第五章 悪女

     1

 剣崎利根子の死は、どうやら保険金殺人が関わっているようだと推理した長崎県警捜査一課の高遠警部たちは、五年前の五月頃と二年前の八月頃、不審な保険金受取事件が発生してないか、捜査してみることにした。
 もっとも、その事件は表面的には刑事事件になってない。もし、それらの事件が刑事事件になっていたなら、高遠たちがその事件に関して情報を持ち合わせてないことは有り得ないのだ! それ故、その事件は表面的には何ら問題になってないと思われるのだ。
 それらのことを踏まえて捜査してみたところ、早くも興味ある情報を入手することが出来た。
 五年前の五月頃に長崎周辺の生命保険会社で数千万を超える保険金を受取った人物の中で寺沢典子と山口道夫という二人の人物が浮かび上がったのだが、寺沢典子のことを高遠たちは注目した。何故なら、典子は利根子と同じ四十九歳で、しかも、利根子と同じ島原市出身であったからだ。
 また、二年前の八月に関しては、前野良子という人物が浮かび上がった。何故なら、良子も利根子と同じ四十九歳で、しかも、利根子と同じ島原市出身であったからだ。
 即ち、寺沢典子と前野良子は剣崎利根子と交友関係があった可能性が有り得るのだ。
 そこで、高遠たちは直ちに寺沢典子と前野良子を捜査してみることにした。その捜査とは利根子と典子、良子が、島原時代の学友ではなかったのかという捜査であった。
 すると、その捜査は早くも成果を得ることが出来た。何故なら、利根子と典子、良子は、島原市内の中学校、高校で同級生であったことが、早々と確認されたからだ。
 それを受けて、改めて、寺沢典子と前野良子が剣埼利根子の事件の重要参考人としてクローズアップされた。
 そして、高遠はまずK生命で寺沢典子の生命保険金の支払いを担当したという秋元洋(45)という人物から話を聞いてみることにした。因みに秋元は今は営業三課の課長であった。
 黒縁の眼鏡を掛け、いかにもエリート然としてるような感じの秋元は、
「別にその件に関して不審な点はなかったですがね」
 高遠が寺沢典子に対して支払われた保険金に関して何か不審点はなかったかと訊いたところ、秋元は眉を顰めては、そう答えた。
 そう秋元に言われると、高遠も眉を顰めては、
「では、寺沢さんは誰の生命保険を受取ったのですかね?」
 高遠は興味有りげな表情を浮かべては言った。
「寺沢さんの夫のです」
「夫ですか……」
 高遠は眉を顰めながら、呟くように言った。
「ええ。そうです。寺沢さんの夫には三千五百万の生命保険が掛けられてましてね。その受取人が寺沢さんだったのですよ。それで、契約通り、寺沢さんに保険金が支払われたのですよ」
 と、秋元はその黒縁の眼鏡に右手をあては、淡々とした口調で言った。そんな秋元は、それに関して、一体何が問題があるのかと言わんばかりであった。
 そんな秋元に、高遠は、
「寺沢さんの夫は、一体どのような死に方をしたのですかね?」
 と、些か怪訝そうな表情を浮かべて言った。
「山菜ですよ。山で摘んできた山菜の中に毒を含んでいたものがあったそうなんですよ。その山菜を食べて中毒死したのですよ」
「山菜を食べたことによる中毒死ですか」
 高遠は渋面顔を浮かべては、呟くように言った。
「ええ。そうです。その山菜の名前は忘れてしまったのですが、時々毒キノコを食べたりして中毒死される方がいますよね。そういった人がうちで生命保険を掛けていれば、保険金は出ますよ」
 と、秋元は再び黒縁の眼鏡に右手をあては言った。そんな秋元は、正に寺沢典子の夫の死には警察が捜査しなければならない問題点は何らないと言わんばかりであった。また、そのような不審点があれば、K生命が保険金を払う訳はないと言わんばかりであった。
 そう秋元に言われると、高遠は、
「そうですか……」
 と、渋面顔を浮かべては、呟くように言った。確かに、山菜による中毒死は時折発生していたからだ。
 それで、高遠はこの辺で秋元に対する聞き込みを終え、K生命長崎支店を後にした。
 そして、次に前野良子が受取った保険金に関して捜査してみることにした。良子が保険金を受取ったのは、S生命からであった。
 S生命で良子が受取った保険金の担当をしたのは、長谷川昇(45)という男であった。長谷川もK生命の秋元と同様に黒縁の眼鏡を掛け、エリート然とした男であった。
 そんな長谷川は、高遠の問いに対して、
「別に前野さんに支払った生命保険に関して、問題があったとは思えませんね」
 と、渋面顔を浮かべては言った。
「では、前野さんは一体誰の生命保険を受取ったのですかね?」
 高遠は興味有りげな表情を浮かべては言った。
「前野さんの父親の生命保険ですよ」
 長谷川は、眉を顰めて言った。
「父親ですか……。で、前野さんの父親は老衰で死亡したのですか?」
 高遠は、興味有りげな表情を浮かべては言った。
「否。違いますね。」
 長谷川は、高遠をまじまじと見やっては頭を振った。
「違う? だったら、前野さんの父親の死因は何ですかね?」
 高遠は再び興味有りげな表情を浮かべては言った。
「自宅の階段から転がり落ちてしまって、頭を強く打ってしまったのですよ。そして、そのショックで呆気なく死んでしまったのですよ」
 と、長谷川は眉を顰めては肩を竦めた。
 そう長谷川に言われると、高遠の表情は忽ち険しいものへと変貌した。何故なら、階段から転がり落ちて死んだというのは、正に不審な死に方だと思ったのだ。
「そうです。階段ですよ。前野さん宅の階段ですよ。前野さん宅は木造の二階建てなんですが、その二階から前野さんの父親、つまり、耕三さんはうっかりと足を踏み外してしまい、一階まで転げ落ちてしまったのですよ。
 まあ、八十歳という年齢と、耕三さんは物忘れが激しくなっていたそうで、仕方ないですよ。
 階段から落ちて亡くなられるお年寄りは、幾らでもおられますからね。勿論そういった死に方をなされていても、うちは保険金を支払いますよ」
 と、長谷川は、前野良子に支払った保険金に警察からクレームをつけられる問題は存在してないと言わんばかりであった。
 すると、高遠は渋面顔を浮かべては、
「保険金は、前野良子さん一人が受取ったのですかね?」
「そうです。契約ではそのようになっていましたかね。ですから、うちは前野良子さんに契約通りニ千五百万を支払いましたよ」 
 と、長谷川は再びその点に関して何ら問題は存在してないと言わんばかりに言った。
「前野家には他に家族はおられなかったのですかね?」
「おられましたよ。前野さんには、お母さんがおられましたね」
