第一章 始まり
1
中上貫太郎は、身長170センチ、体重65キロの何処にでもいるようなごく普通の感じの青年だった。
そして、貫太郎は今、東京のS大の四年生で、来年就職を控えた二十一歳であったが、就職先は決まってはいなかった。
そんな貫太郎の趣味は、旅行であった。
小さい頃は、両親に連れられて色んな所に旅行に行ったものだったが、大学生になってからは、バイトで貯めた資金を元に、札幌、函館、大沼公園とかいった北海道とか、上高地、八方尾根とかいった信州地方、更に、奈良、京都とかいった観光地を訪れた。今の大学生は、外国旅行を行なったりするだろうが、貫太郎としては、まだ訪れていない日本の観光地を隅々まで訪れてやろうと思っていた。
だが、来年からは、社会人の仲間入りだ。そうなると、今のように、自由に使える時間も限られて来るだろう。
しかし、旅行好きの貫太郎は、もっと色んな所を訪れてみたかった。旅行は貫太郎にとって、生き甲斐なのだから。
それ故、旅行を仕事に出来ないものか?
そう考えた結果、ツアーコンダクターという仕事があることが分かった。ツアーコンダクターとは、旅行を企画したり、また、添乗員として、お客さんの旅行に添乗し、案内する仕事だ。正に、このツアーコンダクターこそ、貫太郎にとって、打ってつけの仕事なのだ。
それ故、貫太郎は、ツアーコンダクターになる為に、今度は旅行会社の面接を受けようと思っていた。また、旅行会社が駄目なら、派遣会社に登録するという手段もあるだろう。
そのように、今後の計画を練っていたのだが、ゴールデンウィークになる前に、一旅行することになった。行く先は、八重山諸島だ。
八重山諸島というと、日本最南端の島々だが、八重山諸島を訪れるよりも、まず沖縄本島を訪れるのが先だと多くの人は思うかもしれないが、貫太郎は中学生の時に家族旅行で沖縄本島を訪れていたのだ。それで、今回の旅行先に八重山諸島を選んだのである。
八重山諸島といっても、石垣島、西表島、竹富島、小浜島、黒島、波照間島、与那国島と、様々な島があるのだが、二泊三日の旅程で訪れるとなれば、それらの島々を全て訪れるのは無理というものだろう。
それ故、今回は、石垣島、竹富島、西表島の三島を訪れることにした。この三島が、八重山諸島の中では人気がありそうだったので、まずこの三島を訪れてみることにしたのだ。
2
八重山諸島の玄関口である石垣空港は、羽田空港から直通便が出ているのだが、時間の関係上、直通便は無理だったので、那覇系由の便で行くことになった。
羽田空港から那覇までは、凡そ二時間四十五分で、那覇から石垣島までは、凡そ一時間だった。
石垣空港に予定通り着くと、早速石垣島の繁華街近くにある離島ターミナルにバスで向かうことになった。
近年、石垣島では青サンゴで有名な白保海岸近くに新空港が出来、その為、離島ターミナルへはバスで四十五分掛かるようになった。
もっとも、貫太郎は石垣島を訪れるのは今回が初めてであったので、以前の空港がどのようなものであったかは知らなかった。
それはともかく、貫太郎の今日の予定は、竹富島であった。
竹富島といえば、赤瓦の屋根で有名であり、古き良き沖縄の原風景が見られる島だ。また、離島ターミナルから船で十分なので、てっとり早く訪れることが出来た。その為に、貫太郎はまず竹富島を訪れることにしたのだ。
ライトブルーに煌めく海を横目に、程なく竹富島に着いた。
そして、桟橋を経て、待合室の外に出ると、様々な観光業者が、観光客を待ち構えていた。
そして、貫太郎はまず水牛車観光を行なってみようと思っていたので、水牛車観光業者の人が運転するマイクロバスで水牛車乗場まで送ってもらい、その時間は僅かで、水牛車乗り場に着いた。
すると、水牛車は丁度出発するところだったので、貫太郎はうまい具合にその水牛車に乗り込むことが出来た。そして、その水牛車に乗り込んだのは、貫太郎を含めて八名だった。
