4 とんでもない推理

 山村は田代が網走署に来た翌日、札幌を訪れた。君島良人から話を聴く為だが、その前に大介の失踪を捜査したという豊平署の池谷治警部補(47)から話を聞いてみることにした。
 山村と顔を合わせた池谷は、開口一番に、
「大介君の事件はまだ解決してないのですよ」
 と、いかにも決まり悪そうに言った。
「大介君が何者かに誘拐されたということは、間違いないのですかね?」
「間違いないですね。小学校一年だった大介君が、自らの意思で姿を晦ますなんてことはないですからね。
 それ故、誘拐された可能性が最も高いですよ。
 もっとも、車に轢かれ、その犯人が大介君の死体を何処かに隠したという可能性がないとはいえないのですがね」
 と、池谷は神妙な表情で言った。
「で、誘拐なら、もう大介君は殺されてると、池谷さんは思ってるのですよね?」
「そう考えるのが、常識ではないですかね」
 と言って池谷は唇を歪めた。
「では、池谷さんは、春川さんが大介君を誘拐した可能性があると思い、春川さんからも話を聴いたのですよね?」
「そうです。森山さんから、森山さんのことを恨んでそうな人物のことを聞き出し、その中に春川さんが入っていたものですから」
「でも、春川さんは大介君を誘拐し、殺した可能性は小さいと看做したわけですか」
「そうです。確かに、春川さんは大介君が行方不明になった頃に札幌にいたのですが、春川さんはマイカーを持ってませんし、また、札幌の地理にも詳しくありませんからね。そんな春川さんが、大介君を待ち伏せしては誘拐出来るのかというと、その可能性は極めて小さいと僕は看做したのですよ。
 ところが、その春川さんがワッカ原生花園で自殺したらしいじゃないですか。それで、大介君の事件で春川さんのことをもう一度、洗い直してみようかと思っていたところなんですよ」
 と、池谷は決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
「そうですか。では、君島良人のことはどう思ってるのですかね? 君島良人は森山さんのことを強く恨んでいたそうなんですがね」
「そうですね。君島良人は確かに森山さんのことを強く恨んでいました。大介君が行方不明になった頃のアリバイも曖昧でしたからね。
 それで、君島のマイカーを捜査してみたのですが、大介君を乗せたという痕跡は見付からなかったのですよ」
 と、池谷は些か悔しそうに言った。
 それで、山村はこの時点で田代の推理を池谷に話してみた。
 すると、池谷は、
「何とも言えませんね」
 と、渋面顔を浮かべては言った。
「田代さんは、その推理をいかにも自信有りげに話したのですがね」
「僕は君島さんに直に会って、君島さんから話を聴いたのですが、君島さんは君島さんとは全く関係のないような人物を殺すような人物には見えなかったですがね」
「しかし、田代さんは今の時世、無差別殺人は珍しくないとか言ってましたがね」
「田代さんが言うことは理解出来ないわけではないのですが、しかし、君島さんへの訊問は、君島さんの車から大介君の痕跡が見付からなかったのを受け、その後、行っていないのですよ。そういう状況なのに、春川さんを殺してまでして、大介君殺しを春川さんに擦り付ける必要があるとは思えないのですがね」
 と、池谷は些か納得が出来ないように言った。 
 そう池谷に言われると、山村は言葉を詰まらせてしまった。確かに、池谷の言うことは、もっともだと思ったからだ。
とはいうものの、一度、君島から話を聴いてみることにした。そして、山村は池谷と共に、白石区にある君島良人のアパートに向かった。
 君島は、「椿ハイツ」という木造モルタル塗のアパートの103号室に住んでいた。
 103号室の玄関扉を三回叩くと、やがて、玄関扉が開き、君島が姿を見せた。
 君島は髪の毛はぼさぼさで、無精髭を生やしていた。そんな君島を見ると、君島の生活振りが順調でないということを物語ってるかのようであった。
