのだが。
小楽崎は征二と勇二が上半身を押入れの中に入れたのを眼にすると、小楽崎は些か笑みを浮かべては、天井の板を押した。
すると、その部分の天井板は難なく上に押し上げられ、小楽崎はその板を天井裏の別の部分に置くと、上半身を天井裏に持って行っては、程なく上半身を押入れの中に戻し、そして、押し入れから四畳半の畳の部屋に飛び降りた。
そんな小楽崎は、小さな檻のようなものを手にしていた。
そして、その檻の中には、黒い小さな生き物が動き回っていた。
それを見て、小楽崎は、
「一丁上がり!」
と言っては、いかにも機嫌良さそうににやにやした。
征二と勇二は、その檻の中に入ってる小さな黒い生き物は何なのかと、好奇心を露にした表情を浮かべたことには浮かべたのだが、その時間は僅かなものであった。何故なら、それはネズミであること位、すぐに分かったからだ。
即ち、その小さな檻のようなものは、ネズミ捕り器であったというわけだ。
とはいうものの、正に思ってもみなかった小楽崎の行為に、征二と勇二は、?然とした表情を浮かべては、言葉を発することが出来なかった。
そんな征二と勇二を見て、小楽崎は一層にやにやした。そんな小楽崎は、小楽崎の様を見て、?然としてる征二と勇二を見て、愉しんでるかのようであった。
そんな小楽崎に、勇二が、
「ネズミ捕り器を仕掛けるんだったら、何故毒団子を入れておかなかったんだい?」
と、眉を顰めては言った。
勇二の言ったことは、もっともなことであった。ネズミ捕り器を仕掛ける場合は、通常毒団子なんかを入れ、ネズミはそれを食べて死ぬようになってるからだ。つまり、ネズミを駆除する為に、ネズミ捕り器を仕掛けたのだ。
しかし、小楽崎が仕掛けたネズミ捕り器の中には、ネズミが元気一杯に動き回ってるのだ。
そう勇二に言われると、小楽崎はにやっとしては、
「その理由は、すぐに分かるさ」
小楽崎はそう言うと、席を外しては、やがて、征二と勇二の前に何かを手にしては、戻って来た。
そんな小楽崎が手にしてるのは、何と注射器であった。そして、その注射器の中には、水のような液体が入っていた。
小楽崎はといえば、
「この注射器の中には、何が入ってると思う?」
と、征二と勇二の顔を交互に見やっては言った。
すると、征二と勇二は、
「分からないな」
と、口を揃えては言った。実際にも、征二と勇二は、それが何なのか分からなかったのだ。
すると、小楽崎はにやっとしては再び席を外し、程なく征二と勇二の許に戻って来た。そんな小楽崎は、今度は大きなピンセットのようなものを手にしていた。
小楽崎はにやにやしながら、そのピンセットのようなものをネズミ捕り器の中に入れては、やがて、それで、ネズミを?むことに成功した。そんな小楽崎の様は、正に手慣れたものであった。
小楽崎は今度はそれを左手に持ち変え、そして、右手で持って来た注射器を手にしては、素早く左手のピンセットのようなもので?まえてるネズミに注射器を当てがうと、その水のような液体をネズミに注入することに成功した。
征二と勇二はといえば、そんな小楽崎の様の一挙手一投足を正に真剣な面持ちで見入っていた。
小楽崎は液体をネズミの体内に注入することに成功すると、
「これでよし」
と言っては、いかにも満足そうな表情を浮かべた。そして、ネズミをピンセットのようなものから放した。
すると、ネズミは再び檻の中で動き回るようになった。
そんなネズミを見て、征二と勇二は、特に変化を感じ取ることは出来なかった。
それで、勇二は、
「何も変化がないじゃないか!」
と、些か不満そうに言った。
すると、小楽崎はそんな勇二を制するかのように、
「もう少し待ってくれよ」
と、些か殊勝な表情を浮かべては言った。
それで、征二と勇二は固唾を呑んで事の成り行き見守ったのだが、すると、程なく変化が現れた。
その変化とは、注射を射たれたネズミが、何と仰向けになっては、手足をバタバタさせ始めたからだ。
そして、そういった様を見せたのは、小楽崎が注射を射ったネズミだけであり、もう一匹のネズミは特に変化は見られなかった。
