2 容疑者浮上
ウッパマビーチで大阪からの観光客である高林修一によって発見された男性は、直ちに名護市内のM病院で、司法解剖されるに至った。というのも、男性の首には、ロープなんかで絞められたような鬱血痕があったからだ。即ち、男性は何者かに首を絞められた為に死に至った可能性があったからだ。即ち、男性の死は、殺しによってもたらされた可能性があったからだ。
そして、司法解剖の結果、男性の死因と死推定時刻が明らかになった。
男性の死亡推定時刻は、昨日、即ち十月二十日の午後四時から五時頃の間で、死因は、やはり、何者かに首を絞められたことによる窒息死であったことが明らかになったのだ!
それを受けて、名護署に捜査本部が設置され、名護署の下地明警部(50)が捜査を担当することにした。
ウッパマビーチで他殺体で発見された男性の年齢は、四十から五十位と推定されたが、ホワイトカラーというよりも、ブルーカラーの仕事に携わってるような感じであった。というのも、顔は浅黒く日焼けし、また、衣服も古びたシャツとズボンで、また、靴も薄汚れたスニーカーであったからだ。また、男の持ち物は携帯していた薄汚い黒いバッグに、下着等が入っていただけで、それ以外のものは、入っていなかった。また、身元を証明するものは、何ら所持していなく、また、ズボンのポケットに入っていた薄汚れた財布には、八万程のお金が入っていた。
男性の状況はそんな具合であったが、男性が地元の者なのか、遠方の者なのかも、まだ分からなかった。
だが、男性の身元は意外に早く明らかになった。というのは、男性の指紋が警察に保管されていたからだ。
それによると、男性の姓名は、姉崎三郎(48)で、何と北海道の人間だったのだ。そんな姉崎は五年前に北海道で仕事仲間の失踪に関与した疑いで警察の捜査を受け、その時に警察から指紋を採取されたのだ。
もっとも、その事件で姉崎は逮捕されたわけではなかった。疑いを掛けられただけだったのだ。
それはともかく、何故北海道の人間である姉崎三郎が、沖縄のウッパマビーチで他殺体で発見されたのだろうか? その理由はまだ分からなかった。また、何故姉崎は沖縄に来ていたのだろうか? その理由もまだ分からなかった。
捜査の手順としては、まずその辺から明らかにしていかなければならないだろう。
それはともかく、まず姉崎の家族に姉崎の死を伝えなければならないので、北海道警帯広署に連絡をし、姉崎の家族状況に関して問い合わせてみた。
すると、姉崎は独身であることが分かった。
また、姉崎が関与した事件というのは、
―姉崎さんは道路の工事現場なんかで働いていたのです。で、飯場暮らしをやっていたのですが、その飯場暮らしの仲間が一人行方不明となりましてね。その件で我々が捜査したのですよ。つまり姉崎さんがその人の失踪に関与してるんじゃないかと。でも、結局、関与無しということになったのですよ。
と、帯広署の中野警部は、その事件の調書に眼を通しながら、淡々とした口調で言った。
そう言われて、下地は少しの間、言葉を詰まらせた。その件が姉崎の死に関係してるかどうかは、何とも言えなかったからだ。
だが、やがて、
「では、姉崎さんは今、何処に住んでいたのですかね?」
と、下地は興味有りげに言った。
―五年前は帯広に住んでいたのですがね。しかし、今は分からないのですよ。
そう中野は言ったものの、住民票を調べてみた結果、姉崎は今、士幌町に住んでいたことが分かった。
そこで、早速、中野は姉崎が住んでいたと思われる士幌町に行っては、姉崎の近所の者から話を聞いてみることにした。
姉崎の家は、然別湖方面にある三十坪程の敷地に築後、五十年程のあばら家であった。
この家に姉崎は一人で住んでたのだろうか?