 そんな君島は、池谷の顔を見ると、不快そうな表情を浮かべた。まるで疫病神がやって来たと言わんばかりであった。
 そんな君島に、池谷は、
「久し振りだな」
 と、冷ややかな表情と、口調で言った。
 すると、君島は、
「一体、何の用ですかね? 何度言われたって同じですよ。僕は大介君を誘拐してませんし、また、殺してもいませんからね」
 と、不貞腐れたような表情で言った。
 そんな君島に、池谷は、
「春川美紀という女性を知ってるかな」
 そう言った池谷の眼は、君島の顔を注視していた。そんな池谷は、今の池谷の言葉に、君島がどのような反応を見せるか、はっきりと見定めようとしてるかのようであった。
 だが、君島は池谷の問いに、
「春川美紀? それ、どういった女性ですかね?」
 と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「春川美紀さんのことを知らないのかい?」
 池谷は眉を顰めた。
「知らないですよ。まるで知らないですね」
 と、言っては、君島も眉を顰めた。
「じゃ、君島友美さんのことを知ってるよな」
「僕の姪のことを言ってるのですかね?」
「そうです。その君島友美さんのことです」
「だったら知ってるが、友美ちゃんがどうかしたのですかね?」
「友美ちゃの友人の中に、春川美紀さんという女性がいるのですよ。聞いたことはないですかね?」
「聞いたことはないですね」
 と言っては、君島は眉を顰めた。
「だったら、先日、オホーツク海沿いにあるワッカ原生花園で、若い女性の死体が見付かったという事件のことを知らないのですかね?」
「その事件のことは知ってますよ」
「そうかい、で、その死体で見付かった女性が、春川美紀さんだったというわけなんだよ」
 と、池谷は君島に言い聞かせるかのように言った。
 すると、君島は、
「そうでしたか。でも、その女性が、春川美紀さんという女性だったことまでは知らなかったですね」
 と、特に関心が無さそうに言った。
 そんな君島に、池谷は田代の推理を話してみた。
 君島は池谷の話に特に言葉を挟まずに耳を傾けていたが、池谷の話が一通り終わると、
「アッハッハッ!」
 と、腹を抱えて笑い出した。
「何がおかしいんだ?」 
 池谷は些かむっとしたような表情で言った。
「だって、これが笑わずにいられますか! 僕が大介君だけではなく、春川美紀という女性まで殺したなんて! 僕は冴えない男ですが、何の恨みもない女性を殺したりはしませんよ!
 それに、そんな複雑な手段を思いつく位の頭があれば、学校の先生にでもなっていましたよ。僕は元々学校の先生になりたかった位なんですから。
 それに、何度言われても、僕は大介君を誘拐してませんし、また、殺してもいませんよ」
 と、君島は些か険しい表情を浮かべては言った。そんな君島は、一体何度説明をしなければならないんだと言わんばかりであった。
 そんな君島を見ると、君島は春川美紀の事件のみならず、大介の事件にも何ら関係がないのかもしれない。
 池谷と山村はそう思い、言葉を詰まらせてしまったのだが、そんな池谷と山村に、君島は、
「一体、誰がそんな訳の分からない推理を考え出したのですかね? 刑事さんが考え出したのですかね?」
 と、いかにも不満そうな表情と、口調で言った。
「田代守という人物が言ったのさ」
 山村はとにかく田代のことを隠さずにそう言った。
「田代守? どこかで聞いた名前だな」
 と言っては、君島は怪訝そうな表情を浮かべては、何やら思いを巡らすような表情を浮かべた。
そんな君島に、
「以前探偵事務所で働いていて、森山さんの依頼を受け、大介君を探したそうだ。君島さんも田代さんから何か言われたことがあるんじゃないのかな」
 と、山村が言うと、君島は、
「そうだった! 思い出しましたよ! それで、何処かで聞いた名前だと思ったのですよ。
