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 これによって、大道幹夫が一気に中田殺しの容疑者として浮上したのは、当然の成り行きだろう。
 とはいうものの、その動機はいかなるものなのか? やはり、飼い犬を殺された恨みを晴らすというものなのか?
 それは、これからの捜査によって、徐々に明らかになって行くだろう。
 それはともかく、大道幹夫なる男が一気に容疑者として浮上したからには、大道幹夫という男性がどういった男性なのか、まず入念に捜査する必要があるだろう。
 大道幹夫とは、熊本市役所の職員で、今は課長職についていた。そんな大道には妻の淑子との間に、小学校三年の信也と小学校二年の隆也の二人の子供がいた。
 そんな家族状況を見てみると、大道家の主である幹夫が、いくら中田に飼い犬を殺されたとしても、それを理由に中田殺しを実行するなんてことは、とても有りそうもなかった。
 とはいうものの、殺人事件とは、今まで意外な人物が犯人であったというケースは、枚挙に暇がないというものであろう。
 それ故、捜査は先入観に捕われずに、慎重に行なわなければならないだろう。
 それで、とにかく、大道宅の近所の住人から、まず大道家に関して情報を収集してみることにした。
 すると、特に大道家にとって、悪い情報を入手することは出来なかった。 
それどころか、大道は子煩悩で、近所の住人にも、きちんと挨拶をし、また、町内会の役員も進んで引き受け、近所の住人たちの評判がよいことが分かった。
 とはいうものの、中田耕平に対しては、よい印象を持っていなかったようだ。
 それは、大道宅の飼い犬も何者かに毒団子を食べさせられ、死んだからだ。そして、その犯人として、大道はやはり、中田のことを疑っていたようだ。しかし、それは、何も大道だけではなく、他の近所の住人も同じだ。他の四人の住人も、飼い犬を何者かに毒団子を食べさせられ、殺されたのである。そして、その四人も、犯人は中田に違いないと、中田のことを疑っていたのだ。それなのに、大道だけが、中田を殺したりするだろうか? 
 そう思うと、中垣は渋面顔を浮かべた。何となく、大道が中田を殺したと推理するのは、無理があるような気がするのだ。
 しかし、大道の義兄の白河勝則が、中田のミニバイクを修理に出したのは間違いないのだ。
 となると、大道は中田の事件でやはり有力な容疑者であると言わざるをえないのだ。
 また、白河が偽証したことは明らかだ。白河は、義弟の大道からミニバイクを修理してくれと依頼されたという事実を中垣に話さなかったからだ。 
 それで、中垣は再び白河から話を聴く必要が生じ、再び鹿児島に行っては白河から話を聴くことになった。
 白河は中垣の顔を見ると、露骨に嫌な顔をした。正に、疫病神がやって来たと言わんばかりであった。
 そんな白河に中垣は、
「実は妙なことが分かりましてね」
 と、いかにも渋面顔を浮かべては言った。 
すると、白河は、
「妙なこと? それ、どんなことですかね?」
 と、さして感心がなさそうに言った。
「先日、白河さんが修理したミニバイクの持ち主が、熊本市に住んでいた中田耕平という男性で、その男性は何者かに殺され、その死体は久住高原ロードパークの展望台に遺棄されていたという事件を説明しましたね」
 と、中垣は白河の顔をまじまじと見やっては言った。
「ええ。そうでしたね」
「で、その中田さんのことで、白河さんは何かご存知なかったですかね?」
「と言われると?」 
 と、白河は中垣が言ったことの意味が理解出来なかったのか、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「ですから、白河さんが中田さんのミニバイクを修理に出す以前に、中田耕平という男性のことを知っていたのではないかということですよ」
 と、中垣は白河の顔をまじまじと見やっては、小さく肯いた。
 すると、白河は、
「とんでもない!」
 と、一体何を言い出すのやらと言わんばかりに言った。
「そうですかね? 中田さんに関して、今まで何も耳にしたことはなかったですかね?」 
 と、中垣は念を押した。
「勿論ですよ」
 と、白河は大きく肯いた。
「そうですかね。では、白河さんは中田さんが住んでいた熊本市A町三丁目のことを知ってますよね」
 と、中垣は白河の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、白河は、
「A町三丁目ですか……」
と、呟くように言った。
「そうです。A町三丁目に、白河さんの知人がいるのではないですかね?」
 と、中垣は白河の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、白河は少しの間、何やら考え込むような仕草を見せていたが、やがて、
「妹一家のことを言ってるのですかね?」
 と言っては、眉を顰めた。
「そうです。白河さんの妹さん一家、即ち、大道幹夫家の方がA町三丁目に住んでいるということですよ」
 と中垣は言っては、小さく肯いた。
「……」
「で、その大道さんたちは、中田耕平さんのことを恨んでいたということを白河さんは、ご存知ですかね?」
 と、中垣は白河の顔をまじまじと見やっては言った。
「いいえ。知らなかったですね」
 と、白河は素っ気無く言った。そんな白河は、そのようなことがあるのかと言わんばかりであった。
 それで、中垣は飼い犬に関するトラブルの話を話した。
