第六章 暴かれる闇

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 剣崎利根子と寺沢典子、前野良子は、それぞれ同じ中学、高校の同級生であったことが分かり、その同級生たちに聞き込みを行なってみたところ、とんでもない事実が明らかになった。
 それは、中学時代から剣崎利根子は寺沢典子と前野良子を子分のように扱い、その親分、子分の関係は、今に至るまで続いていたというのだ。
 その不可解な関係の謎を解き明かす為に、更に聞き込みを続けていたところ、更に衝撃的な証言を得るに至った。それは、利根子、典子、良子の中学時代の同級生であったという片山君子の自殺にどうやら寺沢典子が関係し、その事実を知った剣崎利根子がそれをねたに、寺沢典子とその協力者であったと思われる前野良子をゆすり、その結果、寺沢典子と前野良子は、剣崎利根子の子分に収まったというものであった。
 もっとも、その証言を裏付ける証拠はないとのことだ。
 しかし、高遠はその証言は正しいと看做していた。そう看做せば、利根子の事件はうまく説明出来るのだ。
 利根子は中学時代のその秘密をねたに典子と良子が受取った生命保険金を手にした。典子と良子に、その夫と父を殺しては生命保険金を受取らせ、それを利根子に渡せと、典子と良子に命令したというわけである。
 もっとも、典子の夫と良子の父の死は、典子と良子の意思は関与せずに、もたらされた可能性がないわけでもない。しかし、ドクゼリを食べて死んだとか、階段から転がり落ちて死んだという説明を、刑事生活が長い高遠にあっさりと信じろと言われても、それは無理というものであろう。それ故、典子の夫と良子の父が利根子の命令を受けた典子と良子によって殺された可能性は充分に有り得るだろう。
 そして、結局利根子はその思惑通りにその保険金を手にしたのだが、利根子は最近になってまたしても金に困るようになって来た。
 そこで、利根子は第三の殺しを典子か良子に命じたのかもしれない。だが、典子、あるいは良子は、それに応じず、利根子を殺してしまったというわけだ。
 しかし、それはまだ推理の域を脱していない。典子、あるいは良子が利根子を殺したという証拠は全くないのだ!
 それ故、高遠たちの捜査は自ずからその証拠を摑むものへと移った。
 利根子の遺体は、九月十七日の午前八時頃に雲仙地獄で観光客によって発見された。そして、その前日、即ち、九月十六日に利根子の遺体を眼にしたという報告は依然として行なわれていない。
 それらのことから、利根子の遺体は九月十六日の夜から十七日の朝にかけて雲仙地獄に遺棄されたと推理して大丈夫であろう。また、利根子は雲仙地獄で殺されたというよりも、別の場所で殺されて雲仙地獄に運ばれた可能性が高いであろう。
 というのは、決して仲が良くないと思われる利根子と典子、あるいは、利根子と良子が連れ立って雲仙に行くという可能性は極めて小さいと思われるからだ。
 とはいうものの、念の為、九月十六日から十七日にかけて、利根子か典子か良子が雲仙周辺のホテルなんかに宿泊してなかったかの捜査が行なわれた。しかし、その結果は予想通りその事実は確認されなかった。
 即ち、利根子は衝動的に殺されたというよりも、計画的に殺されたと思われる。長年の利根子に対する恨みが計画的な殺しへと繋がったのである。それ故、雲仙周辺のホテルなんかで宿泊すれば足が付いてしまうことになってしまう。典子、あるいは、良子はそのようなミスは行なわなかったというわけだ。
 それ故、利根子の遺体は、殺されてから運ばれたという可能性が高いというわけだ。
 そして、それには足が必要だ。
 それ故、典子、あるいは、良子が車を所有してないか、調べてみた。
 すると、典子がワゴンRを所有してることが分かった。だが、良子は車の免許を持ってないことが分かった。
 それらのことから、利根子の遺体を雲仙にまで運んだのは、典子のワゴンRである可能性が高まった。
 それ故、典子のワゴンRから利根子の髪の毛なんかが見付かれば、それは有力な物証となるであろう。
 とはいうものの、典子は利根子と知人関係にあったことは認めている。それ故、利根子を典子のワゴンRに乗せたことがあると言われてしまえば、それは高遠たちにとって苦しいといえるであろう。
 それ故、典子が利根子の死に関わりがあるという証拠を一つずつ積み重ねて行く必要があるであろう。
 そして、当然典子のアリバイを確認する必要があるであろう。九月十六日の夜から十七日の朝にかけて典子が何処で何をしていたかだ。
 とはいうものの、その頃、家で寝ていたとしらを切られてしまえば、それは高遠たちにとって、思わしくないであろう。
 そう思うと、高遠たちの表情は、苦虫を噛み潰したようなものへと変貌していた。
 利根子を殺した犯人は、凡そ目星がついているのだ。にもかかわらず、証拠が乏しい為に署に任意出頭させ、訊問することさえ躊躇してしまうのだ。
 それ故、改めて捜査会議が行なわれた。
 その席上、高遠は改めて今までの捜査状況を説明し、そして、寺沢典子と前野良子が有力な容疑者であることを力説した。だが、今の時点ではとても逮捕は出来ないと悲痛な表情で説明した。
 その高遠の表情を眼にして、会議に出席している誰もが、今、高遠たちが置かれている状況の苦しさを理解した。
