4 到来した大晦日

 時間は刻一刻と経過し、後少しで今年も終わろうとしていた。
「宝来荘」で征二と勇二が同居するようになって、凡そ八ヶ月が経過しようとしていた。
 そんな征二と勇二の生活振りを詳細には記さないが、記しておかなければならないこととしては、二人が大晦日に実行することになっている計画に変化が生じたかというと、生じはしなかった。即ち、大晦日に征二と勇二は、「宝来荘」の主の婆さんの宝くじをチェックし、高額の当りくじがあれば失敬しようとする計画は、間違いなく実行されることになっていたのである。
 それ故、征二は連番で十枚、勇二はばらで十枚それぞれ既に買っていた。婆さんの宝くじに高額の当りくじがあれば、それと征二か勇二が買った十枚とすり替えるつもりだったのだ。婆さんが連番で買うのかバラで買うのか分からない為に、連番とバラを買ったという抜け目なさであった。
 そして、その大胆な計画が実行される日が刻一刻と近付いて来たのである。
 もし、この大胆な計画が実行されることがなければ、二人は間違いなくこの隙間風がひゅうひゅうと入って来る「宝来荘」の中で、金が無いという不満をぶつけ合っていたことであろう。
 しかし、今は目前に迫った婆さんの宝くじ失敬事件に神経を尖らせている為に、二人が見せている様相は、普段とはかなり違ったものであったのだ。

 そして、遂に大晦日となった。
 そして、その日は、まるで征二と勇二の新たな門出を祝ってるかのように、青空が広がっていた。また、昨日とは打って変わって、気温も二、三度高めであった。
 勇二は今日で貧乏暮らしとお去らば出来るのかと思うと、自ずから浮き浮きした気分にならざるを得なかった。
 また、征二とて、勇二と同じような気持ちであった。
 即ち、征二も勇二も、婆さんが買った宝くじの中に一億を超える高額な当りくじがあることを信じて疑わなかったのである。
 それ故、征二と勇二は、一億を手にすれば、それをどのように使うか、考えるのにそつがなかった。
 征二はまずマンションを買い、次いでBMWを買っては乗り回す。勇二は、高級クラブで豪遊し、愛人でも囲ってやるか。
 そう思ったりしていた。そして、その思いが後少しで実現するのかと思うと、征二と勇二は、胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。
 そして、時は刻一刻と過ぎ、遂に午後零時四十五分となった。遂に、宝くじの当選番号が発表される時が到来したのだ!
 征二と勇二は、TVに釘付けになっていた。何故なら、今からNHKで、宝くじの当選番号が発表されるからだ。今、出演者たちが何だかんだとくだらないようなことを喋ってるが、そんなことはどうでもよい! 早く当選番号を決めてくれ!
 征二と勇二は、そう心の中で叫んでいた。
 そして、征二と勇二は固唾を呑んで事の成り行きを見守っていたが、遂に一等、そして、二等の当選番号が発表された。征二と勇二は、無論、その番号をメモした。
 そして、まず、征二と勇二が買った宝くじが当ってなかったか、チェックした。
 しかし、当っていたのは、七等の三百円だけであった。
 しかし、そんなことは、最初から計算済みであった。
 しかし、この時、既に計画に誤算が生じてしまった。というのは、宝くじの当選番号の発表が思っていた以上に遅く、しかも、征二と勇二の宝くじをチェックしたりした為に、婆さんの家の近くに来た時は、午後一時を少し過ぎてしまったのだ。当初の計画では、午後一時までに、婆さん宅の近くに来ることになっていたからだ。
となると、婆さんは墓参りの為に、既に家を出てしまったかもしれない。
そう思うと、征二と勇二の表情はかなり青褪めたものに変貌してしまったのだが、とにかく征二は携帯電話で婆さん宅に電話をした。
 呼出音は、十回鳴った。
〈駄目か……〉
 征二の脳裏にその思いが過ぎった。十回も呼出音が鳴ったとなれば、婆さんは既に家を出てしまったという可能性が高いというものだ。
 それ故、征二の表情は随分落ち込んだものへと変貌したのだが、その時、征二の表情は突如輝いた。電話が繋がったからだ。
 そのことを、征二は勇二に顔で合図した。
 それを受けて、征二と勇二は直ちに婆さん宅の前に行き、勇二が玄関扉のノブを回してみた。
 すると、勇二の表情は、忽ち輝いた。何故なら、玄関扉の鍵は、掛かっていなかったからだ。
