3 興味ある情報
その人物は田代守といって、鼻の下にちょび髭を生やし、ベレー帽を被り、年齢は五十位に見えた。
一見、芸術家風に見えるのだが、その男は自らのことを、
「以前、僕は探偵事務所で働いていたのですよ。でも、今は辞めてるので、その探偵事務所とは何の関係もありません」
と、説明した。
田代にそう言われ、山村は、
「そうですか」
と、とにかくそう言った。そして、
「で、田代さんは、先日、ワッカ原生花園で死体で見付かった春川美紀さんの死は、殺しによるものと言われたのですが、何故そのように思うのですかね?」
と、山村は困惑したような表情を浮かべては言った。
山村は一見、美紀とは何も関係が無さそうなこの元探偵屋が、何故そのように思ったのか、よく分からなかったのだ。
「僕は先程も言ったように、以前探偵事務所で働いていました。で、その時に、僕は春川さんのことを知ったのですよ」
と、田代は言っては小さく肯いた。
そう言われても、山村は言葉を発することが出来なかった。まだ田代が言わんとしてることがよく分からなかったからだ。
田代はそんな山村を見ては、にやにやしながら、
「僕は札幌に住んでいる森山さんという方から依頼を受け、人探しをやったことがあるのですよ。
人探しといっても、それは、大介君という小学校一年の子供だったのですがね。
で、その森山さんと春川さんが関係してるのですよ。刑事さんは何故関係してるのか、分かりますかね?」
「そりゃ、分からないですよ」
と、山村は些かむっとしたような表情を浮かべては言った。分からなくて当然だと思ったからだ。
「そりゃ、そうですようね。でも、そのことを知ってる警察の方はいるかもしれないですよ」
「それ、どういう意味ですかね?」
山村は田代の顔をまじまじと見やっては言った。
「森山さんの息子の大介君が、何者かに誘拐されたのですよ。今から八ヶ月程前のことですがね。
で、その事件のことを山村さんは覚えていますかね?」
田代にそう言われると、山村は何となくそのような事件があったことを思い出した。
確か、去年の十一月頃、札幌に住んでいるレストランを経営してる資産家の子供が何者かに誘拐されたという事件があった。
もっとも、身代金要求とか犯行声明というものは行なわれなかった。それ故、大介が何者かに誘拐されたと断定されたわけではなかった。だが、まだ小学校一年生だった大介が、自らの意思で姿を晦ますということは有り得ない。
それ故、大介はやはり何者かに誘拐された可能性が高い。だが、大介が見付かったという情報はまだ耳にしたことがない。
そういった事件があったことを、山村は何となく覚えていた。
しかし、管轄が違うことと、また、山村自身がその事件を捜査したわけではないので、山村はその事件の詳細は知らなかったのだ。
それで、その旨を山村は田代に話した。
すると、田代は、
「そうですか」
と、小さく肯き、そして、
「では、その森山さんと、春川美紀さんが何故関係してるのか、お分かりですかね?」
と、山村を見やっては言った。
「分からないですね」
と言っては、山村は眉を顰めた。
「そうですか。
では、刑事さんは春川さんがサロマ湖の鶴沼でサンゴソウの見物をしていた時に、子供が吊り橋に落ちた事件に巻き込まれたというような話を聞いたことがありますかね?」
と、田代は今度は些か真剣な表情を浮かべては言った。
すると、山村は、眼を大きく見開き、
「そりゃ、知ってますよ!」
「さすがに警察の捜査は素早いですね。で、刑事さんは何処でそのことを知ったのですかね?」
そう田代に言われたので、山村はとにかく長崎弘美から聞いたことを田代に話した。
田代はそんな山村の話に言葉を挟まずにじっと耳を傾けていたが、
「で、その時、春川さんに罵声を浴びせた子供の母親が、森山道代さんだったのですよ。即ち、大介君の母親の森山道代さんだったのですよ!」
そう田代に言われると、山村は〈成程〉と小さく肯いた。確かに、今の田代の話を聞けば、森山道代と春川美紀が関係があったことは分かる。
しかし、そうだからといって、田代は何故春川美紀が殺されたと推理してるのだろうか?
