7 意外な事実
その情報とは、美紀の遺体が見付かった傍らには、睡眠薬が入った小瓶が置かれていたのだが、その瓶には実は指紋が付いていたのだ。
それで、その指紋を、美紀の身近な人物や、また、刑事が聞き込みを行なった人物などから密かに採取した指紋と照合して見たのだが、すると、その睡眠薬の小瓶に就いていた指紋は、田代守の指紋と見事に一致してしまったのである!
この重大な事実を受け、山村は池谷と共に直ちに札幌市内にある田代宅に向かった。そして、田代宅の前に着いたのは、午後八時であった。
それで、山村は直ちにインターホンを押した。
すると、少しして、
「誰だ?」
という田代の素っ気ない声が聞こえた。
それで、山村は自らの事を名乗った。
すると、田代の言葉は詰まった。
だが、少しして玄関扉が開き、田代が姿を見せた。そんな田代は、怪訝そうな表情を浮かべていた。そんな田代は、山村の来訪の目的が分からないと言わんばかりであった。
そんな田代に、山村は、
「田代さんに確認したいことがあるんだよ」
と、穏やかな表情と口調で言った。だが、その眼はとても冷ややかなものであった。そんな山村の眼は、犯罪者は決して逃がさないぞと言わんばかりであった。
そんな山村に、田代は、
「僕に確認したいこと? それ、どんなことですかね?」
と、いかにも怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「春川美紀さんに関することですよ」
「春川美紀さんのこと? 春川さんはやはり僕が言ったように、君島良人に殺されたということが分かったのですかね?」
と、田代はいかにも真剣な表情を浮かべては言った。
すると、山村は田代の言葉に何ら表情を変えることはなく、
「いや。そうじゃないのですよ」
「そうじゃない? じゃ、どういうことなんですかね?」
田代は怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「春川さんの遺体が見付かった傍らに、睡眠薬の小瓶が置かれていたことを田代さんは知ってますよね」
「そうでしたね。刑事さんがそう言ってましたからね。恐らく君島が置いたのでしょうよ」
と田代は小さく肯いた。
すると、山村は眼を大きく見開き、
「違うのですよ」
「違う?」
田代はその山村の言葉は意外だと言わんばかりに言った。
「そうですよ。で、その睡眠薬の小瓶には指紋が付いていましてね。で、一体誰の指紋が付いていたのだと思いますかね?」
と、田代の顔をまじまじと見やっては言った。
「そりゃ、君島の指紋じゃないですかね。君島が春川さんを殺したのだろうから、春川さんの傍らに置かれてた睡眠薬の小瓶には、君島の指紋が付いていてもおかしくはないですよ」
と、田代はその可能性は十分にあると言わんばかりに言った。
「そうじゃないのですよ!」
山村は田代の言葉を強く打ち消した。
「違う? じゃ、誰の指紋が付いていたというのですかね?」
田代はまるで山村に挑むかのように言った。
「実はですね。田代さん、あなたの指紋が付いていたのですよ!」
山村は声高らかに言った。
すると、田代は呆気に取られたような表情を浮かべた。そして、少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
「アッハッハッ!」
と、声高らかに笑いだした。そんな田代は、正におかしくて堪らないと言わんばかりであった。
「何がおかしいのですか?」
山村はむっとした表情を浮かべては言った。
「何がって、これがおかしくない筈がないじゃないですか! 春川さんの遺体の傍らに置かれていた睡睡眠薬の小瓶に、僕の指紋が付いていたなんて! そんなの、正に空想の世界の中での話ですよ! アッハッハッ!」
と、田代は再びおかしくて堪らないと言わんばかりに豪快に笑った。
「空想の世界での話ではない! 科学鑑定の結果、明らかになったんだ!」
田代の態度に憤然とした山村は、怒りを露にした。
「警察の科学捜査は過去にミスをしたことがあると、僕は聞いたことがありますよ。正に今の刑事さんの話はそれに該当しますよ」
そう言った田代の表情には、笑みは見られなかった。そんな田代は、正に出鱈目なことを言った山村のことを強く非難してるかのようであった。
それで、山村は、
「じゃ、田代さんは春川さんの死には何ら関係がないと言われるのですかね?」
と、いかにも納得が出来ないように言った。
「そりゃ、当然ですよ!
確かに僕は森山さんの依頼を受け、大介君を探す為に春川さんに会って話をしたことはありますよ。しかし、その時に一度会っただけで、その後、全く顔を合わせたこともないのですよ。
それなのに、何故春川さんの遺体の傍らに置かれていた睡眠薬の小瓶に、僕の指紋が付いていたのか、まるで分からないのですよ」
と、田代はいかにも納得が出来ないと言わんばかりに言った。
田代がそう言うので、改めて田代の指紋が採取され、美紀の傍らに置かれていた睡眠薬の小瓶に付いていた指紋と照合されることになった。
田代はといえば、指紋をとられることを拒んだが、どうにもならなかった。
そして、その結果は程なく明らかになったのだが、やはり、小瓶に付いていたのは、田代の人差指の指紋であったのだ!
この結果を受けて、田代が嘘を付いてることが明らかとなった。
それで、山村は、
「これはどういうことだ!」
と、田代に詰め寄った。
「だから、何かの間違いなんですよ!」
と、田代は主張したが、その言葉には覇気がなかった。
「そんな嘘をついてももう誤魔化しは通用しないぞ! もう何もかもを正直に話すんだ!」
と、池谷はその巨体を凄ませては、田代に詰め寄った。
すると、田代は池谷から眼を背け、言葉を発そうとはしなかった。
だが、その田代の態度からは、田代に後暗いものがあることを十分に察せられた。
それで、田代宅の家宅捜索が行なわれることになった。
すると、あっさりと成果を得ることが出来た。正に今回の事件を解決に導くと思われる有力な物証を入手することが出来たのであった。
その有力な物証とは、女性の財布であった。田代の趣味には似合わないような地味な女性の財布が、田代の物入れの引出しの中から見付かったのだが、その財布に付いていた指紋と、美紀宅から採取した美紀の指紋との照合が行なわれた結果、それは見事に一致したのである! 即ち、田代は春川美紀の財布を所持していたのだ!