「そのお母さんは保険金を受取らなかったのですかね?」
「ええ。そうです。保険金の受取人は前野さん一人でしたね」
 と、長谷川は淡々とした口調で言った。
 高遠はこの辺で長谷川に対する聞き込みを終え、S生命長崎支店を後にすることにした。
寺沢典子と前野良子が受け取った生命保険に関してその担当者から話を聞いた結果、やはり不審点があると高遠は思わざるを得なかった。
 寺沢典子の夫は、山で摘んで来た山菜を食べて中毒死したというが、果たしてそこに事件性が潜んでないかというと、そうとも思えなかった。何故なら、典子が夫に毒入り山菜だと告げずに食べさせ、殺したという可能性は充分に有り得るからだ。それ故、その点に関して改めて捜査してみる必要があるだろう。
 また、前野良子の父親に関しても、階段から転げ落ちて死んだということをあっさりと信じていいかというと、そうでもないだろう。何故なら、高齢の男性の隙を見ては、故意に突き落とすということは、充分に可能だからだ。即ち、そこには事件性が存在してる可能性は充分に有り得るというわけだ。
 それはともかく、高遠たちの推理によると、寺沢典子と前野良子が受取った保険金は最終的には剣崎利根子が受取ったということだ。そして、剣崎利根子はその金を基にしてマンションを購入したり、生活費に使ったりしたのだ。
 だが、寺沢典子と前野良子が受取った保険金が何故剣崎利根子に渡ったのか、その点に関しては、まだ謎だ。
 だが、その謎に関して、不審な臭いを嗅ぎ取ることは出来る。そして、その不審点が新たな事件、即ち、利根子の死をもたらした可能性は充分にある。
 それ故、まず、剣崎利根子と寺沢典子、前野良子との関係を明らかにする必要があるだろう。
 そう看做した高遠は、この時点で寺沢典子と前野良子に対する聞き込みを行なうことにした。

     2

 寺沢典子宅は、長崎市内のK町にあった。典子宅は長崎市内に建てられている多くの家のように山の斜面に建てられ、典子宅にまで行くには、かなり階段を上らなければならなかった。
 事前に高遠は典子に訪れる旨を連絡してあった。それ故、典子が今、不在であることはないであろう。
 高遠はそう思いながら、玄関扉横にあるブザーを押した。因みに、典子宅は小じんまりとした二階建てであった。
 高遠が玄関扉横にあるブザーを押すと、程なく典子と思われる女性が姿を見せた。典子は小柄で、また、何処にでもいるような平凡な感じの女性であった。
 そんな典子に、制服姿の高遠はまず警察手帳を見せては自己紹介した。
 すると、典子は些か畏まったような様を見せた。
 そんな典子に、
「寺沢さんに、少し訊きたいことがあるのですがね」
 と、高遠は電話では来訪の要件を話してなかったので、まず、そう切り出した。
 すると、典子は、
「それ、どんなことですかね?」
 と、畏まった様を浮かべながら言った。
「実はですね。五年前に亡くなったご主人のことなんですがね」
 そう高遠が言うと、典子の表情はさっと蒼ざめた。高遠はその変化をはっきりと認めた。
 だが、典子は程なく表情を元に戻しては、
「どういったことですかね」
「ご主人は、五年前の五月に山菜を食べて亡くなられたとか」
 高遠は神妙な表情を浮かべては、典子の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、典子も神妙な表情を浮かべては、
「そうなんですよ」
「その山菜とはどのようなものですかね?」
「ドクゼリです」
「ドクゼリですか……。ご主人は何故ドクゼリなんかを食べたのですかね?」
 高遠は再び典子の顔をまじまじと見やっては、些か納得が出来ないような表情を浮かべては言った。
「そりゃ、主人はドクゼリが危険だということを知らなかったからですよ」
 と、典子は淡々とした口調で言った。
「一体どうやって食べたのですかね? 味噌汁なんかに入れたのですかね?」
 高遠は些か眼を鋭く光らせては、典子の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、典子は、
「いいえ」
 と、小さく頭を振っては、
「主人と私は山で山菜を採りに行きましてね。その時にドクゼリも採って来てしまったのですよ。
 もっとも、私たちはその山菜がドクゼリだということは知りませんでしたし、また、ドクゼリを食べれば、中毒死するということも知りませんでした。知っていれば、勿論食べたりはしませんよ。
 で、どうやって食べたかというと、生のままで食べましたね。醤油をつけて」
 と、些か語気を強めては毅然とした表情を浮かべては言った。
 そんな典子に高遠は、
「奥さんは、ドクゼリを食べなかったのですかね?」
 と、典子の顔をまじまじと見やっては言った。
「そりゃ、食べなかったのでしょうね。食べてれば、私は今、ここにいないでしょうからね」
 と、典子は渋面顔で言った。
「なる程。でも、奥さんはご主人と採ってきた山菜を食べなかったのですかね?」
「いいえ。食べましたよ」
 と、典子は眉を顰めては言った。
「それなのに、奥さんはどうしてドクゼリを食べなかったのですかね?」
 高遠は、些か典子の話には合点がいかないと言わんばかりに言った。
「どうしてって、そんなことを言われても、私には分からないですね。ただ、運が良かったというしかありませんわ」
 と、典子は高遠を見やっては、毅然とした表情を浮かべては言った。
 典子にそう言われ、高遠は少しの間、言葉を詰まらせたが、やがて、
「では、何処でドクゼリを摘んできたのですかね?」
「佐世保の方の山ですよ。私たちはそちらの方で時々山菜を摘んで来たりしてるのですよ」
 と、典子は眉を顰めては、淡々とした口調で言った。
 その典子の説明に高遠が納得したのかどうかは分からないが、小さく肯き、そして、
「で、奥さんはご主人が亡くなられた時にご主人の生命保険として、三千五百万を受取られたとか」
 と、高遠が言うと、典子の表情は突如、険しいものへと変貌した。そんな典子は正に訊かれたくないことを訊かれたと言わんばかりであった。
 案の定、典子は険しい表情を浮かべたまま、なかなか言葉を発そうとはしなかった。
 それで、高遠は、
「それは、事実なんですかね?」
 すると、典子は、
「どうしてそのようなことを訊くのですか?」
 と、些か納得が出来ないような表情を浮かべては言った。
 すると、高遠は、
「その問いに答える前に、もう少し僕に質問を続けさせてください。
 寺沢さんは、ご主人の生命保険金三千五百万を受取ったのですよね?
