7 浮かんだ容疑者

 征二と勇二の証言が正しければ、婆さんは大晦日の午後一時頃から午後一時三十分の間に殺されたということになる。
 となると、婆さんはこの時間帯に婆さん宅内で何者かに殺された可能性が高いと思われるのだが、では、誰が犯人なのかというと、まだ有力な容疑者がいないというのが、実状だろう。
 既に、S大生の小楽崎熊男、田中征二、中田勇二という三人が容疑者として浮上しているが、まだ、有力とは言えないだろう。
 そう思っていると、若手の小林刑事(28)が、
「あの野田澄男という男は、案外怪しいと思いますね」
 と、眉を顰めて言った。
「野田澄男が怪しい?」
 長沼は眉を顰めては言った。
「ええ。そうです。僕が聞いたところによると、野田は五十に近い年齢にもかかわらず、無職で、金に困ってるみたいですよ。
 それ故、婆さんの金を当てにしていたのではないでしょうか。婆さんには子供がいないから、婆さんの遺産は自ずから澄男のものになるかもしれませんからね」
 と小林刑事は言ったものの、この時、
「ゴホン!」
 と、大きく咳をしては、大きく息を吸い込み、
「しかし、野田が婆さんの相続人であるといえども、野田は遺留分がありません。即ち、婆さんが遺言で野田には遺産を相続させないという旨を示せば、野田は婆さんの遺産を相続出来ないのですよ。職についていない野田にとってみれば、そうなってしまえば、一大事になってしまいます。
 それ故、野田は先手を打って婆さんを殺したというわけですよ」
 と、小林刑事は正にその可能性は充分にあると言わんばかりに、いかにも自信有りげな表情と口調で言った。
 そう小林刑事に言われると、長沼は、
「成程」
 と、些か険しい表情を浮かべては言った。長沼もその可能性は充分にあると思ったからだ。
 そんな長沼に小林刑事は、
「野田はアリバイは正に曖昧です。即ち、婆さんの死亡推定時刻に婆さん宅にいたのですからね。野田はその頃、ひょっとして婆さんの遺産のことで、婆さんと揉めていたのではないですかね。婆さんの遺産を全部、野田に遺すようにとか言って。
 だが、婆さんはそんな野田に反発し、婆さんは野田に婆さんの遺産を遺さないとか言ったりしたのではないですかね。
 それで、野田は野田にとって不利になるような婆さんの遺言を婆さんに書かさせないようにする為に、婆さんを殺したというわけですよ。
 そして、婆さんの宝くじを盗む為に婆さん宅に侵入したS大生が現われたことを幸とばかりに、婆さん殺しをそのS大生になすり付けたというわけですよ。また、野田は午後一時半頃に婆さんの遺体を眼にしたにもかかわらず、そのことを警察に通報しなかった。
 このことは正に妙ですよ。恐らく、野田は自らが婆さんを殺したという証拠を隠す必要があったのではないでしょうかね。それで、すぐに警察に通報しなかったのではないですかね」
 と、いかにも自信有りげな表情と口調で言った。
 小林刑事にそう言われると、長沼は、
「成程」
 と言っては、眼をキラリと光らせた。確かに、その小林刑事の推理は現実味はあると思ったからだ。
 そして、これによって、今度は野田澄男が長沼たちから訊問を受けることになったのである。
「僕が犯人ですって?」
 澄男は顔を真っ赤にしては、武者震いした。
「そうです。野田さんは職につかずに、金に困っています。それ故、婆さんのお金を当てにしていたのですよ。
 しかし、婆さんの甥だからといって、婆さんが死んでも、婆さんの遺産を相続出来るとは限りません。何故なら、野田さんには、遺留分がありませんからね。
 即ち、婆さんが遺言で野田さんには婆さんの遺産を相続させないという旨を示せば、野田さんは婆さんの遺産を全く貰えなくなるわけですよ。
 しかし、そのようになってしまえば、野田さんにとって、堪ったものではありません。金が無い野田さんは、婆さんの遺産をまるで当てにしていたわけですからね。
 ですから、婆さんが野田さんに婆さんの遺産を遺さないという遺言を作られる前に、野田さんは先手を打って婆さんを殺したというわけですよ。
 ところが、野田さんが婆さん殺しを終わった頃、宝くじ泥棒のS大生の二人組が婆さん宅にやって来たわけですよ。
 それ故、野田さんはこれは幸とばかりに、そのS大生に婆さん殺しの罪をなすりつけようとしたのですよ!」
 と、長沼は澄男を睨みつけながら、力強い口調で言った。そんな長沼は、正に婆さん殺しの真相はこれで決まりだと言わんばかりであった。
 すると、澄男は、
「まあ! 何たる暴言! 僕、名誉棄損で訴えてるから!」
 と、興奮のあまり、身体を激しく震わせては、歯をがちがちと鳴らした。