 そして、会議室内にはしばらくの間、重苦しい沈黙の時間が流れたが、やがて、小林刑事が、
「雲仙周辺で、九月十六日の夜から十七日の朝にかけて、寺沢さんとか、寺沢さんのワゴンRが目撃されてないか、捜査してみてはどうですかね」
 そう小林刑事が言うと、高遠は、
「無論、その捜査は行なわなければならないが、しかし、成果はあまり期待出来ないと思うな。何しろ、夜のことだからな。いくら観光地といえども、皆が寝静まっている頃、地獄巡りを行なおうとする者はいないよ」
 そう高遠に言われると、小林刑事は意気消沈したような表情を浮かべた。確かに、高遠の言ったことは、もっともなことであったからだ。
 そして、小林刑事が言葉を噤んでしまうと、高遠は、
「他に何か意見はないか」
 と,会議に集まっている面々を見回した。
 すると、若手の竹中刑事(28)が、
「寺沢さんの隣家の人物に、寺沢さんのワゴンRが九月十六日の夜から十七日の朝にかけて駐車場に停まっていたか確認してみましょうよ」
 竹中刑事にそう言われると、高遠は、
「その捜査は、確かに行なわなければならないと思ってたんだよ」
 と、些か顔を赤らめては決まり悪そうに言った。
 更に、九月十六日の夜から十七日の朝にかけて、典子が誰かと会ったか、何処かに行ったか、また、典子がその頃、家にいたと証言したのなら、それに関して徹底的に追及しなければならないという意見が出された。
 そして、それら以外に特に有力な意見は出されなかったので、早速基本的といえるそれらの捜査がまず行なわれることになった。

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 すると、早くも有力と思われる情報を入手することが出来た。
 というのは、典子宅は山の斜面に建てられている為に、典子宅に行くにはかなり階段を上らなければならないということは前述したが、そんな状況だから典子のワゴンRが停められている駐車場は典子宅に続く階段の上り口から二十メートル程離れた所にあり、その駐車場には、通常、十五台程の車が停められていたのだ。 
 それで、高遠は典子の車を除く車の所有者たちに聞き込みを行なってみたところ、複数の者から九月十六日の午後五時頃から十七日の午前十一時頃まで、典子のワゴンRはその駐車場に停まってなかったという証言を入手したのだ。その証言は複数の者から得た為に信頼性は高いと言えるだろう。
 また、典子とか、典子のワゴンRが九月十六日の夜から十七日の朝にかけて雲仙で目撃されていなかったか、その捜査も行なわれていた。
 だが、その捜査は困難なものであった。
 というのは、誰に聞き込みを行なえばよいのか、その的を絞りにくかったからだ。もっとも、利根子の遺体が見付かった周辺に立て看板が立てられ、市民に情報提供が呼び掛けられていた。不審な人物や車を目撃しませんでしたか、という具合に。だが、今のところ、それ関する情報提供者は全くなかったのである。
 それ故、高遠たちは、雲仙地獄周辺のホテルや旅館の従業員たちに、十六日の宿泊客で何か興味ある話を耳にしなかったかという聞き込みを行なってみた。
 すると、正に興味有りげな情報を入手することが出来た。その情報を提供したのは、新湯にある某ホテルで客室係をしている星野花子(55)であった。
 花子は、
「十六日にうちでお泊りになった若いご婦人から聞いた話なんですけどね。そのご婦人は夜の零時頃、三歳の子供が突如泣き始めたので、子供をあやす為にホテルの外に出たそうなんですよ。そして、長崎で買ったビードロをふかしては、子供をあやしていたそうなんですよ。
 で、ホテルの前の道、つまり、国道57号線の真ん中辺りで子供を抱っこしてはあやしていたそうなんですよ。何しろ、零時を過ぎた頃ですから、昼間のように車の行き来はまるで見られませんからね。それ故、そのご婦人は道の真ん中辺りで堂々と子供を抱っこしてはあやしていたのですよ。
 ところがですね」 
 そう言うと、花子は一呼吸しては、更に話を続けた。
「ところがですね。向こうの方、つまり清七地獄の方から車のヘッドライトの明かりが見えたので、ご婦人は慌てて道路際に退こうとしたのですよ。ところが、その時ビードロをうっかり落としてしまったのですよ。ところが、車が走って来てしまったものですから、そのまま車が通り過ぎるのを待ったのですが、その車は何とビードロの上を走ってしまった為にビードロは粉々に壊れてしまったのですよ」
 と、花子は些か興奮しながら早口で捲くし立てた。
 そう花子に言われ、高遠は、
「なる程」
 と、いかにも穏やかな表情と口調で言った。
 とはいうものの、まだこれだけでは、高遠たちに役立つ情報とまでは至ってない。それで、引き続き、高遠は花子の話に耳を傾けることにした。
 そんな高遠の胸の内を花子が察知したのかどうか分からないが、花子はこの時点でいかにも眼を大きく見開いては輝かせ、
「実はですね。私はそのご婦人から、ご婦人のビードロを踏み潰しては走り去って行った車のことを聞いているのですよ。そして、その車が今、刑事さんが話題にされたワゴンRなのですよ。また、色も刑事さんが話題にしたシルバーなのですよ!」
 と、正に力強い口調で言った。
 そう花子に言われ、高遠も眼を大きく見開き、そして、輝かせた。正に、こういった情報を高遠たちは必要としていたのだ!