ガイドのお兄さんが、水牛に鞭を入れると、水牛はゆっくりと歩き始め、それと共に、水牛車は動き始めた。
碁盤の目のように整備されている道を、水牛車はゆっくりとした速度で動いていた。
貫太郎は辺りの風景は初めて眼にするものだったので、いかにも珍しげな眼で見入っていたのだが、他の観光客も貫太郎と同じような表情をしていた。
そんな観光客たちに、ガイドのお兄さんは、色々と竹富島のことをガイドしてくれた。
すると、その時、水牛が突如、糞を垂れようとした。
すると、ガイドのお兄さんは、すぐ傍らにあったバケツで、水牛の糞を巧みに受け止めた。これには、皆、大笑いであった。
「水牛はちゃんと歩く道を覚えているのですよ」
そうガイドに言われると、貫太郎は些か驚いた。何しろ、サンゴの石灰岩を積み上げた石垣とかいった同じような感じの風景が続いていた為に、人間でも、何度も来なければ、迷ってしまいそうな風景だったのだ。それを水牛が覚えているなんて、大したものだと、貫太郎は些か驚いてしまったのだ。
やがて、水牛車が歩みを止めたかと思うと、ガイドは、
「ここは、『クヤマの生家』です」
と言っては、クヤマという女性のことを説明した。
それによると、江戸時代には、島の女性を薩摩の役人がめかけにしたそうだが、クヤマはそれを頑として断った勇気ある女性だったそうだ。
その説明に、貫太郎は、
〈なるほど〉
と思いながら、耳を傾けていたのだが、やがて、水牛車は動き出した。
そして、少し進むと、再び水牛車は止まった。
すると、ガイドが近くにあった水道のホースを手にしては、水を水牛車に掛け始めた。すると、水牛車はとても気持ちよさそうであった。
「ここで水を掛けられることを水牛は覚えているのですよ」
〈なるほど〉
貫太郎は妙に感心した。
即ち、水牛は見た眼よりも賢い動物なのかもしれない。
やがて、ガイドは、三線を手に、「安里屋ユンタ」という沖縄民謡を唄い始めた。「安里屋ユンタ」は、先程のクヤマを唄ってるそうだ。
そして、やがて、約四十分に及んだ水牛車観光は終わったのだ。
水牛車観光を終えた後、貫太郎はハイビスカスが咲き乱れている辺りの風景の写真を撮った後、自転車で島を見物することにした。竹富島は周囲九キロの小さな島であるから、自転車で主だった見所に行けるとのことだ。
貫太郎は水牛車観光乗場の近くにある貸自転車屋で自転車を借り、早速竹富島観光に乗り出した。
竹富島の主だった見所としては、コンドイビーチ、星砂の浜、安里屋クヤマの生家、喜宝院蒐集館、ンブフル丘とかいったものがあるが、貸自転車屋で貰った地図を眼にすると、それらは全て自転車で行けそうだ。
とはいうものの、安里屋クヤマの生家は、水牛車観光の時に素通りではあるが一応眼にしたので、今回は行かないことにし、貫太郎はまずコンドイビーチを目指しては、自転車を漕ぐことにした。
同じような感じの家並みが続いているので、どちらが東西南北なのかといった方向感覚が摑みにくかったが、貫太郎は貸自転車屋の係員の説明を元に、何とかコンドイビーチにまで行くことが出来た。
コンドイビーチに着くと、貫太郎は早速自転車を自転車置場に停め、ビーチに佇み、辺りの風景を堪能することにした。
このエメラルドグリーンに煌めく海を眼にして、貫太郎は大きく伸びをした。正に楽園といえるような風景を眼に出来るのだ。季節柄、まだ泳いでいる人の姿は見られなかったが、シーズンになれば、さぞこのビーチは遊泳客で賑わうだろうと、その光景が眼に浮かぶようであった。
貫太郎は、遠くに西表島を望み、そして、陽光を受け、きらきらとまるで宝石のように煌めいているエメラルドグリーンの海に見惚れ、しばらく時の経つのも忘れ、ぼんやりと佇んでいたのだが、すると、その時、突如、
「義人君!」
と、背後から声を掛けられた。その声は、女性の声であった。
それで、貫太郎は思わず背後に振り返った。
すると、そこには、貫太郎にとって、全く見覚えの無い婦人が立っていた。