 この点に関して、征二と勇二は、かなり論議した。即ち、たとえ婆さんが外出前でも、玄関扉の鍵は、掛かってることも有り得るということだ。
 征二と勇二の計画では、征二が婆さんと電話をしてる間に勇二が婆さん宅の玄関扉を開けては密かに婆さん宅に忍び込み、応接間の窓際のサッシの鍵を開けては素早く外に出ては、婆さんが外出した後に、征二と勇二が素早く忍び込むことであった。
 死かし、婆さんが外出前に玄関扉の鍵が掛かっていれば、この計画は成り立たなくなってしまう。
 それ故、征二と勇二は、そのことを甚だ心配していたのだが、どうやら天は征二と勇二に味方したようだ。
 しかし、万一、玄関扉の鍵が掛かっていても、征二が電話で婆さんを呼出し、玄関で家賃を払い、すると、婆さんが判を押す為に奥の部屋に行く。その隙に勇二が忍び込み、応接間のサッシの鍵を開けては外に出るという作戦も考えてあった。
 だが、その作戦を使わずに済んだというわけだ。
 また、以前も心配したように、たとえ勇二が応接間のサッシの鍵を開けては外に出ることに成功しても、その後、婆さんが応接間のサッシの鍵を締め直すということも有り得るわけだが、そうなってしまえば、今回の計画は断念せざるを得なかった。勇二が応接間のクロゼットの中に隠れるという作戦は、やはり、勇二が頑として首を縦に振らなかったのである。
 また、征二と勇二は、婆さん宅の卓上電話が奥の部屋にあることを知っていた。征二と勇二が応接間で賃貸借契約書を交わしていた時に、奥の部屋で電話が鳴ったのを知っていたからだ。もし、卓上電話が奥の部屋にあることを征二と勇二が知らなかったのなら、今回の計画は実行されなかったというものだ。
 それはともかく、勇二は婆さん宅に忍び込むと、奥の部屋から婆さんの話し声が聞こえた。婆さんが話してる相手は、無論、征二だ。
 そして、征二は、勇二の作業がうまく行くようにと、婆さんとの電話を少しでも長引かせようとした。
 そんな征二の作戦を勇二は充分に理解していたこともあり、勇二は久し振りに入った婆さん宅の応接間のサッシの鍵を開けては外に出ることにあっさりと成功した。
 それは、正にあっという間の出来事であった。正に十秒位の出来事であった。これなら、征二がわざわざ婆さんとの電話を長引かせなくてもよかったと思った位であった。
 そして、勇二は外に出ると、婆さん宅の庭の中にある茂みに身を潜めては、じっと事の成り行きを見守った。
 すると、程なく征二が勇二の近くに姿を見せた。
 それで、勇二は茂みの中から踊り出るようにしては、征二の前に姿を見せた。
 征二の表情は、〈うまく行った〉であった。
 すると、勇二は些か表情を綻ばせたが、勇二の表情は、すぐに険しいものへと変貌した。何しろ、今から大仕事が待っていたからだ。
 征二と勇二は、応接間のサッシを開けると靴を脱いでは、正に忍者のように応接間に忍び入っては、宝くじが仕舞ってあるという仏壇がある部屋へと向かった。
 しかし、仏壇が何処にあるのか、征二と勇二は、知らなかった。それで、征二と勇二は、仏壇のある部屋を探さなければならなかった。
 とはいうものの、その部屋はすぐに見付かった。その部屋は奥にある八畳の畳の部屋にあったのだ。
 仏壇大きさは、畳一畳位であった。それ故、かなり大きなものであった。それ故、婆さんがいかに亡き夫のことを大切に思ってるか、窺うことが出来た。
 しかし、今はそのようなことに思いを巡らせている時間はなかった。
 仏壇には、右端に四つの引出しがあったので、その中のどれかに、婆さんが買った宝くじが入ってると思われた。
 それで、征二はとにかく、一番上の引出しから開けることにした。
 だが、一番上の引出しには、宝くじは入っていなかった。
 その事実を目の当たりにして、征二の表情は幾分か曇った。
 だが、征二は二番目の引出しを開けた。だが、そこにも入っていなかった。
 それで、征二は勇二の顔を見やっては、頭を振った。
 すると、勇二の表情も曇った。
 まさか、こんなことが有り得るのかと征二は思った。折角苦労して、婆さん宅に侵入したのに、お目当ての宝くじを見付けることが出来なければ、笑い話にもならないだろう。 
 そう思いながら、征二は三番目の引出しを開けた。
 すると、征二の顔は忽ち輝いた。何故なら、三番目の引出しに、宝くじは入っていたからだ。即ち、あの小楽崎の言ったことは、やはり、本当だったのだ!