 もっとも、我々は既にK生命からその事実を確認してますから、間違いないと思いますが」
 高遠にK生命からその事実を確認してると言われて、隠しても無駄と思ったのか、典子は無言で小さく肯いた。
 すると、高遠も小さく肯き、
「で、その三千五百万はどうしたのですかね?」
 そう高遠が訊くと、典子は再び表情を険しくさせては、言葉を詰まらせてしまった。そんな典子は触れられたくないことに触れられたと言わんばかりであった。
 典子がなかなか言葉を発そうとはしないので、高遠は同じ問いを繰り返した。
 すると、典子は、
「何故私はそのようなプライベートのことを訊かれなければならないのですかね?」
 と、些か不満そうな表情と口調で言った。
 すると、高遠はその典子の問いを無視し、
「では、寺沢さんは、剣崎利根子さんという女性を知っていますかね?」
 と、典子の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、典子の言葉はまたしても詰まった。そんな典子はそのような問いを発した高遠の胸の内を探っているかのようであった。
 そんな典子に高遠は、
「剣崎利根子さんとは、寺沢さんと、中学と高校時代の同級生だった女性ですよ。寺沢さんは、島原市内のN中学とT高校に通っていましたよね。剣崎利根子さんとは、その時の寺沢さんの同級生だった女性ですよ」
 と、改めて剣崎利根子がどのような女性だったのか、典子に説明した。
 そこまで高遠に言われては、しらばくれることは出来ないと典子は思ったのか、
「その剣崎利根子さんなら、知っていますよ」
 すると、高遠は小さく肯き、そして、
「で、その剣崎さんが、最近亡くなったのを寺沢さんはご存知ですかね?」
 と、些か真剣な表情を浮かべては言った。
 すると、典子は、
「知ってますよ」 
 と、小さな声で言った。
「何故知ったのですかね?」
「新聞で見ましたから」
 と、典子は突っ慳貪に言った。
「新聞ですか……。で、寺沢さんは、最近まで剣崎さんと付き合いがありましたかね?」
 そう高遠が言うと、典子は、
「付き合いはありませんでしたよ」
 と、即座に言った。
 すると、高遠は、
「そりゃ、おかしいですね」
 と言っては、首を傾げた。
「何故おかしいのですかね?」
 典子は怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「剣崎さんの部屋にあったアドレス帳に寺沢さんの名前と連絡先が記してあったからですよ」
 と、高遠は嘘をついた。実際には、利根子の部屋にあったアドレス帳には、寺沢典子の名前と連絡先は記してなかったのだ。
 そう高遠に言われ、典子は高遠の言葉にどのように応えればよいのか、思いを巡らせているようであったが、やがて、
「そりゃ、まあ、時々電話は掛かって来たことはありましたが」
 と、眉を顰めては、淡々とした口調で言った。
 すると、高遠は小さく肯き、
「では、寺沢さんは、外で剣崎さんと会ったりはしてなかったのですかね?」
 と、更に質問を続けた。
 すると、典子は些か不満そうな表情を浮かべては、
「何故、刑事さんは、そのような質問をされるのですかね?」
 と、高遠の顔をまじまじと見やっては言った。
「ですから、我々は今、剣崎さんの事件を捜査しているのですよ。
 剣崎さんは、九月十七日の午前八時頃、雲仙地獄で絞殺体で発見されました。剣崎さんの死は明らかに殺しによってもたらされました。それで、我々は剣崎さんの事件を捜査してるというわけですよ。
 で、生前の剣崎さんと関係があった人物に聞き込みを行なっているというわけですよ」
 と、高遠は丁寧な口調で説明した。
「では、私以外の人にも聞き込みを行なっているのですかね?」
「そりゃ、勿論ですよ」
 と、高遠は真剣な表情で肯いた。
 すると、典子は些か納得したように肯いたが、
「でも、そのことと、何故私が受取った主人の生命保険のことが関係してるのですかね?」
 と、些か納得が出来ないような表情を浮かべては言った。
「実はですね。剣崎さんはここ五年位の間は定職に就いてなかったのですよ。そして、それ以前も収入には恵まれてなかったみたいなのですよ。
 ところが、五年前の五月に剣崎さんは何故か三千万程のお金を手にしましてね。そして、その三千万を剣崎さんが亡くなるまで住んでいたマンションの購入資金に充てたみたいなのですよ。
 で、我々は、その剣崎さんが手にした三千万というお金の出所に関心があるというわけですよ」
 と、高遠は眼を大きく見開き、輝かせては、また、典子の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、典子は高遠から眼を逸らし、些か表情を険しくさせては少しの間、言葉を詰まらせた。
 だが、やがて、高遠を見やっては、
「ということは、私が受取った生命保険金が剣崎さんに渡ったと刑事さんは思われているのですかね?」
「その可能性はあると思いますね」
 高遠は典子の顔をまじまじと見やっては、些か真剣な表情を浮かべては言った。
 すると、典子は突如表情を綻ばせては、
「ホッホッホッ!」
 と、甲高い声で笑った。その典子の表情と笑い声は正に典子のものとは思えなかった。何しろ、典子は地味で、また、翳を帯びた女性であった。それ故、そんな典子がこのような様を見せる側面が存在していたということを典子を知らない者が想像することは困難なことであったのだ。
 そんな典子を見て、高遠は、
「何がおかしいのですかね?」
 と、眉を顰めて言った。
「だって、これがおかしくない筈がないじゃないですか! どうして私が、私が受取った保険金を赤の他人である剣崎さんに渡さなければならないのですかね? そんな馬鹿なことがありますか!」
 そう言い終えた典子の表情は、忽ち険しいものへと変貌した。そんな典子は、正にとんでもない推理をした高遠のことを強く非難してるようであった。
 そう典子に言われ、高遠の言葉は詰まってしまった。そして、決まり悪そうな表情を浮かべた。確かに、典子の言ったように、典子にとって赤の他人であった利根子に亡き夫の生命保険金を渡すなんてことは常識的に有り得ないからだ。
 もっとも、その常識を超える何かが存在してる可能性は勿論ある。