その婦人は沖縄地方にしか見られないような織物で織られたような衣服を身に付けていたので、その婦人を一目見て、地元の人だと貫太郎は思った。
だが、その婦人は貫太郎の全く知らない人物であったことは、間違いなかった。
また、この時、貫太郎は〈人違いでは?〉という思いが脳裏を過ぎった。何故なら、貫太郎は中上貫太郎であり、義人という名前ではなかったからだ。
だが、今、貫太郎がいる辺りには、貫太郎以外には人いなかった。それ故、その婦人は貫太郎を見やっては、言葉を発したと思われた。また、その婦人の双眸は、確かに貫太郎に据えられていた。
とはいうものの、貫太郎はやはり、義人という名前ではなかったので、言葉を発することは出来ずに、人違いに違いないと判断し、その婦人のことを無視しようとし、その婦人から眼を逸らせ、再び海に眼を向けようとした。
すると、婦人は、
「あなたは、義人君ね」
と、眼を大きく見開き、甲高い声で言った。
貫太郎はといえば、今度は確かに婦人は貫太郎に向かって声を掛けてるということを理解した。
とはいうものの、やはり、貫太郎は義人なる名前ではなかったので、今度は婦人に義人ではないということを説明する必要があると思い、今度は婦人を見やっては、
「義人君とは、僕のことですかね?」
と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
すると、婦人は眼を大きく見開いたまま、そして、声を震わせては、
「そう! そうよ! あななたは、義人君よ! 絶対にそうだわ!」
すると、貫太郎は思わずは破顔した。何故なら、今の婦人の言葉は、明らかに出鱈目であるということを理解したからだ。
それで、
「僕は中上貫太郎という者です。あなたは、人違いされてるのですよ」
すると、婦人の表情は、突如、哀しげなものに変貌した。
だが、
「でも、あなたは今、二十一歳ね」
と言っては、食い入るように貫太郎を見やった。
すると、貫太郎は表情を強張らせた。何故なら、貫太郎は確かに今、二十一歳だったからだ。
何故この婦人は、貫太郎の年齢を知っているのだろうか?
という疑問が、貫太郎の脳裏を捕えたが、貫太郎の容貌とか身体付きを眼にすれば、当てずっぽうでも年齢を言い当てること位は可能というものだ。
それで貫太郎はとにかく、
「ええ。そうですが……」
と呟くように言った。
すると、婦人は些か笑みを浮かべては、
「やっぱりそうね。で、義人君は今、何処に住んでるの?」
と、貫太郎を食い入るように見やっては言った。
「東京ですが」
貫太郎は取り敢えずそう言った。
「東京? そんな遠い所に住んでるの?」
婦人は困惑したような表情を浮かべては言った。
そう言われ、貫太郎は言葉を発そうとはしなかった。何故なら、何て答えればよいのか、分からなかったからだ。
すると、婦人は、
「今、誰と住んでるの?」
と言って来たので、
「一人でですが」
と、眉を顰めては言った。実際にも、貫太郎は今、勝浦市に住んでいる両親の許から離れ、東京都内で一人で暮らしていたのだ。
「一人でなの。そりゃ、寂しいでしょ。
お母さんもずっと寂しい思いをして来たのよ。でも、これで親子水入らずで暮らせるわね」
と、婦人はさも満足そうに言った。
だが、その言葉を耳にして、貫太郎の表情は、忽ちと、戸惑ったようなものに変貌した。この婦人は誰と貫太郎とを間違えてるかを理解したからだ。
この婦人は、先程から貫太郎のことを義人君と呼び続けて来た。そして、その義人なる男性は、婦人の息子なのだろう。
だが、その義人は、婦人と離れ離れになってしまった。行方不明になったか、幼少時に死別したのかのどちらかであろう。
そんな状況だったのだが、その義人とよく似た貫太郎が婦人の前に現われ、眼に留まった。それで、婦人は貫太郎のことを「義人君!」と呼んだのだ! つまり、婦人は貫太郎のことを義人と錯覚したのである!