森山道代が美紀を殺したと推理してるのだろうか?
それで、山村はその思いを田代に話してみた。
すると、田代は、
「違うのですよ」
と、頭を振った。
「違う? じゃ、田代さんは誰が春川さんを殺したと思ってるのですかね? 道代さんの子供の大介君が溺れてるのを助けようとしなかった春川さんのことに腹を立てた森山道代さんが、春川さんを殺したと推理されてるのではないですかね?」
と、山村は些か納得が出来ないように言った。
「実は、僕は森山さんからの依頼を受け、行方不明になった大介君を探したのですよ。
で、僕は大介君は誘拐されたと看做し、大介君を誘拐しそうな人物を探し出したのですよ。そして、その中に春川さんもいたというわけですよ」
と、田代は淡々とした口調で言っては、小さく肯いた。
「ということは、田代さんは春川さんが大介君を誘拐した可能性があると思ったのですかね?」
「その可能性は充分にあると思いましたね。というのは、春川さんは森山道代さんに恨みがありましたからね。慎一君がサロマ湖で溺死したのは、春川さんの所為ではないのもかかわらず、道代さんはまるで春川さんの所為だと言わんばかりに、罵声を浴びせたそうですからね。
また、大介君が誘拐される一ヶ月程前に、森山さんの家の近くで、春川さんの姿が目撃されたという情報もあるのですよ。
それで、僕は春川さんに直に会って、春川さんから話を聞いてみたのですよ。
すると、大介君が行方不明になった頃の春川さんのアリバイに問題があることが分かりました。何しろ、その頃、春川さんは札幌にいたというのですから」
と、田代は言っては小さく肯いた。
「春川さんは何の為に札幌にいたのですかね?」
「その日は、春川さんは仕事が休みで、札幌にいる友人に会いに行ったと言いましたね。
で、僕はその友人に確認して見たのですが、その裏は取れました。しかし、友人が嘘をついたのかもしれませんからね」
「成程。で、田代さんは一体誰が春川さんを殺したのだと推理されてるのですかね?」
と、山村は田代を急かすかのように言った。
田代はそんな山村を制するかのように、
「まあ、僕の話を最後まで聞いてくださいよ。
で、その春川さんの友人、つまり、君島友美さんの証言が正しければ、春川さんは大介君が行方不明になった頃、君島友美さんと一緒にいたということになります。大介君が行方不明になったのは、去年の十一月十日の午後三時から午後五時頃と思われるのですが、春川さんが君島さんと会っていたのは、十一月十日の午後三時半から翌日の午前十一時頃まででしたからね。
即ち、君島さんの証言が正しければ、春川さんはシロだというわけですよ。
因みに、大介君の誘拐に関しては、春川さんは警察に取り調べを受けたみたいですが、警察も春川さんはシロだと看做したみたいです。
じゃ、春川さん以外に誰が森山さんを恨んでるかというと、、妙に引っ掛かる人物がいたのですよ。
それは、君島良人という人物なのですよ」
と言っては、田代は小さく肯き、唇を噛み締めた。
「……」
「で、何故その人物のことが引っ掛かったのかというと、春川さんの友人に、君島友美という人物がいましてね。ただ、それだけの理由なんですよ。
しかし、やはり、僕の勘は当りました。
即ち、その君島良人という人物は、何と春川美紀さんの友人であった君島友美さんの伯父さんだったのですよ!」
と、田代はいかにも勝ち誇ったかのように言った。
しかし、山村は田代が言わんとすることがよく分からなかった。それで、言葉を発さずに引き続き、田代の話に耳を傾けることにっした。
だが、その時、田代は、
「刑事さんは、僕が何を言おうとしてるのか、分かりますかね?」
と、山村の顔をまじまじと見やっては言った。
「分からないですね」
山村は頭を振った。
すると、田代はにやっとした。そんな田代は、まるで山村のことを頭の鈍い刑事だなと、山村のことを嘲笑ってるかのようであった。