 しかし、田代はとんでもない嘘をついてくれたもんだ!」
 と、君島は声を荒げては、いかに不快そうに言った。そして、
「田代は、大介君を見付けることが出来なかったから、実績を作りたい為に、俺のことを犯人にしたかったんだ! それが、真相さ!」
 と、君島はいかにも自信有りげな表情と口調で言った。
 そんな君島の言葉に、池谷と山村は、決まり悪そうな表情を浮かべては言葉を詰まらせたのだが、やがて、
「でも、大介君がいなくなって、森山は喜んでるんじゃないのかな」
 と、神妙な表情で言った。
「喜んでる? それ、どういう意味だい?」
 今の君島の言葉の意味が分からなかった池谷は、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「つまり、大介君は、森山さんの先妻の子供なんだよ。つまり、今の奥さんの子供ではないんだ。だからさ」
 と言っては、君島はにやっとした。
 すると、池谷と山村は言葉を詰まらせた。今の君島の言葉に何と言っていいのか分からなかったからだ。
 そんな池谷と山村に、君島は、
「要するに、大介君は今の森山夫妻にとって厄介者だったのさ。
 森山は先妻と喧嘩をして離婚したんだが、大介君を森山が引き取り、先妻は娘を引き取ったんだよ。経済的な理由なんかで、先妻は娘だけしか面倒を見れなかったみたいなんだ。
 しかし、森山は大介君の面倒を見ることが気に入らなかったんだ。
 考えてみてくださいよ。新しい妻と新しい生活を始めるわけだから、先妻の子は厄介者になって何ら不思議ではないというわけですよ」
 そう森山に言われ、山村は〈成程〉と思った。ライオンは、ものにした雌の子供を殺すという。
 しかし、それは、野生動物だけではなく、人間社会にも当て嵌まらないこともないというわけだ。
 山村はそう思ったりしたのだが、池谷はその君島の言葉に思い当らないわけでもなかった。
 というのは、森山は大介が消え失せたにもかかわらず、余り哀しんでいないような印象を受けたことがあったからだ。
 すると、その時、君島は、
「分かったぞ!」
 と、眼を大きく見開き、輝かせては言った。
 そんな君島を見て、池谷は、
「何を分かったと言うんだい?」
「ですから、事の真相をですよ!」
 そう言った君島の表情は、真剣そのものであった。
「事の真相?」
 池谷は眉を顰めては言った。
「ええ。そうです。何故、こんなことに気付かなかったのかな」
 と、君島はいかにも悔しそうに言った。
 そんな君島に、池谷は、
「その事の真相をとやらを話してくれるかい」
 すると、君島は真剣な表情を浮かべ、
「つまり、大介君を殺したのは、森山夫妻だったというわけですよ」
 そう言っては、君島はとても険しい表情を浮かべては言った。しかし、その君島の表情から、今の君島の推理に対する君島の自信振りを窺うことが出来た。
 だが、池谷と山村は、呆気に取られたような表情を浮かべた。何故なら、池谷と山村は、今までにそのようなことを思ってみたことがなかったからだ。
 そんな二人を見て、君島はいかにも自信有りげな表情を浮かべたまま、
「先程も言ったように、森山夫妻にとって大介君は厄介者だったのですよ。
 それで、大介君が何者かに誘拐されたと世間に思わせ、その一方、自らで大介君を殺したというわけですよ。誰も親が子供を殺したなんて、思わないですからね」
 そう言った君島の表情は、とても厳しいものであった。
 そう君島に言われても、池谷も山村も〈成程〉というわけにはいかなかった。森山夫妻が大介を殺したなんて、今まで思ったことはなかったし、また、現実的にもその可能性があると今の時点では疑う根拠は何もなかったからだ。単に君島の推測だけでは、安易に同調するわけにはいかなかったのだ。
 それで、池谷と山村は、困惑したような表情を浮かべては、言葉まらせたのだが、そんな池谷に、君島は、