事の次第を理解した貫太郎は、穏やかな表情を浮かべては、
「あのですね。僕の名前は中上貫太郎なんですよ。義人という人物ではないのですよ」
と、いかにも申し訳なそうに言った。貫太郎がそう明言することは、この婦人に大いなる失望をもたらすことになるだろうが、事実だから仕方ないのだ。しかし、貫太郎は婦人のことを気遣い、穏やかな表情と口調でそう言ったのだ。
すると、婦人は、
「いいえ! あなたは、義人君だわ!」
と、いかにも険しい表情を浮かべながら、そして、声を震わせながら言った。
「ですから、僕は義人ではないのですよ!」
貫太郎は穏やかな表情ではあるが、些か声を荒げては言った。この婦人の人違いは、明らかに度を越していると思ったのだ。
「いいえ! あなたは絶対に義人君よ! あななたは三歳の時に西表島から人攫いに攫われてしまったのよ!
でも、神様が私と義人君を引き合わせてくれたのね。母さん、嬉しくて……」
と、婦人は涙組み、そして、眼頭に手を当てた。
貫太郎はもう馬鹿らしくなってしまい、この婦人と話をするのが嫌になってしまった。それで、婦人の許から去ることにし、婦人に背を向けては歩き出したのだが、すると、婦人は、
「待って!」
と、貫太郎を背後から呼び止めた。
それで、貫太郎は仕方なく立ち止り、そして、振り返った。
すると、婦人は小走りで貫太郎の許に来ては、
「左足首を見せてくれないかしら」
と言って来た。
そう言われ、貫太郎は怪訝そうな表情を浮かべては、言葉を発そうとはしなかった。
そんな貫太郎に、婦人は、
「義人君は三歳の時に、右足首に大火傷をしたのよ。そして、その時の傷痕は、一生取れないと医師は言ったのよ。
だから、もしあなたが義人君なら、右足首に必ずその痣がある筈だわ。だから、右足首を見せて欲しいの」
と言うと、婦人の言葉に対する貫太郎の返答を聞くまでもなく、突如、貫太郎の前に屈み込んだかと思うと、貫太郎の右足の靴下をあっという間にずり下げたのだ。
そんな婦人の思わぬ行動に、貫太郎は何故か低抗することなく、婦人にされるがままになってしまったのだが、婦人は突如、
「やはり、あなたは義人君よ! 確かに右足首に火傷の痣があるからね!」
と言っては、破顔し、貫太郎に抱き付いた。
これには、貫太郎は大層驚いたのと共に、婦人を咄嗟に払い除け、貫太郎の自転車に向かった。もうこれ以上、この奇妙な婦人に付き合わされるのは、真っ平だったからだ。
自転車の前まで来ると、貫太郎は自転車に飛び乗り、自転車を漕ぎ始めた。そして、自転車を漕ぐ足に力を加え、決して緩めようとはしなかったのだ。
そして、次の見物場所である星砂の浜に着いた時は、貫太郎は「やれやれ」と大きく息をついたのであった。
そして、改めて、奇妙な経験をしたものだと思った。
世の中には、似た人は幾らでもいるが、貫太郎はまさか貫太郎自身が、人違いの対象にされるとは、夢にも思わなかったのである。
しかし、あの婦人の人違い振りは、尋常ではなかった。明らかに、貫太郎を義人なる人物に決めて掛かるのだから!
恐らく、あの婦人には、貫太郎と同じ位の息子がいたのだが、病気か事故などによって死なれてしまい、頭が変になってしまってるのだ。そうに違いにない!