「状況証拠では、野田さんが犯人であるということを如実に示しているのですがね。動機といい、アリバイといい、野田さんにとって不利な状況であることは間違いないのですがね」
 と、長沼は澄男を睨みつけては、にやっとした。その長沼の笑みは、正に嫌味のある笑みであった。
 すると、澄男は、
「僕、婆さんを殺してなんかいないわ! 僕、蚊さえ殺すのが嫌なの! それなのに、婆さんを殺せるものですか!」
 と、悲愴な顔付きで、長沼に反発した。そんな澄男は、今になって、澄男が置かれている不利な状況にやっと気付いたかの如しであった。
 だが、長沼はそんな澄男の言い分を信じる気には出来なかった。何しろ、状況証拠では、澄男が最も犯人らしいことを示していたからだ。
 また、澄男が不利になる情報が新たに入った。それは、婆さんが婆さんの友人に澄男の取扱いに悩んでいると話していたという情報を入手したからだ。
 更に、婆さんは澄男に遺産を与える位なら、慈善団体にでも寄付しようかということを友人に話していたそうだ。
 これらのことから、澄男への疑惑は一層高まった。
 だが、婆さん殺しの疑いで澄男を逮捕出来るかというと、今の状況では無理だというものであろう。
 そう思うと、長沼は渋面顔を浮かべた。
 婆さんの死は、紐のようなもので首を絞められたことによる窒息死であった。また、婆さんの体力からして、女子供でも、婆さんを殺すことは可能であろう。
 もっとも、婆さんを殺したと思われる紐のようなものは、まだ見付かっていない。それ故、それを犯人は既に処分してしまったのかもしれない。
 それ故、野田澄男という婆さんの甥が、この時点で一気に有力な容疑者として浮上はしたにだが、澄男を逮捕することは出来ないのだ。また、澄男も婆さん殺しを頑なに否定し続けるのだ。
 そうなって来ると、改めて田中征二と中田勇二のことが浮上した。
 征二と勇二は、宝くじ泥棒をあっさりと認めた。しかし、それは、婆さん殺しを隠す為ではなかったのか? 住居侵入罪と殺人では、罪の重さが違うというものだ。それ故、殺人という重罪から逃れる為に、あっさりと宝くじ泥棒を自白したのではないかということだ。
 そう長沼たちが思ってる時に、妙な情報がもたらされた。その情報をもたらしたのは、婆さん宅の隣に住んでいる婆さんと親しくしていたという向井勘助(63)であった。
 勘助は神妙な表情をしては、婆さんの捜査本部が置かれてるK署にやって来た。そして、
「わきさんを殺した犯人に、もう目星はついたのですかね?」
 と、神妙な表情を浮かべては言った。
「一応、有力な容疑者はいることにはいるのですがね」
 と、長沼は力無い声で言った。長沼はやはり、征二や勇二、小楽崎や澄男が犯人だと断定する自信はまだなかったのである。
 そんな長沼に、勘助は、
「それは、誰ですかね?」
 と、いかにも興味有りげに言った。
 それで、長沼はとにかく澄男の名前を上げた。本来、部外者に容疑者の名前に関して言及するのはよくないのだが、勘助が何となく長沼たちに有力な情報を提供出来そうな印象を抱いたので、澄男の名前に言及してしまったのだ。
 長沼にそう言われると、勘助は、
「野田澄男さんですか……」
 と、渋面顔を浮かべては、呟くように言った。
 すると、長沼も渋面顔を浮かべては、何故澄男が有力な容疑者になってるのか、その理由を凡そ説明した。
 すると、勘助は、
「成程。それでは、野田さんが有力な容疑者となってもやむを得ないかもしれませんね」
 と、長沼の説明に些か納得したように言った。 
 そんな勘助に、長沼は、
「で、向井さんは、わきさんの事件で何か情報をお持ちになってるとか」
 と、些か興味有りげな表情を浮かべては言った。
 すると、勘助は、
「ええ。そうですが」
 と、長沼から眼を逸らせては、些か決まり悪そうに言った。そんな勘助は、勘助がもたらす情報が果して警察の捜査に役立つがどうか、自信がないと言わんばかりであった。
 そんな勘助に、長沼は、
「どんな些細な情報でも構いませんから、遠慮せずに話してもらえないですかね」
 と、いかにも愛想良い表情と口調で言った。
 すると、勘助は神妙な表情を浮かべながら、
「僕はあの日、つまり、大晦日の午後零時三十分頃、花井さんを見てしまったのですよ」
 と、いかにも言いにくそうに言った。
 長沼は無論、花井という名前に心当りあった。勘助が言った花井とは、婆さんの死体を眼にし、最初に110番通報して来た女性だ。恐らく、その花井房子のことであろう。
 しかし、何故勘助は房子の名前を長沼に言ったのだろうか?
