5 死体発見
征二と勇二が予期せぬ出来事に遭遇してしまって、二時間が過ぎた。
今日は大晦日であるから、既に多くの家庭が大掃除を終えたことであろう。そして、家の中は、いつもより格段に綺麗に片付いていることであろう。
そして、婆さん宅内もそうなっている筈であった。
婆さんは八十に近い高齢といえども、身体は相当に健康で、婆さん宅内の掃除を誰かに手伝ってもらうことなく一人でこなしていた。
もっとも、百五十坪はある庭の手入れと五十坪近くある屋敷内の掃除をいくら婆さんが健康だからといっても、大晦日の一日で済ますというのは、無理というものであろう。
それで、婆さんは十二月の初め頃から、年末の掃除を行ない、大晦日には既に大掃除は終わっていたのだ。それ故、大晦日で後遺されたことといえば、墓参り位なものであったのだ。
そして、大晦日の午後七時ともなれば、婆さんは応接間のソファに腰を下ろし、紅白歌合戦を見るのが、婆さんの大晦日の過ごし方であったのだ。
それはともかく、婆さん宅の近くに住んでいる花井房子(45)が、ちょっとした和菓子を持っては、婆さん宅を訪れた。房子はいつもは元旦に和菓子を持って婆さん宅に挨拶に訪れるのだが、今回は元旦に遠方の親戚の家に行くことになっていたので、大晦日に婆さん宅を訪れたのである。そして、それは、午後四時三十分頃のことであった。
房子は何度も玄関扉横にあるインターホンを押したのだが、何ら反応はなかった。
それで、房子は留守かと思ったのだが、とにかく玄関扉のノブを回してみた。
すると、鍵が掛かってないことが分かった。
それで、房子はとにかく玄関扉を開けては、
「ごめんください!」
と、大声で言った。
だが、反応はなかった。
その状況を目の当たりにして、房子は戸惑ったような表情を浮かべた。何しろ、婆さんは高齢の一人暮らしだ。それ故、婆さんにとって、何か都合の悪い事態が発生したのではないかと房子は思ったのである。
それで、房子はとにかく、「失礼します!」と大声で言っては、婆さん宅の室内に上がった。房子は何十回となく婆さん宅に上がったことがあり、婆さん宅内は詳しかったのだ。そして、房子は婆さんとはとても親しい間柄であったのだ。
それで、何ら躊躇わずに室内に入ったのだが、もし、房子のこの行為がなければ、婆さんの遺体発見はもっと後になったことであろう。
房子は婆さん宅に上がると、
「わきさん!」
と、婆さんの名前を呼びながら、部屋の中を順次見やった。実のところ、房子は婆さんが病気なんかで倒れ、動けなくなってるのではないかと思ったのである。
房子は何度も、「わきさん!」と、声を張り上げては、わきの名前を呼んだのだが、応答は何ら見られなかった。
だが、やがて、仏壇がある八畳間で、うつ伏せになって倒れてる婆さんの姿を眼にするに至った。
それで、房子は血相を変えては、婆さんを抱き抱えようとした。
しかし、房子は婆さんの身体の状態から、既にわきが魂切れてることを理解した。
それで、婆さん宅内にあった卓上電話で直ちに110番通報したのであった。
花井房子からの110番通報を受けて、所轄署の警官が四名、疾風の如くわき宅に姿を見せた。
警官は八畳間でわきが死んでることを確認すると、その様子を写真に撮った。そして、少しの間、現場検証していたが、やがて、わきの死体はS病院に運ばれて行った。
わきの首には、紐のようなもので絞められた痕が見られた。即ち、わきは何者かに首を絞められて魂切れた可能性があったのだ。
それで、わきの死体は司法解剖されたのだが、すると、死因と死亡推定時刻が明らかになった。
死因はやはり、紐のようなもので首を絞められたことによる窒息死であった。即ち殺しである。
また、死亡推定時刻は、大晦日の午後一時から二時であることが明らかになった。
この結果を受けて、所轄署に捜査本部が設けられ、捜査一課の長沼治警部(50)が捜査を担当することになった。
長沼はまず、わきの死体発見者である花井房子から話を聞くことにした。
房子の話に特に言葉を挟むことなく、じっと耳を傾けていた長沼は、房子の話が一通り終わっても、渋面顔を浮かべては、少しの間、言葉を発そうとはしなかったが、やがて、房子はわきの死に心当りないかと、訊いた。