そう思うと、貫太郎はあの婦人のことを非難する気にはなれなかった。それどころか、同情すら感じたのだ。
そう思うと、貫太郎は神妙な表情を浮かべたのだが、しかし、その時、貫太郎は眉を顰めた。
それは、あの婦人が、貫太郎の右足首の痣のことを知っていたからだ。これには驚いてしまったが、正に奇妙な偶然があるものだと思うと、苦笑いしてしまったのだ。
そんな貫太郎は、観光客で賑わう星砂の浜に佇むと、やがて、あの婦人のことは、忘れつつあった。
因みに、星砂とは、星の形をした砂ではなく、有孔虫の死骸だそうだ。
それで、貫太郎はとにかく、その星砂とやらを探し出した。
すると、程なくそれを見付けることが出来た。
貫太郎は今までこのような星砂なるものを眼にしたことはなかった。それで、何となく感慨すら覚えた位であった。
やがて、貫太郎は星砂探しを止め、星砂の浜を後にすることにした。
そして、自転車の前に来ると、貫太郎は思わず眉を顰めた。先程の婦人のことを思い出したからだ。あの婦人は貫太郎を追って、星砂の浜にまで来たのではないのか?
そう思った貫太郎は、警戒したような視線を辺りに向けた。
すると、程なく笑みを浮かべた。婦人の姿は、辺りに見られなかったからだ。
それで、貫太郎は颯爽と自転車にまたがり、そして、次の目的地に向かった。次の目的地は、ンブフル丘だ。
ンブフル丘とは、別名牛丘とも呼ばれていた。昔、村人が飼っていた牛が夜中にこの場所に来ては、一晩で角をシャベル代わりに丘を築いたとのことだ。そして、その牛は「ンブフル、ンブフル」と泣いていたので、その泣き声に因んで、ンブフル丘と名付けたそうだ。
ンブフル丘に着くと、貫太郎は料金を払い、ンブフル丘の展望台に立った。
すると、竹富島は平坦な島だということもあり、辺りの様子を手に取るように眺めることが出来た。赤瓦屋根の民家、白砂の道、緑豊かな樹林帯、そして、海を隔てて西表島という具合に。
正に、観光ガイドに記してあったような素朴で温かみのある風景が、貫太郎の眼前に開けていたのだ。
貫太郎はその風景を十分に堪能すると、一応訪れようと思っていた場所は訪れたので、この辺で貸自転車屋に戻ることにした。
貸自転車屋に戻る時には、赤瓦の民家の町並みを通り抜けたのだが、その時にも竹富島の雰囲気を堪能したことは、言うまでもないだろう。
水牛車観光のマイクロバスに乗って、竹富港に戻った貫太郎は、後は石垣港に戻るだけだ。
そんな貫太郎は、岸壁に佇み、眼前の海に眼をやった。
そして、そのエメラルドグリーの海を眼にして、竹富島に来てよかったと思った。
そして、しばらくの間、その綺麗な海を見入り続けていたのだが、突如、背後を振り返った。そして、辺りに眼をやった。
というのは、コンドイビーチで出会ったあの奇妙な婦人のことを思い出し、あの婦人がいるのではないかと思い、辺りに眼をやったのだが、見当らなかった。
それで、貫太郎は安堵したような表情を浮かべた。ここまでやって来られては、「あなた、義人君ね」などと言われたくなかったからだ。
やがて、石垣島行きの船の船影が見えたかと思うと、船は桟橋に接岸した。
それで、貫太郎は直ちに乗船し、十分という短い時間で、貫太郎は石垣港に戻ったのであった。
3
石垣島に戻ると、午後四時を過ぎていた。
それで、一旦、宿泊先のホテルにチェックインすることにした。宿泊先のホテルは、石垣港のすぐ近くにある石垣ビュウホテルであった。
チェックインを済ますと、貫太郎の部屋は、505号室であった。
貫太郎は部屋の中で少し寛いだ後、外出することにした。辺りの見所としては、石垣市公設市場周辺しか思い当たらなかったので、貫太郎は早速地図を頼りに、石垣市公設市場に行ってみることにした。