 しかし、今のところ、それに関する情報は何もない。
 それで、高遠は決まり悪そうな表情を浮かべながら、少しの間言葉を詰まらせていたのだが、やがて、
「ですから、寺沢さんが受取ったご主人の生命保険金がどうなったかを知りたいのですよ」
 と、典子の胸の内を探るかのように言った。
「ですから、そんなプライベートのことは、答えることは出来ないということですよ。ただ言えることは、当たり前のことですが、私は剣崎さんに主人の生命保険金を渡してないということですよ」
 と、典子はその一点張りであった。
 そんな典子に、高遠は、
「では、ご主人の死亡確認は、どちらの医院で行なわれましたかね?」
 高遠は典子からその医院名を聞き出すと、この辺で典子に対する聞き込みを終え、典子宅を後にした。
 そして、翌日になってから、典子の夫であった和行の死を確認したという長崎市内にある田所医院を訪ねてみた。そして、和行の死に関して訊いてみた。
 すると、和行の死を確認したという六十半ば位の温厚な感じの田所医師は、
「寺沢さんは、山菜を食べて死んだというより、心臓発作で死んだのですよ」
 と、高遠に説明した。
「心臓発作ですか……」
 高遠は呟くように言った。
「ええ。そうです。寺沢さんは元々心臓が良くなかったのですよ。ですから、普通の人なら死ななかったかもしれませんね」
 と、田所はにこにこしながら言った。
「つまり、寺沢さんでない人がドクゼリを食べても死ななかったということですかね?」
「いや。そうじゃないです。でも、ドクゼリを食べて死なない場合もあるというわけですよ。
 で、寺沢さんは元々心臓が悪かった為にそのことが悪影響を及ぼし寺沢さんは死んでしまったということですよ。でも、寺沢さんのように心臓が悪くなければ死ななかったかもしれないということですよ」
 と、田所はにこにこしながら高遠に説明した。
「では、寺沢さんの遺体は解剖されたのですかね?」
 高遠がそう言うと、田所は些かむっとした表情を浮かべては、
「そこまではやりませんよ。寺沢さんの死に事件性はなかったですからね」
 そう田所に言われると、高遠は眉を顰め、
「では、寺沢さんがドクゼリを食べたということは何故分かったのですかね?」
「寺沢さんの奥さんが山で摘んで来た山菜を食べてから急に容態が悪くなったと言いましてね。
 それで、その摘んで来た山菜を僕が見たのですよ。すると、その中にドクゼリが入っていたのですよ。
 で、寺沢さんの死は、そのドクゼリを食べたということも影響してるのですが、元々心臓が悪かった為に死んでしまったというわけですよ。普通の人なら死ななかったかもしれないというわけですよ。何しろ、ドクゼリは奥さんも少しは食べたみたいですからね。でも、奥さんは大丈夫でしたからね」
 そう言った田所の表情は再びにこにこしていた。
 寺沢和行の死を確認した田所医師から、和行の死には、やはりドクゼリが関係していたことが分かった。即ち、和行がドクゼリを食べなければ、和行は死ななかったというわけである。
 そして、この時点で高遠は田所医師に対する聞き込みを終え、田所医院を後にした。
 寺沢典子に関して捜査を行なってみた結果、果して成果があったのかどうか、高遠はその結論が出なかった。
 高遠としては、どういった理由が存在してるのか分からないが、寺沢典子が受取った夫の保険金が剣崎利根子に渡り、その件に絡んで剣崎利根子が殺され、また、和行の死は事故死ではなく、殺しによるものだと推理し、寺沢典子と和行の死を確認した田所医師に聞き込みを行なったのだが、その結果は高遠の推理を裏付けるものではなかったというわけだ。何しろ、典子は夫の生命保険金を利根子に渡したということを強く否定し、また、田所医師も和行の死に不審点があったということを認めなかったからだ。
 とはいうものの、典子は夫の生命保険金の使い途を頑なに説明しなかったし、また、田所医師も和行の遺体を解剖しなかったことから、果して和行の死は心臓発作によるものというよりも、ドクゼリによるものであった可能性もある。即ち、故意に和行を殺そうとした意図が存在していた可能性は充分にあるというわけだ。
 それはともかく、高遠は今度は前野良子宅を訪れ、良子から話を聞いてみることにした。

     3

 前野良子宅は、長崎本線浦上駅から徒歩十五分位の所ににあった。そんな良子宅を高遠は正午頃に訪れた。その頃、良子が在宅しているということを高遠は電話で確認したからだ。
 良子宅は小じんまりとした木造二階建てであった。
 そんな良子宅に高遠は眼をやった。そんな高遠は、果してこのような小じんまりとした良子宅で良子の父親が故意に階段から突き落とされて死に至ったという事件が発生したのかと言わんばかりであった。
 それはともかく、玄関扉が開くと、程なく良子と思われる女性が姿を見せた。
 そんな良子を一目見て、高遠は寺沢典子を見た時にも思ったのだが、地味で翳を帯びた女性だと思った。そして、果してこのような女性が実父を階段から突き落としては殺したりするだろうかと思った。
 とはいうものの、殺人事件というものは、果してまさかあの人がと周囲の人が思うケースが往々にしてある。
 それ故、先入観に惑わされてはいけない。
 そう思った制服姿の高遠は、まず良子に警察手帳を見せて、自己紹介してから、
「前野さんは、剣崎利根子という女性を知っていますかね? 剣崎利根子という女性は、正覚寺近くにある『星崎マンション』というマンションに住んでいた女性ですが」
 高遠がそう言うと、良子は典子の場合とは違って、あっさりと利根子のことを知っていると認めた。また、利根子の死も新聞を見て既に知っていると言った。
 そんな良子に高遠は、
「で、前野さんは、最近まで剣崎さんと付き合いがありましたかね?」
 と、良子の顔をまじまじと見やっては言った。そんな高遠は、高遠の問いに対する良子の一挙手一投足をも見逃すまいと言わんばかりであった。
 すると、良子は、
「付き合いという程のことはなかったですが、時々剣崎さんから電話が掛かったりしてましたね。何しろ、私と剣崎さんは、中学、高校時代の同級生でしたからね。
 そして、その同級生が島原から長崎に移り住んでいるのですから、時々電話で話したりはしましたよ。でも、その程度の付き合いでしたが」 
 と、毅然とした表情を浮かべては、淡々とした口調で言った。