とはいうものの、そのワゴンRに乗っていた人物の話はまだ聞いていない。そのワゴンRを運転していた人物が若い男とか中年の男であったと言われてしまえば、折角得た有力と思われる情報は有力ではなくなってしまう。
 それで、高遠はいかにも真剣な表情を浮かべては,そのワゴンRの運転手に関してその婦人は何か言及してなかったか訊いてみた。
 すると、花子は、
「中年の女の二人連れだと言ってましたね」
 と、いかにも力強い口調で言った。
 すると、高遠は、
「そうですか」
 と、些か嬉しそうに言った。ベテラン刑事である高遠といえども、事件解決に至る有力な証言を入手したともなれば、嬉しそうな表情を見せることは許されるであろう。ベテラン刑事といえども、常に冷静に物事に対処出来るとは限らないのだ。嬉しい時には、表情を綻ばせるものなのだ。
 それはともかく、今の花子の証言は、正に利根子の事件の解決を決定づける位の有力なものとなりそうだ。典子が十七日の午前零時頃、雲仙に来ていたとなれば、典子はもう高遠たちから逃れることは出来ないだろう。そして、典子と共に同乗していた中年の女とは、恐らく前野良子であろう。
 そう看做すと、高遠の表情は、自ずから険しいものへと変貌した。この時点でやっと、典子、良子に対して本格的な訊問が可能となったからだ。ある程度、証拠を入手出来てないと、本格的に訊問を行なえないのだ。だが、今それが可能となったのだ。それ故、正に目前の敵に戦いを高遠たちは挑むことになったのだ。そう思うと、高遠の表情は自ずから険しいものへと変貌したのである。
 そんな高遠に、花子は、
「私の話は、刑事さんのお役に立ったでしょうか?」
 と、まるで、高遠の胸の内を探るかのように言った。
 すると、高遠は、
「大いに役立ちましたよ」
 と、表情を綻ばせては言った。
 すると、花子も表情を綻ばせた。そんな花子は正に自らの話が高遠の捜査に役立ったことを知り、大いに満足してるかのようであった。
 そんな花子に、
「で、その婦人の連絡先は分かりますかね?」 
 と、高遠は今度は先程の表情とは打って変わって、些か真剣味のある表情で言った。
「そりゃ、勿論分かりますよ」
 そう花子に言われたので、高遠はその婦人の連絡先をメモし、そして、その婦人に寺沢典子と前野良子の写真を見てもらうことにした。更に、そのワゴンRのナンバーも覚えていないか確認してみることにした。
 その婦人は鹿児島市に住んでいる牧沙織という二十八歳の女性で、一泊二日で夫の悟と共に九月十六日から十七日にかけて、雲仙方面に観光旅行に来ていたとのことだ。
 沙織宅は西鹿児島駅の近くにあったが、高遠は沙織に事前に電話連絡してあったので、沙織宅で沙織と予定通り会うことが出来、早速、九月十六日のことを訊いてみた。
 すると、沙織は沙織のビードロを壊しては去って行った車のナンバーまでは分からないが、助手席に座っていた女の顔はある程度覚えているとのことだ。
 それで、高遠は直ちに寺沢典子と前野良子の写真を見てもらった。
 すると、沙織は二十秒程、それらの写真をじっと見やっていたが、やがて、
「この女である可能性が高いと思います」
 と、良子の写真を指差しては、些か自信有りげな表情を浮かべて言った。
 すると、高遠は、
「そうですか」
 と、いかにも嬉しそうな表情を浮かべた。何故なら、これによって、事件は解決したと確信したからだ。
 だが、沙織は怪訝そうな表情を浮かべた。そんな沙織は、<何故刑事さんはその女性の写真を持っているのですか?>と、言いたげであった。
 案の定、沙織はその思いを言葉として発した。
 すると、高遠は、
「まぐれ当たりですよ」
 と、さらりと沙織の問いをかわしたのであった。

     3

 正に、これだけ証拠固めを行なったともなれば、もはや寺沢典子と前野良子は高遠たちから逃れることは出来ないであろう。
 そう思った高遠たちは、まず寺沢典子宅を訪れた。
 高遠が寺沢典子の前に姿を見せると、典子は些か警戒したような視線を高遠に向けた。そんな典子は正に高遠の来訪の目的を密かに窺っているようであった。
 そんな典子に高遠は、
「実はですね。以前寺沢さんからお聞きした話の内容に矛盾点が出てきましてね」
 と、典子の顔を見やりながら、些か言いにくそうに言った。
「矛盾点? それ、どういったものですかね?」
 と、典子は眉を顰めては言った。
 それで、高遠はまず利根子と典子の関係に関して、典子が証言した内容と高遠が入手した内容とに食い違いが見られたことを説明した。即ち、社会人になってからは、典子は利根子と時々電話で話す位の付き合いだったと証言したのに対して、高遠たちは利根子と典子の関係は学生時代と同様、親分、子分の関係だという証言を入手したと話した。
 そんな高遠の話に典子は黙って耳を傾けていたが、高遠の話が一通り終わると、
「一体、誰からそのような話を聞いたのですかね?」
 と、眼を大きく見開き、戯けたような表情を浮かべては言った。
「その人物の名前を言うわけにはいきません。しかし、寺沢さんの学生時代の同級生だった人物であるとだけは、言っておきましょう」
 と、高遠は典子の顔をまじまじと見やっては、典子に言い聞かせるかのように言った。
 すると、典子は渋面顔を浮かべては少しの間言葉を詰まらせていたが、やがて、
「ホッホッホッ!」
 と、笑い出した。その笑いは、いかにもおかしくて堪らないと言わんばかりであった。
 そんな典子を眼にして、高遠は些かむっとした表情を浮かべては、
「一体、何がおかしいのですかね?」
 そう高遠に言われても、典子はまだしばらく笑いを止めようとはしなかった。
 だが、やがて笑うのを止めては、
「私が社会人になってから剣崎さんに言われるがままにお金を渡していたというその話を誰に話したのか覚えていますから、刑事さんが誰からその話を入手したのか大体分かりますが、しかし、まさか刑事さんがその話を真剣に信じるなんて思ってもみませんでしたよ。ですから、これが、おかしくないわけがないじゃないですか! ホッホッホッ!」 
 と、典子は再びおかしくて堪らないと言わんばかりに笑った。
 すると、高遠はむっとした表情を浮かべながら、
「つまり、社会人になってから、寺沢さんが剣崎さんにお金を渡していたという話は、出鱈目だったということですかね?」
 と、典子の顔をまじまじと見やっては言った。