 征二は確かに千枚はあると思われる宝くじを携帯していた黒いショルダーバッグの中に仕舞うと、勇二と共に正に忍者のように応接間のサッシから外に出た。
 そして、婆さん宅の前にある小路に誰もいないということを確認すると、何気ない様で小路へと踏み出した。そして、素早く「宝来荘」の征二と勇二の部屋に戻ったのであった。(因みに何故婆さん宅で宝くじのチェックを出来ないのかというと、いつ婆さんが戻って来るのかと気になり、うまく宝くじをチェック出来ないというのが、征二と勇二の見解であった)
 征二と勇二の部屋に戻って来るや否や、征二は、
「さあ! 始めようぜ!」
 と、甲高い声でいった。そんな征二の眼は大きく見開かれ、輝いていた。
 そんな征二は、正に億万長者になるのは、時間の問題だと言わんばかりであった。また、勇二の表情も、征二と同様であった。
 征二と勇二は、婆さんの宝くじを半分ずつに分けては、早速、チェックを始めた。
 二人が必要としてるのは、三億、二億といった高額の当りくじであった。三千円とか一万円程度の当りくじは問題としていないのは、いうまでもなかった。
 征二と勇二は、正に真剣な表情を浮かべてはチェックしていた。正に、今、二人が行なってる作業の如何によって、今後の二人の人生が決せられるとなれば、二人がいかに真剣な表情を浮かべてるかは、充分に察せられるだろう。
 とはいうものの、その作業は意外にも早く終わりそうな塩梅であった。というのも、婆さんの買った宝くじは、全て連番のようだからだ。これがバラであれば、その作業は一時間では終わりそうもないと、征二と勇二は言い合っていたが、その心配はどうやらきゆうであったようだ。
 それはともかく、チェックを進めるにつれて、征二と勇二の表情は、次第に青褪めたものに変貌しつつあった。というのは、一向に高額の当選くじがなかったからだ。そして、まだチェックの終えていない宝くじが後少しになった頃には、二人の表情は、正に蒼白といっても過言ではないものに変貌してしまったのである。〈こんな筈ではなかった……〉という思いが征二の脳裏に過ぎりはしたが、そうだからといって、どうにもならなかったのである。
 そして、征二は遂に征二の分の宝くじのチェックを終えてしまった。
 そして、その結果は、征二の険しい表情を眼にすれば、分かるというものだ。即ち、征二がチェックした宝くじの中には、高額の当りくじはまるでなかったのである。
 そして、征二がチェックを終えて、一分もしない内に、勇二もチェックを終えてしまった。
 そして、勇二の険しい表情からして、勇二がチェックした宝くじの中にも、高額の当りくじがなかったことは、容易に察知出来るというものであろう。
 そんな勇二は、チェックを終えるや否や、
「ちぇ!」
 と、いかにも不快そうに言った。
 そんな勇二に征二は、
「当ってなかったのか?」
 と、渋面顔を浮かべては言った。
 そう言った征二の表情は、正に険しいものであった。これだけこの作戦に期待していたのに、こんな無残な結果に終わってしまうなんて、思ってもみなかったと言わんばかりであった。
 それはともかく、征二の言葉を受けて、勇二は、
「ああ」
 と、いかにも不貞腐れたように言った。そして、征二を見やっては、
「そっちもか?」
「ああ」
 征二はいかにも決まり悪そうに言った。
 すると、勇二は、
「俺は、この話は最初から妙だと思っていたんだ。大体、よく考えてみれば、千枚の宝くじの内、一枚位高額の当りくじがあるなんて話は、虫が良すぎるじゃないか! 年末ジャンボ宝くじは、億単位の発行枚数があるというじゃないか。それだけ発行されるんだから、僅か千枚位では、当りくじなんか、あるわけないさ!
