6 現われた警官
玄関扉がノックされた。
それで、征二はとにかく、玄関扉を開けた。
すると、背広の上下姿で、征二の見知らぬ中年男が立っていた。
そんな男を眼にして、征二は眉を顰めた。何故なら、一癖も二癖もありそうな男だと思ったからだ。
征二がそう思ったのも無理はなかった。何故なら、その男は長沼警部であったからだ。
長沼は警察手帳を見せては、自己紹介した。
すると、征二の脳裏に嫌な予感が走った。
警視庁捜査一課の刑事が姿を見せたとなれば、婆さんの事件に関してであろう。
もっとも、征二も勇二も婆さんを殺してはいない。
しかし、征二も勇二も後暗い部分があった。それ故、刑事がやって来たとなれば、正に嫌な来訪者だと思うのは、当然だろう。
それで、征二はその征二の思いを露骨に顔に出してしまったのである。
すると、その時である!
突如、長沼の後ろに姿を潜めていた歳は五十位と思われるのだが、髪を昔流行ったグループサウンズのように長くさせては、一見優男のように見える男が、
「この人よ! この人に違いないわ!」
と、まるで女が使うような言葉使いではあったが、声を荒げては言った。
そんな男、即ち、野田澄男に、
「まあ、落ち着いてくださいよ」
と、長沼は澄男を窘めるかのように言った。
すると、澄男は、
「これが、落ち着いていられるものですか! この人よ! この人が婆さんを殺したのよ!」
と、征二のことを人差指で指差しては、大層表情を強張らせながら、上擦った声で言った。
全く、この得体の知れない女のような男にそのように言われ、征二は呆気に取られたような表情を浮かべた。何故なら、まさかこの得体の知れない女のような男に、このように言われるとは、征二は思ってもみなかったからだ。
だが、この時、征二の傍らに勇二も姿を見せた。
すると、澄男は、
「そう! そう! この人! この人もよ!
この人とこの人が、婆さんを殺したのよ! 絶対に間違いないわ!」
と、征二と勇二のことを交互に指差しては、正に興奮しながら言った。
そう澄男に言われ、勇二も呆気に取られたような表情を浮かべた。そのようなことを言われるなんて、思ってもみなかったからだ。
すると、そんな征二と勇二に、澄男は、
「あんたたち、婆さんのお金を盗んだのね! しらばくれたって駄目!
婆さんのお金は、今や僕のものよ! だから、お金、返しなさいよ!」
と、声を上擦らせながら、その一方、征二と勇二を非難するかのように言った。そんな澄男は、婆さんの死よりも、婆さんのお金の方が、余程大切だと言わんばかりであった。
そんな澄男に征二は、
「あの……、何を言ってるのか、分からないのですが……」
と、澄男と長沼の顔を交互に見やっては、力無い声で言った。
もし、征二と勇二に後暗いものがなければ、征二はもっと力強い口調で言っただろう。しかし、そうではなかった為に、その征二の言葉には、力が無かったのである。
そんな征二に、
「嘘をついても駄目よ! 僕、十二月三十一日の午後一時半頃に婆さん宅に行ったのよ。でも、玄関扉の鍵が閉まってなかった。
それで、おかしいと思いながら、部屋の中に入ったのよ。
すると、応接間のサッシを開けて、何者かが入って来たのよ。
僕、腰を抜かさんばかりに驚いちゃった。真昼だって、強盗が入って来ることはあるからね。僕、きっと、それだと思ったのよ。
それで、物陰に隠れて様子を窺っていたの。
すると、曲者は仏壇のある部屋で何やらごそごそやっていたみたい。そして、喚き声のような声を上げたわ。
そして、少しすると、応接間から出て行ったわ。
で、僕、その時に、はっきりとその二人組を眼にしたのよ。そして、その二人組がこの男たちだったの。絶対に間違いないわ!」
と、澄男は正に引き攣った表情で言った。
また、澄男は身体を小刻みに震わせ、そして、婆さんを殺したのは、正に澄男の眼前にいる征二と勇二に違いないと言わんばかりであった。
その思ってもみなかった澄男の言葉に、征二と勇二は、正に呆然とした表情を浮かべては、言葉を失ってしまった。
しかし、今の澄男の言葉から、事の凡そを征二も勇二も察することが出来た。
即ち、征二と勇二が宝くじを婆さん宅に戻す為に婆さん宅に忍び入った午後一時半前に、何故か今、征二と勇二の眼前にいる男が婆さん宅にいて、征二と勇二のことを密かに見ていたのだ。そして、征二と勇二は、そのことに気付かなかったのである。
そう思うと、征二と勇二の表情は、正に苦渋に満ちたものへと変貌した。正に、この女のように得体の知れない男が婆さん宅にいたなんて、正に予想外の出来事だったのだ。正にとんでもないアクシデントが発生してしまったのである!
とはいうものの、この女のような得体の知れない男は、一体何者なのか? この男が、婆さん宅にいる権利があるのだろうか? また、この男こそ、婆さんを殺した犯人なのではないだろうか?