「当然ですよ! どうして私が剣崎さんにお金を渡さなければならないのですかね?」
 そう言っては、典子は唇を歪めた。そんな典子はまるで高遠に闘いを挑むかのようであった。正に眼前に突如現れた猛獣には全身全霊をもって立ち向かわなければならないと言わんばかりであった。
 そう典子に言われ、高遠は決まり悪そうな表情を浮かべては、言葉を詰まらせてしまった。そう証言した米沢晴子や西村美智をこの場に連れて来ては、証言させるわけにもいかなかったからだ。
 とはいうものの、牧沙織の証言に関しては、典子はどうすることも出来ないであろう。
 それで、この時点で高遠は牧沙織が雲仙でワゴンRに沙織のビードロを踏み潰された頃の典子のアリバイを確認してみた。
 すると、典子は、
「その頃は、この自宅で寝ていましたわ」
 と、平然とした表情で言った。
「じゃ、寺沢さんの車は、寺沢さんが契約している駐車場に停められていましたかね?」
 と、高遠はさりげなく言った。
 すると、典子の言葉は詰まった。そんな典子は高遠のその問いに対して、どのように答えればよいか、迷っているかのようであった。
 だが、やがて典子は、
「何故私はそのようなことを訊かれなければならないのですかね?」
 と、些か不満そうに言った。
 すると、高遠は、
「何故って、その問いに僕が答える前に、今の僕の問いに答えて下さいよ。別に難しい問いじゃないですか。九月十六日から十七日にかけて、寺沢さんの車が寺沢さんが契約してる駐車場に停められていたかどうかなんていう問いには、すぐに答えられるじゃないですか」
 と、高遠の問いに率直に答えようとしない典子を非難するかのよう言った。
 すると、典子は、
「そりゃ、停まってましたよ」 
 と、些か顔を赤らめながら、蚊の鳴くような声で言った。
 だが、この時、典子の嘘は確定した。何故なら、九月十六日の夜から十七日の朝にかけて、典子が契約している駐車場には典子の車は停まってなかったことは既に複数の関係者から確認済みだからだ。
 そして、これをもって、典子は長崎署に任意出頭を要請され、取調室で高遠たちから訊問を受けることになった。
 高遠たちは、改めて九月十六日の夜から十七日の朝にかけて典子のワゴンRが典子が契約している駐車場に停まってなかったという証言を得たということや、学生時代は元より社会人になってからも、利根子と典子の関係が親分、子分であるのは、中学時代に起こった片山君子の事件が起因してるのではないかという高遠たちの推理を話すと、典子の表情は一層蒼白となり、典子は言葉を詰まらせてしまった。
 そんな典子に、典子のワゴンRが雲仙の温泉街で目撃され、そのワゴンRの助手席には、前野良子が乗車し、また、典子のワゴンRが田中(仮名)という観光客のビードロを踏み潰しては走り去ってしまった為にその田中が、典子のワゴンRのナンバーを覚えていたと、嘘を交えて典子を追及すると、典子はもはや逃がれられないと観念したのか、遂に真相を話し始めた。そして、その典子の供述はまるで堰を切ったかのように典子の口から次から次へと発せられた。それは、まるで今まで胸の内に痞えていた重荷を吐き出すかのようであった。
「刑事さんが言ったように、確かに中学三年の時のその事件が、私たちの運命を変えてしまったのです」
「私たちとは、寺沢さんと前野さんのことですかね?」
「そうです」
 典子は、高遠から眼を逸らしては、蚊の鳴くような声で言った。
「つまり、片山さんの自転車のブレーキのワイヤーに、寺沢さんと前野さんは細工をしたというわけですかね?」
「そうです。私はその頃、江藤君という同じクラスの男子学生を片山さんと取り合いしていたのです。私と片山さんは、何としてでも江藤君を独り占めしたかった為に、私は片山さんを、片山さんは私を江藤君から遠ざけようとしていたのです。
 そんな頃、片山さんは私が別の男子学生と付き合っているという出鱈目を江藤君に話した為に私は逆上し、私の親友であった前野さんの協力を得て、片山さんの自転車のブレーキのワイヤーを学校内で密かに切ってやったのです。もっとも、全部切ったわけではないですが。でも、そうしたことにより、片山さんが自転車に乗ってる時にブレーキのワイヤーは切れ、片山さんは転倒すると私は思ったのです。そうなれば、正に『ざまみろ』というわけですよ。でも、まさか、あんな大事故になるなんて……」
 と、典子はもう三十年以上も前のことではあるが、正にとんでもないことをやってしまったと大いに後悔してるかのように言った。
 そう典子に言われると、高遠は険しい表情を浮かべながらも、些か満足したように肯いた。何故なら、その典子の供述は高遠たちの推理通りだったからだ。
 そんな高遠は、
「で、剣崎さんは、そんな寺沢さんと前野さんの行為を知ったのですかね?」
 そう言った高遠の表情は正に真剣なものであった。
 すると、典子は高遠を見やっては、
「その通りです。剣崎は偶然私たちが学校内の自転車置き場で片山さんの自転車に細工してる場面を眼にしたのですよ。私たちは誰にも見られてないと思ってたのに……」
 そう言っては、典子は目頭に白いハンカチをあてがった。そんな典子は正に利根子にその場面を眼にされなければ、その後の不幸は発生しなかったと言わんばかりであった。
 典子は目頭にハンカチをあてがいながら少しの間言葉を詰まらせていたが、やがて、再び話し始めた。
「で、剣崎はそのことをねたに私と前野さんをゆすり始めたのですよ。つまり、私たちがやったことを先生や警察に話してもらいたくなければ、私と前野さんは剣崎の子分として仕えよと。
 私と前野さんは、そう剣崎に脅され、自殺も考えました。
 そんな私たちに剣崎は、子分といっても、ただ単に剣崎と行動を共にするだけで、特に問題行為をするわけでもないと、説き伏せられ、結局私たちは剣崎の子分になることを了承したのです。
 とはいうものの、その片山さんの事件をきっかけに、私と前野さんの性格が一層暗くなったのは言うまでもありません。また、片山さんの事件が起こってから、私と江藤君の交際も終わってしまいました。というのは、江藤君の方から私との交際を終えることを告げて来たからです。私が思うには、片山さんの自転車のブレーキのワイヤーに細工をしたのは私であるということを察知したからではないかと思います。もっとも、江藤君はその思いを誰にも話さなかったみたいですが」
 と、典子は正に神妙な表情を浮かべては言った。
 そう典子に言われると、高遠も神妙な表情を浮かべては、