この事実を受け、田代が美紀の死に関係があることが決定的になった。
また、田代の物入れの引出しからは、青酸の粉末も見付かったのだ。
これによって、田代は美紀を青酸によって死に至らしめ、その遺体の傍らに睡眠薬の小瓶を置いては、美紀は自殺したと思わせるような偽装工作を行なったということは容易に察せられた。
美紀の傍らに置かれていた睡眠薬の小瓶に田代の指紋が付いていたことや、美紀の財布を田代の部屋の物入れに保管してたことは、田代の油断というものであろう。
これだけの証拠を突きつけられると、田代はもう逃れられないと観念したのか、徐々に真相を話し始めた。
「僕は金に困っていたのですよ」
と、いかにも決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
「金に困っていたというのが、春川さんを殺した動機なのか?」
山村は些か納得が出来ないように言った。
「いや。それだけではないのです」
田代はいかにも決まり悪そうに言った。
「じゃ、どうして春川さんを殺したんだ?」
池谷は些か納得が出来ないように言った。
「頼まれたのですよ。何とかしてくれと」
「それ、どういう意味なんだ?」
と、山村は眉を顰めた。
「森山さんですよ。森山さんから、大介君の誘拐のことを何とかしてくれと頼まれたのですよ。
つまり、森山さんは、今の時点になっても大介君が見付からないのは、既に死んでるに違いないと言うのです。
しかし、世間では依然として大介君探しを行なっている。この前もTVのレポーターが森山さん宅にやって来ては、森山さんの心境を取材したり、また、雑誌の記者も取材に来たりするので、森山さん夫妻はとても迷惑してるのですよ。それ故、何とか大介君の事件を終結出来ないかと、僕に相談しに来たのですよ。
更に僕がうまく事を終結させれば、謝礼金として五百万払うという条件を出して来たのですよ。
僕は申し出に狂喜しました。何しろ、僕はここしばらくの間、定職についていませんでしたから、金に困っていたのですよ。
それで、簿はあの手段を考え出したのですよ。
あの手段とは、既にご存知のように、春川さんを自殺に見せかけては殺し、そして、その犯人を君島良人と思わせることです。つまり、君島良人は大介君を誘拐し、殺したのだが、その責任を春川さんに擦り付ける為に、君島が春川さんを殺したというものです。
僕は警察から、大介君が行方不明になった頃、即ち十一月十日の午後三時頃、春川さんは一人で札幌の街に出掛けたという説明を聞いてましたし、また、君島良人もそのことを知っていたということを友美さんから聞いていたということと、また、君島が午後三時以降にアリバイが無いということも警察から聞いて知っていたので、それらのことを利用してやろうと考えたわけですよ。
そして、その嘘は充分に通用すると読んでいたのですが……」
と、田代はいかにも決まり悪そうな表情を浮かべては、淡々とした口調で言った。そんな田代の口調は、正に弱々しいものであった。
「じゃ、春川さんをどうやって殺したんだ?」
「春川さんの隙を見ては、春川さんの口に無理やり青酸をこじ入れたのですよ。青酸は知り合いの会社員から手に入れました。その会社では、青酸を用いた製品作ってるので」
その田代の自供を受けて、田代は春川美紀殺しの疑いで逮捕された。
美紀は田代が五百万を手に入れたのと引き換えに、田代の手によって殺されたのだ。
しかし、春川美紀という女性は、改めて薄幸の女性だと思った。美紀は五百万と引き換えに、はかなく散ったのだから。
また、大介の事件捜査も進展を見せた。
君島友美の証言や田代の証言を受けて、森山が警察から捜査を受けることになったからだ。
森山夫妻を署に任意出頭させ、取調室で君島友美の証言や、田代が春川美紀殺しの疑いで逮捕されたことを改めて話した。
すると、森山明夫は、
「君島友美さんの証言は嘘ですよ」
と、憤然とした表情で言った。そして、田代の証言に関しては、
「僕が大介の事件を何とかしてくれと田代さんに頼んだことに関しては、何ら疾しい所はありませんよ。つまり、田代さんが刑事さんに話したように、僕たちはいつまでも大介の誘拐が世間の興味のたねにされるのが嫌なんですよ。TVとか雑誌に取り上げられれば、世間の好奇の眼に晒されるじゃないですか。僕たちはそれが嫌だったのですよ。それ故、表向きに大介の事件を終結させたかったのですよ」
と、森山明夫は神妙な表情を浮かべては言った。
「じゃ、森山さんは大介君の失踪には何ら関与してないのですかね?」
「勿論、関与してないですよ!」
「じゃ、君島友美さんの証言は?」
「ですから、それは出鱈目なんですよ! 全くの事実でないことなんですよ!」
そう森山が反論して来ることは、予め予想出来ていたことだが、しかし、そうだからといって、どうにもならなかった。友美が聞いた話は、美紀が言ったことなので、美紀にその真偽を確かめなければならないのだが、美紀は今やこの世にいない。また、森山が大介を殺したという証拠は何も見付かっていないのだ。
それ故、森山夫妻には一旦帰宅してもらうしかなかった。
そんな森山夫妻の後ろ姿を山村はいかにも悔しそうな表情で見送ったのであった。