そう中野は思ったが、とにかく近所の住人から、姉崎のことを聞いてみることにした。
すると、姉崎宅から二件目に住んでいた遠藤久雄という以前、姉崎と一緒に仕事をしたことがあるという労働者風の五十位の男性が、
「姉崎さんは今、定職にはついてなかったみたいですよ」
と、日焼けした顔に眉を顰めては言った。
「では、どうやって生計を立てていたのでしょうかね?」
「さあ、そこまでは分からないですね。でも、お金に困っていたみたいですよ」
「どうして、そのことが分かるのですかね?」
「そりゃ、姉崎さんがそう言ってましたからね。無論、僕に対してですが」
そんな遠藤に、中野は改めて姉崎が沖縄のウッパマビーチで絞殺死体で発見されたということを説明し、
「それに関して何か心当たりないですかね?」
と、遠藤の顔をまじまじと見やっては言った。
すると、遠藤は眉を顰めては、言葉を詰まらせた。そんな遠藤を見ると、何か思うことがあるかのようであった。
それで、中野は、
「どんな些細なことでも構いませんから、遠慮なく話してくださいな」
と、いかにも穏やかな表情と口調で言った。
すると、遠藤は十秒程言葉を詰まらせたが、やがて、
「姉崎さんは誰かとトラブルを抱えていたみたいですよ」
と、いかにも神妙な表情を浮かべては言った。
「トラブルですか……」
中野は呟くように言った。
「そうです。トラブルです」
そう言っては、遠藤は小さく肯いた。
「どうして、そのようなことが分かるのですかね?」
中野は興味有りげに言った。
「姉崎さんと同じような感じの男性が、時々姉崎さん宅を訪ねて来ては言い争いになってましたからね。僕はその様子をちらほらと盗み見してたのですよ」
と、遠藤は渋面顔で言った。そんな遠藤は、姉崎が殺されたのは、その件が関係してるのではないかと言わんばかりであった。
「なるほど。で、その男性が誰だか、分かりますかね?」
中野は興味有りげに言った。
すると、遠藤は、
「それは、分からないのですね」
と、決まり悪そうに言った。しかし、
「でも、昔の仕事仲間ではないですかね」
と言っては、眉を顰めた。
「仕事仲間?」
「そうです。刑事さんは、姉崎さんが以前どんな仕事をしていたか、ご存知ですかね?」
「確か、道路工事の仕事なんかをやっていたと聞いてますが」
「確かにそうです。で、姉崎さんがその道路工事の仕事をしていた時に、姉崎さんは警察から事情聴取されたのですが、そのことをご存知ですかね?」
と、遠藤は中野の顔をまじまじと見やっては言った。
「そりゃ、知ってますよ」
「では、その事件に関して話してもらえますかね」
と、遠藤は中野の顔を見やっては、淡々とした口調で言った。
「だから、姉崎さんは帯広の方の道路工事をしていた時に、飯場で寝泊りしていたんだが、その飯場の同僚が一人行方不明になったんだ。そして、その同僚と姉崎さんは仲が悪かったことから、その同僚を姉崎さんがどうにかしたんじゃないかと警察に疑われ、警察から事情聴取されたんじゃないのかな」
と、中野は確かそのように記憶していたので、そう説明した。
すると、遠藤は、
「正にその通りですよ」
と言っては、肯いた。
そして、
「で、その事件はその後、どうなったか、知ってますかね?」
と言っては、遠藤は眉を顰めた。
「姉崎さんは嫌疑不十分として、逮捕されなかったんだよね」
「そうです。その通りなんですよ」
と言っては、遠藤は小さく肯いた。
すると、中野も小さく肯いた。
そんな中野に、遠藤は、
「で、僕が何を言いたいかというと、姉崎さんの事件には、その件が関係してるのではないかと思うのですよ」
と言っては、小さく肯いた。
「どうして、そう思うのですかね?」
中野は興味有りげに言った。
「それは、僕の友人が姉崎さんと一緒に寝泊まりしては、仕事をしていましてね。その友人から姉崎さんが関わったらしいその事件に関して耳にしたことがあったからですよ。で、その事件の詳細を知ってますかね?」
「いいや。知らないな」
と中野は言っては、決まり悪そうに言った。
「先程も言ったように、姉崎さんと仲が悪かった同僚が飯場から行方になってしまって未だに行方不明になってるんです。
で、そいつは、比嘉功治という沖縄出身の男で、一人者だったそうです。
で、自らで行方不明になる筈はないそうです。飯場仲間の誰もがそう証言してましたからね。
だから、恐らく事件に巻き込まれ、そして、今は何処かの山の中に埋められてしまってるんじゃないのかな。それで、未だに行方不明のままだと思うのです。
で、僕の推測ですが、比嘉さんは姉崎さんに殺されたんじゃないかな。何しろ、比嘉さんと姉崎さんは仲が悪かったそうだからな。それで、偶然か故意かは分からないが、姉崎さんは何処かで比嘉さんを殺し、比嘉さんの死体を何処かの山の中に埋めたというわけですよ」