だが、その仰向けになったネズミはやがて起き上がり、今度は檻の中で再び元気に動き始めた。
だが、その動作は程なく終わり、再び先程のように仰向けになっては、手足をバタバタさせ始めたのである。
そして、そのような変化を見せたのは、確かに小楽崎が注射を射ったネズミだけなのだ。
その事実を目の当たりにして、征二と勇二は、口をポカンとさせては啞然とした表情を浮かべ、言葉を発しようとはしなかった。そして、その二人の表情は、正に「どうなってるの?」と、言わんばかりであった。
そんな征二と勇二を見て、小楽崎はにやにやした。そして、
「僕がネズミ野郎に射った注射は、何だったと思う?」
と、征二と勇二を交互に見やっては言った。
すると、征二と勇二は、
「分からないな」
と、口を揃えて言った。
そんな征二と勇二を眼にして、小楽崎はにやにやしながら、
「僕がネズミ野郎に射った注射は、ネズミの頭をおかしくさせる注射なんだよ。案の定、ネズミは頭がおかしくなり、妙な動きをしただろ?」
と、さも満足げに言った。
そう小楽崎に言われると、征二と勇二は呆気に取られたような表情を浮かべては、言葉を発することが出来なかった。
そんな征二と勇二に、
「でも、この薬は市販されてるんじゃないぜ! 僕が考案した薬なのさ! その薬をネズミ野郎に使ってみて、実験をやったというわけさ!」
と小楽崎は言っては、にやっとした。そんな小楽崎は、顎に蓄えた顎鬚に手を当てては、些か満足げであった。
そんな小楽崎に、勇二は、
「つまり、小楽崎君は、自らが考案した薬の効き目を試す為に、ネズミ捕り器を仕掛けてはネズミを捕ったというわけなのかい?」
「正にその通りさ。実験用のハムスターを買えば、金が掛かってしまうからな。だから、天井裏でネズミを捕っているというわけさ」
と、小楽崎は眼を大きく開き、爛々と輝かせては言った。
すると、征二は小楽崎の顔をまじまじと見やっては、
「で、小楽崎君は、その頭をおかしくさせるという薬を、何に使おうとしてるんだい?」
と、いかにも興味有りげに言った。
すると、小楽崎も征二の顔をまじまじと見やっては、
「それは、秘密さ」
と言っては、にやにやした。
そんな小楽崎を見て、征二と勇二は、正に〈小楽崎という奴は、不気味な奴だ〉と思った。
また、征二と勇二は、経済学部である為に、化学的な知識には乏しかった。それ故、妙な薬を考案したという小楽崎のことが、一層不気味に思えたのだ。
それはともかく、その時、征二は上着のポケットからチューインガムを取り出しては、口の中に入れた。そして、風船を膨らませ、その風船は程なく「パチン!」という音を立てては割れた。
そんな征二のことを、小楽崎はにやにやしながら見入っていた。そんな小楽崎は、征二のことを面白い奴だと言わんばかりであった。
そして、小楽崎はそんな征二と勇二を交互に見やっては、
「『宝来荘』」の婆さんは、金持ちなんだってな」
「婆さんって、あの梅崎わきとかいう婆さんのことかい?」
と、征二は怪訝そうな表情を浮かべては言った。
征二は「宝来荘」を借りる時に、勇二と共に梅崎わきとかいう八十に近い位の「宝来荘」のオーナーだという婆さんと賃貸借契約を交わしたのだが、その梅崎わきのことを眼にしても、わきが金持ちとは思えなかった。わきは正に年老いた婆さんそのものであったからだ。
とはいうものの、わきが住んでいた家は、相当に立派なものであった。それ故、わきが金持ちだと言われれば、金持ちなのかもしれないとも思った。
「そうさ。その婆さんのことさ」
と、小楽崎は力強い口調で言った。そして、小さく肯いた。
すると、勇二が、
「どうして、あの婆さんが金持ちなんだい?」
と、小楽崎の顔をまじまじと見やっては、怪訝そうな表情を浮かべた。
すると、小楽崎は勇二を見やっては、
「この『宝来荘』のオーナーは、あの婆さんなんだぜ!」
「そりゃ、そうだろうが……」
勇二は決まり悪そうな顔をしては言った。勇二はそうだとは思ってはいたが、今、改めてそう小楽崎に言及されると、改めてわきが金持ちであるということが実感しそうであった。