石垣市公設市場は、那覇の牧志公設市場のようなものであったが、牧志公設市場に比べると、規模は遥かに小さかった。しかし、それは、那覇市より、石垣市の方が遥かに人口が少ないのだから、当然のことであろう。
公設市場に着くと、二階には、土産物売場があるので、貫太郎は早速土産物選びを始めた。
土産物は、勝浦に住んでいる父母に買う為だ。母にはミンサ―織りのハンカチを、父にはアダン葉ぞうりを買うことにした。
公設市場を後にし、アーケード内にある商店街を少し見物した後、港近くにある郷土料理店で、夕食を食べることにした。
貫太郎が食べたのは、しし鍋という鍋料理であった。
それは、スープがとても美味しく、イノシシの肉もとても美味しかった。正に貫太郎はしし鍋に舌鼓を打ったのであった。
4
翌日、貫太郎が訪れたのは、西表島であった。今回の旅行は、昨日は竹富島観光、今日は西表島観光、明日は石垣島観光ということになってた。
西表島へは、観光業者による石垣島発の観光コースがバラェティに設定されていた。それで、貫太郎はそれを利用することになっていた。
貫太郎が選んだコースは、仲間川ボート遊覧と、由布島、星砂の浜がセットになったものであった。星砂の浜は、竹富島にもあったのだが、今日訪れるのは、西表島の星砂の浜だ。
八時五十分発の出発なので、それまで桟橋前で待つことにした。
石垣港の朝の光景は、なかなか慌ただしかった。次から次へと、西表島などに向かう船が発着をし、その船を利用する人たちが、次から次へと集まって来るからだ。
それはともかく、貫太郎を乗せた西表島に向かう船は定刻通り、桟橋を後にした。西表島までは、四十分だ。
西表島へ向かう船は、平日だというにもかかわらず、満席という状態であった。
時折、ライトブルーに煌めく海を眼にしながら、貫太郎は正に快適な船旅を満喫したのであった。
大原港に着くと、観光バスが待機していて、貫太郎はその観光バスに乗り込んだ。
しかし、観光バスは少し走っただけで、程なく停まった。何故なら、仲間川遊覧ボート乗り場は、大原港のすぐ近くだったからだ。
国内最大級のマングローブ林が流域に拡がっている仲間川を遡る仲間川遊覧ボートは、西表島観光の人気コースだった。
貫太郎は貫太郎と同じ観光コースの人たちと共に、ボートに乗り移り、やがて、ボートは動き始めた。
ボートは最初はかなり速度を上げていたが、川幅が狭まり、両岸にマングローブの林が見え始めた頃には、速度はかなり落ちた。
貫太郎はこの蛸の足のような根を持ったマングローブの林を見るのは、初めてであった。それで、その光景をすかさず写真に撮った。
無論、他の乗船客も貫太郎と同じく何度もカメラを手にしては、辺りの光景を撮っていた。また、ビデオカメラで撮影してる人の姿も見られた。
日本のアマゾンとも称されている正にジャングルの中を蛇行するかのように伸びてる仲間川の両岸に開けてる光景を、貫太郎は正に興味有りげな様をしながら、眼にしていたのだが、先程から少し妙だと感じてることがあった。
というのは、貫太郎の席から少し前の方にいる中年の男性が、時々貫太郎の方にビデオカメラを向けては、貫太郎のことを撮影してるのではないかという気がしたからだ。
もっとも、見所はボートの両岸にあるのだから、貫太郎の方にビデオカメラを向けてもおかしくはないのだが……。
そう思うと、貫太郎はその男性のことなど、すぐに忘れてしまったのだった。
やがて、ボートは折り返し地点に着いた。それで、この場所で、乗船客たちは、一旦下船することになった。
そして、近くにある樹齢四百年の日本最大と言われるサキシマスオウノキを見ることになった。サキシマスオウノキは、その大きな板根に特色があり、昔はこの板根は、船の舵として利用されたとのことだ。
そのサキシマスオウノキを写真に撮ると、貫太郎はボートに戻った。
やがて、乗船客は全てボートに戻ったので、ボートは折り返し地点を後にした。
