1 旅行者
まず、徳之島の見所を挙げてみよう。
犬の門蓋、犬田布岬、戦艦大和慰霊碑、畦プリンスビーチ、金見ソテツトンネル、ムシロ瀬、与名間ビーチという具合だ。
そして、喜念浜海岸も見所の一つだ。
喜念浜海岸は、サンゴ砂丘が東西二キロに及んで拡がってるが、徳之島を今回初めて訪れた上山登志男(35)の表情は、喜念浜海岸を訪れても特に変化は見られなかった。
というのも、上山は元々旅行は好きではなく、ましてや、一人旅も好きではなかった。
しかし、今回は先日十年連れ添って来た妻と離婚し、慰謝料として五百万渡してしまった。
その結果、上山の貯金は一気に減少し、また、訳あって、仕事も辞めてしまった。
こうなってしまえば、一人旅でもしてみるかという気にならざるを得なかったのだ。
そして、その旅行先に選んだのが、徳之島であったのだ。
では、何故旅行先に徳之島を選んだのかというと、それは、まだ一度も行ったことがなかったからだ。沖縄本島、奄美大島は一度訪れたことがあったのだが、徳之島はまだ一度も訪れたことはなかったからである。ただ、それだけのことであったのだ。
そんな上山の移動手段は、徳之島空港で借りたレンタカーであり、そのレンタカーは、ワゴンRであった。
そんな上山は、ワゴンRで空港近くのレンタカー店を出発すると、まず犬の門蓋を訪れた。
今日は快晴であったということから、犬の門蓋には十人程の観光客を眼にすることが出来た。
上山はといえば、そんな観光客に、眼もくれずに、犬の門蓋見物を終え、また、展望台にも上ったといえども、特に思うことはなかった。というのも、元々上山は旅行は好きではなく、また、自然に敬意を払うなどという思いはまるで持ち合わせていないような人間だったのだ。何しろ、上山は学生時代は大型バイクを乗り回し、散々近所の住人から白い眼で見られていたような人間だったのだ。 その上山が結婚もし、会社勤めを十年も続けることが出来たということは、学生時代の上山のことを知ってる人がいれば、不思議に思うことであろう。
それはともかく、上山は犬の門蓋を訪れた後、犬田布岬に行き、戦艦大和の慰霊碑を見物したりしてしばらく時間を過ごし、今度は喜念浜海岸にやって来たのだ。
そんな喜念浜海岸を訪れて、上山がまず思ったことは、サンゴの欠片がとても多いということだ。
上山は、今までサンゴの欠片というものを今まで眼にしたことがなかったのだが、今、初めて見たと思った。
それで、上山は何かに惹かれるかのように、屈み込んではサンゴの欠片を拾い始めた。
その欠片は、枝サンゴの欠片と思われるのだが、様々な形をしていて、なかなか面白い。といっても、上山はまさか、喜念浜海岸でサンゴ拾いを行なうなんて、思ってもみなかったので、サンゴの欠片を入れる袋を持っていなかった。
その為に、僅か数分位でサンゴの欠片拾いを止めてしまったのだが、その時、上山は、眉を顰めた。というのは、黒い小さな財布が眼に留まったからだ。
その財布を見た限りでは、その財布がその場所に最近落とされたと思われた。恐らく誰かが落としてしまい、それに気付かずに、そのまま帰ってしまったのであろう。
そう上山は思ったものの、とにかく上山はその黒い小さな財布を拾い上げてはチャックを開け、中を見てみることにした。そして、その時の上山の表情は、サンゴの欠片拾いを行なってる時よりも、遥かに輝いていた。
だが、そんな上山の表情は、程なく落胆の色に変貌した。何故なら、財布の中には、上山が期待していたお金は入っていなかったからだ。もし、お金が入っていれば、勿論失敬したであろう。しかし、お金は入っていなかったのだ。
その代わりというのも妙だが、SDカードが入っていた。
上山はその財布のチャックを閉めると、何事もなかったように、その財布を上山のショルダーバッグに入れたのであった。