「この『宝来荘』は、古びたアパートといえども、土地は二百坪はあるぜ。この辺りの土地の値段からすると、『宝来荘』の土地の値段だけでも、数億はありそうだぜ!」
数億という言葉を聞かされ、征二と勇二は、思わず神妙な表情を浮かべてしまった。何故なら、征二と勇二は、今までに数億もの資産を持っているお金持ちと面と向かって話した経験がなかったからだ。そして、その初めての経験が、あの梅崎わきという婆さんだったのだ。
そう思うと、征二と勇二は、何だか妙な気分に陥ってしまったのだ。
そんな征二と勇二に、小楽崎は、
「それに、婆さんは、銀行預金も相当に持っているみたいだぜ」
と、力強い口調で言った。
「一体、幾ら位持ってるんだい?」
征二は甚だ好奇心を露にしては言った。
「何でも、婆さんの夫は銀行員で、定年退職をして一年で死んでしまったそうなんだよ。更に、婆さんには子供はいないそうなんだ。
それ故、夫の退職金、更に『宝来荘』の家賃なんかは、全部、婆さんのものなんだそうだ。
だから、億を超える位の銀行預金を持ってるそうだぜ」
そう小楽崎に言われると、征二と勇二は、改めて呆気に取られたような表情を浮かべた。何故なら、あのよぼよぼで干からびた梅干しのような眼をした梅崎わきという婆さんが「宝来荘」のオーナー以外にも、億を超える銀行預金を持っている資産家には、とても見えなかったからだ。梅崎わきと資産家という組み合わせは、どうも似つかわしくないと思えたのだ。
それで、征二と勇二は、渋面顔を浮かべては、言葉を詰まらせてしまったのだが、そんな征二と勇二に、小楽崎は
「世の中、正に不条理だと思わないかい?」
と、小楽崎には似合わないようないかにも真剣な表情を浮かべては言った。
すると、征二は、
「それ、どういう意味だい?」
と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。征二は、小楽崎が言ったことの意味が分からなかったのだ。
「つまり、婆さんのように、後、先が長くない何の仕事もしていない役に立たない老いぼれが何億もの金を持ち、それに対して、将来有望で、まだまだ長く生きなければならない俺たちが、どうして金がないのかということさ。俺は、自らが実験に使うハムスターを買う金をけちらなければならない貧乏人なんだ。
こんな馬鹿馬鹿しくて、不条理なことがあっていいものか!」
と、小楽崎は正に興奮しながら言った。
すると、勇二は、
「それは、俺の台詞でもあるさ。つまり、俺も征二も、貧乏学生なんだ。それ故、やりたいことを我慢しなければならないというわけさ。それに、俺たちに金があれば、社会に役立つことが出来るというものさ!」
と、眼をギラギラと輝かせながら言った。
すると、征二が、「ぷっ!」と、吹き出した。そして、表情を綻ばせた。
そんな征二を見て、勇二は、
「何がおかしいんだ?」
と、いかにも怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「だから、勇二が何億という金を手に入れれば、毎日働かず、遊んで暮らすんじゃないのかと思ったんだよ」
と、征二はにやにやしながら言った。
すると、勇二は、
「何だと!」
と、征二に殴り掛かろうとした。
すると、小楽崎が、
「まあまあ……」
と言っては、征二と勇二の間に入った。
すると、征二が、
「まあ、そう怒るなよ。 冗談で言っただけなんだから!」
と、顔を赤らめては、苦笑しながら言った。
すると、勇二も顔を赤らめては、苦笑した。
勇二は別に征二に本気で殴り掛かろうとしたわけではないし、征二も無論、それは分かっていた。
それはともかく、三人はその後、他愛ない会話を交わしていたのだが、やがて、小楽崎は改まった表情を浮かべては、
「ところで、婆さんが宝くじ狂であることを知ってるかい?」
「宝くじ狂? それ、どういう意味だい?」
征二は、いやに真剣な表情を浮かべては言った。