すると、房子は、
「特にないですね」
と、渋面顔で言った。だが、
「わきさんは一人暮らしで、しかも、お金持ちでしたからねぇ。そんなわきさんのお金を手にしてやろうとした人がいても不思議ではないと思いますね」
と、渋面顔を浮かべては言った。
すると、長沼は、
「成程」
と言っては、小さく肯いた。
そんな長沼に、
「でも、犯人は計画的にわきさんを殺したのか、突発的に殺したのかは、分からないですね」
と、房子は、眉を顰めては言った。
すると、長沼はそんな房子の言葉に小さく肯き、
「で、花井さんは、わきさんを殺した犯人に心当りないのですかね?」
と、房子の顔をまじまじと見やっては言った。何しろ、長沼たちはまだわきに関する情報を殆ど入手してないのだ。それ故、死体発見者で、しかも、わきと親しくしていたという花井房子から、少しでも情報を入手しようとしたのだ。
長沼にそう言われると、房子は、
「そうですねぇ……」
と、いかにも何かに思いを巡らすかのような仕草を見せては、少しの間、言葉を発そうとはしなかったが、やがて、
「『宝来荘』の居住者なんかは、怪しいかもしれませんね」
と、神妙な表情を浮かべては、呟くように言った。
「『宝来荘』の居住者?」
長沼は興味有りげな表情を見せては言った。
「ええ。そうです」
と、房子はその可能性は充分にあると言わんばかりに言った。
「どうして、そう思われるのですかね?」
長沼は再び興味有りげに言った。何しろ、長沼は「宝来荘」の居住者に関しては、何ら情報は入手してなかったのだ。
「わきさんから聞いた話なんですがね。『宝来荘』というのは、わきさんが経営してるアパートなんですが、『宝来荘』の居住者の三分の一位は、S大生なんだそうです。でも、貧乏学生が多いらしいのですよ。
というのも、『宝来荘』の家賃は月末に翌月分の家賃を払うことになってるのですが、金がないから、少し待ってくださいという学生が少なからずいるらしいんですよ。
わきさんは渋々それに応じていたらしいのですが、何度もこういったことをやれば、出て行ってもらうと、零していましたね。
更に、二人で暮らしているS大生もいるらしいですね。一人で借りようが二人で借りようが、家賃は同じですからね。
で、その二人組は人相があまりよくなく、わきさんは感じの悪い学生を入居させてしまったと、零してもいましたね。
もっとも、それらの学生がわきさんを殺したという証拠は何ら無いのですが、金が無い者は、わきさんのお金を盗んでやろうと思っても不思議ではないですからね。
もっとも、わきさんを殺してしまったということは、犯人にとって誤算だったのかもしれませんね。わきさんのお金を盗もうとしたところ、偶然わきさんが姿を見せてしまったので、やむを得ずにわきさんを殺したのかもしれませんね」
と、房子はその可能性は充分にあると言わんばかりに言った。
そう房子に言われると、長沼は些か納得したように肯いた。長沼も房子のその推理に同感であったからだ。
何しろ、「宝来荘」の居住者なら、わきが金持ちで、しかも、一人暮らしであることを知っていた可能性は充分にあるだろう。
それ故、わきが外出してる時がチャンスとばかりにわき宅に侵入し、わき宅内を物色していたところ、わきが戻って来た為にトラブルが発生し、わきが殺されたという可能性は充分にあるだろう。若い学生とわきとじゃ、体力的には勝負にならない。それ故、若い学生なら、わきの首を絞めて殺すことは、容易いことであっただろう。
そう推理すると、長沼は些か険しい表情を浮かべた。何故なら、どうやら早くも事件の真相に近付いたという感触を得たからだ。
即ち、花井房子が指摘したように、長沼も「宝来荘」の学生が犯人だと読んだのである。
それ故、「宝来荘」のS大生を捜査して行けば、犯人に行き着くことであろう。
とはいうものの、それ以外の線も想定しておいた方がよいだろう。
それで、それ以外の可能性はないものかと、房子に訊いてみた。
すると、房子は渋面顔を浮かべては、少しの間、言葉を発そうとはしなかったが、やがて、
「それ以外では、特に気が付きませんね」
と些か決まり悪そうに言った。