 それはともかく、勘助が言った花井という人物が、長沼が思ってる花井房子なのか、確認してみた。
 すると、勘助は、
「そうですよ。その花井房子さんのことですよ」
 と言っては、小さく肯いた。
「成程。では、その花井さんを何処で見たというのですかね?」
 と、長沼は些か興味有りげに言った。
「ですから、梅崎さん宅から出て行ったところをですよ。もっとも、僕が眼にしたのは、花井さんの後姿でしたから、花井さんは僕が花井さんを眼にしたことを花井さんは知らないと思いますがね」
 と、淡々とした口調で言った。
「成程。で、向井さんが眼にしたのは、午後零時三十分頃であることは、間違いないのですかね?」
「ええ。間違いないですよ。その時、僕は腕時計を眼にしましたからね」
 と、勘助は淡々とした口調で言った。
 そう勘助に証言されると、長沼の表情は、一気に真剣なものへと変貌した。何故なら、房子は婆さん宅に入り、婆さんの死体を見付けたのは、午後四時三十分頃だと証言したからだ。それ故、房子の証言と勘助の証言は正に食い違うのだ。また、房子は午後零時三十分過ぎに婆さん宅を訪れたと言うことに関して、警察に何ら言及していない。
 それで、長沼の表情は、一気に険しくなったのだが、そんな長沼に、勘助は、
「ところがですね」
 と、表情を曇らせては、いかにも言いにくそうに言った。
「ところが、どうしたのですかね?」
「ところがですね。その四十分後、つまり、午後一時十分頃に、再び花井さんの姿をわきさん宅の前で眼にしてしまったのですよ。そして、その時に花井さんの様は、とても尋常とは思えない程のものだったですね」
「尋常とは思えない?」
 長沼は眉を顰めては言った。
「ええ。そうです。で、何故僕が午後零時三十分頃に花井さがわきさん宅に入って行くのを眼にしてから、その四十分後に再びわきさん宅の方に行ったのか、分かりますかね?」
 と言っては、勘助は眼をキラリと光らせた。そんな勘助の表情は、相当に険しいものであった。
 だが、長沼は、
「分からないですね」
 と、冴えない表情で言った。
 そんな長沼に勘助は、
「僕はわきさん宅の隣に住んでいる人物ですよ。僕がそう言っても、刑事さんは分からないですかね?」
 と、長沼の胸の内を探るかのように言った。
 そう勘助に言われても、長沼は分からなかったので、その旨を言った。
 すると、勘助はその時、険しい表情を浮かべては、
「実はですね。僕はその時に、聞いてしまったのですよ」
「聞いてしまった? 何を聞いてしまったのですかね?」
 長沼は眉を顰めては言った。
「ですから、わきさんの悲鳴ですよ」
 そう勘助に言われると、長沼は甚だ険しい表情を浮かべては、言葉を詰まらせてしまった。何故なら、それは長沼が予想してなかった証言だったからだ。
 そして、今の勘助の証言から、状況は一変したことは間違いなかった。即ちわき殺しの有力な容疑者として、花井房子が一気に浮上したからだ。
 しかし、花井房子はわきとは懇意にしていたというではないか。それ故、長沼は今の勘助の証言をあっさりと信じるわけにはいかなかった。
 それで、長沼は、
「本当ですかね?」
 と、いかにも信じられないと言わんばかりに言った。
「そりゃ、勿論、本当ですよ。
 で、僕はその時のわきさんの悲鳴がとても尋常なものとは思えませんでした。
 それで、僕はいかにも深刻な表情をしては僕の家を後にし、わきさん宅に向かったのですが、その時に僕は花井さんがわきさん宅を後にしたのを眼にしたのですよ。
 で、その時に花井さんの様はとても尋常とは思えませんでした。僕が近くにいたのに、花井さんは僕のことに気付きませんでしたからね。余程、花井さんはその時、気が動転していたのではないでしょうかね」
 と、勘助はいかにも神妙な表情を浮かべては言った。
 そう勘助に言われると、長沼は、
「ふむ」
 と、いかにも険しい表情で言っては、肯いた。