「それは、間違いないですかね?」
 高遠は念を押した。
「間違いないですよ」
 良子は再び毅然とした表情を浮かべては淡々とした口調で言った。
 その良子の説明を高遠が信じたのかどうかは分からないが、高遠は小さく肯くと、
「前野さんの父親は、二年前の八月にお亡くなりになられましたよね」
「ええ。そうです」
「で、お父さんは階段から転がり落ちて亡くなられたとか」
 と、高遠が言うと、良子は些か表情を強張らせては言葉を詰まらせた。そんな良子は、何故高遠がそのような問いを発したのか、高遠の胸の内を窺っているかのようであった。
 良子は少しの間言葉を詰まらせていたが、やがて、
「何故刑事さんはそのようなことを知っているのですかね?」 
 と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。
「S生命の係員から聞いたのですよ。そして、前野さんがお父さんの生命保険金として二千五百万受け取ったということも聞きましたよ」
 と、高遠は良子の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、良子は、
「何故刑事さんは、S生命で父の生命保険に関して問い合わせたのですかね?」
 と、些か納得が出来ないような表情を浮かべては言った。
「その問いに答える前に、前野さんに訊きたいことがあるのですよ。前野さんは、その二千五百万をどのようにしましたかね?」
 高遠は、再び良子の顔をまじまじと見やっては言った。
「そのお金は殆んど使ってしまいましたわ」
 良子は平然とした表情で、また、淡々とした口調で言った。
「全部使ってしまったのですかね?」
 高遠は納得が出来ないような表情と口調で言った。
「全部ではないですよ。そりゃ、ある程度は残ってますよ」
 と、良子は薄らと笑みを浮かべては言った。
「保険金を受取ったのは二年前の八月ですよ。それなのに、そんな大金をどのように使ったのですかね?」
 高遠は些か興味有りげに言った。
 すると、良子は、
「それがですね。私はその多くを寄付したのですよ」
 と、些か誇らしげな表情を浮かべては言った。
「寄付?」
 高遠は啞然とした表情を浮かべては言った。
「ええ。そうです。寄付です。よく、災害に遭った人たちなんかの為に義援金を依頼したりするじゃないですか。そういった類に私は既に二千万程寄付したのですよ。
 もっとも、一度にではないですよ。一度に百万位ですよ。それを二十回位行ないました。匿名でね。名前を公表する必要はありませんからね」
「では、一体どのような団体なんかに義援金を寄付したりしたのですかね?」
 高遠は、良子の顔をまじまじと見やっては言った。
「それは、秘密です。そのようなことまで、刑事さんに話す必要はありませんからね」
 と、良子は些か開き直ったような表情を浮かべては言った。
 そのように良子に言われると、高遠は些か表情を険しくさせては言葉を詰まらせてしまった。正にそのように言われてしまえば、反論のしようがなかったからだ。
 例えば、株式投資に充てたとか、宝石を買ったとか言えば、証券会社に問い合わせたりして、その嘘を暴くことは可能であろう。しかし、今のように言われてしまえば、反論のしようがないというわけである。それで、高遠は些か険しい表情を浮かべては言葉を詰まらせてしまったのである。
 そんな高遠を眼にして、良子は薄らと笑みを浮かべた。そんな良子の笑みは、嬉しくて笑ったというよりも、嫌味のある笑みであった。高遠にはそう見えた。
 それはともかく、言葉を詰まらせている高遠に、良子は、
「刑事さんは、何故父の生命保険のことを生命保険会社に問い合わせたり、その保険金の使い途のことを私に訊いて来たのですかね?」
 そう言った良子の表情には笑みは見られなかった。そんな良子の表情には険しさが見られた。
 それで、この時点で高遠は、良子が受取った保険金が剣崎利根子に渡ったのではないかという高遠の推理を話した。
 すると、良子は、
「一体、私が何故、父の生命保険金を剣崎さんに渡さなければならないのですかね?」
 と、いかにも不快そうな表情を浮かべては言った。そんな良子の表情は、正に高遠の推理は話にならないと言わんばかりであった。
 そう良子に言われて、高遠は再び言葉を詰まらせた。確かに、良子が言ったように、良子が受取った父の保険金を剣崎利根子に渡す理由など皆目ないように思われたからだ。
 もっとも、高遠はその理由が実は存在していて、実際にも良子が受取った保険金が利根子に渡ったと推理していた。しかし、それを裏付ける証拠は、まだ全く存在してないのだ。
 それで、高遠はやむを得ず、
「確かに、前野さんのおっしゃる通りです」
 と、些か決まり悪そうに言った。
 すると、良子は小さく肯き、
「でも、刑事さんは何故、私が受取った生命保険金が剣崎さんに渡ったなんていう妙なことを言われたのですかね?」
 そう言った良子の表情には相当真剣味があつた。そんな良子は、正に高遠の胸の内を見極めてやろうと言わんばかりであった。
 そのように言われたので、高遠はとにかく高遠の推理、即ち、二年前の八月に利根子自身によって、二千万が利根子の銀行口座に入金され、その当時、利根子が定職に就いてなかったことなどから、その二千万が良子から渡ったのではないかと話した。
 すると、良子は、
「そんな馬鹿なことがありますか! 話にならない思い違いです!」
 と、正に高遠の推理は話にならないと言わんばかりに、高遠の推理を否定した。
 高遠としては、その証拠は今のところ、まるで存在してない為に、
「そうですか……」
 と、率直に良子の主張を認めるしかなかった。
 そんな高遠は、
「では、お父さんは階段から転がり落ちて亡くなられたそうですが、階段とはこのお家の階段ですかね?」
「そうですよ」
「階段から足を踏み外してしまったのですかね?」
「そうだと思いますね。でも、父が階段から落ちた場面を私たちが見ていたわけではないのですよ。その時、私も母も在宅してませんでしてね。私が帰宅した時には、父は既に死んでいたのですよ。そして、その時の父の状態から、父は階段から転がり落ちて死んだということが分かったのですよ」