それで、長沼はこの辺で房子に対する聞き込みを終え、今度は早速「宝来荘」の住人から話を聴いてみることにした。
すると、早くも疑わしい人物が浮かび上がった。
それは、205室に住んでいる小楽崎熊男という学生であった。
では、何故小楽崎が疑いを持たれたかというと、小楽崎の隣室に住んでいる会社員の高遠信介(28)という男性が、小楽崎に関して気になることを証言したからだ。
高遠は長沼に、
「隣室に住んでいる小楽崎という学生は、正にとんでもない学生なんですよ」
と、小楽崎のことを正にとんでもない奴だと言わんばかりに言った。
「とんでもない学生、ですか……。何故、そう思うのですかね?」
長沼は興味有りげに言った。
「午後十時頃、天井裏でゴタゴタと、何かが動くような音が聞こえたのですよ。
そんな妙な音が午後十時頃度々聞こえるので、僕はその正体を確かめてやろうと、六畳間の押し入れの天井の板を外し、そして、天井裏の音が聞こえる方に懐中電灯の明かりを照らしてみたのですよ。
すると、そこに浮かび上がったのが、何と隣室の小楽崎だったのですよ」
と、高遠は些か興奮気味に言った。
そう高遠に言われ、長沼は正に思いがけない話を聞かされたと言わんばかりに、啞然とした表情を浮かべていると、高遠は、
「僕はそんな小楽崎に、『他人のプライベートを盗み見してるのか』と、罵声を浴びせてやりました。
というのも、僕は江戸川乱歩の屋根裏の散歩者という小説を思い出しましてね。
つまり、小楽崎は天井裏に上がっては、天井裏に穴を開けたりしては、他人のプライベートのことを盗み見していたのではないかと、僕は思ったのですよ。
すると、小楽崎は、
『違いますよ!』
と、強い口調で僕に反発しました。
小楽崎がそう言っても、小楽崎と僕は天井裏で小楽崎と喧嘩をするわけにもいきませんから、とにかく僕は『宝来荘』の廊下で小楽崎と話をすることになりました。
そして、小楽崎の話を聞いていると、小楽崎は天井裏にネズミ捕り器を仕掛けては、ネズミを捕っているというのですよ。そして、捕獲したネズミは、小楽崎が研究してる薬の実験に使うと言うのですよ。本当は店で売っているハムスターを使いたいんだが、金が無いから、天井裏でネズミを捕っていると言うのですよ」
と、正に小楽崎という奴は、正に胡散臭い奴だと言わんばかりに言った。
そう高遠に言われると、長沼は、
「成程」
と、些か納得したように肯いた。確かに、小楽崎という男は、高遠が言ったように、とんでもない学生に思えたからだ。
とはいうものの、そうだからといって、梅崎わきを殺したことにはならないだろう。
それで、長沼はその点に関して、高遠に訊いてみた。
すると高遠は、
「僕は一度、小楽崎の部屋の中に入ったことがあるのですよ。
すると、本棚には数多くの推理小説が並んでいましてね。それ以外にも、化学実験に使うような器具が色々置かれていたのですよ。
僕はその様を見て、何だか得体の知れないような不気味さを感じたのですよ。
更に、小楽崎は僕に妙な事を言ったのですよ」
と、眉を顰めた。
「妙なこと? それ、どんなことですかね?」
長沼はいかにも興味有りげに言った。
「『宝来荘』の梅崎わきさんのことですよ。もっとも、小楽崎はわきさんのことをわきさんとは呼ばず、婆さんと呼んでいましたがね。
つまり、社会的に何ら役に立たなくなった婆さんが大金を所持し、金が必要としてる前途有望な僕たちが金が無いというのは、矛盾ですよ。更に、あんな婆さんの金は、俺たちに渡すべきだ。その方が世の中の為だと言ってましたね」
と、高遠は興奮の為か、声を上擦らせては言った。
そう高遠に言われて、長沼の表情は、自ずから険しいものへと変貌した。何故なら、今の高遠の話は、今回の事件解決への突破口となるかもしれないと思ったからだ。
とはいうものの、その思いを口には出さずに、
「で、小楽崎君のことで話さなければならないのは、それ以外には何かないですかね?」
すると、高遠は、
「それ位ですね」
と、素っ気なく言った。
「では、何故高遠さんは、小楽崎君の部屋の中に入ったのですかね? 高遠さんは小楽崎君とは余り仲が良くなかったと思うのですがね」
と、長沼は怪訝そうな表情を浮かべては言った。