と、遠藤はまるで中野に言い聞かせるかのように言った。そんな遠藤は、その可能性は十分にあると言わんばかりであった。
「その証拠はあるのですかね?」
「そりゃ、そんなものはないさ。単なる僕の推測だから」
と、遠藤は些か決まり悪そうに言った。
「なるほど。では、遠藤さんはその比嘉さんの関係者が、姉崎さんを殺したのではないかと推理されてるのですね?」
と中野は言っては眉を顰めた。
「正にその通りです。僕は姉崎さんが沖縄で殺されたと聞いて、すぐにぴんと来ましたよ。何故なら、比嘉さんの出身も沖縄ですからね。比嘉さんは一人ものといっても、比嘉さんの親族はいるに違いありません。その親族が姉崎さんを殺したというわけですよ。何しろ、沖縄の人は、親族の絆が強いというじゃないですか。それ故、比嘉さんの親族が姉崎さんが沖縄にいるということを知り、姉崎さんと沖縄で会っては、事に及んだというわけですよ」
と遠藤は些か自信有りげに言った。そんな遠藤は、正にその可能性は十分にあると言わんばかりであった。
そして、まだしばらくの間、遠藤から話を聞いたが、それ以上の情報は入手出来なかった
しかし、遠藤と話をしてみて、大いに成果があったといえよう。姉崎を殺した容疑者と思われる者が浮かび上がったからだ。
それは、沖縄在住の比嘉功治の親族だ。この親族こそ、姉崎殺しの有力な容疑者となるだろう。
それで、中野はこの捜査結果を沖縄の下地に報告した。
それを受けて、下地は早速、姉崎に殺されたと思われる比嘉功治の親族、といっても、比嘉功治には兄と高齢の両親がいるとのことだが、まず兄の正俊と会って、正俊から話を聴いてみることにした。
比嘉功治の兄である比嘉正俊は、沖縄市に住んでいた。そんな正俊の職業は、飲食店の店員だという。そんな正俊に、下地は早速会ってみて、正俊から話を聴いてみることにした。
沖縄市の自宅まで下地が行くと、正俊が姿を見せた。
そんな正俊は、五十位に思われたが、とても健康そうであった。
そんな正俊に、下地は警察手帳を見せては、早速話を聴くことにした。
「比嘉さんに少し聴きたいことがあるのですがね」
と、下地はまるで正俊に言い聞かせるかのように言った。
すると、正俊は、
「僕に聴きたいこと?」
と、眉を顰めた。
「そうです。その話の内容に関して何か思うことはありませんかね?」
と、下地は正俊の顔をまじまじと見やっては言った。
すると、正俊は二十秒程言葉を詰まらせたがやがて、
「弟のことかい?」
と言っては、眉を顰めた。そんな正俊は、警察から話を聴かれるのは、それ位しかないと言わんばかりであった。
「そうです。弟さんのことですよ」
と下地は言っては、小さく肯いた。
すると、正俊は、
「それは、どんなことかな?」
と、興味有りげに言った。
「功治さんが北海道で行方不明になって、五年になりますね」
と言っては、下地は小さく肯いた。
「もうそれ位になるかな」
と、正俊は神妙な表情で言った。
「で、功治さんは未だに行方が分からないのですが、正俊さんとしては、功治さんは今、どうなされてると思っておられますかね?」
と、下地は正俊の顔をまじまじと見やっては、いかにも興味有りげに言った。
すると、正俊は下地から眼を逸らせては、
「そりゃ、もう死んでると思うな」
と、渋面顔で言った。
「どうしてそう思われてるのですかね?」
と、下地が眉を顰めて言うと、正俊は下地をまじまじと見やっては、
「どうしてって、そんなことは当然だろう。功治が生きてるのに、俺たちに連絡を寄越さない筈がないじゃないか。そんなこと当り前だろ」
と言っては、唇を歪めた。そんな正俊は、沖縄県警の者がそんなことも分からないのかと言わんばかりであった。
すると、下地は唇を歪めては、
「確かに比嘉さんの言われることは、もっともなことです。
では、比嘉さんは何故功治さんが死んだと思われてますかね?」
と、興味有りげに言った。
「どうしてって、そんなこと言う必要は無いだろう。あの姉崎三郎という野郎が殺したに決まってるじゃないか! 俺はもうそのことを何度も警察に言ったんだ。しかし、警察が姉崎の犯行を証明することは出来なかった。それ故、姉崎は今ものうのうと暮らしてやがるんだ!」
と、いかにも姉崎のことを非難するかのように言った。
「でも、比嘉さんはどうして姉崎さんが犯人だと信じてるのですかね?」
と、下地は再び興味有りげに言った。
「どうしてって、功治は姉崎たちと一緒に飯場で暮らしてたんだが、功治と姉崎の仲は甚だ悪かったんだ。飯場の中で、よく喧嘩をしてたんだよ。時には、殴り合いの喧嘩となり、同僚が止めに入ったこともあるんだ。俺は、功治の飯場仲間からそのように聞いてるんだ。