 そう良子に言われ、高遠はまたしても決まり悪そうな表情を浮かべては、言葉を詰まらせてしまった。良子の言葉に反論のしようがなかったからだ。
 そして、この辺で良子に対する聞き込みを終え、良子宅を後にすることにした。
 良子に聞き込みを行なって、正に寺沢典子に対して聞き込みを行なって成果を得られなかったのと同様に、特に成果を得ることは出来なかった。即ち、高遠の推理の正しさは、証明されなかったのだ。
 とはいうものの、良子が受取った保険金が義援金に使われたという説明には、やはり不審なものを感じる。
 それ故、典子と同様、良子も白だと決まったわけではない。
 それ故、まだしばらく寺沢典子と前野良子に対する捜査は持続されなければならないだろう。
 それ故、今度は第三者の眼から見て、剣崎利根子と寺沢典子、前野良子との関係がどのようなものだったのか、捜査してみる必要があるだろう。

     4

 すると、早々と興味ある情報を入手することが出来た。
 その情報を高遠にもたらしたのは、利根子と典子、良子と高校が同じであったという米沢晴子(49)という島原に住んでいる主婦であった。
 晴子は高遠に対して、
「寺沢典子さんと前野良子さんは、剣崎利根子さんの子分みたいな存在でしたね」 
 と、島原城の近くに住んでいる晴子宅にまで出向いた高遠に対して、晴子は眼を大きく見開いては、さも重要な打ち明け話をするかのような調子で言った。
「子分ですか……」
「ええ。そうです。もっとも、寺沢さんはその当時、岸辺さんという姓でしたけどね。
 で、寺沢さんと前野さんは剣崎さんの言うことを何でも聞いていたみたいな感じでしたね。
 例えば、道を歩く時は剣崎さんがいつも先頭を歩き、寺沢さんと前野さんがその後に続くといった塩梅ですよ。また、その三人で他の女の子を虐めたりもしてましたね。もっとも、剣崎さんがいなければ、寺沢さんや前野さんは他の女の子を虐めたりは出来なかったでしょうがね」
 と、晴子は正に高校時代に思いを巡らすかのような表情を浮かべながら言った。
 そう晴子に言われ、高遠は、
「なる程」
 と、眉を顰めては肯いた。だが、今まで晴子が話しただけの情報では、利根子の事件解決にはほど遠いと言えるだろう。
 それ故、事件解決に導く情報を入手しなければならないだろう。
 その点を踏まえながら、高遠は更に晴子に聞き込みを続けた。
「剣崎さんと寺沢さん、前野さんとの関係は凡そ分かりました。では、その関係は大人になってからも続いていたのでしょうかね?」
 と、高遠は晴子の顔をまじまじと見やっては興味有りげに言った。
 すると、晴子はまるでそう高遠に訊かれることを待ってましたと言わんばかりの表情を浮かべては、
「それが、続いていたみたいなんですよ」
 と、高遠の顔をまじまじと見やっては言った。
 すると、高遠はいかにも興味有りげな表情を浮かべては、
「どうして米沢さんはそのことをご存知なんですかね?」
「どうしてって、そりゃ、私たちは同級生ですからね。寺沢さんの友人とか前野さんの友人からそういった情報は入って来るのですよ。
 つまり、大人になってからも、剣崎さんが親分で寺沢さんと前野さんが子分であるという関係は続いていたというわけですよ」
 と、晴子は眼を大きく見開いては、いかにも力強い口調で言った。
 すると、高遠は、
「でも、学校のように剣崎さんと寺沢さん、前野さんはいつも一緒にいるわけでもないですよね。それなのに、何故そのようなことが言えるのですかね?」
 と、些か納得が出来ないような表情を浮かべては言った。
「ですから、剣崎さんも寺沢さんも前野さんも長崎市内に住んでいたじゃないですか。だったら、剣崎さんは、寺沢さんや前野さんと会おうと思えば、いつでも会えるというわけですよ。
 で、大人になってからも、何故剣崎さんが親分で寺沢さんと前野さんが子分みたいなのかと言うと、寺沢さんと前野さんは剣崎さんから度々お金をせびられていたみたいなのですよ。そして、寺沢さんと前野さんはその剣崎さんの要求を退けることが出来なかったみたいなのですよ。だから、私はそのように表現したのですよ」
 と、晴子はまるで高遠を説得するかのように言った。
 晴子にそう言われると、高遠は、
「何故、寺沢さんと前野さんは、剣崎さんの要求を退けることが出来なかったのですかね?」
 と、些か興味有りげに言った。
 すると、晴子の表情は曇った。そんな晴子は、その点に関して特に情報を持ってないと言わんばかりであった。
 案の定、晴子は、
「その点に関しては、私はよく分からないのですよ」 
 と、些か気難しそうな表情を浮かべては言った。
 すると、高遠も些か気難しそうな表情を浮かべては、
「でも、やはり、それは妙ですよ。学校内、あるいは、会社とかいった同じ組織に属していれば、親分、子分という関係は存在するでしょうが、実際にはそうではなかったのですからね。それなのに、何故寺沢さんと前野さんは、剣崎さんの子分にならなければならなかったのでしょうかね? それは、寺沢さんと前野さんが意図したことではないでしょうからね」
「ですから、その点に関しては、私では分からないのですよ」
 と、晴子は決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
「では、寺沢さんと前野さんは、お金持ちなんですかね? 剣崎さんが、寺沢さんと前野さんにどれ位のお金を要求していたのかは知りませんが、そのお金を簡単に払う位のお金を寺沢さんと前野さんは持っていたのでしょうかね?」
 と、高遠は再び興味有りげに言った。
 すると、晴子は、
「寺沢さんと前野さんは、お金持ちではないでしょうね。何しろ、寺沢さんのご主人は小さな会社の事務員だったと聞いていますし、また、そのご主人も五年前に亡くなられ、その後、寺沢さんはスーパーなんかでアルバイトをやってたらしいですからね。
 また、前野さんはずっと独身を貫いていた方ですから、ご主人の稼ぎはありません。それに、前野さんも小さな会社の事務員なんかをやってたみたいですからね。
 そんな寺沢さんと前野さんですから、剣崎さんから要求されたお金をあっさりと払うことが出来たとは思えませんね。
 もっとも、剣崎さんが幾ら要求して来たのか分かりませんから、何とも言えませんがね」
 と、些か決まり悪そうな表情を浮かべては言った。