そう征二も勇二も思わざるを得なかった。
それで、征二も勇二も、怪訝そうな眼差しを澄男に向けていると、そんな征二と勇二の胸中を察したのかどうかは分からないが、長沼は、
「この方は、亡くなられた梅崎わきさんの甥なんですよ」
と、澄男のことを、征二と勇二に説明した。
すると、澄男は、
「そういうわけよ! つまり、婆さんが死ねば、婆さんのお金は全部、僕のものになるというわけ。要するに、婆さんの身内は僕しかいないというわけ! だから、あんたたち、婆さんのお金、僕に返して頂戴! あんたたちが婆さんのお金を盗む為に、婆さん宅に泥棒に入ったことは、ちゃんと分かってるんだから!」
と、ヒステリックに言った。
そう澄男に言われると、征二と勇二は、正に決まり悪そうな表情を浮かべては、言葉を詰まらせてしまった。征二と勇二は、正に崖っ淵に追い詰められたような状況に陥ってしまったからだ。正に、征二と勇二に言い訳は通用しないかのようであった。
そんな征二と勇二に、長沼は、
「こちらの方、つまり、野田さんの言ったことは、事実なんですかね?」
と、冷ややかな視線を征二と勇二に向けた。
もし、今の澄男の言葉が事実なら、今、長沼の眼前にいる田中征二と中田勇二という二人のS大生が、婆さん殺しの有力な容疑者として浮上することは間違いないであろう。
因みに、長沼は澄男から婆さんの死に関して、有力な情報提供を受けた。その情報とは、澄男が婆さん宅にいた時に、不審な二人組が婆さん宅に侵入したというものであったのだが、その不審な二人組が「宝来荘」に住んでいるS大生の可能性があったので、二人組ということから、「宝来荘」で二人で同居している征二と勇二を澄男に眼にしてもらったのだが、すると、澄男は今のように証言したのである。
とはいうものの、澄男が婆さんの異変を知ったのは、午後一時半過ぎと思われるのだが、征二が婆さんの死を警察に知らせたのは、午後六時過ぎであった。この点は不審に思われた。
その点に関して、澄男は、
「僕、その時、婆さんが死んでいるとは思わなかったの。寝てるのだと思ったの。婆さんはあのような恰好で寝てる時が時々あったから。
で、午後六時頃、婆さん宅に行ったら、警察がいたの。それで、僕の知ってることを何もかも、話したのよ」
と、長沼に説明した。しかし、長沼に言わせれば、その時の澄男の表情は、何となく決まり悪そうであった。
それはともかく、長沼の言葉に、征二と勇二は、いかにも決まり悪そうな表情を浮かべては、言葉を詰まらせるしかなかった。正に、征二と勇二の思ってもみなかった事の成り行きとなって来たからだ。
だが、長沼はそんな征二と勇二を見て、にやにやした。今の征二と勇二の様を見れば、澄男の言ったことは、事実であるようだからだ。
即ち、征二と勇二は金欲しさを為に、婆さん宅に忍び入ったのだが、その時に婆さんが戻って来た為に、トラブルが発生し、征二と勇二は婆さんを殺してしまったというわけだ。
もっとも、澄男は、征二と勇二が婆さんを殺した場面を眼にしたと証言したわけではない。
しかし、婆さんの死亡推定時刻とか、澄男が婆さん宅で征二と勇二を眼にした時間などから、婆さん殺しの犯人は、征二と勇二である可能性が極めて高いと言わざるを得ないだろう。
そう思うと、長沼はいかにも不敵な笑みを浮かべた。
そして、長沼はその長沼の思いを征二と勇二に話した。
すると、征二は、
「違うんですよ!」
と、顔を真っ赤にしては、長沼に反発した。
「何が違うものか! あんたたちが婆さん宅に侵入した時間と、わきさんの死亡推定時刻は一致してるんだ! そのことが、あんたたちがわきさんを殺した犯人であるということを如実に証明してるじゃないか!」
と、長沼はまるで征二と勇二を威嚇するかのように、険しい表情を浮かべては、声を荒げては言った。そんな長沼は、もはや、わき殺しの犯人は、征二と勇二に違いないと言わんばかりであった。
「ですから、僕たちは婆さんを殺してませんよ!」
と、征二は再び顔を真っ赤にしては、長沼に反発するかのように言った。
「そんな言い訳が通用すると思ってるのか!
じゃ、あんたたちは何故婆さん宅に侵入したんだ? わきさんの金を盗むことが目的だったんだろ?
それとも、野田さんが眼にしたのは、あんたたちの幻であったとでも言うのかい?」
と、長沼は眉を顰めては、しらばくれても無駄だよと、嫌味を込めた表情と口調で言った。
すると、征二と勇二はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては、言葉を詰まらせてしまった。
すると、澄男が、
「やっぱり、この二人が婆さんを殺し、婆さんのお金を奪ったのよ! 何も言わないことが、その事実を証明してるわ!