時折、水飛沫を浴びながら、貫太郎は相変わらずマングローブの林に眼をやっていたのだが、ふと前方に眼を向けると、貫太郎の表情は、自ずから曇ってしまった。というのは、先程貫太郎の方にビデオカメラを向けてたような男性がまたしても貫太郎の方にビデオカメラを向けているのだ。それは、まさしく貫太郎を撮影してるかのようであり、そして、その事実は貫太郎の表情を曇らせてしまうに十分であったのだ。
だが、貫太郎を撮っているという確証はないのだし、また、貫太郎のことを撮って悪いことはなかったので、貫太郎はその男性のことを気にせずに、再び眼をマングローブの林に戻したのであった。
5
仲間川ボート観光を終えると、次の目的地は、由布島であった。
由布島というと、西表島との間を水牛車で渡るのが有名だった。
貫太郎は昨日、竹富島で水牛車に乗ったが、今日も水牛車に乗れるので、バスの中で由布島行きを愉しみにしていたのだが、やがて、バスは由布島行きの水牛車乗り場に着いた。
貫太郎と同じバスに乗って来た観光客は、同じ水牛車に乗って、由布島に向かって出発した。貫太郎と同じ水牛車に乗る観光客は、貫太郎を入れて八人だった。
水牛車はゆっくりとした速度で遠浅の海を渡って行き、約十五分で由布島に着くそうだが、水牛の速度にはそれぞれ差があり、二十分掛かった水牛もいたそうだ。
年配のガイドの巧みなガイドに、観光客たちは正に愉しい一時を過ごしていたのだが、その時、突如、水牛が糞を垂れた。
これには、観光客たちは大笑いだが、女の人の中には、顔を真っ赤にしては、水牛から眼を逸らせ「いやだ……」と、呟いてる人もいた。
水牛が糞を垂れる場面を貫太郎は竹富島でも眼にしたが、竹富島ではガイドが糞をバケツで受け止めたが、由布島行きの水牛車では、ガイドはそうしなかった。何故なら、下は道路ではなく、海だからだ。
それで、貫太郎は何気なく眼を下に向けてみると、思わず眉を顰めた。何故なら、海の中には牛の糞が至る所で見られたからだ。
これでは、由布島まで歩いて渡れるといえども、水牛の糞を踏み付けてしまうだろうから、歩いて渡る気にはなれないだろう。
それはともかく、由布島に着く前に、ガイドは三線を披露してくれて、改めてここは八重山諸島だと実感した。旅行好きの貫太郎は、正に大いに満足したのであった。
やがて、水牛車は由布島に着き、その後三十分の自由散策となった。
由布島は元々何も無い島だったのだが、由布島に入植した人が、今のようなヤシやマングローブなどが生い茂る亜熱帯植物園の由布島を作り上げたとのことだ。
それはともかく、貫太郎は早速由布島散策に出掛けた。といっても、三十分という時間が限られているので、島の隅々まで回るのは、到底不可能だ。
それで、植物園を少しだけ見物することにした。
そして、程なく東海岸に出た。
すると、西表島ではない島を眼に出来た。それは、小浜島だったので、小浜島をバックに、セルフタイマーで写真を撮った。
こういう風にして、トラピカルムード漂う由布島内をあちこち散策し、やがて、水牛車乗り場に戻った。正に、三十分はあっという間であったかのようだった。
由布島観光を終えると、、バスは程なく出発し、バスが向かったのは、星砂の浜であった。星砂の浜は名前の通り、星砂があるとのことだ。
星砂の浜に着くと、貫太郎は竹富島の星砂の浜で行なったように、星砂を探し始めた。すると、それはすぐに見付かった。
だが、貫太郎はそれを持って帰ろうとはしなかった。何故なら、それは、竹富島の水牛車観光の時に、水牛車観光の業者から、土産としてプレゼントされたからだ。
貫太郎と同じバスで乗って来た観光客たちは、星砂探しに興じてる人もいれば、ズボンの裾をめくり、海の中に足を浸してる人もいた。
正に、誰もかれもが、遥々西表島にまでやって来たのだから、星砂の浜を大いに愉しんでるかのようであった。