 だから、この計画は、全く最初からいい加減な出鱈目の計画だったんだ!」
 と、顔を茹で蛸のように真っ赤にしては、征二を非難するかのように言った。正に、この碌でもない計画を考え出した征二は、頭がいかれてるのではないかと言わんばかりであった。
 勇二にそう言われ、
〈そんなこと言われなくたって、俺だって、分かっていたさ。
 しかし、勇二だって俺がそう言ったら、俺もそう思うと、この話に飛び付いて来たじゃないか! それをまるで俺のことを嘲るように見下しやがって!〉
 と、征二は声には出さなかったものの、心の中で勇二のことを罵った。
 だが、今は勇二と言い争いをしてる場合ではないのだ! 一刻も早く、婆さんの宝くじを婆さん宅に返しに行かなければならないのだ!
 そして、征二はこの時、腕時計を見やった。
 すると、一時二十分になっていた。征二の計画では、一時半までには婆さん宅に返し終わる予定だったのだ。
 小楽崎からは、婆さんの墓参りは、凡そ二時間位掛かると聞いていたが、どのような異変が発生するか分からない。それ故、事は早目に済まさなければならないのだ。
 そう思った征二は、とにかく征二のその思いを勇二に話すと同時に、婆さん宅に向かった。この点に関しては、勇二は征二に異議を唱えようとはしなかったのだ。
 婆さん宅は、「宝来荘」の近くにあった為に、婆さん宅には、一分掛かったか掛からないか位で着くことが出来た。
 そして、婆さん宅の前にある小路は、人通りが少ない道であった為に、婆さん宅の敷地内に入り込むことは容易いことであった。
 正に、婆さんのような金持ちの一人暮らしが、このような場所に住むことは泥棒の恰好の餌食になるのではないかと征二は思ったが、それは心の中でだけであった。そのようなことを言葉として発するだけの時間は、今は持ち合わせてはいないのだ。
 そして、征二と勇二は素早く応接間の方に向かったのだが、この時、二人はミスを犯してしまった。というのは、玄関扉の鍵が掛かってるかどうか、チェックしなければならないのに、しなかったからだ。もし、玄関扉の鍵が掛かっていなければ、婆さんは戻ってることになってしまうからだ。
 それはともかく、征二と勇二は、先程婆さん宅を後にした時に利用したサッシを開け、無事に応接間の中に入ることに成功した。そして、二人がその時に思ったことは、先程と応接間の状態は何ら変化は見られないということであった。
 しかし、二人にとって、それは当然でなければならないことであった。もし、先程と応接間の状態が変わっていれば、それは婆さんが帰宅したことになり、そうなってまえば、それは二人にとって大変なことになってしまうからだ。
 だが、この時、勇二が思わずへまを仕出かしてしまった。応接間のテーブルの上に置いてあった本をフローリングの床の上に落としてしまったからだ。そして、その時に、「バタン!」という落下音が聞こえてしまったのだ。
 その勇二の立てた音を耳にし、征二は青褪めてしまった。もし、婆さんが何処かの部屋にいれば、今の音を耳にしたかもしれないからだ。
 それで、征二と勇二はその場に立ち止まり、緊張した表情を浮かべては、事の成り行きを見守った。そして、その時間は一分位続いた。
 しかし、何の変化も見られなかった。
 それを受けて、征二と勇二は、事の次第を理解した。
 即ち、婆さん宅には今、誰もいないのだ! 
