3 誰がわきの遺産を相続するのか

 それはさておき、征二と勇二が宝くじ泥棒を行なう標的となった婆さんの姓名が、梅崎わきだということは前述した通りなのだが、そんなわきと亡き夫との間には、子供はいなかった。わきは結婚後、病を患い、子供を産めない身体となってしまったのである。
 だが、わきの亡き夫は、そんなわきと離婚しようとはせずに、また、養子を貰おうともしなかった。
 そういった状況の為に、数億を超えると言われているわきの資産をわきが死んだ後、誰が受け継ぐかは、近所の人たちの関心を集めていた。
 しかし、その者たちは、わきの内情に通じていないと言えるだろう。何故なら、わきには血の繋がったれっきとした甥が一人存在していたからだ。
 その甥は、野田澄男(48)といって、わきの妹の息子なのだが、わきにはその野田澄男一人しか甥姪はいなかった。それ故、澄男がわきの遺産を相続することは、法律的に明らかであった。
 そのことを澄男は充分に認識していた為か、澄男は既に五十に近い年齢なのだが、職についていなかった。
 もっとも、澄男は最初から職についていなかったわけではなかった。三十になる位までは、職についていたのだ。
 だが、何度も転職を繰り返している内に、澄男はどうやらサラリーマンには向いていないと自覚するようになった。
 そうかといって、一人で自立していけるだけの才覚も持ち合わせてはいなかった。
 そんな澄男が取った手段は、無業者であった。
 しかし、澄男が無業者となった時期と、わきの夫が死亡した時期は、凡そ一致していた。
 即ち、澄男はわきの金を当てにしたのではないのか?
 わきが死ねば、わきの金は澄男のものになる。そのことが分からない程、澄男は馬鹿ではない。
 それ故、何とかわきが死ぬまでは質素な暮らしで我慢し、わきが死んでから、わきの遺した遺産で贅沢三昧の暮らしを行なおうと澄男は目論んでるのかもしれない。
 もっとも、当面の生活費はわきの金を当てにするわけにはいかない。
 そんな澄男の両親は既に他界し、また、澄男の兄弟姉妹はいなかった。また、それ以外としても、澄男の父方には親類はいたのだが、澄男とは特に付き合いはなかった。
 そんな澄男の生活費は、澄男の両親が澄男に遺した僅かな現金と僅かな不動産収入であった。それらで、澄男は学生並みに細々と暮らしていたのだ。 
 しかし、賃貸ししていた澄男と澄男の両親が住んでいた一軒家もかなり老朽化が進み、その修繕費を工面するのに澄男は苦心していた。
 そんな澄男であるから、わきの金を喉から手が出る程欲しいのは、至極当然のことであった。
 それはともかく、わきの資産を受け継ぐのに相応しい人物として、後一人挙げておかなければならない人物がいた。
 それは、わきの隣に住んでいる向井勘助(63)という男であった。
 勘助はわきと同じく一人暮らしの老人であった。勘助もわきと同じく連れ合いを二十年程前に癌で先立たれてしまったのだ。それ故、勘助は一人暮らしの不便さを、わきと同様、熟知していた。
 もっとも、勘助はまだ六十三歳と、わきよりも十歳以上も年齢が若く、また、身体もわき以上にすこぶる元気であった。
 それ故、わきの隣人としては既に四十年以上付き合いのある勘助は、何かとわきの面倒を見てやってるのだ。
 それ故、わきは親しい者に、
「向井さんにはわしの遺産を遺さないと、罰が当たるわい!」
 と、話してるとのことだ。
 もっとも、勘助はわきの親類ではない。
 それ故、遺言がなければ、勘助はわきの遺産を受け取ることは出来ないであろう。
 しかし、勘助にそのような下心があってわきの世話をしているわけではない。
 しかし、勘助がわきの遺産を相続する可能性は充分に有り得るだろう。



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