 即ち、今の勘助の証言が正しいければ、梅崎わき殺しの犯人は、花井房子で決まりだ! 犯行を隠す為に、犯人が第一発見者を装うことは、往々にしてあるものだ。それ故、今回の事件もそのケースに該当するのかもしれない。
 とはいうものの、何故花井房子は、わきを殺したのだろうか? 房子とわきは、懇意にしていた筈だ。
 それ故、長沼はその疑問を勘助に話してみた。
 すると、勘助は、
「分からないですね」
 と、いかにも気難しそうな表情を浮かべては言った。
 そんな勘助に長沼は、
「でも、よくぞ話してくれました」
 と、勘助の労を労った。
 もっとも、長沼としては、その証言をもっと早くしてもらいたかった。そうすれば、事件はもっと早く解決に向かったのではないのか。
 しかし、そう勘助には言い辛いというものだ。
 そんな長沼の胸の内を察したのかどうかは分からないが、勘助は、
「本来なら、もっと早くこのことを警察に話すべきだったのですがね。でも、僕は結構花井さんとは親しくしていますからね」
 と、いかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
 そして、この辺で勘助との話を終えることにした。
 この勘助の証言によって、わき殺しの最有力者として花井房子が浮上した。
 そして、房子がわきを殺したのなら、動機は恐らく金であろう。何しろ、わきの取柄といえば、金位しかないのだから。況してや、房子はわきとは懇意にしていたのだから。それ故、わきと房子が感情的に対立したという可能性は、低いといえるだろう。
 その点を踏まえて、まず、房子の金銭状況の捜査が行なわれた。
 すると、早々と成果を得ることが出来た。
 というのは、房子は駅前にあるサラ金から、三百万を借り、その返済が滞りがちであることが明らかになったからだ。
 それを受けて、花井房子は任意出頭という形で署に連れて来られては、長沼たちから話を聴かれることになった。 
 すると、房子は最初の内は、わき殺しを頑なに否定した。
 だが、房子が駅前のサラ金から三百万借り、その返済が滞ってるということを指摘されると、もう逃れられないと思ったのか、徐々に真相を話し始めた。
「私、つい、魔が差してしまったのです」
 房子は眼を伏せながら、いかにも言いにくそうに言った。
「魔が差した? それ、どういうことですかね?」
 長沼は眉を顰めては、淡々とした口調で言った。
「私、以前も刑事さんに話しましたが、いつも元旦にわきさんに和菓子を持って行き、新年の挨拶をするのですが、今回は元旦に用がありましたので、大晦日にわきさん宅に行ったのですよ。確か、午後零時半頃のことだったと思います。
 でも、玄関扉の鍵は掛かってなかったのですが応答がなかったので、午後一時過ぎに再び訪れたのですよ。
 で、玄関扉の鍵は掛かってなかったので、今度は玄関扉を開けては、わきさんの名前を呼びました。何度も大声で呼んだのですが、応答はありませんでした。
 それで、私はわきさんの身体の具合が悪くなってしまって、わきさんが動けなくなってしまったのではないかと思ったのですよ。それで、私はわきさんの名前を呼びながら、部屋の中に入って行ったのですが、一向にわきさんからの返答はありませんでした。
 それで、留守なのかと思い、私は出直そうかと思ったのですが、その時に魔が差してしまったのです」
 と言っては、房子は眼頭にハンカチを当てた。そして、少しの間、言葉を詰まらせていたのだが、やがて、房子は再び話し始めた。
「私はわきさんから、わきさんが台所の食器入れの引出しの中に、いつも二百万程のお金を仕舞ってるという話を聞いていました。何しろ、わきさんは高齢ですから、いつ病院に行かなければならないかもしれませんからね。そういう時に備えて、わきさんはいつも二百万程のお金を準備していたというわけですよ。そして、私はその時、突如、その話を思い出したというわけですよ。