 そう晴子に言われ、高遠は渋面顔を浮かべては、言葉を詰まらせた。この点に関しては晴子にこれ以上訊いても、高遠に答えることが出来ないと思ったからだ。
 そんな高遠は、
「では、寺沢さんと前野さんが社会人となってからも、何故剣崎さんの子分で有り続けなければならなかったのか、その点に関して情報を持ってそうな人物に関して米沢さんは心当たりありませんかね?」
 と、いかにも興味有りげな表情を浮かべては言った。
 すると、晴子は少しの間、何やら思いを巡らすような仕草を見せたが、やがて、
「そのような人物のことは、思い浮かばないですね」
 そう晴子に言われ、高遠はこの時点で晴子に対する聞き込みを終えることにした。
 米沢晴子に聞き込みを行なって、かなり成果を得られたと高遠は思った。
 というのは、学生時代だけでなく社会人になってからも、剣崎利根子と寺沢典子、前野良子との親分、子分の関係は続いていたという証言を米沢晴子から入手することが出来たからだ。更に、社会人になってからも、典子と良子は利根子からお金を要求されていたという証言も得た。
 これらの晴子の証言は明らかに典子と良子との証言とは食い違っている。典子と良子は、社会人になってからは、利根子とは、電話で話をする位だと証言したからだ。
 この点は大いに注目する必要がある。
 そう! 典子と良子は何か後ろ暗い所が存在してる為に、高遠に本当のことを話せなかったと受取れるのだ。
 そう思うと、高遠の表情は自ずから険しいものへと変貌した。何故なら、この時点で、寺沢典子と前野良子に対する疑惑が大いに高まったからだ。

     5

 米沢晴子は何故社会人になってからも、寺沢典子と前野良子が剣崎利根子の子分で有り続けなければならなかったのか、その理由は分からないと言った。
 しかし、高遠としては、その理由を突き止めなければならないと思った。何故なら、その理由を突き止めることが、利根子の事件解決に繋がると看做したからだ。
 また、単に学生時代から続いている親分、子分という関係だけなら、典子と良子は何千万という保険金を利根子に渡しはしないであろう。それ故、もっと奥深い何かがあるように思われる。
 その点を踏まえて、高遠は更に島原時代の利根子、典子、良子の学友たちを見付け出しては、更に聞き込みを続けてみた。
 すると、興味有りげな情報を入手することが出来た。
 その情報を高遠にもたらしたのは、利根子たちと中学時代が同級生だったという西村美智(49)という女性であった。
 美智は、高遠の何故利根子が典子と良子を子分のように扱っていたのかという問いに対して、
「最初から寺沢さんと前野さんは、剣崎さんの子分のような存在ではなかったですね」
 と、眉を顰めては、淡々とした口調で言った。
 高遠はそんな美智の言葉に大いに興味を抱いた。
 それで、
「では、何故、寺沢さんと前野さんは、剣崎さんの子分のような存在になったのですかね?」
 と、いかにも興味有りげに言った。
 すると、美智は、
「私は恐らくあの件が関係しているのではないかと思いますね」
 と、遥か遠い昔、即ち、中学時代に思いを馳せるかのような表情を浮かべては言った。
 そう美智に言われ、高遠は、
「ほう……。それは、どういった件ですかね?」
 と、いかにも興味有りげな表情を浮かべて言った。
「あれは、私たちが中学三年生の時だったのですがね。ある事件が起こったのです。
 で、その事件というのは、片山君子さんという私たちの同級生が自殺した事件です。
 で、片山さんが何故自殺したかというと、片山さんは交通事故に巻き込まれ、身体が不自由になり、また、顔には一生消えない惨い傷が残ってしまったのです。そのことを苦にして、片山さんは自殺してしまったのです」
 と、美智はいかにも神妙な表情を浮かべては言った。
 すると、高遠は、
「ほう……」
 と、いかにも興味有りげな表情を浮かべては呟くように言った。
 だが、それだけでは、まだ高遠が知りたいことに言及されてない。それで、高遠は引き続き美智の話を一言も聞き漏らすまいと耳を傾けることにした。そんな高遠に美智は更に話を続けた。
「で、何故片山さんが交通事故に巻き込まれたかというと、それは、どうやら片山さんの自転車のブレーキに細工がされてたからみたいなのですよ」
 美智は、再びいかにも神妙な表情を浮かべて言った。
「ブレーキに細工ですか……」
 高遠は興味有りげに、また、呟くように言った。
「そうです。細工です。で、細工とは片山さんの自転車のブレーキのワイヤーがすぐに切れるようにヤスリなんかで削られていたみたいなんですよ。
 で、片山さんは帰宅途中、自転車に乗って交差点に差し掛かった時に、そのブレーキのワイヤーが切れてしまい、片山さんは交差点で自転車を止めることが出来ずに、交通事故に巻き込まれてしまったというわけですよ」
 と、美智はまるで高遠に言い聞かせるかのように言った。
 すると、高遠は、
「なる程」
 と、些か納得したかのように肯き、そして、
「で、その片山さんの自転車のブレーキのワイヤーを誰かが故意にヤスリなんかですぐに切れるように削ったりしたというわけですよね」
「ええ。そうです」
 と、美智は正にその通りだと言わんばかりに肯いた。
 すると、高遠も肯き、そして、
「で、一体誰がそのようなことをしたのですかね?」
 と、いかにも興味有りげに訊いた。
 すると、美智は、
「その点に関しては、遂に明らかにならなかったのですよ」
 と、渋面顔で言った。
「そうですか……。で、片山さんが交通事故に巻き込まれたのは、学校からの下校途中ですよね?」
「そうです」
「となると、学校内で片山さんの自転車のブレーキのワイヤーに細工が行なわれたということですかね?」
「そうでしょうね。恐らく」
 美智は、神妙な表情で言った。
 すると、高遠は小さく肯いた。
 美智が言ったように、剣崎利根子や寺沢典子が中学三年の時に正に深刻な事件が発生したことは分かった。
 しかし、その事件が、一体利根子が親分となり典子と良子が子分になったことにどのように関係してるというのか? その点に関して、美智はまだ言及していない。
 それで、高遠は、
「で、その片山さんの事件と、寺沢さんと前野さんが剣崎さんの子分になったことにどう関係してるのですかね?」
 と、いかにも興味ありげな表情を浮かべては言った。