「そうですか……」
 と、呟くように言った。正に、この平凡で温厚そうな寺沢典子が若かった頃、このような衝撃的な事件の渦中に置かれていたなんて、とても今の典子を見れば想像することは出来ないというものであろう。正に人は見掛けによらないという格言を痛感せざるを得なかった。
 そんな高遠に典子は更に話を続けた。
「で、私と前野さんは、剣崎との付き合いは高校に行くまでと思っていました。つまり、私たちが剣崎と違った高校に行けば、もう剣崎と付き合わなくて済むと私たちは思ったというわけですよ。
 ところが、剣崎は片山さんの秘密をねたに私たちに剣崎と同じ高校に進学することを要求して来たのです。
 それで、私たちは剣崎と同じ高校に行かざるを得なくなってしまったのです。本来なら、私と前野さんはもう一つランクの上の高校に行けたにもかかわらず、剣崎はそれを許さなかったのです」
 そう言い終えた典子は、いかにも悔しそうであった。正に、今更ながら、剣崎利根子の脅しに屈しなければならなかったことが悔しくて仕方ないようであった。
 そんな典子を見て、高遠は些か典子のことを哀れに思ってしまった。しかし、刑事が私情に動かされてはならない。事件を客観的に見なければならないのだ。
 そんな高遠は更に典子の供述に耳を傾けようとした。
「正に高校時代は愉しくなかったです。常に剣崎の子分として行動しなければならなかったですからね。私と前野さんはいつも剣崎の後を歩き、私と前野さんが剣崎の子分であるということは、クラスの中の誰もが知っていましたよ。
 で、剣崎が気に入らない女子生徒に何かと言いがかりをつけたり、また、剣崎の命じるがままに虐めに加わったりもしました。正に、私と前野さんは剣崎の不良の片棒を担がなければならなかったのです。
 でも、何とか私と前野さんは高校を卒業し、そして、高校卒業後は、やっと私と前野さんは剣崎から解放されたのですよ」
 そう言い終えた典子の表情は、幾分か明るさが見られた。その典子の表情は、まるでその時の悦びを今になって改めて実感してるかのようであった。
 だが、典子の表情はすぐに曇り、そして、更に話を続けた。
「高校卒業後、私は小さな会社の事務員として働き始めました。そして、二十八の時に、見合いで私の夫となった寺沢和行と結婚しました。和行は私と同様、小さな会社で事務員をやっていて、給料も多くはなかったのですが、私にとんでもない過ちを犯させる原因となった江藤君と似たところがあって、私は寺沢との結婚に応じたのです。
 そして、私は寺沢の妻として、新しい人生が始まったのです」
 と、典子はいかにも感慨深げに言った。そんな典子は正に今まで誰にも話したことのない典子の今までの人生を力説してるかのようであった。
 そして、典子は更に話を続けた。
「で、私と寺沢との結婚生活は、最初はとても愉しかったのですが、一年、二年と経つにつれ、新婚気分も冷め、更に結婚当初には見られなかった寺沢の欠点も見え始め、私は友人に寺沢に対する不満を言ったりするようになりました。
 とはいうものの、寺沢との結婚生活は何とか持ち堪え、十年、十五年と経過しました。そして、その頃にはもうすっかりと言っていい位、剣崎のことは忘れていました。何しろ、剣崎は高校を卒業して以来、私にコンタクトを取って来たことはありませんでしたからね。それ故、剣崎は私にとって、もはや過去の人物となっていたのです。
 ところが……」
 そう言っては、典子は表情を曇らせた。そんな典子は正にこれから話すことがとんでもないことなんだと言わんばかりであった。
 そんな典子は表情を改めては、
「ところがですね。私が四十三歳になった正月気分もまだ抜け切れない頃、剣崎から突如、電話が掛かって来たのです」
 そう言っては、典子は渋面顔を浮かべた。そして、
「で、剣崎が何故私の家の電話番号を知っていたのかは分からなかったのですが、とにかく私が出た相手は剣崎だったのです。
 私は私の電話相手が剣崎だと知り、私の表情は一気に蒼ざめてしまいました。剣崎からの電話なら、碌なものではないと思ったからです。
 で、剣崎は私に会いたいと言うので、私はとにかく剣崎が呼び出した公園へ行きました。
 剣崎とは、正に二十年以上顔を合わせてなかったのですが、私は剣崎を眼にして眉を顰めざるを得ませんでした。何故なら、高校を卒業して二十年以上という年月が経過したにもかかわらず、あの残忍で意地悪そうな剣崎の面影はやはり剣崎の表情の中に留めていたからです。
 それはともかく、剣崎は私と顔を合わすや否や、まるで私と話をするのを待ってましたと言わんばかりに話し始めました。そして、その話は生命保険の話でした。
 剣崎は何故か私が受取人となっている夫の生命保険のことを知っていました。そして、剣崎は、私が夫とうまく行っているのか、訊いて来ました。
 私が、その剣崎の問いに対する返答を躊躇っていると、剣崎は、
『私は、寺沢さんがご主人とうまく行ってないことを知っているのよ』
 と言っては、不敵な笑みを浮かべました。
 そう剣崎に言われ、私はドキッとしました。何故なら、正にそれは図星だったからです。
 私は、中学時代に私が思いを寄せた江藤君と似た面影のある寺沢と結婚したとはいうものの、結婚して二十年近く経過した頃には、寺沢との結婚は失敗だったと看做さざるを得ない状況となっていました。
 というのは、寺沢のその優しげな面立ちの背後に潜んでいた寺沢の本性が歳を取るにつれて、徐々に現れて来たからです。
 何でもないことで、私を殴ったり蹴ったり、また、私が作ったご飯が気に入らないと、私が作ったご飯を私に投げつけたりしました。更に、私は夫に顔を殴られ、鼻を骨折したこともあるのです。
 そんな夫と離婚に踏み切れなかったのは、私の経済力のなさです。私は夫と結婚してすぐに専業主婦になったのです。そんな私があてに出来るのは夫が稼ぐお金だけだったのです。そして、そのことも、夫が私に強く出る要因だったと思います。要するに夫は私のことを嘗めてかかっていたのです。私が夫と離婚出来ないことを知っていたから、夫は私に強く出ていたのですよ。
 もっとも、夫が稼ぐお金は知れたものでした。私たちの間に子供はいなかったから、私たちはなんとか遣り繰り出来ていたみたいなものですよ。
 それはともかく、その頃私がどうしても夫を許せない事態が発生してしまいました。
 それは、夫は女を作ったのです。夫より二十歳も年下の女を!