それはともかく、田代は「ごほん」と、軽く咳をしては、そして、真顔を浮かべ、山村を見やっては、
「これからは、僕の推測になるのですが、要するに君島良人と、友美は、ぐるだったのですよ」
「ぐる? それ、どういう意味なんですかね?」
山村は些か納得が出来ないように言った。
「つまり、大介君が誘拐された頃に、春川さんを札幌に呼び寄せたということですよ。つまり、春川さんが大介君を誘拐しては殺したと思わせるような偽装工作が行なわれたということですよ」
と、田代は些か自信有りげな表情と口調で言った。
「ちょっと待ってくださいよ。春川さんは結局、大介君の事件では警察にシロと看做されてたのではないですかね?」
「そうです。しかし、大介君は依然として、行方不明です。つまり、大介君が行方不明になって、既に八ヶ月が経過してるのです。
となると、常識的に見て、大介君は既に死んでると看做さざるを得ないのですよ。
しかし、真の犯人、即ち、君島良人は誰かに大介君殺しの犯人になってもらい、大介君の事件を早く終結させたかったのですよ。
そうでないと、君島良人は枕を高くして眠れないでしょうからね。
それで、その犯人が春川さんであったという偽装工作が行なわれたというわけですよ。
そして、その偽装工作とは、大介君が行方不明になった頃、春川さんが札幌にいたというものですよ。君島は姪の君島友美さんから、その日、春川さんが札幌に来るということを聞いて知っていたのでしょうかね。
もっとも、友美さんは良人が引き起こした大介殺しには無関係なのかもしれませんよ。ただ、十一月十日に春川さんが札幌に来るということを良人に話しただけなのかもしれませんがね。
しかし、良人はそれ、つまり、春川さんが札幌に来るということを利用し、その日に大介君の誘拐を実行したわけですよ。
そして、君島の思い通り、春川さんは大介の事件で警察から話を聴かれました。しかし、春川さんには証拠が無いので、逮捕はされませんでした。
しかし、春川さんが自殺したとなれば、話は別です。
つまり、春川さんは大介君を誘拐し、殺したことによる良心の呵責に耐えられず、自殺したというわけですよ。こういうストーリーが浮かびますからね。そして、それが、君島の狙いであったというわけですよ。
つまり、春川さんを自殺に見せ掛けて殺したのは、君島良人であったというわけですよ!」
と、田代は声高らかに、また、いかにも自信有りげな表情と口調で言った。
「ちょっと待ってくださいよ。君島友美さんが良人さんに、十一月十日に春川さんが札幌に来るということを話したという裏は取れてるのですかね?」
「取れてますよ。警察の方から、僕はそう聞いてますので」
と、田代は平然とした表情で言った。
「成程。では、君島はどうやって春川さんを殺したのですかね? 春川さんは外見上では、殺されたという痕跡は見当たらなかったのですがね?」
「解剖されたのですかね? 春川さんは」
「そりゃ、しましたよ」
「死因は解明されたのですかね?」
「それが、出来なかったのですよ」
「だったら、春川さんに睡眠薬を飲ませ、冬のワッカ原生花園に遺棄したのかもしれませんよ。そうすれば、凍死するかもしれませんからね。しかし、それでも、殺しには違いないですよ」
「成程。では、大介君を殺したのも、君島良人だと田代さんは思ってるのですかね?」
「そうですよ」
「どうして、君島はそのようなことをやったのですかね?」
「そりゃ、君島は森山さんに恨みを持ってるからですよ」
「恨みを持ってる、ですか。どうして恨みを持ってるのですかね?」
山村は興味有りげに言った。
「店を潰されてしまったからですよ」
「店を潰された?」
「そうです。森山さんがレストランのオーナーであることを、刑事さんはご存知ですよね?」
「ええ」
「で、森山さんは『北の香り』というレストランを道南地方に十店舗も持ってるのですが、君島さんが営んでいた小さな中華料理店の近くに、森山さんの大型レストランが出店したのですよ。その影響で、君島さんの中華料理店は潰れてしまったのですよ。
