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数学の授業はやがて終わった。次の授業までは、十分の休憩時間があった。
授業が終わると、和郎は直ちにロッカーへと向かった。そんな和郎は、ロッカーの中に仕舞ってある自らのジャジ―とか運動靴を退けては、しきりに何かを探してるかのようであった。
そんな和郎の許に、中村五郎がやって来ては、
「どうしたんだ、平野?」
そう言った五郎は、薄笑いを浮かべていた。
そんな五郎に、和郎は、
「何でもないさ」
と、気丈な表情を浮かべては言った。
そんな和郎に、五郎は、
「ロッカーの中には、金が入っていたんじゃないのか? 皆から集めた金が!」
と、大声で言った。そんな五郎の声は、教室の中に響き渡った。
それで、その五郎の声は、皆の注目を集めた。
そして、クラスの皆は、そんな和郎と五郎に視線を向け、クラスの中はシーンと静まり返った。
和郎は五郎の問いに答えることが出来なかった。実際にも、ロッカーの中に仕舞ってあった筈の皆から集めたお金が、無くなっていたからだ。
〈そんな馬鹿なことがあるものか!〉
和郎はロッカーの中とか自らのジャージーの中を必死に探した。
しかし、皆から集めた四万二千円ものお金が、何故か無くなっていたのだ!
その事実を目の当たりにして、和郎は泣き出しそうになった。そして、言葉を発することが出来なくなった。
動転、焦燥、絶望、悲嘆とかいった感情が、和郎の心の中に一気に噴出し、和郎はどうすることも出来なくなってしまった。正に穴があれば、入りたい心境であった。
そんな和郎に、五郎は、
「無くしたんだな、金を!」
と、声を荒げて言った。
クラスの皆は、和郎と五郎との遣り取りを固唾を呑んで見守っている。和郎は皆の視線を痛い程、感じた。
四万二千円もの大金は、和郎にとってみれば、どうすることも出来ない金額であった。
和郎は貯金があれば、その貯金をはたいても弁償したかった。
しかし、和郎にはそんな貯金など、ありはしないのだ。
また、平野家は、日々の生活に困ってる状況であった。
何しろ、大造は働いていないのだから。平野家の暮らしは、良子が稼ぐ僅かなパート代に依存していたのだ。
そんな良子に、四万二千円を工面してくれなんて、とても言うことは出来なかったのである。
「何とか言えよ! 平野!」
五郎は声を荒げて言った。そんな五郎は、まるで和郎を拷問してるかのようであった。
すると、和郎は俯いては、
「無くしちゃったんだよ、お金を……」
と、いかにもか細い声で言った。
すると、五郎は眼を大きく見開き、輝かせては、
「皆! 聞いたか! 平野は皆の金を無くしたんだってさ!」
と、皆に向かって、大声で言った。そんな五郎は、まるで勝ち誇ったかのようであった。
すると、教室の中は、ざわめきに包まれた。「嘘!」とか、「冗談じゃないぜ!」とか、「弁償しろよ!」と言った声が乱れ飛んだ。
「本当なのか?」
その五郎の声を聞いて、真っ先に和郎の許にやって来たのは、鎌田晴夫であった。
そんな晴夫に和郎は無言で肯いた。
それで、晴夫は和郎のロッカーの中や、和郎のジャージーとか運動靴などを入れてある袋の中を調べてみた。
だが、和郎が皆から集めたお金を入れたという大判の封筒は、何処にも見当たらなかった。
そんな和郎を眼にして、五郎は、
「どうするんだよ! 文化祭まで、後二日だぜ!」
と、いかにも苛立ったかのように言った。
そんな五郎に晴夫は、
「そう言うなよ。平野君だって、わざと無くしたわけじゃないんだから!」
そんな晴夫の言葉を無視し、五郎は、
「平野! 皆に何とか言えよ!」
「……」
「平野は、金を無くした責任をとれよ! ひょっとして、平野は皆の金を使ったんじゃないのかい? 平野の家は、金に困ってるらしいからな」
と言っては、五郎はにやっとした。
すると、和郎は眼を大きく見開き、五郎に反抗的な眼を向けた。
すると、そんな和郎に五郎は抗うかのように、
「何だ、その顔は? 俺が本当のことを言ったからかい?」
と言っては、嘲るような表情を浮かべた。
そして、和郎と五郎は睨み合った。
今や、和郎と五郎の喧嘩が始まりそうな気配となった。
すると、そんな二人の前に現われたのは、北野太郎だった。そんな太郎の黒縁の眼鏡の奥に潜む眼は、何だか笑ってるかのようであった。
そんな太郎は、
「四万二千円だったな。皆から集めた金は?」
と、和郎に言った。
すると、和郎は黙って肯いた。
すると、太郎はズボンのポケットから一万円札を四枚と千円札二枚を取り出し、
「僕が立て替えてやるよ」
と言っては、和郎の肩をポンと叩いた。
すると、クラスの皆は、一斉に拍手をしたのだった。
そんな太郎に、
「よう! 大統領!」
とか、
「万歳! 北野君!」
とかいった声が飛び交った。また、口笛が「ヒュー!」と吹き鳴らされた。
そういった経緯により、とにかく、和郎たちのクラスは、当初の計画通り、おでんとかポップコーン、たこ焼きなどの材料を買うことが出来た。
そして、明後日はいよいよ、文化祭だ。
待ちに待った文化祭が明日なのだから、和郎の心は歓喜に包まれてる筈なのに、実際には黒雲に覆われてると言っても過言ではなかった。
というのは、和郎のロッカーから消え失せた四万二千のことが心に引っ掛かっていたのだ。
皆から預かった四万二千円を大判の封筒に入れて、和郎のロッカーに仕舞ったことは、間違いなかった。それなのに、その四日後にそれは無くなっていたのだ。
そんな馬鹿なことがあるだろうか? 鍵はきちんと掛かっていたのに……。
となると、誰かが盗んだというこになる。
しかし、一体、誰が盗んだのであろうか? それに、どうやって、鍵を開けたというのか?
それらは、やはり、謎であった……。