 何しろ、私は今、サラ金に三百万もの借金を抱えていますからね。もっとも、元金は二百万だったのですが、みるみる内に利息が脹れ上がってしまったというわけですよ。
 で、その借金は、実のところ、私のホストを遊びでのお金だったのですよ。私はホスト遊びという趣味がありましてね。ホストクラブでパーっと派手にお金を使うことが、正に私の何よりもの愉しみであったのですよ。そして、私はホスト遊びに嵌まってしまい、今では三百万の借金となってしまったのですよ。時給八百円のパートで働いている私ではとても返し切れない借金持ちとなってしまったのですよ。
 ホスト通いに嵌まってしまい、サラ金に手を出してしまったことは、主人に話すことは出来ませんし、況してや小学校三年の娘にも話すことは出来ません。
 即ち、私は一人で悩んでいたのです。
 そんな私がわきさんのお金に眼が眩んでしまったことは、充分に察してもらえると思います。
 そんな私はまるで水が上から下へと流れるように、食器入れの引出しの中に仕舞ってある一万円札の束を手で摑んでしまったのですよ。
 ところが……」
 そう言い終えるや否や、房子は両手で顔を覆った。
 だが、房子はすぐに両手を顔から離し、更に表情を険しくさせては、
「ところが、その時、私はふと人の気配を感じ、振り返りました。
 すると、そこにはわきさんが立っていたのです。
 そんなわきさんの表情は、正に私が今まで眼にしたことのない位のものでした。
 つまり、わきさんは、まるで天変地異に見舞われた時に見せるような強張った表情を浮かべたのです。
 つまり、私が人気を感じ振り返ると、そのわきさんを眼にしてしまい、腰を抜かさんばかりに驚いたように、わきさんも私がわきさんのお金を盗もうとしてるのを眼にして、腰を抜かさんばかりに驚いてしまったのでしょう。
 そんなわきさんに、私は弁明のしようがありませんでした。そんな私は、気付いた時には、私のズボンのベルトでわきさんの首を絞めてしまっていたのです」
 そう言い終えると、房子は声を上げて泣きじゃくった。正に、房子はわきを殺してしまったことに、いくら後悔しても後悔し切れないと言わんばかりであった。
 房子の自供、更に、勘助の証言などから、房子がわき殺しの疑いで逮捕された。後は、裁判で房子にどのような判決が出るかを遺すばかりだ。
 もっとも、わきの事件では、まだ謎が残っていた。
 それは、何故房子が一時過ぎに、わき宅の食器入れからお金を盗もうとしていた時に、わきが姿を見せたのかということだ。その頃、わきは墓参りに行っていたのではないだろうか? また、午後一時前に、わきはわき宅を後にしたということは、征二と勇二が確認しているのだ。
 それらのことから推測すると、わきは確かに午後一時前に、わき宅を後にしたのだが、気分が悪くなったりして、戻って来た。その時間は房子がわき宅を訪れるすぐ前の午後一時過ぎであろう。何故なら、もし房子がわき宅を訪れた後、わきが戻って来れば、房子はそのことに気付いただろうし、また、玄関扉の鍵が開いてる筈はないからだ。
 それ故、房子がわき宅を訪れた時には、わきは既に帰宅していたのだが、トイレに入っていたり、奥の部屋で寝ていたりして、房子の呼び掛けに応答出来なかったのだ。
 だが、何とか身を起こし、わきは房子の許に行こうとしたのだが、すると、その時、台所でお金を失敬しようとしていた房子を眼にしてしまったのだ。それで、事件が発生したのだ。 
 そして、その後の房子の供述から、房子がわきの死体を仏壇のある八畳間に運んだことは明らかとなった。そして、一時十分頃、房子はわき宅を後にした。そして、その時の場面を向井勘助に眼にされてしまったのだ。
 そして、その後、野田澄男が玄関扉からわき宅にやって来た。そして、それに続いて、征二と勇二が宝くじを返す為にわき宅にリビングから侵入したというわけだ。
 以上がわきの事件の概要だ。



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