3
長田正道は横浜市の野毛山公園の近くのマンションに住んでいた。
そんな正道のマンションを訪ねた中村に対して、正道は困惑気な表情を浮かべた。そんな正道は、静岡県警の刑事が一体何の用があるのかと言わんばかりであった。
そんな正道に、中村は自己紹介してから、
「実はですね」
と言っては、崎山から耳にした正道の息子の正と尾藤とのトラブルの話に言及し、
「で、その尾藤さんが七月二日に、下田市内の多々戸浜で、他殺体で発見されたのですよ」
と、正道の顔をまじまじと見やっては、いかにも渋面顔を浮かべては言った。
そんな中村の話に、正道もいかにも渋面顔を浮かべては耳にしていたが、中村の話が終わっても、渋面顔を浮かべては、言葉を発そうとはしなかった。
そんな正道に中村は、
「で、長田さんは、その事件のことをご存知ですかね?」
と、正道の顔をまじまじと見やっては、言った。
すると、正道は黙って小さく肯いた。
そんな、正道に、中村は、
「どうやって、そのことを知りましたかね?」
と、いかにも興味有りげに言った。
「新聞で知りましたよ」
正道は、淡々とした口調で言った。
「新聞でですか。で、長田さんは、七月一日の午後八時から九時頃にかけて、何処で何をしてましたかね?」
と、まず尾藤の死亡推定時刻のアリバイを確認してみた。
すると、正道の言葉が詰まった。そして、正道はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべていた。そんな正道は、正に訊かれたくないことを訊かれたと言わんばかりであった。
正道が渋面顔を浮かべてはなかなか言葉を発そうとはしないので、中村は、
「どうしたのですかね?」
と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。中村とて、まさかその頃、正道が多々戸浜とか下田方面にいるとは思っていなかったのだ。つまり、正道が犯人なら、もっと偽装工作をするであろうと思ったのである。
それはともかく、中村の問いに、正道はなかなか返答しようとしないので、中村は、
「どうしたのですかね? 何か隠さなければならないことがあるのですかね?」
と、いかにも神妙な表情を浮かべては言った。
すると、正道は、
「実はその頃、僕は伊豆にいたのですよ」
と、中村から眼を逸らせては、いかにも言いにくそうに言った。
「伊豆、ですか……」
中村は眼を丸くさせては言った。そんな中村は、まさか正道がこうあっさりと、自らが不利になるような言葉を発するとは思っていなかったからだ。
それはともかく、
「で、伊豆の何処にいたのですかね?」
と、中村はいかにも興味有りげに言った。
すると、正道はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては、
「下田の方です」
そう正道に言われ、中村は眼を大きく見開き、そして、白黒させてしまった。こう事がうまく運ぶとは思っていなかったからだ。
即ち、中村は、正道が尾藤に恨みを持ち、その恨みを晴らす為に、正道が尾藤を殺した可能性があると看做し、正道宅にやって来ては、正道から話を聴くことになったのだが、正道とて、万一、正道が犯人であったとしても、その犯行を隠蔽する為にさまざまな工作をするだろうと読んでいたのだ。だが、下田にいたでは、まるで正道が犯人であると仄めかしているみたいではないか?
それで、中村は些か驚きの表情を浮かべたのだ。
それはともかく、
「下田ですか。で、下田のどの辺りにおられたのですかね?」
と、中村はとにかく平静を装い、そう言った。
すると、正道は、
「それが、多々戸浜なんですよ」
と、中村からちらちらと眼を逸らせながら、いかにも決まり悪そうに言った。
そう正道に言われると、中村の言葉は思わず詰まってしまった。何故なら、尾藤の死亡推定時刻に、まさか、正道が尾藤の殺害場所と思われる多々戸浜にいたなんて証言するとは、予想だにしてなかったからだ。これでは、まるで正道が尾藤殺しの犯人であるということをあっさりと認めたみたいなものではないか!
そう中村は思ったのだが、すると、そんな中村の胸の内を正道は察したのか、
「でも、僕は尾藤を殺してはいませんよ」
と、まるで真剣な表情を浮かべては言った。
そんな正道に中村は、
「でも、尾藤さんの死亡推定時刻に、長田さんは尾藤さんが殺害されたと思われる多々戸浜にいたのですよね」
と、眼を大きく見開き輝かせては言った。そんな中村は、こんな偶然が起こり得るわけはないと、言わんばかりであった。
すると、正道は、
「それがですね。その日、僕は呼び出されたのですよ」
と、いかにも決まり悪そうに言った。
「呼び出された? それ、どういうことですかね?」
中村は、些か納得が出来ないと言わんばかりに言った。
「その日、僕は尾藤から手紙を受けたのですよ。正のことで、話したいことがあると。何しろ、今まで尾藤は僕に正のことで、まるで誠意を見せたことはありませんでしたからね。
で、正が事故に遭ったのは、多々戸浜なので、多々戸浜でないと話が出来ないというのですよ。それで、僕はその日、多々戸浜に出向いたのですよ」
と、正道はいかにも決まり悪そうに言った。そして、
「その手紙を見せましょうかね?」
「ええ」
中村がそう言ったので、正道は一旦席を外し、程なく、尾藤から受取ったというその手紙を持って戻って来た。
それで、中村はその手紙に眼を通してみたが、今の正道が言ったような内容がワープロで書かれていた。
それで、中村は、
「で、それからどうしたのですかね?」
と、いかにも好奇心を露にしては言った。
「で、それからは、そのワープロ打ちで記されてあったように、僕は午後九時に多々戸浜に行きました。でも、なかなか尾藤は現われませんでした。それで、仕方なく、宿泊先の民宿に戻ったのですよ」