そういった事情で、君島さんは森山さんのことを強く恨んでるのですよ」
と、田代は落ち着いた口調で、また、山村に言い聞かせるかのように言った。
「成程。では、大介君失踪の事件で、君島さんは当然警察から取調を受けたのですようね」
「そりゃ、受けましたよ。そして、アリバイも曖昧なんですよ。その頃、家でTVを見ていたじゃ、アリバイが曖昧そのものですよ。
しかし、確証が無かった為に、大介君の事件で君島は逮捕されなかったみたいですがね」
と、田代は些か不満そうに言った。
そう田代に言われても、山村は渋面顔を浮かべては、言葉を詰まらせてしまった。果して、田代の推理が正しいのかどうか、分からなかったからだ。
そんな山村は、
「だが、分からないことがあるんだが」
と、渋面顔のまま言った。
「それは、どんなことですかね?」
田代はいかにも興味有りげに言った。
「田代さんの推理では、君島さんは春川さんを大介君殺しの犯人に仕立て上げ、そして、君島が春川さんを殺したということだね」
「そうです」
「しかし、それでは、春川さんが可哀相じゃないか。君島さんは森山さんには恨みがあったわけだが、春川さんには恨みはなかった。それなのに、あっさりと春川さんを殺すかね」
と、いかにも納得が出来ないように言った。そんな山村は、今の田代の推理は、欠点があると言わんばかりであった。
すると、田代はにやっと笑い、
「刑事さんは、考えが甘いですよ。つまり、世の中には、無差別殺人というものがあります。つまり、犯人と何ら面識の無い者を、まるで犬畜生を殺したかのように殺す輩がいるのですよ。君島はそれに該当するというわけですよ」
と、田代は正に刑事ともあろう者が、そのようなことまで分からないのかと言わんばかりであった。
すると、山村は言葉を詰まらせてしまった。田代の言うことはもっともだったからだ。
しかし、
「でも、君島さんが春川さんを殺したという証拠でもあるのかな」
と、眉を顰めては言った。
すると、田代は眼を大きく見開き、
「それを、見付けるのが警察の仕事ではないですか!」
と、まるで山村に活を入れるかのように言った。
そんな田代に、山村はたじたじであった。
それで、田代の話を、もう少し耳を傾けてみることにした。
「で、大介君が行方不明になる一ヶ月前に、春川さんの姿が森山さんの家の近くで眼にされたとのことですが、一体誰が眼にしたというのですかね?」
「森山明夫さんですよ。つまり、大介君のお父さんですよ。明夫さんは道代さんと共に春川さんに会ってますから、春川さんのことは知っていますよ。
で、春川さんの姿が眼にされたのは、大介が意亡くなる一ヶ月前でしたから、春川さんは大介君を誘拐する為に下見に来ていたのかもしれませんね。
もっとも、春川さんが死んでしまった今となれば、その真相は分からないですがね」
と、田代は眉を顰めた。
すると、山村も眉を顰めては少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
「しかし、君島良人という人物は、まるで推理小説に出て来るような犯人のように、随分とややこしいことを考えるのですね。君島良人という人物は、そのような偽装工作を考え出すような人物なんですかね?」
「僕は君島良人という人物に会って話をしたことはありません。しかし、人間、執念を持てば、大抵のことはやりますよ」
そして、山村はこの辺で田代との話を終えることにした。
田代は、長崎弘美とは違って、春川美紀は、君島良人に殺されたのだという。君島は森山さんに店を潰された為に恨みを持ち、大介を殺し、その罪を春川美紀に擦り付ける為に、美紀を殺したという。
薄幸の春川美紀は、君島良人が大介殺しの罪を誤魔化す為に、殺されたのだろうか?
山村には今の時点では、何ともいえなかった。
それで、とにかく、君島良人という人物に会って、君島良人自身から話を聴いてみることにした。