刑事さん、早くこの二人を逮捕してよ!」
と、興奮のあまりか、声を上擦らせては言った。そんな澄男は、正に婆さんが死んだことよりも、婆さんのお金を征二と勇二が盗んだことに腹が立って仕方ないと言わんばかりであった。
そう澄男に言われると、征二は勇二に、
「どうする?」
と、小さな声で眉を顰めては言った。
すると、勇二は、
「やむを得ない」
と、眉を顰めては呟くように言った。
それで、征二は表情を改めては、
「実はですね」
と、征二と勇二が行なった行為を有りの儘に話した。そんな征二の様は、正に決まり悪そうであった。
そんな征二の話に、何ら言葉を挟むことなく、じっと耳を傾けていた長沼は、征二の話が一通り終わっても、気難しい表情を浮かべては、言葉を発そうとはしなかった。そんな長沼の表情は、今の征二の説明を信じていいものかどうか、迷ってるようであった。
だが、そんな長沼を横目に、澄男が、
「嘘をついても駄目! 当ってるか、当ってないか分からない千枚の宝くじを失敬してはチェックし、当ってなかった宝くじを返す為に婆さん宅に侵入したというのは、絶対に嘘よ! そうに決まってるわ!
そうだ! 千枚の宝くじが当ってなかったから、その腹癒せとして、婆さんのお金を盗もうとしてたのよ!
でも、その時に婆さんが戻って来たのよ! だから、婆さんのことを殺したのよ! そして、婆さんのお金を盗んで行ったのよ! そうに決まってるわ!」
と、正に眼を大きく見開き輝かせては、正に征二と勇二のことを非難するかのように言った。
「そうじゃないんですよ! 僕たちは嘘をついてません!
そりゃ、高額の宝くじがあれば、失敬しようとは思ってましたが……。でも、高額の当りくじはなかったのですよ。
それで、僕たちは宝くじを返す為に婆さん宅に入ったのですよ。
すると、宝くじが仕舞ってあった仏壇の部屋で、婆さんが死んでいたんですよ。それで、僕はびっくりしてしまって甲高い声を出してしまったのですよ。これは本当のことなんですよ」
と、勇二は何故勇二の言うことを信じてくれないのかと、まるで長沼と澄男に訴えるかのように言った。
そう勇二に言われると、長沼は、
「ふむ」
と、呟くように言っては、腕組みをしては、何やら考え込むような仕草を見せた。長沼はあまりにも真剣な様で自らの婆さん殺しに関する潔白を訴える征二と勇二を見て、征二たちのことを信じる気になったのかもしれない。
そんな長沼は、
「じゃ、絶対に君たちは婆さんを殺してないんだな」
と、征二と勇二の顔をまじまじと見やっては言った。
「そりゃ、絶対に間違いないですよ! 天に誓いますよ!」
と、征二は甲高い声で言った。
「そうですか……。で、婆さん宅に侵入し、婆さんの死体を見付けたのは、何時頃だったんだ? もう一度確認したいのだが」
「正確には何時頃だと断定は出来ないのですが、一時半過ぎだったと思います」
と、征二はその時を思い出すかのように言った。
「じゃ、婆さんの宝くじを盗む為に婆さん宅に忍び込んだのは、何時頃だったのかな?」
「一時頃だったですね。それは、絶対に間違いありません」
と、征二は険しい表情を浮かべながらも、いかにも自信有りげな口調で言った。
「成程。となると、婆さんは一時頃からあんたたちが婆さん宅に戻って来るまでの一時半までの間に殺されたというわけか」
と長沼は言っては、眼を鋭く光らせた。そして、
「で、何故君たちは、婆さんが一時頃に外出するということを知っていたのかな」
と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「ですから、婆さんは大晦日は昼過ぎから墓参りに行くということを聞いていたのですよ。また、それから二時間は、帰宅しないということを聞いていたのですよ。
それで、婆さんが外出する前に婆さん宅に電話をし、婆さんの気を逸らしている間に、勇二が婆さん宅に密かに忍び入っては、密かにリビングのサッシの鍵を開け、外で待機したというわけですよ」
と、征二は眼を爛々と輝かせては言った。
「じゃ、婆さんは墓参りに行かずに、戻って来たというわけか」
と、眉を顰めては言った。
「その点に関しては、僕では分からないです」
と、征二は決まり悪そうに言った。
「じゃ、婆さんが大晦日に昼過ぎから墓参りに行ったということを何故知ってるのかな」
と、長沼は興味有りげに言った。
「それは、小楽崎君からです。僕たちと同じ『宝来荘』に住んでいる僕たちと同じS大生の小楽崎君から耳にしたのですよ」
と、征二は表情を綻ばせては言った。そんな征二は、まるで婆さん殺しの疑いを征二と勇二から、小楽崎に向けてくれと言わんばかりであった。
長沼はといえば、征二にそう言われると、
「小楽崎君か……」
と、眉を顰めては、呟くように言った。小楽崎は依然として、疑わしい人物であったからだ。
そして、長沼はまだしばらくの間、征二と勇二から話を聴いていたのだが、この辺で一区切りつけることにした。
長沼は征二と勇二は、本当のことを話したのではないかと思った。となると、征二と勇二の罪状は、住居侵入罪か。
しかし、それは後回しにして、とにかく、婆さん殺しに全力を挙げることにした。