やがて、星砂の浜での時間は終わり、バスは石垣島への連絡船乗場である大原港に戻ったのであった。
やがて、バスは大原港に着き、既に待機していた石垣島への連絡船に乗り込むと、やがて、連絡船は出発し、時折、ライトブルーに煌めく海を貫太郎は眼にしながら、正に西表島に来てよかったと実感したのであった。
6
翌日は、石垣島観光だった。
といっても、貫太郎は石垣島に来るのは、初めてであったので、石垣島一周定期観光バスを利用することにした。石垣一周定期観光バスは、桃林寺、唐人墓、川平公園、米原ヤシ林、玉取崎展望台等を訪れるとのことだ。
貫太郎を含め、十人程の観光客を乗せた定期観光バスは、九時になると、バスターミナルを出発し、やがて、唐人墓の近くに停まった。
唐人墓とは、その昔、訳あって、石垣島で処刑された中国人を合祀した墓だ。
その唐人墓の前で、貫太郎はガイドに写真を撮ってもらい、そして、海を望める所まで来た。
すると、そこからは、竹富島を一望に出来た。それは、正に絵になる風景であった。
唐人墓の次は、川平湾であった。川平湾は、石垣随一の景勝地で、また、黒真珠の養殖でも知られていた。
川平湾では、グラスボート遊覧を行なうので、貫太郎たちは早速グラスボードに乗り込んだ。グラスボートからは、色とりどりの熱帯魚やサンゴを眼に出来るとのことだ。
グラスボートはやがて出発したのだが、貫太郎は川平湾の海を眼にして、大層驚いたような表情を浮かべた。何故なら、あまりにも綺麗だったからだ。その色は、エメラルドグリーンとライトブルーを足して二で割ったような感じであった。
貫太郎は今まで、こんなに綺麗な海を眼にしたことはなかった。昨日訪れた竹富島のコンドイビーチやその周辺の海も、今まで眼にしたことのないような綺麗な海の色だったが、この川平湾は、それ以上だった。
グラスボートは、比較的浅い場所を進み、グラスボート下のグラスを通して、枝サンゴ、塊状のサンゴ、テーブルサンゴの周りを熱帯魚が泳いでるのを眼にして、観光客たちはそれぞれ歓声を上げていた。
グラスボート遊覧の後は、琉球真珠見学であった。川平湾では、黒真珠の養殖を世界に先駆けて成功したとのことだが、その黒真珠を貫太郎は初めて眼にしたのだが、確かにそれは滅多に眼に出来る代物ではなかった。正に貴重なもので、貫太郎が手に出来るような代物でなかった。
川平湾を後にすると、次は米原のヤシ林であった。米原のヤエヤマヤシは、一属一種で、八重山諸島にだけ自生する珍しいものだ。
そのヤエヤマヤシの中に遊歩道が設けられ、ガイドと共に貫太郎たち観光客たちは進んだ。
その時、中年の男性が、遊歩道から外れ、何故か林の中に入ろうとしたのだが、すると、ガイドが、
「入ってはいけません!」
と、甲高い声で、また、その男性に注意した。
それで、男性は遊歩道に戻ったのだが、すると、ガイドは、
「以前、お客さんで、林の中に入った為に、ハブに咬まれた人がいたのです。ハブが林の中に身を潜めてるので、入ってはいけないのですよ」
それを聞いて、貫太郎は、
「なるほど」
と、感心したように肯いたのであった。
米原のヤシ林の後は、玉取崎展望台だ。ここからの眺めは絶景で、太平洋と東シナ海の両方を眼に出来るとのことだ。
確かに、今日は申し分のない快晴で、玉取崎からの眺めは、素晴らしかった。
貫太郎は玉取崎からの風景をすかさず写真に撮り、辺りの風景を十分に堪能すると、バスに戻り、バスはやがて、帰途についたのであった。
こういう風にして、貫太郎の二泊三日の八重山諸島観光旅行は終わった。
とはいうものの、二泊三日という旅程では、充分に八重山諸島を見物出来なかった。
それで、<またいつか来るぞ>と、飛行機の窓からぐんぐんと遠ざかって行く石垣島を眼にしながら、貫太郎は眼を閉じたのであった。