 そう理解すると、征二は安堵したような表情を浮かべ、そして、勇二に、
「音を立てないように気をつけろ!」
 と、勇二のミスを窘めた。
「分かってるさ!」
 そんな征二の言葉に、勇二は反発するかのように言ったが、その声はとても小さなものであった。そんな勇二は、そのようなことを言われなくても分かってると言わんばかりであった。
 それはともかく、二人は応接間を過ぎ、廊下を通って仏壇のある八畳間に最初に踏み出したのは勇二であったが、勇二は突如、
「ギャ!」
 と、甲高い声を上げた。その勇二の声は辺りに響き渡り、また、その声はとても尋常なものとは思えなかった。
 そんな勇二を見て、征二は、
「どうしたんだ?」
 と、いかにも真剣な表情を浮かべては言った。
 だが、その時、征二も勇二程の声ではないが、
「わっ!」
 と、驚きの叫び声を上げてしまったのだ。何故なら、今、征二と勇二の眼前には、正に尋常とは思えない事態が展開していたからだ。八畳間の仏壇の前に、何と婆さんが大の字になって仰向けに倒れていたからだ。
 その婆さんの様は、正に尋常ではなかった。正に、婆さんに一大事が発生してることは請け合いであった。
 征二と勇二は、正に思ってもみなかった事の成り行きを目の当たりにして、啞然とした表情を浮かべては、少しの間、言葉を発することが出来なかった。 
 だが、やがて、勇二が、
「どうなってるんだ?」
 と、いかにも困惑したような表情を浮かべては言った。
 そう勇二に言われても、征二も困惑したような表情を浮かべるだけで、言葉を発っすることが出来なかった。
 だが、征二は程なく我に返ったような表情を浮かべては、
「とにかく、宝くじを仏壇の元の引出しの中に仕舞うんだ」
 そう征二に言われ、千枚もの宝くじをショルダーバッグの中に忍ばせていた勇二は、とにかくそれを元の引出しの中に仕舞った。
 勇二がそうしてる間に、征二は屈み込んでは、婆さんの顔を覗き込むようにして見やった。
 すると、征二は、
「わっ!」
 と、小さな悲鳴を上げては、思わず後退りした。
 そんな征二を見て、勇二は、
「どうしたんだ?」
「死んでるんだよ! 婆さんが死んでるんだよ!」
 と、声は小さいながらも、いかにも引き攣ったような声で言った。
 それで、勇二も屈み込んでは、とにかく婆さんの顔を覗き込むようにしては見やったのだが、勇二も、
「わっ!」
 と、小さな悲鳴のような声を上げた。何故なら、婆さんは白眼を剝き、口から涎を垂らしていたからだ。そんな婆さんの顔を見れば、誰でも今や、婆さんは既に魂切れてるということを理解出来るであろう。婆さんの死は、予め予測は出来ていたものの、その顔を見れば、征二と勇二に悲鳴を上げさせるに十分なものであったのだ。
 それはともかく、今、この思ってもみなかった事の成り行きに動転してる場合ではなかった。一刻も早くこの場から去らなければならないのだ。
 それを理解した征二は、
「もたもたしてちゃ駄目だ! 早くここから出よう!」
 その征二の言葉と共に、二人は八畳間を後にし、応接間から庭に出ては、婆さん宅前の小路に人がいないことを確認すると、小路に出ては、「宝来荘」とは違った方に歩みを進めた。
 何故「宝来荘」とは違った方に足を向けたかというと、もし婆さん宅の庭から出て来たことを誰かに見られ、また、「宝来荘」の方に歩みを向けたのを眼にされれば、「宝来荘」の居住者が婆さんの死に関係してるのではないかと思われることを恐れたからだ。
 それ故、征二と勇二は、慎重に行動したわけではあるが、それは当初の作戦通りだった。
 だが、今の二人はとても興奮していた。誰かが今の二人の様を見れば、何処か身体の具合でも悪いのではないかと、気遣かったかもしれない。
 そして、このような様を二人が見せてしまったということは、二人にとって、予期してないことであった。



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