「つまり、サマージャンボとか、年末ジャンボとかいった高額賞金が当たる宝くじがあるじゃないか。そういった宝くじを婆さんは、千枚も買うそうだぜ! そして、仏壇にある引出しに大切に仕舞っておくそうだぜ」
と、小楽崎はいかにも大切な話をするかのように、真剣な表情を浮かべては言った。
「千枚もか!」
と、征二は思わず甲高い声で言った。
征二や勇二とて、サマージャンボ宝くじや年末ジャンボ宝くじを買ったことはある。しかし、せいぜい十枚が限度だ。十枚とて、三千円するのだ。貧乏学生の征二と勇二にとってみれば、それが精一杯だったのだ。
「ああ。そうだ。千枚だ! そして、その千枚の宝くじを一枚一枚チェックするのが、婆さんのこの上もない楽しみだそうだぜ」
と、小楽崎はいかにも力強い口調で言った。
「千枚もの宝くじをチェックするとなると、大変なんじゃないかな」
と、勇二は眉を顰めては言った。
「そりゃ、そうだろう。しかし、愉しみなんだから、苦痛じゃないだろう」
と、小楽崎は神妙な表情を浮かべては言った。
「成程。で、年末ジャンボ宝くじの発表は、午後零時四十五分頃にTVで発表されるが、婆さんはそのTVを見て、当選番号をメモするのかな」
と、征二は眼を大きく見開き、いかにも重要な話をするかのように言った。
「それはないだろう。何しろ、婆さんは歳だからな。だから、TVを見て、番号をメモするなんてことは、出来ないんじゃないのかな」
そう小楽崎に言われると、征二は、
「成程」
と、いかにも感心したような表情を浮かべては言った。
そんな征二と勇二を見て、小楽崎は些か満足したような表情を浮かべた。そんな小楽崎は、今の小楽崎の話が、征二と勇二の興味を引いたということを確認し、満足してるかのようであった。
そんな小楽崎は、
「でも、妙な考えは、起こさないでくれよな」
と言っては、にやにやした。
「妙な考え? それ、どういうことかい?」
征二は怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「だから、婆さんのお金を盗むなんていう考えさ」
と言っては、小楽崎はにやにやした。
「馬鹿言え!」
征二は声を荒げた。しかし、そんな征二の様を見れば、征二が本気で怒ったのではないことが、容易に分かるというものだ。
そんな征二を見て、小楽崎はまたしてもにやにやした。
そんな小楽崎に勇二は、
「でも、八十に近い婆さんに、生き甲斐なんてあるのかな。いくら金があっても、宝の持ち腐れというだけじゃないのかな」
と、いかにも渋面顔を浮かべては言った。
すると、小楽崎は些か真剣な表情を浮かべては、
「正にその通りさ。宝の持ち腐れさ! もっとも、婆さんの生き甲斐は、墓参りだと聞いたこともあるよ」
「墓参り?」
勇二は眉を顰めては言った。
「ああ。そうさ。墓参りさ。二十年位前に死んだ旦那の墓が、T霊園にあるそうだ。T霊園には、婆さんの家から電車に乗って一時間程掛かるんだが、週に一度位は行ってるそうだ。それが、婆さんの生き甲斐となってるみたいだぜ」
「そういうわけか」
と、勇二は呟くように言った。
すると、征二が、
「で、婆さんは、十二月三十一日も墓参りに行くのかい?」
と、いかにも興味有りげに言った。
「そりゃ、行くんじゃないのかな。何しろ、婆さんの墓参りにとって大切な日は、十二月三十一日と一月一日なんだ。何故なら、十二月三十一日は、一年の終わりだから、今年一年も無事に終わりましたと、旦那に報告するわけだ。そして、一月一日は、今年も無事に過ごせるようにと、旦那に祈願するわけだ。だから、その両日は、墓参りに行くだろうよ」
と、いかにも自信有りげな表情と口調で言った。
すると、勇二が征二に、
「でも、何故そんなことに感心があるんだ?」
と、征二を見やっては、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
すると、征二は慌てて笑顔を浮かべては、
「特に理由なんてないさ」
そして、やがて、三人の会話は再び他愛ないものへと変わり、やがて、征二と勇二は、小楽崎の部屋を後にしたのだ。