3 捜査打ち切り
クッチャロ湖畔のサイクリングロードで、ヒグマに襲われて死亡したと思われていた人物は、犬飼四郎ではなかったことが明らかとなったのだ!
この予想外の事実を受けて、坂本たちには、戸惑ったような表情を浮かべた。一体、サイクリングロードの事件はどうなってるのか、よく分からなくなって来たからだ。
六月十五日に旧天北線上に設けられたサイクリングロードで、犬飼四郎と思われる男性が、ヒグマに襲われ行方不明となった。しかし、犬飼四郎と思われる人物は、犬飼四郎ではない別人物である可能性が高まったのだ。しかし、これは、何を意味してるのだろうか?
正に、名探偵に謎を解き明かしてもらいたい位だった。
犬飼四郎が、犬飼四郎でなかったとなると、では犬飼の名前をかたり、稚内でレンタカーを借りたり、稚内市内のホテルで宿泊したり、また、クッチャロ湖のレンタルサイクル店で、自転車を借りた人物は、何者だったのだろうか?
また、犬飼四郎は、何処に行ってしまったのだろうか?
この謎を明らかにする必要があるだろう。
そこで、まず、犬飼四郎とは、どういった人物なのか、明らかにする必要があるだろう。
そして、その捜査を警視庁の本庄幹夫警部補(45)に行なってもらうことになった。
すると、それは程なく明らかになった。というのは、犬飼のアパートから、「山海漁」という社員証が出て来たからだ。即ち、犬飼は「山海魚」という居酒屋の社員だったのだ。
そして、犬飼は「山海魚」の新宿店で働いていたことが明らかとなった。それで、早速、本庄は「山海魚」の新宿店に行っては、「山海魚」の従業員たちから話を聴いてみることにした。そして、本庄がまず最初に話したのは、長谷沼正志店長(44)であった。
長谷沼は、本庄に、
「犬飼君が死んだなんて、今、初めて知りましたよ」
と、いかにも驚いたと言わんばかりに言った。
「まだ、確定したわけではないのですがね。しかし、可能性は十分にあるということですよ。そのようなことを想像されたことはなかったのですかね?」
本庄は、長谷沼の顔をまじまじと見やっては言った。
「想像はしてなかったですね」
と、長谷沼は渋面顔で言った。
「でも、ここしばらくの間、お店を無断欠勤してたのではないですかね?」
「そうです。まあ、素行の悪い奴でしたから、無断欠勤してもおかしくないと思ってはいたのですが、まさか死んでるとは思わなかったですね」
と、長谷沼は渋面顔で言った。
そんな長谷沼に、本庄は犬飼がクッチャロ湖畔のサイクリングロードで発見された経緯を話し、また、稚内のホテルの宿泊カードに記載されていた犬飼の筆跡が犬飼のものでないという事実も話した。
そんな本庄の話に黙って耳を傾けていた長谷沼は、本庄の話が一通り終わると、
「刑事さんは何が言いたいのですかね?」
と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「ですから、我々は当初、犬飼さんはクッチャロ湖畔のサイクリングロードでヒグマに襲われて死亡したのではないかと思っていたのです。ところが、犬飼さんの母親は犬飼さんがクッチャロ湖のサイクリングロードでサイクリングしていたことは信じられないと言いました。それで、その人物が本当に犬飼さんだったのかどうか、我々は調べてみました。すると、不審なことが色々出て来ました。というのは、犬飼さんはレンタカーを借りた時と稚内のホテルにチェックインする時に、薄い色の付いたサングラスを掛けていたというのですよ。それで、犬飼さんが稚内のホテルにチェックインした時、宿泊カードに書かれていた筆跡と犬飼さんのアパートにあった筆跡とを比べてみたのですよ。すると、犬飼さんでない別人物が書いたということが明らかになったのですよ」
と、本庄は渋面顔で言った。そんな本庄は、正に妙な事態になって来たと言わんばかりであった。
そんな本庄に、長谷沼は、
「ということは、そのサイクリングロードでヒグマに殺されたという人物は、犬飼君でなかったということですかね?」
と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「そうなりますね」
と、本庄は眉を顰めた。
そんな本庄に、長谷沼は、
「でも、犬飼君は出勤して来ないのですよ」
と、口を尖らせた。そんな長谷沼は一体どうなってるんだと言わんばかりであった。
そんな長谷沼に、本庄は、
「ですから、サイクリングロードでヒグマに襲われたのは、犬飼さんではなかったというわけですよ。犬飼さんに成りすました別人物だったというわけですよ」
と言っては、小さく肯いた。
「その人物が何者か分かってるのですかね?」
「いや。まだ分かってません」
と、本庄は渋面顔で言った。
そう本庄が言った後、二人の間で少しの間、沈黙の時間が流れたが、やがて、長谷沼が、
「では、犬飼君はどうなったというのですかね?」
と、いかにも怪訝そうな表情を浮かべては言った。そんな長谷沼は、サイクリングロードでヒグマの餌食になった人物が犬飼でなかったのなら、犬飼の失踪はどう説明すればよいのかと言わんばかりであった。
そんな長谷沼に、本庄は、
「それに関して、長谷沼さんたちから話を聴く為に、こうしてやって来たのですよ」
と、言っては小さく肯いた。
すると、長谷沼は眉を顰めては、
「そう言われてもねぇ」
と、言葉を濁した。そんな長谷沼は、それに関して何ら情報は持ち合わせてはいないと言わんばかりであった。
「誰か、それに関して情報を持ってそうな人物は見当たらないですかね?」
と、本庄は眉を顰めた。
「さあ、うちの社員に一通り当たってみてはどうですかね」
そう長谷沼に言われたので、「山海魚」の社員に一通り、犬飼の失踪に関して何か情報を持ち合わせていないか、話を聴いてみた。
しかし、誰も彼もが、それに関して特に情報を持ち合わせてはいなかった。
それで、本庄は落胆したような表情を浮かべたのだが、そんな本庄に、長谷沼は、
「刑事さん。まだ、犬飼君が何か事件に巻き込まれたという事実は確定したわけではないのですよね?」
「そうです」
「だったら、刑事さんは何もしなくていいのではないですかね。というのも、犬飼という奴は気紛れな男ですから、何処か旅行にでも行ってしまったのではないですかね。そして、後、少ししたら、何事もなかったと言わんばかりに店に姿を見せるかもしれないですよ。もっとも、そうなれば、今度こそ、馘にしてやりますがね」
と、長谷沼は些か表情を険しくさせては言った。
長谷沼にそう言われたことと、また、クッチャロ湖畔でヒグマに襲われたと思われる人物の遺体が発見されたわけではないので、この件は今後捜査しないことになった。