 すると、美智は、
「実はですね。私はその自殺した片山さんの親友であったのですよ」
 と、いかにも神妙な表情を浮かべては言った。
「そうでしたか……」
 と、高遠も神妙な表情を浮かべては言った。
 そんな高遠に美智は、
「で、片山さんの自転車のブレーキのワイヤーに細工をした人物に関して、片山さんはある人物の名前を挙げたのですよ」
 と、些か表情を険しくさせては言った。
「ほう……。それは、一体誰ですかね?」
 高遠は、興味有りげに言った。
「それは、寺沢典子さんです。もっとも、その当時は岸辺典子さんといいましたが」
 と、美智はいかにも言いにくそうに言った。
「寺沢典子さん、ですか……。どうして片山さんは寺沢さんの名前を挙げたのですかね?」
 高遠はいかにも興味有りげな表情を浮かべては言った。
「実はですね。その当時、片山さんと寺沢さんは、同じ男子生徒を好きだったのですよ。で、仮にその男子生徒を田中君とでも言っておきましょうか。
 片山さんも寺沢さんも大人しい性質だったのですが、そうかといって、恋に関しては決してそうではなかったのです。それどころか、恋に関しては、日頃見せないような強い情熱を見せ付けていたのです。
 で、その田中君は片山さんとも寺沢さんとも時々デートしていたらしいのですが、片山さんは田中君が寺沢さんとも付き合っているのが気に入らなかったのですよ。
 それで、片山さんは寺沢さんに、『田中君と付き合うのは止めて頂戴!』と、言ったらしいのですよ。
 そして、それから片山さんと寺沢さんの関係は悪化し、二人は陰でお互いに散々悪口を言い合ったりしてたのですよ。 
 そういった頃に、片山さんの事件が発生したのです。
 私は病院のベッドで包帯でグルグル巻きにされていた片山さんが『犯人は、寺沢さんに違いない!』と、阿修羅のような表情を浮かべて言ったのを、今でも忘れられません」
 と、美智はその時の片山君子の様は生涯忘れることは出来ないと言わんばかりに、いかにも神妙な表情を浮かべては言った。
「そうですか……。で、その片山さんの思いは公になったのですかね?」
「公にはならなかったみたいです。でも、学校の先生なんかには伝わったみたいですね。
 でも、寺沢さんは、強くそれを否定したらしいです。
 そして、寺沢さんがやったという証拠もなかった為に、寺沢さんが片山さんの自転車のブレーキのワイヤーに細工をしたということは、学校内では私たちの間で噂にもならなかったのですよ」
 と、美智はいかにも神妙な表情を浮かべては言った。
「なる程。でも、そのことが、剣崎さんと寺沢さん、前野さんとの関係にどう関係したというのですかね?」
 依然として、何故利根子が親分で、典子と良子が子分なのか、その理由が明らかにされてなかったので、高遠は些か不満そうな表情を浮かべては言った。
 そう高遠に言われると、
「焦らずに、まだしばらく私の話を聞いてくださいな」
 と、美智は逸る高遠を制するかのように言っては、
「で、寺沢さんと前野さんはとても仲が良かったのですよ。いわば、親友です。それ故、片山さんの自転車のブレーキのワイヤーに細工をしたのは、寺沢さんと前野さんの二人ではなかったのかと、私は思うのですよ。もっとも、証拠はないのですが……」 
 と、高遠を見やっては、些か自信なさそうな表情を浮かべては言った。
「そうですか。で、西村さんは、ひょっとして片山さんの自転車のブレーキのワイヤーに細工をしたのが寺沢さんと前野さんだったということを剣崎さんが知り、それをねたに、剣崎さんは寺沢さんと前野さんをゆすったと思ってるのではないですかね?」
 と、高遠は眼を大きく見開いては、それは図星であろうと言わんばかりに言った。
 すると、美智は、
「正に、その通りなんですよ」 
 と、高遠は何て物分りの良い刑事さんだと言わんばかりに言った。そして、
「その当時から、剣崎さんは相当な性悪女でしたからね。ですから、剣崎さんなら、そういったことは正にやりそうなんですよ。で、その結果、寺沢さんと前野さんは、剣崎さんの子分にならざるを得なかったのではないですかね。
 で、社会人になってからも、また、三十、更に、四十を超えてからも、寺沢さんと前野さんは剣崎さんの子分のような存在だったということを私は聞いたことがありますからね。
 で、四十を超えてからも、剣崎さんの子分にならなければならないというのは、余程の何かがあるに違いありません。
 そして、その余程の何かとは、私が今、言った片山さんの事件しかないと私は思うのですよ。私は、片山さんの事件があって以来、剣崎さんと寺沢さん、前野さんが急に三人で一緒に行動するようになったことを、今でも鮮明に覚えていますからね」
 と、美智はいかにも自信有りげな表情と口調で言った。
 そう美智に言われ、高遠は美智の推測は充分に現実味があると看做した。正に美智が言ったように余程のことがない限り、四十を超えたにもかかわらず、寺沢典子と前野良子が剣崎利根子に要求に従って、言われるがままに小遣いを与えたりはしないだろう。そして、片山君子の事件なら、その余程のことに相当するであろう。
 そして、利根子の要求は徐々にエスカレートし、典子の夫、更に、良子の父を、それぞれ典子と良子に殺させ、その生命保険金を利根子に渡すようにと、典子と良子に命令したのかもしれない。そんな利根子の命令を典子と良子は抗し切れずに、その命令に屈したのかもしれない。
 そして、利根子はまたしても典子と良子に無理強いをして来たのかもしれない。だが、典子と良子はそんな利根子にもう我慢することが出来ずに、利根子を殺害したのかもしれない。
 恐らく、利根子の事件の概要はこのようなものではないのか。
 そう思うと、高遠は些か満足げに肯いた。
 そんな高遠を眼にして、美智は、
「どうかしましたか?」
 と、怪訝そうな表情を浮かべては言った。そんな美智は、今の高遠の胸の内などまるで知らないようであった。
 そんな美智に高遠は高遠の推理を話すわけにもいかないので、
「いや。何でもないですよ」
 と、笑顔を繕っては言った。
 そして、美智に捜査協力の礼を言っては、この辺で美智に対する聞き込みを終え、島原から長崎へと戻ったのであった。


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