と、正道はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。そんな正道は、今の正道の説明を受けて、中村が正道のことを疑うのではないかと言わんばかりであった。
案の定、正道にそう言われ、無論、中村は正道が尾藤を殺した可能性は十分にあると言わんばかりの表情を浮かべた。だが、その一方、もし正道が尾藤殺しの犯人ならば、こうあっさりと、正道が不利になるような証言を行なうであろうかという思いも抱いた。
それで、とにかく、事の白黒をこの際、一気につけてやろうと思った。
それで、中村はこの時点で、尾藤の死亡推定時刻と、尾藤の死体が翌七月二日に多々戸浜で発見されたことを説明した。
すると、正道は、
「分かっていますよ」
と、いかにも真剣な表情を浮かべては言った。そんな正道は、いかにも中村に挑むかのようであった。
そんな正道に、中村はこの時点で正道が尾藤を殺したのではないかということに言及した。
すると、正道は、
「とんでもない!」
と、素っ頓狂な声を上げた。
「でも、長田さんは尾藤さんに対して恨みを抱いてます。そんな折に、尾藤さんの死亡推定時刻に、尾藤さんの死体が発見された多々戸浜にいたでは、長田さんが疑われても、やむを得ないのではないですかね?」
と、中村はまるで正道を睨み付けるかのように言った。そんな中村は、正道が尾藤のことを恨む気持ち分かるが、そうだからといって、殺しをもって復讐するのはよくなかったと、正道を諌めてるかのようであった。
すると、正道は、
「僕は尾藤を殺してはいませんよ!」
と、声を荒げては言った。
「そう言われてもね。動機も十分だし、また、尾藤さんの死亡推定時刻に尾藤さんの死体が発見された場所にいたじゃ、これでは、裁判でも明らかに長田さんが不利となりますよ」
と、中村はもうこの際、何もかもを話せば楽になるよと言わんばかりに言った。
すると、正道は、
「確かに状況証拠は僕に不利といえるでしょう。でも、決定的な証拠がないじゃないですか! 何しろ、尾藤は刺殺されたというじゃないですか! でも、もし僕が犯人なら、僕が尾藤殺しに使った凶器が見付かったのですかね?」
と、中村に挑むような眼差しを投げた。
「そりゃ、そのような凶器は見付かっていませんよ。でも、それは、長田さんが巧みに隠したからではないですかね? だから、見付からないだけではないですかね?」
と、今度は中村が正道に挑むような眼差しを投げた。
すると、正道は、
「そうだ! これは、陰謀ですよ!」
と、いかにも妙案が閃いたと言わんばかりに、眼を大きく見開き、輝かせては、声高に言った。
「陰謀?」
「そうです。陰謀です! 誰かが僕のことを尾藤殺しの犯人に仕立て上げたのですよ。何しろ、僕は尾藤に恨みを持っている。それで、僕を件の手紙で多々戸浜に呼び出し、僕が尾藤を殺したと思わせる工作をしたわけですよ。尾藤の名前をかたって、僕を多々戸浜に呼び出したのも、無論、尾藤を殺した犯人ですよ!」
と、正道は甲高い声で言った。そんな正道は、今度は正に正道を尾藤殺しの犯人に仕立て上げた輩に強い怒りを向けているかのようであった。
そんな正道に、中村は、
「でも、一体、誰がそのようなことをやったというのですかね?」
と、眉を顰めては言った。そんな中村は、一体誰がそのようなことをやるのかと言わんばかりであった。
すると、正道の言葉は詰まったが、程なく、
「尾藤を恨んでる者は、僕以外にもいますよ」
と、眉を顰めては言った。
「殺してやりたい位、恨んでる人に、心当たりあるのですかね?」
と、中村も眉を顰めた。
すると、正道も眉を顰めたまま、
「ええ」
と言っては、小さく肯いた。
「それは、誰ですかね?」
中村は興味有りげに言った。
「それは、海部さんですよ」
と、正道は険しい表情を浮かべては、小さく肯いた。
「海部さん? それは、どういう人ですかね?」
中村は興味有りげに言った。
「尾藤の友人の父親ですよ」
と、正道は険しい表情で言った。
「何故、尾藤さんの友人の父親が、尾藤さんのことを恨んでるのですかね?」
中村は、興味有りげに言った。
「僕が聞いたところによると、何でも尾藤は海部という友人たちと、沖縄の方でダイビングをやっていたそうですよ。で、その時、尾藤は海部君とバディを組んでダイビングをやっていたそうですが、その時、尾藤が勝手な行動を取り、その結果、海部君は事故死してしまったそうですよ。それ故、海部君の父親は、尾藤のことをとても恨んでいたそうですよ。僕はそう聞いてます」
と、正道はいかにも険しい表情を浮かべては言った。
「では、長田さんはその海部さんが、尾藤さんを殺したと思われてるのですかね?」
中村は正道の顔をまじまじと見やっては言った。
「いや。そうだとは言ってませんよ。でも、尾藤のことを僕のように強く恨んでる者を知らないかと言われれば、僕はその海部さんのことを思い浮かべるわけですよ」
と、正道は言っては、小さく肯いた。
そう正道に言われ、中村は、
「なる程」
と言っては、小さく肯き、そして、
「で、長田さんは、その海部さんと面識があるのですかね?」
「いいえ。僕は全く面識はありませんよ」
と、正道は小さく頭を振った。
「では、何故、長田さんは海部さんのことを知ってるのですかね?」
「僕は以前、裁判で尾藤のことを訴えたのですよ。慰謝料を払えという風に。で、その裁判は僕の思っていたような判決とはならなかったのですが、その時の弁護士から海部さんのことを耳にしたのですよ」
と、正道は言った。
それで、中村は正道から、その弁護士のことを聞き、今度はその弁護士から話を聴いてみることにした。