 何故私がその女の存在を知ったかというと、ここ一年位の間で夫はよく外泊するようになり、また、ワイシャツの袖に口紅が付いていたこともありました。更に、私に渡していた毎月の生活資金が半分に減ったのです。
 それで、私は夫に問い詰めたのですが、夫はしらばくれました。しかし、私は密かに夫の携帯電話を調べ、そのメールの履歴からその事実を摑んだというわけです。
 それで、そんな夫のことをどうしようかと思ってた頃、あの女、即ち剣崎が私の前に現れたのです」
 そう言い終えた典子の表情はとても険しいものであった。正にこの平凡で温厚そうな典子にも、このような表情が存在してるのかと思わせる位であった。
 そんな典子は険しい表情のまま、更に話を続けた。そんな典子は、正に今まで痞えていた鬱憤を吐き出すかのようであった。
「私は剣崎から夫との間がうまく行ってるのかと問われ、私が言葉を詰まらせていると、剣崎は何故か私が夫とうまく行ってないことを知っていました。今、思えば、剣崎は興信所なんかを使って、そのことを調べ出したのかもしれません。
 で、剣崎は、
『ご主人が交通事故なんかで死んでくれれば、それは寺沢さんにとって、願ったり叶ったりじゃないかな。ご主人の生命保険も寺沢さんに入ってくるだろうし』
 と言ったので、私は、
「本当にそう思うわ」
 と、いかにも声を弾ませて言いました。実際にも、私はそう思ったのです。
 すると、剣崎はその時、私にとんでもない話を持ち掛けて来たのです。
 そのとんでもない話とは、私の夫を私が殺すということでした。つまり、剣崎は人間を死に至らしめる山菜があることを知っているから、私がその山菜を夫に食べさせては夫を殺すというものでした。更に、夫の生命保険の内、五分の一、即ち七百万程を剣崎に渡せというものでした。
 私は、正に夫を憎くて許せないと思ってはいたものの、夫を殺そうとまでは思ってませんでした。
 それで、私は驚きのあまり、言葉を失っていると、剣崎はその山菜、即ちドクゼリを食べて死んだ人は幾らでもいるから、絶対に私の行為はバレないと言うのです。また、剣崎はドクゼリが自生してる場所も知っていると言うのです。
 とはいうものの、私はあまりにも衝撃的な話を持ち出された為に啞然とした表情を浮かべては言葉を失っていると、剣崎は何度もその作戦は成功すると、力説しました。
 だが、尚、私は返答を躊躇っていました。そんな私の様を見れば、明らかに私が剣崎が持ち出して来た話に賛成出来ないという私の思いを読み取ることが出来ました。すると、剣崎はその時、あの話を私に持ち出して来たのです」
 そう言い終えた典子の表情は、正に険しいものであった。そんな典子は、更に話を続けた。
「で、あの話とは、つまり、私が中学三年の時に仕出かした事件のことです。私が中学三年の時に同じクラスだった片山さんの自転車のブレーキのワイヤーを切り、その結果、片山さんは交通事故に巻き込まれ、自殺してしまったあの事件です。私は久しくその事件のことを忘れていたのですが、剣崎にその事件のことを持ち出され、私は一気にその事件のことを思い出してしまいました。
 それで、私の表情は見る見る内に蒼白となり、また、言葉を詰まらせていたのですが、程なく薄らと笑みを浮かべました。というのは、一体何の証拠があるというのでしょうか! 私が片山さんの自転車のブレーキのワイヤーを切ったという証拠が!
 中学三年のその当時は、剣崎がその証拠を持っていたかどうかなんてことは、深く考えたこともなく、ただ剣崎の言われるが儘だったのですが、今思うと、その当時の私は馬鹿だったと思いました。即ち、剣崎が私たちが片山さんの自転車のブレーキのワイヤーを切ったと言っても、しらばくれればよかったと言うことです。その当時は私たちは未熟だった為にそこまで考えが及ばなかったというわけですよ。
 それで、私はその思いを剣崎に話しました。
 すると、剣崎はにやっとしました。その剣崎の笑みは、正に薄気味悪いものでした。
 それで、私の表情からは忽ち笑みが消えました。そして、そっと剣崎の表情を窺いました。私は剣崎がそのような笑みを浮かべた真意を知りたかったのです。
 すると、剣崎はそんな私の胸の内を察したのか、こう言ったのです。
『片山さんが事故に遭った時のあんたや前野さんと私との話の遣り取りを私は密かにテープレコーダーに録音していたのよ』
 その思ってもみなかった剣崎の言葉を耳にして、私は愕然とした表情を浮かべては言葉を詰まらせてしまいました。
 すると、剣崎は正に勝ち誇ったような表情を浮かべては、更に話を続けました。
『あんたは覚えてないかもしれないけど、あんたははっきりと片山さんの自転車のブレーキのワイヤーを切ったということを認め、そして、それを言葉として発したのよ。あんたは忘れてるかもしれないけど、私はきちんとそのあんたの言葉をテープに録音してあるのよ。あんたがいくらしらばくれたって、そのテープは確固たる証拠となるわ。
 それに、私がその場面を眼にしていたと証言すれば、どうなると思うの?」
 そう剣崎は言っては、憎憎しげな表情を浮かべながら私の顔をまじまじと見やりました。
 私はあまりにもの次から次へと剣崎の口から発せられる衝撃的な言葉に頭の中が真っ白となってしまい、言葉を発することが出来ませんでした。
 だが、程なく私は今更そのような話を持ち出してどうなるのかとも思いました。万一、私が犯したその事件のことが公になっても、法律では私を裁けないと思ったからです。
 すると、剣崎はそんな私の胸の内を察したのか、
「あんたは、今更そのようなことを公にしてどうなるのかと思ってるのね。つまり、法律ではあんたのことを裁けないと、あんたは思ってるのね。
 そりゃ、そうだけど、片山さんのお父さんやお母さんは今も健在よ。片山さんのお父さんやお母さんがあんたの所為で片山さんが自殺したと知ってどう思うかしら。
 それに、そのことが公になれば、あんたはこの長崎、あるいは、九州で生きて行けるかしら』