すると、高遠は、
「実はですね。僕は屋根裏のネズミ捕り器の件で小楽崎と話をした時に、僕は小楽崎とはS大の先輩と後輩の間柄であることが分かりましてね。
それで、僕は小楽崎の部屋に入っては、少し酒を飲んだことがあるのですよ。
で、その時に、小楽崎は今、刑事さんに話したことを話したのですよ。
もっとも、その時以降、僕は一度も小楽崎の部屋の中に入ったことはありません。
僕は小楽崎のことを得体の知れない奴だという印象を持ちましたからね。ですから、そんな奴と関わりを持つのは嫌ですからね」
と、些か決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
長沼はこの辺で高遠に対する聞き込みを終え、次に小楽崎に直に会って、小楽崎から話を聴いてみることにした。
すると、長沼は小楽崎に対する疑いを強めた。何故なら、小楽崎は大晦日の午後一時から二時頃は街をぶらぶらしていたと証言したからだ。
それで、長沼は、
「街って、どの辺りかな?」
「だから、駅前の商店街ですよ」
「それを証明してくれる人はいますかね?」
「それは無理ですよ。僕はその時、一人でしたからね」
と、小楽崎は長沼のことをせせら笑うかのように言った。
しかし、そんな小楽崎を苦境に追い詰めるような証言が入った。
それは、わき宅の近所に住んでいる戸田晴夫という七十歳の男性が、大晦日の午後一時半頃、小楽崎の姿をわき宅の前で眼にしたと証言したからだ。更に、その時の小楽崎の表情は、何となく虚ろであったとも証言したのだ。
その証言を受けて、小楽崎は任意出頭という形で、署への出頭を要請された。
そして、その情報はやがて、征二と勇二の耳に入ることになった。
征二と勇二は、婆さんの死には、無関係ではなかった。何しろ、婆さんの死体を一番最初に見付けたのは、征二と勇二に違いないと、征二と勇二は看做していたからだ。
だが、征二と勇二は、何故一番最初に婆さんの死体を見付けたのか、その経緯を話すわけにはいかなかったのだ。
それ故、、征二と勇二はもどかしい思いを抱いていたのだが、婆さんの死には、人一倍感心があった。
それ故、婆さん殺しの犯人が誰なのか、甚だ気になってたのだが、そんな折に小楽崎が警察に連れて行かれたという情報を耳にしたのだ。
その情報を耳にして、勇二は、
「小楽崎が犯人だったのか……」
と、神妙な表情を浮かべては、呟くように言った。
「そんな感じだな」
征二も神妙な表情を浮かべては、呟くように言った。
とはいうものの、まだ、小楽崎が犯人だと決まったわけではなかった。
しかし、征二と勇二の様を見ていると、犯人は小楽崎で決まりだと言わんばかりであった。
案の定、勇二は、
「小楽崎ならやりそうな感じだな」
と、些か納得したように肯いた。
というのも、勇二は小楽崎が「宝来荘」の天井裏で捕ったネズミを、小楽崎が考え出したという薬で実験しては見せた時のいかにも愉しそうにしてる小楽崎の様を眼にして、小楽崎という男は正に何を仕出かすか分からないような男だという印象を抱いたのである。
それ故、そんな小楽崎なら、婆さんのことを殺してもおかしくはないと、勇二は思ったのである。
また、征二の思いも勇二と同じようなものであったのだ。
そんな征二は、
「小楽崎は婆さんのことをよく知っていたからな。何故小楽崎はあんなに婆さんのプライベートのことを知っているのかを俺たちに話さなかったが、盗聴器なんかを婆さん宅に仕掛けていたのかもしれないぜ。
そして、その盗聴器の様子を見に行った時に婆さんと出交してしまった為に、婆さんを殺してしまったのかもしれないぜ」
と、いかにも自信有りげな表情と口調で言った。そんな征二は、正に婆さんの死の真相はそうに違いないと言わんばかりであった。
そう征二に言われると、勇二は眉を顰めては、言葉を発そうとはしなかった。だが、勇二は心の中では、その可能性は充分にあると言わんばかりであった。
そんな勇二は、
「でも、婆さん宅で、俺たちは婆さんにも小楽崎にも出交わさなくてよかったな」
と、今更ながら、安堵したように言った。
「確かにそうだな」
と、征二は勇二と同感だと言わんばかりに言った。
すると、その時である。