だから、姉崎が功治を殺し、何処かに埋めたんだよ。それ以外に考えられないじゃないか!」
と、正俊は姉崎のことを非難するかのように言った。姉崎を逮捕出来ないのは、警察の捜査が不十分だからだと言わんばかりであった。
下地としては、その捜査を下地自身が行なっていたわけではないのだが、とにかく、
「それは、申し訳ありません」
と言っては、頭を下げた。しかし、今の正俊の表情と口調から、下地は姉崎が功治を殺したと信じて疑わないようであった。
そんな正俊に、下地は、
「で、その姉崎さんが、一昨日、ウッパマビーチで死体で発見されたのをご存知ですかね」
と、正俊の顔をまじまじと見やっては言った。
すると、正俊の表情は突如、青ざめそして、言葉を詰まらせた。そんな正俊の表情からは、正俊の胸の内を窺うことは出来なかった。
それで、下地は、
「そのことをご存知ですかね?」
と、正俊の顔をまじまじと見やっては言った。
すると、正俊は、
「それ、本当かい?」
と、いかにも信じられないと言わんばかりに言った。
「本当ですよ。どうして、僕が嘘をつかなければならないのですかね」
と言って、下地は唇を歪めた。
すると、正俊は、
「アッハッハッ!」
と大声で笑い始めた。そんな正俊は、嬉しくて堪らないと言わんばかりであった。
そんな正俊を見て、比嘉は、
「何がおかしいのですかね?」
と、眉を顰めた。
「だってこれがおかくないわけがないじゃないか! その姉崎とは、功治と一緒に道路工事の仕事をしていた姉崎三郎のことだろ?」
「そうです」
「だったら、これがおかしくないわけがないじゃないか! 姉崎は功治を殺したんだ。だから、正に天罰が当たったというわけさ! アッハッハッ!」
と、再び嬉しくて仕方ないと言わんばかりに笑いこけた。
そんな正俊の笑いはなかなか止まりそうもなかった。
それで、下地は、
「でも、何故、北海道の人間の姉崎さんが、わざわざ沖縄にまでやって来たのでしょうかね?」
と、怪訝そうに言った。
「そんなことを言われても俺じゃ分からんよ」
と、正俊は今度は笑うのを止め、真顔で言った。
「そうですか。でも、何故姉崎さんは殺されたのでしょうかね?」
と、下地がいかにも納得が出来ないように言うと、正俊は、
「殺された?」
と、怪訝そうな表情で言った。
「そうですよ。姉崎さんの死は殺しによるものなんです。何者かに殺されたんですよ。ロープのようなもので首を絞められてね。そして、その死体がウッパマビーチで発見されたといわけですよ。一昨日の午後後四時頃のことなんですよ」
と言っては、下地は正俊の顔をまじまじと見やっては正俊に言い聞かせるかのように言った。
すると、正俊は、真顔を浮かべては、
「殺されたって、本当かい?」
「本当ですよ。司法解剖の結果、明らかになったわけですから」
「そうかい。でも、天罰が当たったのさ。功治を殺したのに、のうのうと生きてるなんて、そんなことが許されるわけがないじゃないか! それに、沖縄で殺されたということは、功治の霊が姉崎を沖縄に呼び寄せたのさ! そうに決まってるさ!」
と言っては、再び「アッハッハッ!」
と、豪快に笑った。それは、正に姉崎が殺されてざまみろと言わんばかりであった。
そんな正俊に、下地は、
「で、比嘉さんは、その姉崎さんの死に心当たりないのですかね?」
と、正俊の顔をまじまじと見やっては言った。
すると、正俊は眼を大きく見開き、
「だから、さっき言ったじゃないか! 功治の霊が姉崎を沖縄に呼び寄せ、殺されたって! アッハッハッ!」
「真面目に答えてくださいよ」
と、下地は渋面顔で言った。
「だから、真面目に答えてるじゃないか! 姉崎が沖縄にやって来たのは、功治の霊が呼び寄せたんだよ。大体、姉崎は沖縄には知人はいないんだろ?」
「そうだと思うのですが」
「だったら、やはりそうだろう。もっとも、何故姉崎が殺されたのかは、分からないが。いくら俺でも、功治の霊が殺したとまでは、断言はしないからな。そんなことを言えば、俺は頭がおかしいのじゃないかと思われてしまうからな」
と言っては、正俊は些か険しい表情を浮かべた。
「では、比嘉さんは、一昨日の午後四時から五時頃にかけて、何処で何をしてましたかね?」
と、下地は姉崎の死亡推定時刻の正俊のアリバイを確認してみた。
すると、正俊は言葉を詰まらせたが、やがて、
「その頃は港の防波堤で釣りをやってたな」
と、渋面顔で言った。
「そのことを証明出来ますかね?」
「それは無理だな。俺は一人だったから」
「では、比嘉さんの車で港に行ったのですかね?」
「無論、そうさ」
そう正俊は言ったが、しかし、一人で釣りをしていたでは、正俊のアリバイは曖昧といえるだろう。
しかし、そうだからといって、比嘉正俊が犯人だとは、断定は出来ないだろう。