 そう言っては、剣崎はにやっとした。そんな剣崎は正に私を脅しては愉しんでいるかのようでした。そんな剣崎は正に学生時代の剣崎とは何ら変わっていませんでした。今や四十を超えたおばさんと剣崎はなっていたものの、その剣崎の中には依然として学生時代の剣崎が根を下ろしていたのです!」
 そう言い終えると、典子は眼を大きく見開き、爛々と輝かせては、そして、その身体を小刻みに震わせた。そんな典子は正に自らの話に大いに興奮し、剣崎利根子に対して、今更ながら強い怒りを露にしてるかのようであった。
 高遠はといえば、そんな典子の話に正に好奇を露にした表情を浮かべながら、じっと聞き入っていた。そんな高遠は、正にこの平凡で温厚そうな五十に近い典子がこのような激しい人生の渦中に置かれていたことがあったことが信じられないと言わんばかりであった。
 だが、高遠はそのような思いは無論口には出さずに、更に典子の話に耳を傾けることにした。
「私は剣崎にそう脅されると、返す言葉はありませんでした。そんな私に剣崎は何度もドクゼリを食べて死んだ人は幾らでもいるから、私の夫の死は絶対に誤魔化せるということを力説しました。
 そんな剣崎に私は遂に屈してしまったのです」
 そう言い終えると、典子は両手で顔面を覆った。そんな典子は、正に自らの過ちに大いに後悔してるかのようであった。
 そして、典子はしばらくの間泣き続け、その間、典子の供述は中断されることになった。
 だが、やがて、典子は顔を高遠の方に向けた。そんな典子の表情は、まるで典子の決意を示しているかのようであった。そして、その決意とは正に夫殺しを自白することであろう。
 案の定、典子はこの時点で、夫殺しを認めた。即ち、剣崎利根子が佐世保の山で摘んで来たというドクゼリの混じった山菜を典子の夫の和行に食べさせ、和行を計画通り殺したことを典子は認めたのである。
 もっとも、和行の死が典子の意図でもたらされたことが発覚すれば、典子の犯行は失敗に終わったであろう。しかし、和行の死を確認した田所医師は和行の死に関して、和行が元々心臓が悪いということもあってか何ら不審点を抱かなかった。また、保険会社も和行の死に何ら不審点を抱かなかった。
 即ち、利根子が言ったように、和行の死はまんまと世間を欺くことが出来たのである!
 典子は和行殺しを認めると、安堵したように大きく息をついた。そんな典子は正に今まで痞えていた胸の痞えを吐き出した為に気が楽になったと言わんばかりであった。
 そして、そんな典子はこう付け加えた。
「でも、私が剣崎の命令に従ったのは、ただ単に剣崎の脅しが恐かったからだけではありません。私はその頃、和行のことがとても憎かったのです。和行を殺してやりたいと思ったことは実はもう何度でもあったのです!」
 と、典子は眼をギラギラさせては、怒りを露にしたような表情を浮かべた。そんな典子は、和行を殺したのは、利根子の脅しが恐かったからではなく、和行が憎かったからだと、高遠たちに訴えているかのようであった。
 そして、典子は更に話を続けた。
「で、夫の死は事故死だと警察が認めると、夫の生命保険は下りました。即ち、私は三千五百万程のお金を受取ったのです。ところが……」
 そう言うと、典子は表情を曇らせた。そんな典子はまたしても自らに不幸が降り掛かった自らの不運さを嘆いているかのようであった。
 そんな典子に、高遠は、
「またしても、剣崎さんが脅して来たのですかね?」
 と、些か典子を労わるかのように言った。
 すると、典子は黙って小さく肯き、そして、
「私が受取った三千五百万の内、三千万を剣崎に渡せというのですよ。約束では、七百万だったのに……。
 それで、私は無論断りました。
 すると、剣崎は、
『そんなことをすれば、片山さんの事件だけじゃなく、夫殺しも、世間に公になるわよ』
 と、私を脅して来たのです。
 とはいうものの、剣崎は私を脅すのはこれが最後だと約束したので、私はこれで剣崎と縁が切れると思い、剣崎の要求通り、三千万を渡したのです」
 そう言い終えた典子は正に疲れたと言わんばかりの表情を見せた。そんな典子は利根子に関する話をするのはもううんざりだと、言わんばかりであった。

     4

 寺沢典子が自らの夫殺しを自供したことを前野良子に話すと、良子は思ってた以上にあっさりと父親殺しを認めた。典子も良子も元来悪人ではない。剣崎利根子という悪人の毒牙に掛かってしまい、自らの身を滅ぼしてしまった哀れな犠牲者なのだ。
 良子は親友である寺沢典子が剣崎利根子に片山君子の事件をねたに脅され、典子の夫の生命保険金の内、三千万を奪われたという話を典子から聞き、それ以来、良子はおどおどとした日々送っていた。良子は次は良子が利根子に脅されるのではないかと思ったからだ。良子も典子と同様、利根子とは高校卒業して以来ご無沙汰していた。それ故、良子にとって利根子の存在は既に過去の人物となっていた。それ故、典子がもたらした話は良子に甚大なショックをもたらしたのである。
 もっとも、典子は良子に和行を殺したとまでは言及してなかった。良子は典子にとって今も親友ではあったが、そこまでは言及出来なかったのだ。
 とはいうものの、良子としては、和行の死に典子が関わっていたと察知はしていた。だが、良子はその思いを典子に話すことはなかったのである。
 それはともかく、良子の不安はやがて現実のものとなった。典子が和行の生命保険金を奪い取られて三年が過ぎたその夏、利根子は良子の前に現れたのである。
 そして、利根子は典子に語ったように、片山君子の話を持ち出し、そして、良子の父親殺しを持ち出した。利根子は何故か良子の父親に生命保険が掛けられていたことを知っていたのである。そして、利根子は良子に父親を良子宅の二階の階段から突き落としは殺し、その生命保険金の半分を利根子に渡せと要求して来たのだ。
 そんな利根子に良子は『父親は高齢なので、もう先は長くないです』と、抗ったのだが、利根子は何故か良子の父親がまだまだ元気であることを知っていた。それ故、今すぐに父親を殺すように良子に要求して来たのだ。
 そして、その要求を良子が断れば、片山君子の秘密をばらすと、良子を脅したのだ。典子を脅したように、今度は良子を利根子は脅したのだ!