 白河は、そんな中垣の話に黙って耳を傾けていたが、中垣の話が一通り終わると、
「でも、中田さんが大道家の飼い犬を殺したと決まったわけではないのですよね?」
 と言っては、眉を顰めた。
「そりゃ、そうですが……」
 と、中垣は言葉を濁した。
「そうですよね。となると、妹一家は、中田さんのことを恨みようがないじゃないですか! ただ、中田さんが飼い犬を殺した可能性があるというだけでは、どうにもならないですよ。実際は、別に犯人がいるのかもしれないですからね」
 そう白河に言われると、中垣は唇を噛み締めた。確かに白河の言ったことは、もっともなことであったからだ。
 とはいうものの、中垣は白河がミニバイクを直したのは、インターネットで裏仕事を請け負ったからではなく、大道からそう頼まれたのではないかという推理を話してみた。
 すると、白河は、
「とんでもない! 大道さんはそんなことを僕に頼みませんよ。そんなことをすれば、大道さんのことを怪しむということに気付かない程、大道さんは馬鹿ではないですよ」
 と、即座にその推理を否定した。そして、
「で、刑事さんの推理は、半分は当たっていて、また、半分は違ってるというわけですよ。
 で、当たってるというのは、中田さんの死を誤魔化そうとする者がインターネットで裏仕事を募集しました。裏仕事とは、中田さんのミニバイクを遠方の地で修理するということでしょう。つまり、近くで修理すれば、足がついてしまうから、遠方で修理したかったというわけです。そして、たまたま欲に目が眩んだ僕が、その裏仕事の片棒を担いでしまったというわけですよ。
その部分が、当たってる点です。
 で、間違ってる点は、大道さんが、中田さんを殺したと刑事さんが疑ってる点ですよ。大道さんは、中田さんを殺しはしないでしょう。犬を殺したのは、中田さんと決まったわけではないのですから、殺しようがないというわけですよ。
 しかし、犯人は中田さんの近くに住んでいる住人である可能性はありますね。この点は、僕も同感ですよ」
 と、白河はいかにも力強い口調で言った。そんな白河は、今の白河の推理は、正に真実を語ってると言わんばかりであった。
 そう白河に力強い口調で言われ、中垣は返す言葉はなかった。白河が言ったことは、確かにその可能性はあったからだ。また、今の時点では、これ以上、白河のことを強く追求出来るだけの証拠がなかったのだ。
 それで、この辺で、一旦、白河に対する捜査を中断せざるを得なかった。
 白河は懸命に自らに降り掛かった疑惑を振り払おうとしてるようだが、中垣はその白河の証言をあっさりとは信じることは出来なかった。中田のミニバイクを修理に出した白河が、中田殺しの容疑者の一人であった大道幹夫の義兄であったことが、単に偶然で片付けられる程、偶然が世の中を支配してるわけではないと、中垣は看做したのである。
 それ故、改めて、大道家のことが捜査されることになった。
 すると、程なく興味深い証言を入手することが出来た。その証言を中垣にもたらしたのは、大道宅から三軒離れてる近所の住人の安田篤子という五十歳の女性であった。篤子は中垣に、
「大道さんとこは、二人の子供が大の犬好きだったのですよ」
 と、いかにも神妙な表情で言った。
「二人の子供ですか」
「そうです。信也君という小学校三年生と隆也君という小学校二年生の子ですよ。この二人は、メリーちゃんをまるで兄弟のように可愛がっていましたよ。で、メリーちゃんというのは、三歳の柴犬ですよ」
 と、いかにも淡々とした口調で言った。
「その柴犬も、何者かに殺されたのですよね?」
「そうらしいですね。メリーちゃんは、大道さん宅の中庭に繋がれていました。その場所は、道から四メートル程、家の中に入った場所でした。
 しかし、何者かがその場所にまで毒入りの団子を投げ入れたみたいですね。メリーちゃんはそれを食べ、あっさりと死んでしまったのですよ。
 そりゃ、信也君と隆也君の嘆き振りは尋常ではなかったですね。一晩中、泣いていたとか、メリーちゃんが死んだ翌日、学校に行けなかったとか、メリーちゃんを葬儀場で焼く時に、メリーちゃんの死体をなかなか離そうとしなかったとか、とにかく、信也君と隆也君のメリーちゃん関する話は、色々とあるようですよ」
 と、篤子は淡々とした口調で言った。
 中垣は、そんな篤子に、
「そうですか」
 と言っては、いかにも興味ある話を聞かせてもらったと言わんばかりの様を見せたが、その話が、果して中田の事件に関係あるかどうかは、分からなかった。
 それで、この辺で篤子に対する聞き込みを終え、同じような調子で、中田宅の近所の住人に更に聞き込みを行なってみた。
 すると、信也と隆也が、メリーちゃんのことをすこぶる可愛がっていたという情報は、更に複数の証言者から証言を得た。
 また、十月十五日、即ち、中田の死体が久住高原ロードパークで発見された日に、大道は在宅してなかったようだという証言も入手した。何故なら、大道は車で通勤してないのだが、その日、大道の車はガレージに停められてなかったからだ。
 この証言は、興味あるものであった。というのは、その日、役所を休み、大道は久住高原ロードパークにまで行っては、中田の死体を遺棄したかもしれないからだ。
 それで、大道に確認してみたところ、大道はその日の午前中は風邪で午前中は家で寝ていて、午後から出勤したと証言した。また、車がガレージに停められていなかったのは、妻が私用で乗っていたからだとも証言したのだった。

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