「刑事さん、これが真相ですよ!」
 と、いかにも真剣な表情を浮かべては、力強い口調で言った。
 そんな君島に、山村は、
「じゃ、春川さんも森山さんが殺したとでも言うのかい?」
 と、些か納得が出来ないように言った。
 すると、君島は山村を見やっては、
「そこまでは分からないですよ。でも、大介君の事件と春川さんの事件は別個の事件ではないですかね? 二つの事件が関係してるという証拠はあるのですかね?」
「そのようなものは、今のところないんだよ」
 と、山村は決まり悪そうに言った。
「田代がそう推理しただけなんですよね?」
「まあ、そういうことかな」
「だったら、田代のそのインチキ推理に騙されては駄目ですよ! 田代は単に自分が捜査してた大介君の事件を解決出来なかったから、出鱈目な推理を真実だと思わせ、事件の解決を図っただけなんですよ。そんな奴に騙されてはいけませんよ!」
 そう君島が言うと、君島のその主張が正しいのかもしれないと、池谷は思わないこともなかった。
 しかし、春川美紀が札幌に来ていた時に、大介が行方不明になったということは些か気に掛かるというものだ。
 すると、君島は、
「確かに、大介君が行方不明になった頃、友美ちゃんの友人が札幌に来るということを僕は友美ちゃんから耳にしました。しかし、それが春川さんだったということまでは覚えていないのですよ。それなのに、何故そのようなことを田代は言ったのですかね?」
「友美ちゃんから聞いたと言ってましたよ」
 と、池谷。
「そういうわけですか。しかし、僕は春川さんという名前までは覚えていなかったのですよ。それなのに僕が大介君を誘拐したのが春川さんだと思わせるような偽装工作を行ない、そして、春川さんが大介君を殺したと思わせる為に、春川さんを自殺に見せかけて殺すなんて混み入った偽装工作を行なえる程、僕は賢明な頭脳の持ち主ではないということですよ! 何度も言いますけど」
「じゃ、森山さんが大介君を殺したという何か具体的な証拠を持ってるのかな」
 と、池谷。
「いや、そういうわけではないのですが」
 と、君島は決まりに言った。
 そして、この辺で君島宅を後にすることにした。 
 君島宅を後にすると、山村は池谷に、
「今の君島さんの話をどう思いますかね?」
「僕はどちらかと言えば、君島さんの方を信じますね。つまり、田代さんの推理が出鱈目だというわけですよ」
「どうしてそう思ったのですかね?」
 と、山村。
「現実的に見ても、車の運転が得意ではなく、また、札幌の地理や大介君の通学ルートに詳しいと思えない春川さんが、札幌で大介君を誘拐するなんて事は不可能ですよ。しかし、田代はそれが可能だと主張しましたからね。田代によると、君島さんが大介君を殺したにもかかわらず、その罪を春川さんに擦り付けたと言ってるわけですが、君島さんなら春川さんが大介君を誘拐しては殺すことが出来るなんて思いはしないというわけですよ。
 というのは、君島は春川さんのことを知らな過ぎるのですよ。それ故、その様な人物を犯人に仕立てるのは、危険過ぎるというわけですよ。それ故、春川さんが大介君を誘拐しては殺したなんていうストーリーを考え出すわけがないというわけですよ。
 つまり、田代の言ったことは、単なる推理に過ぎないというわけですよ」
 と、池谷はそれが正しいと言わんばかりに言った。
「となると、我々は田代の推理に惑わされてしまったというわけですか」
「そういうわけでしょうね」
「でも、何故田代はそのような推理を、敢えて言ったのでしょうかね?」
 山村は些か納得が出来ないように言った。
「よく分からないですね。でも、君島が言ったように、田代は大介君を探していたのですが、大介君の事件を終結させたい為に、勝手な推理を述べたのかもしれませんね」
 といった遣り取りを交していたのだが、もう一度田代に会って、田代から話を聴いてみることになった。

目次   次に進む