 そんな利根子の脅しに良子は遂に屈してしまい、父親を良子宅の二階の階段から突き落とし殺してしまった。高齢者が階段から落ちて死亡する事故は後を絶たず、生命保険会社は良子の父親、即ち、耕三の死を何ら怪しむことなく、生命保険金は良子に支払われた。それで、その半分を良子は利根子に渡そうとしたのだが、利根子は典子に対して行なったように、またしても約束を破った。何故なら、利根子は良子に良子が受取った保険金の半分ではなく、その保険金の殆んどである二千万を渡せと要求して来たのだ。
 良子は無論そんな利根子に反発したのだが、利根子はこれで最後だと良子を説得したので、良子はしぶしぶ利根子の要求に応じたのである。
 だが、これによって、利根子との縁が切れたことを自覚し、良子は妙にせいせいした気分となった。
 そして、良子はしばらくの間、平穏無事な日々を過ごすことになった。
 だが、その良子の平穏無事の日々は、長く続かなかったのである!

     5

 良子の前に利根子が再び姿を見せたのは、良子の父親が亡くなって二年経った頃であった。そして、利根子は二年前に良子と交わした約束を利根子はあっさりと破り、今度は良子の母親を殺せと良子を脅して来たのだ。
 良子の母親の静子は、夫の耕三が死んで以来、めっきりと老け込み、この先長くないと思われていた。そんな静子には、良子を受取人とする生命保険が掛けられていたのだが、何故か利根子はそのことを知っていて、耕三を殺したように、静子も階段から突き落としては殺せと、良子に要求して来たのだ。
 良子は、もう人殺しは懲り懲りであった。耕三が階段から転がり落ちては息絶えた時の様を、良子は今でもはっきりと覚えていた。耕三の死を確認する為に良子は階段から転がり落ちた耕三の傍らに行った時に、実は耕三はまだ生きていて、良子に恨めしそうな表情を向けたのだ。そんな耕三は、良子が耕三を階段から突き落としたことを知っていて、何故そのようなことをしたのかと、良子に問いたげであった。
 だが、そんな耕三は良子に恨めしげな表情を向けるとすぐに息絶えたのであった。
 良子の脳裏には、その時の耕三の面立ちが改めて蘇って来たのである。
 そんな良子は何かと理由をつけて、母親殺しはもう少し考えさせてくれと、利根子に哀願した。そして、良子は典子に相談を持ち掛けたのだ。
 典子は夫殺しを、良子は父親殺しをお互いに打ち明けてはいなかったが、お互いにそのことは、それぞれ察知していた。
 だが、この時、二人はそれぞれ、夫殺し、父親殺しを利根子の脅しによって、余儀なく実行させられたということを打ち明けたのである。
 そして、典子と良子は、利根子をこのままに放置しておけば、典子と良子は死ぬまで利根子から脅されなければならないと看做した。
 それ故、利根子を殺すしか、取るべき手段はないと、決意した。二人の将来の為にも、また、今までの利根子に対する恨みを晴らす為にも、利根子殺しを決意したのだ!
 そして、丁度その頃、雲仙地獄で事件が発生した。身元不明の若い男の惨殺死体が雲仙地獄で観光客によって発見されたというニュースが報道されたのだ。そんな報道の中には、江戸時代にキリシタン迫害の為に雲仙で処刑された清七たちの呪いが男の死をもたらしたのではないのかとフィクションを交えたものもあった。
 そして、典子と良子はこの事件を利用出来ると看做したのである。
 即ち、利根子の死の真相を誤魔化す為に、利根子の死体を雲仙地獄に遺棄し、利根子の事件は若い男の事件と関わりがあると世間を欺けると看做したのである。
 そして、利根子を殺すことは、さ程困難なものではなかった。良子の母親殺しの相談があるという口実で利根子を夜遅い時間の人気の無い公園に呼び出し、良子が利根子と話し込んでいる隙に、典子が利根子の背後から近付き、ロープを利根子の首に巻きつけては、典子と良子の二人で思い切り利根子の首を絞めては、利根子を殺したというわけである。
 で、もしこの作戦が失敗すれば、典子が刃渡り二十センチの柳刃包丁で利根子を刺殺するつもりであった。典子は刃渡り二十センチの柳刃包丁も持参して来たのだ。
 だが、その柳刃包丁は使わずに済んだ。
 とはいうものの、利根子殺しは予定通り行なわれたというわけだ。
 これによって、剣崎利根子の事件は解決した。典子と良子にどのような罪が下されるかは裁判官が決めることであろう。
 因みに、典子と良子は、何故典子の夫と良子の父親がそれぞれ典子と良子を受取人とする生命保険に入っていたことを利根子が知っていたのかという疑問を抱いていた。
 だが、その疑問は高遠たちの捜査によって明らかになっていた。即ち、利根子の部屋を捜査した結果、利根子が生命保険会社でセールスレディとして働いていた時に、巧みにその情報を入手していたのである!
 また、米沢晴子や西村美智が寺沢典子や前野良子が社会人になってからも剣崎利根子の子分で有り続けたと証言したことに関して、典子と良子はそれぞれ五年前の五月と二年前の八月に利根子の脅しに屈した時に、その友人に利根子に対する愚痴を話した。もっとも、利根子の命令でその夫や父親を殺し、その生命保険金を奪われたなんてことは話しはしなかった。ただ、今になっても利根子から金をせびられてると愚痴った。そして、その話が幾分か脚色され、その友人から別の友人に伝わり、そして、その話が刑事に伝わったのではないかと、典子も良子も説明したのであった。


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